およそ軍事活動は世のテクノロジー発展の歴史でもあることはよく知られた事実だ。つまり大きな激しい戦争が起こる都度、その時代の革新技術が投入され、大きな戦果を発揮してきた。そして、戦後も、その技術は民生品に応用され、世の技術革新がなされて行くのだ。
例えば、現在の技術革新の総てに関わるコンピューター技術だが、戦時中の弾道計算の必用から開発されたものだったとか・・・。それとか、遠くから高速で飛翔する敵物体を早期に検出したり、狙いを定めたり(ロックオン)するのにレーダー技術は欠かせない。当初のレーダーは、マグネトロンという高周波の発信管を開発することが要となったという。これは戦後、電子レンジに使用され、簡易に食品などの過熱を行える機器として普及した。
さて、先の大戦に物量その他の要因から敗戦することになった我が国だが、戦後は自国の安全すら100%自国で決定できないという先勝国の都合により、自国防衛の戦争まで憲法で禁止規定を設けられ、その改訂もままならず戦後70年を経てしまった。日米安保があるから大丈夫とかいう話しもあるが、何時も米国が助けてくれるなんてことはあり得ない。でなければ、北朝鮮拉致も、韓国による竹島占拠も起きなかったに違いない。米国の世界覇権に危害が加わると判断されたときのみ、米国は腰を上げるのだが、おそらく我が国の米軍基地に核兵器が使用されようとも、米国は本国からの報復核の使用を行えないだろう。それは、さらに連鎖する米本土への報復核の連鎖、全面核戦争となることを理解するからだろう。
さて、表題の軍事と企業のことだが、日本は原料を輸入しして高度に分析、分類、加工したりして、民生品を中心に高度な革新的製品や半製品を作る技能を発展させてきた。と云うか、歴史を紐解けば、種子島に鉄砲が伝来して来て、僅かの期間でその技術をキャッチアップして、自国で鉄砲を作れる様になった。自動車もそうだが、当初は欧米の技術を真似て、馬鹿にされながらも、日本にマッチした車両の生産技術をキャッチアップすると共に、その生産コストとしては、世界最強力なトヨタ方式の生産システムを構築するに至り、およそコストパフォーマンスだとか信頼性においては、世界最高水準のクルマを作る国になってしまった。
ここで、最近知るのだが、ダイセルという大阪本社の企業のことを記してみたい。ダイセルの設立時(1919年)の企業名は、大日本セルロイド(株)だ。それが変じて、現ダイセルになっている。このセルロイドだが、実用に供される人工樹脂(プラスチック)としては、ベークライトに次ぐ古い樹脂となる。ベークライトが、耐熱で絶縁性能が高いという特性を持つのに対し、セルロイドは透明で薄膜状に作れるという特性を持つ。セルロイドの正式名称はニトロセルロースと呼ばれるもので、日本語に直訳すると硝化綿と呼ばれる。現在では、映画やカメラでフィルムを使うものを現用デジタルに対し銀塩カメラとか呼ぶが、このセルロイド表面に銀塩を塗布して、感光後の定着現像処理により画像を再現することができたものだ。一方硝化綿事態に顔料を入れ着色し溶剤で溶かしたものをNCラッカーと呼び、塗料に使用されてきた。しかし、塗料としての耐光性に難があるため、その後は過熱とか2液とかの化学的重合作用で固まる塗料の採用に変化してきた。しかし、今でも簡易に塗れて早く乾くというラッカーの使用も、製品や部位に応じて使用され続けている。
なお、銀塩カメラ時代に正解最大のフィルムメーカとなった富士フィルムは、ダイセルから分業化(1934年)された企業だそうだ。また、デジカメ時代になって傾くと想像していた富士フィルムだが、ME分野だとか液晶パネルに使われる偏光板保護フィルムの世界シェアの大半を占めるなど、独自の優位技術を持っている。そして、この偏光板保護フィルムの材料となる酢酸セルロースはダイセルが供給しているのだそうだ。
ところで、この硝化綿だが非常に燃えやすく、火薬の原料にもなる物質なのだ。そんなことから、近年実用化が果たされほとんどのクルマに標準採用されるようになったエアバッグとかシートベルトプリテンショナーのインフレーター(チッ素ガス発生剤)には、起爆及びチッ素ガス発生剤を過熱を行うものとして、硝化綿に近い物質が使用されており、インフレーターの日本製造シェアトップ、また世界でも3位に位置する企業がダイセルである。
と云うことで、現代の炸薬しても砲弾やミサイルの信管にしても、エアバッグと同様に何らかの機械的もしくは電気的な起爆部を有しており、軍事部門においてダイセルの関わりは続いている様だ。
例えば、現在の技術革新の総てに関わるコンピューター技術だが、戦時中の弾道計算の必用から開発されたものだったとか・・・。それとか、遠くから高速で飛翔する敵物体を早期に検出したり、狙いを定めたり(ロックオン)するのにレーダー技術は欠かせない。当初のレーダーは、マグネトロンという高周波の発信管を開発することが要となったという。これは戦後、電子レンジに使用され、簡易に食品などの過熱を行える機器として普及した。
さて、先の大戦に物量その他の要因から敗戦することになった我が国だが、戦後は自国の安全すら100%自国で決定できないという先勝国の都合により、自国防衛の戦争まで憲法で禁止規定を設けられ、その改訂もままならず戦後70年を経てしまった。日米安保があるから大丈夫とかいう話しもあるが、何時も米国が助けてくれるなんてことはあり得ない。でなければ、北朝鮮拉致も、韓国による竹島占拠も起きなかったに違いない。米国の世界覇権に危害が加わると判断されたときのみ、米国は腰を上げるのだが、おそらく我が国の米軍基地に核兵器が使用されようとも、米国は本国からの報復核の使用を行えないだろう。それは、さらに連鎖する米本土への報復核の連鎖、全面核戦争となることを理解するからだろう。
さて、表題の軍事と企業のことだが、日本は原料を輸入しして高度に分析、分類、加工したりして、民生品を中心に高度な革新的製品や半製品を作る技能を発展させてきた。と云うか、歴史を紐解けば、種子島に鉄砲が伝来して来て、僅かの期間でその技術をキャッチアップして、自国で鉄砲を作れる様になった。自動車もそうだが、当初は欧米の技術を真似て、馬鹿にされながらも、日本にマッチした車両の生産技術をキャッチアップすると共に、その生産コストとしては、世界最強力なトヨタ方式の生産システムを構築するに至り、およそコストパフォーマンスだとか信頼性においては、世界最高水準のクルマを作る国になってしまった。
ここで、最近知るのだが、ダイセルという大阪本社の企業のことを記してみたい。ダイセルの設立時(1919年)の企業名は、大日本セルロイド(株)だ。それが変じて、現ダイセルになっている。このセルロイドだが、実用に供される人工樹脂(プラスチック)としては、ベークライトに次ぐ古い樹脂となる。ベークライトが、耐熱で絶縁性能が高いという特性を持つのに対し、セルロイドは透明で薄膜状に作れるという特性を持つ。セルロイドの正式名称はニトロセルロースと呼ばれるもので、日本語に直訳すると硝化綿と呼ばれる。現在では、映画やカメラでフィルムを使うものを現用デジタルに対し銀塩カメラとか呼ぶが、このセルロイド表面に銀塩を塗布して、感光後の定着現像処理により画像を再現することができたものだ。一方硝化綿事態に顔料を入れ着色し溶剤で溶かしたものをNCラッカーと呼び、塗料に使用されてきた。しかし、塗料としての耐光性に難があるため、その後は過熱とか2液とかの化学的重合作用で固まる塗料の採用に変化してきた。しかし、今でも簡易に塗れて早く乾くというラッカーの使用も、製品や部位に応じて使用され続けている。
なお、銀塩カメラ時代に正解最大のフィルムメーカとなった富士フィルムは、ダイセルから分業化(1934年)された企業だそうだ。また、デジカメ時代になって傾くと想像していた富士フィルムだが、ME分野だとか液晶パネルに使われる偏光板保護フィルムの世界シェアの大半を占めるなど、独自の優位技術を持っている。そして、この偏光板保護フィルムの材料となる酢酸セルロースはダイセルが供給しているのだそうだ。
ところで、この硝化綿だが非常に燃えやすく、火薬の原料にもなる物質なのだ。そんなことから、近年実用化が果たされほとんどのクルマに標準採用されるようになったエアバッグとかシートベルトプリテンショナーのインフレーター(チッ素ガス発生剤)には、起爆及びチッ素ガス発生剤を過熱を行うものとして、硝化綿に近い物質が使用されており、インフレーターの日本製造シェアトップ、また世界でも3位に位置する企業がダイセルである。
と云うことで、現代の炸薬しても砲弾やミサイルの信管にしても、エアバッグと同様に何らかの機械的もしくは電気的な起爆部を有しており、軍事部門においてダイセルの関わりは続いている様だ。