過去を否定する救いがたい国・だが原発関係ないは許されざること
今日(12/9)朝、「原発政策・何処までデタラメやるのか」を記したが、その後夕刻になって以下のYoutube動画を見つつ考えるに、やはりこの日本とは、救いがたい国だと核心しつつある。
【白井聡 ニッポンの正体】原発事故はまた起きる!最高裁、驚愕の無責任判決
デモクラシータイムス 2022/07/12(1:22分)
https://www.youtube.com/watch?v=dIljdGNGO9s
この動画は1:22と比較的長いのだが、内容要旨を紹介すると以下だ。
・最高裁判決として、福島原発訴訟の被害車原告の請求は棄却された。
・ただし、国側とか東電の責任がないとはしていない。
・最高裁判決は4名の判事が関わるが、内3名は請求を否定しているが、1名は肯定しているそうだ。
・担当弁護士談によれば、判決分は概ね50ページらしいが、内30ページが1名の否定文に費やされ、判決の否定文の実態は4ページというものだそうだ。
・1名の判決肯定する判事の文章は、意見というより、その文(30ページ)そものが、判決文の形態を取っているという異例のもので、通常の反対者の意見の体裁ではないという。このことについて、弁護士は原発訴訟はまだまだ続くが、次回以降の裁判官にこれ見て考えて欲しいという1名肯定の裁判官の矜持が表れているということを述べていた。
・担当弁護士は述べるが、裁判というと、裁判内内容だけが判決になるとの見方があるが、それは違うという。つまり、裁判の傍聴席を満席にすること、入りきれない傍聴希望者とか参集者が裁判所に集まること、裁判の様子だとか、判決などの内容が正しく、即座に翌日の地方紙に詳しく載ることなど、その裁判に欠ける原告の思い、つまり世論を裁判官は無視することはできないということを述べている。
・福島原発事故当時に当時の管総理が東電などを怒鳴りまくったということで、当時「イラ管」などと云われたが、実のところ政府内では、当時最悪のケースとして、当方来以北3千万住人を移動させることまで話しが及んだ、いわば本当の国家非常事態だった。もし、そんなことになっていれば、現在の日本の姿はないことになる。その様な限界的状況で、怒鳴るのはある意味、当然のことで、それに異論あるなら怒鳴り返したらいい場面だった。
この様なことだが、こういう判決を聞いて、「ふざけた裁判官だ、しょせんこの国はそういう国さ」と冷笑しているあなたに云いたい。冷笑しつつ、問題の核心を思考して、そういう意識を僅かでも持つことが必要だと云うことだ。つまり、国民1人1人は小さい意見だが、それが構成する世論となった時、よほどの暴力的独裁国家でさえ、それを無視することはできなくなって行くということだ。
しかし、朝の記事でも述べた通り、この国は311を否定し、原発回帰の動きに現実に踏み出した。このことに、政治家はもちろん、マスメディアも忖度して推進する動きになるだろう。ここで、あの時(311)日本は、単に運が良く崩壊しなかっただけで、とんでもないことだったという事実を国民が知り、いや違うという世論を作り出さねばならないのだ。それが、あなたの家族や子孫累々までおよぶ国の形に影響することで、関係ないは許されざることだと思うところだ。
補記1
ちょっと原発と離れるが、被差別部落問題で、やたら被差別部落という今や実態が不明朗な問題(要するに差別がありもしないのにあるとするもの)が続いているのだが、訴訟判決にもそのことがあると伝えている方がいる。その理由だが、ある時、その被差別を訴える団体の者が裁判官を襲うという事件があったそうだ。これにより、裁判官は怯えているという問題もあるやに聞く。なお、こういう問題を記すと、差別は続くとする者は怒りまくると思うが、私の理解としてはそうなのだ。そもそも部落差別というが、今や居住の自由もあるし、本当にその地が差別されていやなら、何処でも引っ越せるし、幾ら戸籍謄本を取得しようが、その地はかつて歴史的に部落だと云うことがあったとしても、部落民の証明などどうやったってできないのだ。それを、あえて自分は部落民だと自称する者とは、あえて差別を受けたいマゾ的な人物とは思えない。それは、差別を利用した特典を求めるという捻れがあるに違いないと思う次第だ。
補記2
過去人物にで忘れがたい論客として故西部邁氏(元ブントメンバー)がいたが、その方が良く述べていた一語を思い出す。「真実は得てして少数にある」という言葉だ。
今日(12/9)朝、「原発政策・何処までデタラメやるのか」を記したが、その後夕刻になって以下のYoutube動画を見つつ考えるに、やはりこの日本とは、救いがたい国だと核心しつつある。
【白井聡 ニッポンの正体】原発事故はまた起きる!最高裁、驚愕の無責任判決
デモクラシータイムス 2022/07/12(1:22分)
https://www.youtube.com/watch?v=dIljdGNGO9s
この動画は1:22と比較的長いのだが、内容要旨を紹介すると以下だ。
・最高裁判決として、福島原発訴訟の被害車原告の請求は棄却された。
・ただし、国側とか東電の責任がないとはしていない。
・最高裁判決は4名の判事が関わるが、内3名は請求を否定しているが、1名は肯定しているそうだ。
・担当弁護士談によれば、判決分は概ね50ページらしいが、内30ページが1名の否定文に費やされ、判決の否定文の実態は4ページというものだそうだ。
・1名の判決肯定する判事の文章は、意見というより、その文(30ページ)そものが、判決文の形態を取っているという異例のもので、通常の反対者の意見の体裁ではないという。このことについて、弁護士は原発訴訟はまだまだ続くが、次回以降の裁判官にこれ見て考えて欲しいという1名肯定の裁判官の矜持が表れているということを述べていた。
・担当弁護士は述べるが、裁判というと、裁判内内容だけが判決になるとの見方があるが、それは違うという。つまり、裁判の傍聴席を満席にすること、入りきれない傍聴希望者とか参集者が裁判所に集まること、裁判の様子だとか、判決などの内容が正しく、即座に翌日の地方紙に詳しく載ることなど、その裁判に欠ける原告の思い、つまり世論を裁判官は無視することはできないということを述べている。
・福島原発事故当時に当時の管総理が東電などを怒鳴りまくったということで、当時「イラ管」などと云われたが、実のところ政府内では、当時最悪のケースとして、当方来以北3千万住人を移動させることまで話しが及んだ、いわば本当の国家非常事態だった。もし、そんなことになっていれば、現在の日本の姿はないことになる。その様な限界的状況で、怒鳴るのはある意味、当然のことで、それに異論あるなら怒鳴り返したらいい場面だった。
この様なことだが、こういう判決を聞いて、「ふざけた裁判官だ、しょせんこの国はそういう国さ」と冷笑しているあなたに云いたい。冷笑しつつ、問題の核心を思考して、そういう意識を僅かでも持つことが必要だと云うことだ。つまり、国民1人1人は小さい意見だが、それが構成する世論となった時、よほどの暴力的独裁国家でさえ、それを無視することはできなくなって行くということだ。
しかし、朝の記事でも述べた通り、この国は311を否定し、原発回帰の動きに現実に踏み出した。このことに、政治家はもちろん、マスメディアも忖度して推進する動きになるだろう。ここで、あの時(311)日本は、単に運が良く崩壊しなかっただけで、とんでもないことだったという事実を国民が知り、いや違うという世論を作り出さねばならないのだ。それが、あなたの家族や子孫累々までおよぶ国の形に影響することで、関係ないは許されざることだと思うところだ。
補記1
ちょっと原発と離れるが、被差別部落問題で、やたら被差別部落という今や実態が不明朗な問題(要するに差別がありもしないのにあるとするもの)が続いているのだが、訴訟判決にもそのことがあると伝えている方がいる。その理由だが、ある時、その被差別を訴える団体の者が裁判官を襲うという事件があったそうだ。これにより、裁判官は怯えているという問題もあるやに聞く。なお、こういう問題を記すと、差別は続くとする者は怒りまくると思うが、私の理解としてはそうなのだ。そもそも部落差別というが、今や居住の自由もあるし、本当にその地が差別されていやなら、何処でも引っ越せるし、幾ら戸籍謄本を取得しようが、その地はかつて歴史的に部落だと云うことがあったとしても、部落民の証明などどうやったってできないのだ。それを、あえて自分は部落民だと自称する者とは、あえて差別を受けたいマゾ的な人物とは思えない。それは、差別を利用した特典を求めるという捻れがあるに違いないと思う次第だ。
補記2
過去人物にで忘れがたい論客として故西部邁氏(元ブントメンバー)がいたが、その方が良く述べていた一語を思い出す。「真実は得てして少数にある」という言葉だ。