過日(11/20)に散策して新たに認識した旧三津郵便局舎に今日、現使用権利者が公開する機会があると知り、訪問してみました。たぶん戦前、昭和初期に建築されたと想像される、つまり築後8、90年を経ると想像する木造2階建て造りの局舎です。一階の床など、現使用権者が手を入れ簡易的に直している様です。
建物内に入り、まず目に付いたのが入口直ぐ右手コーナーに周辺から半間四方で囲まれたコーナーです。これは、電話ボックスなのでしょう。未だ余程の富裕者とかそれなりの企業しか電話がなかった頃、地域の人々はこの郵便局を訪ね、電話を使用していた時代があったのでしょう。残念ながら電話機は残されていませんが、たぶん参考写真の如く、ダイヤルもなく、手回しハンドル(呼び出し用発電機)が付いて、これで局のオペレーターを呼び出し、相手先の電話番号を伝え、手動でプラグジャックをつなぎ替えて繋いでもらう式なのでしょう。従前の昭和30年代頃の同地に残された商店の看板を見ても、電話番号の表記は局番なしの3桁数値ですから、この最大1千件の電話番号で沼津市本局をカバーしていたのでしょう(?)なお、沼津市以外は、局ある市町村と番号をオペレーターに伝え、オペレーターが局外交換所経由で市外通話を成立していたのでしょうが、通話が成立するまで、結構な待ち時間があったことでしょう。それでも、江戸時代の早飛脚とか、郵便制度ができても、遠隔地では数日は要したのを、直ちに会話ができる時代になったのですから、当時としては大きな飛躍であったことは確かでしょう。
その他、同建物の2階も見せて戴きました。未だ何ら整備もしていない状態ですが、海に至近の立地ですが流石瓦屋根で腐食に強く、かなり老化はしていますが、屋根からの漏水はなく経過している様です。それと、壁や天井など現在ならコンパネだとか石膏ボードを張り、最終的のは壁紙仕上げが常套工法となりますが、たぶん竹材クロスの補強に土壁仕上げで、表面は漆喰仕上げという現在だったら、その人工から高コスト過ぎる工法で仕上げられていることが判ります。そんな2階の天井ですが、角部分をR仕上げとしていたり、横にアクセントのビードが入れられたりと、豪華さはないですが、質素なおしゃれな風合いを感じさせる仕上げです。窓枠も木製で、過去何度もペンキを塗り重ねた様子が伺えますが、大きな破壊もなく経過した様です。しかし、この海至近の位置で、雨戸の用意もなく、よくぞ毎年襲う台風などに耐えてきた来たものとも思うところです。
建物内に入り、まず目に付いたのが入口直ぐ右手コーナーに周辺から半間四方で囲まれたコーナーです。これは、電話ボックスなのでしょう。未だ余程の富裕者とかそれなりの企業しか電話がなかった頃、地域の人々はこの郵便局を訪ね、電話を使用していた時代があったのでしょう。残念ながら電話機は残されていませんが、たぶん参考写真の如く、ダイヤルもなく、手回しハンドル(呼び出し用発電機)が付いて、これで局のオペレーターを呼び出し、相手先の電話番号を伝え、手動でプラグジャックをつなぎ替えて繋いでもらう式なのでしょう。従前の昭和30年代頃の同地に残された商店の看板を見ても、電話番号の表記は局番なしの3桁数値ですから、この最大1千件の電話番号で沼津市本局をカバーしていたのでしょう(?)なお、沼津市以外は、局ある市町村と番号をオペレーターに伝え、オペレーターが局外交換所経由で市外通話を成立していたのでしょうが、通話が成立するまで、結構な待ち時間があったことでしょう。それでも、江戸時代の早飛脚とか、郵便制度ができても、遠隔地では数日は要したのを、直ちに会話ができる時代になったのですから、当時としては大きな飛躍であったことは確かでしょう。
その他、同建物の2階も見せて戴きました。未だ何ら整備もしていない状態ですが、海に至近の立地ですが流石瓦屋根で腐食に強く、かなり老化はしていますが、屋根からの漏水はなく経過している様です。それと、壁や天井など現在ならコンパネだとか石膏ボードを張り、最終的のは壁紙仕上げが常套工法となりますが、たぶん竹材クロスの補強に土壁仕上げで、表面は漆喰仕上げという現在だったら、その人工から高コスト過ぎる工法で仕上げられていることが判ります。そんな2階の天井ですが、角部分をR仕上げとしていたり、横にアクセントのビードが入れられたりと、豪華さはないですが、質素なおしゃれな風合いを感じさせる仕上げです。窓枠も木製で、過去何度もペンキを塗り重ねた様子が伺えますが、大きな破壊もなく経過した様です。しかし、この海至近の位置で、雨戸の用意もなく、よくぞ毎年襲う台風などに耐えてきた来たものとも思うところです。