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寺子屋指南 その13 損害調査と示談

2021-04-13 | 賠償交渉事例の記録
 拙人の長年の事故の損害調査とその解決の経験から、いわゆる損害調査と示談と云われる紛争解決は、結局のところエッセンス(真髄)としては同じことだろうと信じている。つまり、適切な損害調査を行い高次の損害協定を行い得る調査員は、その紛争解決としての示談も高次な内容がまっとうできるといいたいのだ。

 ところで、交通事故で生じた紛争は99%示談で解決されていると云うのが実態だと思う。残りの1%が訴訟なりの場で紛争が解決されているに過ぎない。と云うのも、余程大きな事故でないか、人身損害で死亡とか極めて重篤な後遺障害が生じて、その賠償金が億を超える事案というのは全体から見れば少なく、例え弁護士が介入したにしても、訴訟になで至る案件は案外少ないのが実態だからだろう。ちょっと弁護士に対しては辛辣な意見となってしまうが、ことの真実(正義と呼んでも良いだろう)を追求する心はあっても、業として営んでいるいる以上、訴額(紛争で争う額)が小さい案件で、手間暇掛かる訴訟にまで持ち込むのを、躊躇うことがあるのは必然だろうと云うことだ。

 ところで、現代損保の各社において、損害調査と示談を区分し、別の担当者が行う場合が多くなって来ている。拙人が損害調査員になった遙か昔であれば、損害調査員がその案件の示談までを担当することは、極めて当たり前というか普通のことであった。

 こういう昔の環境で、損害調査員を自ら辞していく者がいたが、その大きな主因は示談が苦手というと云い過ぎになるのかもしれないが、示談が苦痛と感じていたと云うのが拙人の感じた見立てだ。

 一方、コンプラライアンス(あくまで見掛けのことであるが)の向上を目指す損保各社において、いわゆる非弁法の関係で、損害調査員が所属する**侵害調査という子会社の構成員に示談を行わせることについて、非弁法上の問題が内在すると云うことから、示談は親会社所属の構成員が行うと云う流れが強まった。そんな中、そんな組織上やりくりし難い親会社と子会社の関係を解消する意味で、子会社を親会社に取り込んで、一体化させると云う動きが出て来たと思っている。現在損保は外資も含めれば20社前後となろうが、そもそも外資系など通販で行う損保は、損害調査員すら外注に頼っていると云うのが実情だろう。国内損保は、大合併で6社くらいまでに集約されてしまったのだが、その中で、従来は損害調査員が所属する**損害調査という子会社がすべてに存在していたのだが、現在でも親会社損保と損害調査子会社が分離している損保企業は2社を残すのみとなったという実態がある。

 この様な損害調査会社を残した2社では、損害調査員は示談という行為を行っていない実態にある様だ。一方、損害調査子会社を親会社に取り込み一体化させた損保でも、損害調査と示談を区分し、一般的な損害調査員は損害調査に限定し、従来損害調査を行っていたが、示談の中でも難易度の高いものを担当したり、示談の大半は女性職員が担当していおりそのサポートだとか、面談が必用な案件を旧来の損害調査員が担当しているというのが実態の様だ。

 ここで冒頭の拙人の思いとして、高次な損害調査を行える者が高次な示談も行い得るという言説に従えば、この様な分業体制が果たして、保険金の支払いに当たって公平かつ公正ということが高次に求められる保険会社にとって果たして適切なものかという疑問が払拭できないのだ。

 なお、伝え聞く話しではあるが、昔に比べ担当部署毎の連携、もっと端的に云えば会話が少なくなっている現状を聞くに付け、なおさらその様な懸念が生まれてくる。つまり、示談のほとんどが、電話で済むある意味定型的な範囲のもので、これを女性職員が行うについて問題はないだろう。ところが面談に必用が生じたり、示談の内容に車両の損害内容だとか復元修理の内容が絡んで来ると云う場合も存在するが、ある損保では損害調査員でなく、示談専門の車両の復元修理に精通していない示談担当の男性職員が担当し、処理を行っている様だが、これではそもそも公正、公平というものを高次に達成できないのではないかとも思慮するのだ。例えば、対する相手が復元修理の品質上の不満を漏らしていると仮定して、それが果たして復元修理の問題なのか、事故前の別事故による問題が内在しているがための問題なのか、車両のある意味で専門家でないと判断も、納得できる説明もできないであろう。

 最後に、損害調査員も示談専門の業務を行っている者も、訴訟における判事やまして弁護士という者と比べても、国から与えられた権力だとか権威という職権の面では太刀打ちができないのだが、それでも示談という納得が得られるから紛争が解決できるのだろう。では、何故納得が得られるかと云えば、ものごとの道理や筋道を誰が聞いても判り易く説明できる能力があった故にそれが達成できるのだろうと思っている。これは以前別のブログでも記したことだが、相手にどういう感情が渦巻いているのか、相手の真意を汲み取る能力としてTACTたる能力が求められると云うことだろう。感情的になった相手に対し、その思いに至った理由を汲み取ることもできずに、ただ理論だけで押し突き放すという行為は、判事や弁護士でない一民間人同士が行ったても、ただ強圧されたとのしこりしか残さないのではないだろうか。

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