私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

アジャスターというもの

2010-04-12 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 久しぶりに毒舌(私の何よりの楽しみ)を記して見たいと思います。
 私は20数年をアジャスターという職業で過ごしてきましたが、その現場での業務や本社勤務時代での教育者として、さる研究期間で派遣期間を過ごして、そしてまた現場のマネージャー役として感じて来た同職(あえて仲間とは呼べない)のことを記してみます。
 損害保険会社で販売する保険という商品は、交通事故が生じて初めて商品の真価をを発揮するする(事故がなければ丸儲け)な訳ですが、そんな保険商品の事故対応としての最前線に在るのが、アジャスターという職業である訳です。
 交通事故というのは、不測に生じた災害である訳ですが、案外に日常的で身近にあるものです。そんな事故も、軽度なものから悲惨な重度の障害や死亡にまで至るものまであります。しかし、一端事故が起こると、人間の憎しみや欲望など、ある意味本能的なものが生じて来ます。また、口悪く云えば事故で生計を立てる者、具体的には医者、修理業社、レッカー業社、警察、保険会社など、様々の者の立場や金銭的な思惑が交差し合い、ちょっと大げさに云えばですが魑魅魍魎の世界が形成されてくる訳です。
 そんな魑魅魍魎の世界で動き廻り、(保険会社の決めた)理想のルールに近づけようと活動するのがアジャスターという職業だと云えます。従って、アジャスターの使命を達するには、なかなか難しさが生じると共に、責任感を持って活動している者程、精神的にもかなりの負担が蓄積されていく職業であると云えます。
 私が20数年間努める中で、入社後数年で馴染めず辞めていく者を沢山見て来ました。また、10年を優に経験したベテランで外見的には精神的に相当にタフと感じられる者であっても、精神を冒されていく姿を何人も見て来ました。どんな職業でも、目に見えない苦労があるものですが、アジャスターという職業にも苦労があり、これは人に勧められる職業でないことは確かだと感じます。
 そんなアジャスターなる職業ですが、私見として平たく云って案外頭の悪い臆病な奴が多いのには平行してきました。具体的に記せば、ものを論理的に説明できない、文章が書き表せない、交渉力(折衝力)の欠片もない、決して先頭に立とうとせず身を隠す者のなんと多いこと(8割方そう)か、うんざりする程に見て来ました。
 この様な毒舌を記すアジャスターですが、そうなるべくした社内的な要因があったことは可哀想な点ではあります。それは、アジャスターの業務に何が必用であって、そのことが保険会社の根幹にも関わる重大なことだと認識し得ない、愚かな親会社(保険会社)の総合職と称する能力不足の職員の多さが上げられます。そして、アジャスターの中でも、本社の教育的立場にある者や管理者と称する者の中に、しっかりした理想像を持たず、ただただ小判鮫のようにきょろきょろと廻りを見回して(大概上を見て)過ごす者のなんたる多さかを嘆きます。これは、私の属して来た保険会社が3流(4流かも)だったせいも大いにあると思いますが、他社を眺めても似た様な気風は相当にある様です。
 最後に、近年のことですが50歳を超えるベテランアジャスターが、定年を前に自ら職を辞する事例が見立つ様です。この理由は、やれコンプライアンスだ評価給だ、あれを書け、それもしろ(大体が下らない意味のないこと)と、会社が内へ内へと傾倒しつつ変化する中で、やる気をなくさせているのがほとんどと感じます。かく云う私も息苦しさと定年後の人生をどうするべきかなどと悩み、55歳にはシフトチェンジしたいと考えつつ過ごしていました。そんな矢先、図らずも数年早い決別の時を迎えてしまったのですが、今となっては良かったと感じる今日この頃です。

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