昨日は一仕事の帰途、図書館に立ち寄り、借り出した本の返却しがてら、予めの検索で関心ある本を書棚から抜き出した。こういう場合、その書棚の該当本を探す過程で、新たに関心を持つ本が大体見つかるものだ。今回も、該当分の他に2冊ほど抜き出した。そして、何時もの関心持つジャンルの書棚を転々と眺めつつ、ちょっと関心ある本を抜き出し、合計6冊ほどを借り出した。こんな行為を月に2度ほど行うのが、常のことなのだ。この様な趣向が最高だとか最善だなどと云うつもりはないが、偏向はしつつも世のことを広く知りたいという好奇心を満たす、知の冒険の一つとして楽しみを覚えるのだ。
前置きが長くなってしまったが、今回は”感”のことを、私見として述べてみたい。
この「感だよ」は、良く聞かれるワードだが、私はこれを聞くと、今から半世紀近く前に読んだ小説「日本沈没の」(小松左京:故人)の1シーンを思い出してしまう。記憶だけの話なので、若干細部は違うかもしれぬが、以下の様なものだ。
物語の初めの方で、主人公の小野寺(深海潜水艇(確かわだつみ号)のオペレーター)は、地球物理学者の田所教授と共に日本海溝を潜行調査している。そして、異変の予兆を発見するというシーンだ。そして、小野寺は、田所になんでそう結論できるのかを質すのだった。その、田所の返事が「君、感だよ」な訳なのだ。
ここで、単に”感”だと云われると、当てずっぽうかと云うと、決してそうではないだろう。なりの道に通じた真のプロに働く”感”は、その時点では、すべてを理路整然と説明できないものの、かなりの確度を持っているということを強く感じるし、それを生み出せる素養を日頃から育まねばならないのだろう。この感とはセンスと呼び代えてもよいだろうと思う。
日頃から触れあう修理工場や板金塗装や関係業種、そして本コーナーの皆様の様々な修理探求のことに触れ、素晴らしいプロの感(センス)の方だと関心することは多い。しかし、中には、どう見ても愚かな仕業としか思えない出来事を垣間見ることもある。そのくせ、当人に問うと、俺はあれもこれも直したと自慢気なのだが・・・。いわゆる、天狗になるという奴であろうか、自戒せねばならぬことだと思っている。
※以下は昨年経験した悪事例
こういう修理工場はユーザー支持を受けぬという話
前置きが長くなってしまったが、今回は”感”のことを、私見として述べてみたい。
この「感だよ」は、良く聞かれるワードだが、私はこれを聞くと、今から半世紀近く前に読んだ小説「日本沈没の」(小松左京:故人)の1シーンを思い出してしまう。記憶だけの話なので、若干細部は違うかもしれぬが、以下の様なものだ。
物語の初めの方で、主人公の小野寺(深海潜水艇(確かわだつみ号)のオペレーター)は、地球物理学者の田所教授と共に日本海溝を潜行調査している。そして、異変の予兆を発見するというシーンだ。そして、小野寺は、田所になんでそう結論できるのかを質すのだった。その、田所の返事が「君、感だよ」な訳なのだ。
ここで、単に”感”だと云われると、当てずっぽうかと云うと、決してそうではないだろう。なりの道に通じた真のプロに働く”感”は、その時点では、すべてを理路整然と説明できないものの、かなりの確度を持っているということを強く感じるし、それを生み出せる素養を日頃から育まねばならないのだろう。この感とはセンスと呼び代えてもよいだろうと思う。
日頃から触れあう修理工場や板金塗装や関係業種、そして本コーナーの皆様の様々な修理探求のことに触れ、素晴らしいプロの感(センス)の方だと関心することは多い。しかし、中には、どう見ても愚かな仕業としか思えない出来事を垣間見ることもある。そのくせ、当人に問うと、俺はあれもこれも直したと自慢気なのだが・・・。いわゆる、天狗になるという奴であろうか、自戒せねばならぬことだと思っている。
※以下は昨年経験した悪事例
こういう修理工場はユーザー支持を受けぬという話