拙人は損害調査員として25年近くをある損保に所属して活動して来た。その中には、9年ほど、本社の当時は研修部というところに所属し、各研修の企画立案から実施までを担当した。また、事務所にいる際に、出先の損害調査員とかマネージャークラスの問い合わせに答えることを、かなり繰り返して来た。
そんな中で、全般および各地で弱点となる技術的な問題を認識すると、それを補強するための、個別資料作りやら、新たな研修の素案として織り込むなど工夫もして来たつもりだ。
今回の寺子屋指南では、同一人が繰り返し各種質問を繰り返すと云うことについて、考えてみたいと思う。
誤解ない様に断って置くが、拙人は自らが考えても、それなりの資料に当たっても判らない問題を、判るであろう者に質問することを全否定する訳ではない。ただし、専門家たる損害調査員の情報入手ルートが、本社にしかないという思考があったとしたら、こりゃ損害調査員の資質として低いし、先が知れているとも思い続けて来た。だから、そういう質問者には、こちらから逆質問で、あれやこれやと周辺状況をたずねると、とたんに質問者の答えが詰まるという状況にわざと持ち込んでやったりしたのだ。つまり「君が担当して調査してるんだろ。何故、こっちに聞く前にそれらを確かめない」という考え方として教育的見地からの応酬を繰り返したという訳だ。
類似のこととして、インターネットの普及した現代なら、いわゆる「ググって」(Google)という検索で、回答案を見つけると云う手法が一般化したと云えよう。もし、それもできない現代人なら、ハッキリ云って情報弱者ということになってしまうだろう。
しかし、ご存じの通りインターネットの情報は、すべてが正解が出てくる訳ではない。検索の仕方の巧みさもあるだろうが、ある程度のスキルがないと正解かどうかの判定ができないし、そもそも専門業種の特異な分野となると、検索してもヒットしない場合の方が多いのだろうと思う。
そこで考えなければならないのは、調査担当者各自が自らの情報網を確立する様努力することに意義はあるのだと思える。
つまり具体的に云うのであれば、修理の実務作業だとかであれば、それなりの節度だとか一流の腕を保持した工場が上げられるだろう。この例でいえば、一般的に指数では、全車共通でフロントフェンダーは、前提条件としてフロントバンパー、ヘッドランプは含まないと記されているが、それではそれらを外さないとフロントフェンダーを外せないのかと云えば、車種によっては、フロントフェンダー単独で取り外し可能な場合もある。こんなことは、その実務に精通している者が一番良く判る訳だ。
また、塗装の色にもよるだろうが、隣接部パネルをボカスという作業があるが、例えば主体パネルを取替でなく板金した場合の、隣接パネルのボカシは何処までが妥当かなどは、私が現役の頃も種々疑問に思い、それなりのスキルを持つ複数工場に、種々たずねて廻ったこともある。
また、修理工場以外としては、同業者にたずねられるルートを確保しようという努力が必用ではないかと思える。私の現役時代の末期頃までは、損害調査員の同業界というのがあって、そういう環境は著しく恵まれていたのだが、公正取引委員会のいわゆる指数および対応単価の談合疑惑が起こって以来、その様な同業界は途絶えてしまった。一方、考えてみれば、板金業界だと車体組合とか自整業だと振興会という公に認められた組織があって、ある程度の横の繋がりは引き続いている。本来は、専門職というのは、企業組織としての縦だけでなく横の繋がりがあるべきものだと考えてはいるが、何しろ保険会社の本家は、金融庁だとか公正取引委員会とか、役人の指導を第一意義として思考し、リスクを避けるという機運が強いと云うのが、特に我が国の国民性もあるのだろう。
私の場合で云えば、損害調査員の会はなくとも、もちろんすべての損保ではないが、昔ながらの付き合いは続いており、現役を離れた現在ですら、電話1本でどうしている?とたずねられる環境は維持している。
何れにせよ、損害調査員の仕事というのは、各種あり、昨今ではマニュアル化されているとは思うし、まずは会社は数を求めると思うが、マスプロダクションの工員ではあるまいし、作業能率のことばかりに傾注していれば良い訳ではない。如何に品質を高め、理想に近づける仕事ができるか、それにより仕事の面白みは格段に変わってくる様に思える。そのことが拙人が感じる損害調査員の存在価値の低下を抑止し、公平、公正という損害保険の根幹にも関わって来る問題だとは思っている。
そんな中で、全般および各地で弱点となる技術的な問題を認識すると、それを補強するための、個別資料作りやら、新たな研修の素案として織り込むなど工夫もして来たつもりだ。
今回の寺子屋指南では、同一人が繰り返し各種質問を繰り返すと云うことについて、考えてみたいと思う。
誤解ない様に断って置くが、拙人は自らが考えても、それなりの資料に当たっても判らない問題を、判るであろう者に質問することを全否定する訳ではない。ただし、専門家たる損害調査員の情報入手ルートが、本社にしかないという思考があったとしたら、こりゃ損害調査員の資質として低いし、先が知れているとも思い続けて来た。だから、そういう質問者には、こちらから逆質問で、あれやこれやと周辺状況をたずねると、とたんに質問者の答えが詰まるという状況にわざと持ち込んでやったりしたのだ。つまり「君が担当して調査してるんだろ。何故、こっちに聞く前にそれらを確かめない」という考え方として教育的見地からの応酬を繰り返したという訳だ。
類似のこととして、インターネットの普及した現代なら、いわゆる「ググって」(Google)という検索で、回答案を見つけると云う手法が一般化したと云えよう。もし、それもできない現代人なら、ハッキリ云って情報弱者ということになってしまうだろう。
しかし、ご存じの通りインターネットの情報は、すべてが正解が出てくる訳ではない。検索の仕方の巧みさもあるだろうが、ある程度のスキルがないと正解かどうかの判定ができないし、そもそも専門業種の特異な分野となると、検索してもヒットしない場合の方が多いのだろうと思う。
そこで考えなければならないのは、調査担当者各自が自らの情報網を確立する様努力することに意義はあるのだと思える。
つまり具体的に云うのであれば、修理の実務作業だとかであれば、それなりの節度だとか一流の腕を保持した工場が上げられるだろう。この例でいえば、一般的に指数では、全車共通でフロントフェンダーは、前提条件としてフロントバンパー、ヘッドランプは含まないと記されているが、それではそれらを外さないとフロントフェンダーを外せないのかと云えば、車種によっては、フロントフェンダー単独で取り外し可能な場合もある。こんなことは、その実務に精通している者が一番良く判る訳だ。
また、塗装の色にもよるだろうが、隣接部パネルをボカスという作業があるが、例えば主体パネルを取替でなく板金した場合の、隣接パネルのボカシは何処までが妥当かなどは、私が現役の頃も種々疑問に思い、それなりのスキルを持つ複数工場に、種々たずねて廻ったこともある。
また、修理工場以外としては、同業者にたずねられるルートを確保しようという努力が必用ではないかと思える。私の現役時代の末期頃までは、損害調査員の同業界というのがあって、そういう環境は著しく恵まれていたのだが、公正取引委員会のいわゆる指数および対応単価の談合疑惑が起こって以来、その様な同業界は途絶えてしまった。一方、考えてみれば、板金業界だと車体組合とか自整業だと振興会という公に認められた組織があって、ある程度の横の繋がりは引き続いている。本来は、専門職というのは、企業組織としての縦だけでなく横の繋がりがあるべきものだと考えてはいるが、何しろ保険会社の本家は、金融庁だとか公正取引委員会とか、役人の指導を第一意義として思考し、リスクを避けるという機運が強いと云うのが、特に我が国の国民性もあるのだろう。
私の場合で云えば、損害調査員の会はなくとも、もちろんすべての損保ではないが、昔ながらの付き合いは続いており、現役を離れた現在ですら、電話1本でどうしている?とたずねられる環境は維持している。
何れにせよ、損害調査員の仕事というのは、各種あり、昨今ではマニュアル化されているとは思うし、まずは会社は数を求めると思うが、マスプロダクションの工員ではあるまいし、作業能率のことばかりに傾注していれば良い訳ではない。如何に品質を高め、理想に近づける仕事ができるか、それにより仕事の面白みは格段に変わってくる様に思える。そのことが拙人が感じる損害調査員の存在価値の低下を抑止し、公平、公正という損害保険の根幹にも関わって来る問題だとは思っている。