私の思いと技術的覚え書き

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クルマのソフィスティケート化を思う

2011-09-11 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 ソフィスティケート(sophisticate)とは、都会的に洗練されたという意味ですが、クルマという工業製品も間違いなくソフィスティjケート化の方向に進化して来たのでしょう。これはクルマで云えば特定ジャンルに限ったものでなく、乗用車、商用車の別なく、各製造メーカーはその様なベクトルへ向かっての製品開発を進めていることは確かなことでしょう。

 具体的には、スタイリング、快適性、安全性、省燃費性などでしょうが、今や大型トラックでさえ、特別な腕力がなくとも、一定のスキルさえあれば、非力な者でも十分運転できます。また、往年のスポーツカーは、絶対性能は高くとも、ステアリングやブレーキ、クラッチはそれなりに重く、エンジンのトルク特性もピーキーかつ神経質であり、それなりのスムーズかつ速く走ろうとすれば、相応した体力とドライビングスキルが要求されたものと思います。

 この様な現状を眺め、昔のクルマは個性があったよなぁと懐かしむのは、私ばかりのことですはない様です。この様な旧車は、今から見れば、ソフィスティケートされておらず、泥臭く田舎っぽく見えるのかも知れませんが、私には光輝いて見えるクルマ達です。

 最後に、このソフィスティケイト化ですが、全ての工業製品に云えることでしょうが、人物にも云えることだと思います。確かに外見や発言はソフィスティケイトされていますが、個性という面では希薄化している様に思えます。それは、古い映画やドラマをよく知る方から聞かれる、昔の役者の方が個性があったという言葉に代表されるものでしょう。それと、残念なことですが、人情だとか義理、そして見掛けでない真の道徳というものが薄れていっていると思うのは私だけでしょうか・・・。



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