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【再掲】電気など独占禁止法除外の毒

2021-10-13 | 問題提起
【再掲】電気など独占禁止法除外の毒
 「電力自由化の経済学」(室田武:1993年)を概読しました。今から、18年前に著された我が国電力供給体制への警鐘を鳴らず内容たる本だと思う。

 本の冒頭でも触れられているが、我が国の電力供給は沖縄電力も入れ、国内10社の地域独占を基本として運営れている。でも、自由民主主義を標榜する我が国では、その様な独占は、通常の商品ではあり得ないことだ。しかし、独占禁止法(21条)では、鉄道、ガスなどと共に電気も適用除外規定が設けられているのだ。ただし、著者は次の様に述べている。「この規定は「独占であってもかまわないと規定しているものであって、独占でなければならないとしている規定ではないのである。」と。

 なお、近年、電気の小売りだけは自由化されたが、こんなものは些末な微細な自由化であって、あまり実効性のない、云ってみれば偽の自由化に過ぎないだろう。だいたい、一国の中で周波数が50と60Hzに分離しているのは、明治以来の既得権の擁護がそのままにさせたことであるし、政府はあまり触れないが、東電福島原発の壊滅除染廃炉費用に一体今まで幾ら国費を注ぎ込んで来たのか。また、日当たり何億の費用を、世紀を超えて負担し続けるのだろうか。本来東電などと云う企業は潰れてしかるべきものだ。それをそのままの組織で税金で生かしておくこと自体が、メチャクチャな既得権擁護と不公平というものだろう。

 さらに著者は述べる。「独占が許されるのはその独占が自然発生的であって、規模の利益が享受者にも供される場合であろう。」と。しかし、最近の報道で知る、我が国の電力料金は米国の3倍、韓国の2倍だとか聞くと、規模の利益なんて全然ないじゃないかとしか思えない。

 この様な電力供給の独占だとかによって、決してコスト的にメリットがある訳でもなく、事故時のリスクを大きく持った原発の過度の推進が何故に行われて来たのだろうか。それは、脱石油依存や、もしかしたら将来の核保持という国家戦略としてのものも内在しているだろう。しかし、地域独占という競争に曝されない独占禁止法の毒の上で、促進されてしまったと感じざるを得ない。

 この様な我が国の地域独占の電力供給体制ですが、電力供給元を大別すると、一般電気業(地域独占電力会社)75%、卸電気事業者(私営、公営の発電会社)14%、自家発電11%が存在すると云うのだ。仮に国内10社の地域独占電力会社を除外しても、送電部門の問題を除外したとすれば、少なくとも25%分は国内の電力を賄うことができるのだそうだ。

 この中の卸電力会社には日本原子力発電などの原発も含まれるが、各地方自治体の運営する水力発電所がある。また、自家発電は、大手企業等がより安価な電力料を狙った自社内電力供給のための発電設備が主だが、自治体のゴミ焼却発電などもある訳だ。

 本の著者も述べていることだが、独禁法の除外規定は独占であってもかまわないと規定されているだけで、独占でなければならないとするものではない。政府や経済産業省が方針を変更することがまず求められることだろう。その上で、大電力会社から送電部門を分離すると共に、各地域毎に、小さな発電所を増やすことが、真の国民の利益になることと改めて信じる次第だ。
※原文は2011-08-26 に記す。



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