アジャスターの業務を大別すれば、修理工場への事故車の立会とその修理費の協定業務と、主に対物保険に関わる示談業務に分けられるのでしょう。会社によっては、この立会をハード、示談をソフトと呼んだりしています。また、近年進んだ分業化から、立会専門や示談専門のアジャスターも生み出されている訳です。ここではまったく私の偏見と独断の思いとして、この立会と示談に関わりについて思うことをて記してみます。
まず、比較的年配者に多いと感じられることですが、立会は得意だけど示談は苦手だとこぼす同業の方がいます。また、示談のことを苦手とはしませんが、示談はアジャスターの本来業務ではないし、それを行うことが立会にも矛盾を生み出す悪であると否定的な意見をお持ちの先輩諸氏とも結構に触れ合ってきた様に感じます。
一方、比較的若い方に多い様に感じられますが、立会より示談の方が面白いと述べる後輩アジャスターと触れ合うことがあります。この様な後輩と話しをしていると、私の受ける感じですが、どうやら修理工場の親父さんと話すのが苦痛であったり、もっと云えば怖れの思いすら持っているのではないかと感じさせられることがあります。
以上の様な私の受ける印象についてですが、私は立会であれ示談であれ、まったく抵抗を感じたことはないというのが、偽らざる本心なのです。もっと云えば、立会も示談も、そのエッセンスはまったく同様であり、自らの判断と対する相手との考え方の差異を理論を持って整理し、話し合いにより合意し確定して行くというのが私の業務の総てであると感じていることなのです。
先に触れた先輩の思いとして、もし、アジャスターの業務が立会業務だけで、しかも修理工場との話し合いを前提とせず、一方的にアジャスターの判断のみで損害額を決めることが出来うる様な、一種の公権力みたいな力を保持したとすれば、果たしてそれが保険契約者の利益を保護できる保険システムとはなり得ないことは明白だと感じます。私は、プロアジャスターとして、常に切磋琢磨し正しい判断を行おうと努めはしますが、常にそれを全うできる自信は到底に持ち合わせません。常に接する修理工場や契約者や被害者の意見に謙虚に耳を傾け、自らの判断に偏向や間違いがあれば修正しつつ、極力の合意に至りたいというのが私の思いなのです。
なお、本ブログで何度も記して来ましたが私は職人であり、私の思考の原点はクルマの損害修理という技術論を原点とすることは間違いないことです。その様な意味で、あくまで理を求めはしますが、決して人としての情を忘れたくはないというのが私の思いなのです。