このクルマは思いで深いクルマの一つだ。空冷4気筒1300cc、115ps/7500rpmとう尖ったエンジンで、動力性能は抜群だった。しかし、空冷とは云え、重いエンジンのFF車だったこともあり、操縦性に難があり試乗評価としては、今一つパットしなかったというクルマだ。
だだ、大きな革新は、このクルマ辺りからホンダは、ルーフパネルとボデーサイドパネルの接合(スポット溶接)をルーフサイド部で行い、その接合部をモールディングでカバーリングすることを始めたのだ。ものの本によれば、この理由は本田宗一郎氏の「ハンダを使うな!」という指令にあっと聞く。それまでのルーフパネルは、左右ボデーサイドパネルの上に被せ、接合部をハンダ盛り仕上げするのが当たり前だったからだ。(その後アークブレージングという真鍮ロウ付けに変わってはいたが。)
このホンダ方式のルーフパネルの接合は、今や世界中のメーカーで、ボデーサイドパネルの一体構造と共に極当たり前の構造となっている。正に製造工程を革新した、偉大な発明だと感じている。なお、VW系(つまりアウディ含む)では、ルーフモールはないが、レーザービームによる連続溶接もしくはロウ付けで仕上げてあるためで、パネルの構成としては同一。
後書き(空冷エンジンの終焉)
空冷エンジンは、シリンダー温度が安定せず、この後の排ガス対策上も好ましくないということで、当時のホンダ設計陣達を悩ませた。そして、彼らの具申を受け、藤沢武夫氏(副社長だが実態的な社長)が宗一郎氏へ諭すことにより、以後は水冷エンジンとなったのだった。その30年後、あくまでも空冷に拘り抜いたポルシェも、996から水冷化されるに至ったのだった。
※写真はツインリンクもてぎ内のホンダコレクションホールにて撮影。
だだ、大きな革新は、このクルマ辺りからホンダは、ルーフパネルとボデーサイドパネルの接合(スポット溶接)をルーフサイド部で行い、その接合部をモールディングでカバーリングすることを始めたのだ。ものの本によれば、この理由は本田宗一郎氏の「ハンダを使うな!」という指令にあっと聞く。それまでのルーフパネルは、左右ボデーサイドパネルの上に被せ、接合部をハンダ盛り仕上げするのが当たり前だったからだ。(その後アークブレージングという真鍮ロウ付けに変わってはいたが。)
このホンダ方式のルーフパネルの接合は、今や世界中のメーカーで、ボデーサイドパネルの一体構造と共に極当たり前の構造となっている。正に製造工程を革新した、偉大な発明だと感じている。なお、VW系(つまりアウディ含む)では、ルーフモールはないが、レーザービームによる連続溶接もしくはロウ付けで仕上げてあるためで、パネルの構成としては同一。
後書き(空冷エンジンの終焉)
空冷エンジンは、シリンダー温度が安定せず、この後の排ガス対策上も好ましくないということで、当時のホンダ設計陣達を悩ませた。そして、彼らの具申を受け、藤沢武夫氏(副社長だが実態的な社長)が宗一郎氏へ諭すことにより、以後は水冷エンジンとなったのだった。その30年後、あくまでも空冷に拘り抜いたポルシェも、996から水冷化されるに至ったのだった。
※写真はツインリンクもてぎ内のホンダコレクションホールにて撮影。