企業小説「トヨトミの逆襲」
久々に企業小説を読んだ。題名は「トヨトミの逆襲」(梶山三郎著)なのだが、梶山三郎とはペンネームで実態は不詳とのことだ。
そもそも、この40年、小説やドラマで実話を元にした企業小説というのは結構好きなジャンルで、初めて触れあったのは、城山三郎氏か山崎豊子氏かどちからだったろう。それぞれ、「官僚達の夏」とか「白い巨塔」など、大変興味深く読んだし、その後も「粗にして野だが卑ではない」とか「不毛地帯」、「沈まぬ太陽」など、今でも記憶に残る作品は多い。
ところで、今回読んだ「トヨトミの逆襲」とは、愛知県豊臣市に本社を持つ日本最大の自動車メーカーをモデルにしたと云えば、何をモデルにしているかは明白なことだ。梶山三郎というペンネームだが、おそらく旧来作家というより現役というよりリタイヤした経済ジャーナリストだろうということが想像できる。また、三郎というネーミング付けも、城山三郎本を読んで来た人物に違いないと思える。
さて、本の中身だが、トヨトミの現行社長たる豊臣統一だが、まったく貫禄なく坊ちゃん社長ぶりが繰り返し描写されているが、まあそうだろうなと頷くしかない人物像だ。そして、統一が唯一腹心の人物として慕い様々アドバイスを乞うのが、この御曹司を操りトヨタ関係者の間で蛇蝎の如く嫌われる「林公平」として登場するのだ。林はトヨトミ本体では部長止まりで、デンソー(物語では「尾張電子」)出向だったのが統一に呼び戻され、現在トヨタのNo2たる小林耕士氏(73)氏に該当するのは間違いないだろう。
この本の中で、お坊ちゃま御曹司「統一」は、自分に苦言を呈する役員を次々更迭して、傘下グループの例えば「立川自動車」(日野のことだろう)へ転籍させとか除外し続け、ワンマンというのとはまた違う、作者曰わくお友達役員を揃えていくのだった。
この本の初版は2019年だが、この時点で既にEVに出遅れていたが、FCV(燃料電池車)を開発済みだったが、あれは「オワコン」(終わったコンテンツ)と著者はバッサリだ。考えてみればホンダ(本内ではサワダ自動車)やダイムラーベンツもさかんに研究開発を進めていたが、最近はサッパリ聞かなくなった。
中国が比較的早くEV化に取り組んだ理由を、作者は国内No2のヤマト自動車の仏国から派遣された外国人経営者が、中国の最高指導者に場面チェンジを吹き込んだのが切っ掛けだったと解説している。
この頃あった様々なトヨタを取り巻く事件にも作者なりの解釈を記されているが、なるほどと頷けるものが多い。例えば、メキシコ新工場立ち上げを、米トランプのツイッター非難にまごつく統一を、No2で支える林は、そんなの既に決まってる米への1兆円増資計画を前倒しすれば即解決だとのアドバイスを受け、翌週発表するや、トランプはたちまち「サンキュートヨタ」と解決する。
本書中でこんな表現がされている。トヨトミやトヨトミ関連会社の社員が目に見えて横柄な態度を取り始めたのは、2000年代の後半で、ちょうどトヨトミ家以外のサラリーマン社長の武田剛平以下3代が続いた後、大政奉還がなされ統一が社長になった頃と符合する。その中に、言葉として「うれしい」ということがある。例えば、協力会社が新しい技術や改善を伝えると「それはどこが嬉しいんですか?」と聞いてくる。つまり、何処がトヨトミにとって嬉しいのか、トヨトミにどんな利益があるのかという言い回しだという。それは、傲慢さや奢りが透けて見える言い回しなのだ。
それと、先のサラリーマン社長の初代の武田剛平(奥田碩のことだろう)が初のHV車として平行して開発中だった低燃費内燃エンジンの研究を中断して初代プロメテウス(プリウス)を当時は原価割れして世に出し、移行後年は巨大な利益をトヨトミにもたらしたのだが、統一はこれら三代のサラリーマン社長の偉業をことごとく消し去ろうと努めていると云う。
この本に記されている武田剛平が内密に画策したという持株会社構想というのがあるという。つまり、トヨトミ自動車の所有と経営を分離しるということで、具体的には創業一族である豊臣家を経営から引き剥がし、いわば天皇の様に企業の象徴の位置に付かせるという計画だったと云う。そして、これをしり激怒したのが、統一の父たる新太郎(章一郎だろう)だという。この確執で、武田は社長を退き、同時にトヨトミ持株会社化も流れたという。
物語の中で、新太郎が息子たる統一への何とも情けない息子と嘆く場面がある。確かに、外野から見ていて、現在社長の統一には超大企業のNo1経営者として新太郎には十分備わっていた威厳と云うべきものが欠落している様にしか見えない。そのくせ、既に記した様に、逆らい意見するものを更迭し続ける恐怖政治を行い、役員会では賛成するか黙するかという二択しかない世界を作り出してしまったと感じる。
久々に企業小説を読んだ。題名は「トヨトミの逆襲」(梶山三郎著)なのだが、梶山三郎とはペンネームで実態は不詳とのことだ。
そもそも、この40年、小説やドラマで実話を元にした企業小説というのは結構好きなジャンルで、初めて触れあったのは、城山三郎氏か山崎豊子氏かどちからだったろう。それぞれ、「官僚達の夏」とか「白い巨塔」など、大変興味深く読んだし、その後も「粗にして野だが卑ではない」とか「不毛地帯」、「沈まぬ太陽」など、今でも記憶に残る作品は多い。
ところで、今回読んだ「トヨトミの逆襲」とは、愛知県豊臣市に本社を持つ日本最大の自動車メーカーをモデルにしたと云えば、何をモデルにしているかは明白なことだ。梶山三郎というペンネームだが、おそらく旧来作家というより現役というよりリタイヤした経済ジャーナリストだろうということが想像できる。また、三郎というネーミング付けも、城山三郎本を読んで来た人物に違いないと思える。
さて、本の中身だが、トヨトミの現行社長たる豊臣統一だが、まったく貫禄なく坊ちゃん社長ぶりが繰り返し描写されているが、まあそうだろうなと頷くしかない人物像だ。そして、統一が唯一腹心の人物として慕い様々アドバイスを乞うのが、この御曹司を操りトヨタ関係者の間で蛇蝎の如く嫌われる「林公平」として登場するのだ。林はトヨトミ本体では部長止まりで、デンソー(物語では「尾張電子」)出向だったのが統一に呼び戻され、現在トヨタのNo2たる小林耕士氏(73)氏に該当するのは間違いないだろう。
この本の中で、お坊ちゃま御曹司「統一」は、自分に苦言を呈する役員を次々更迭して、傘下グループの例えば「立川自動車」(日野のことだろう)へ転籍させとか除外し続け、ワンマンというのとはまた違う、作者曰わくお友達役員を揃えていくのだった。
この本の初版は2019年だが、この時点で既にEVに出遅れていたが、FCV(燃料電池車)を開発済みだったが、あれは「オワコン」(終わったコンテンツ)と著者はバッサリだ。考えてみればホンダ(本内ではサワダ自動車)やダイムラーベンツもさかんに研究開発を進めていたが、最近はサッパリ聞かなくなった。
中国が比較的早くEV化に取り組んだ理由を、作者は国内No2のヤマト自動車の仏国から派遣された外国人経営者が、中国の最高指導者に場面チェンジを吹き込んだのが切っ掛けだったと解説している。
この頃あった様々なトヨタを取り巻く事件にも作者なりの解釈を記されているが、なるほどと頷けるものが多い。例えば、メキシコ新工場立ち上げを、米トランプのツイッター非難にまごつく統一を、No2で支える林は、そんなの既に決まってる米への1兆円増資計画を前倒しすれば即解決だとのアドバイスを受け、翌週発表するや、トランプはたちまち「サンキュートヨタ」と解決する。
本書中でこんな表現がされている。トヨトミやトヨトミ関連会社の社員が目に見えて横柄な態度を取り始めたのは、2000年代の後半で、ちょうどトヨトミ家以外のサラリーマン社長の武田剛平以下3代が続いた後、大政奉還がなされ統一が社長になった頃と符合する。その中に、言葉として「うれしい」ということがある。例えば、協力会社が新しい技術や改善を伝えると「それはどこが嬉しいんですか?」と聞いてくる。つまり、何処がトヨトミにとって嬉しいのか、トヨトミにどんな利益があるのかという言い回しだという。それは、傲慢さや奢りが透けて見える言い回しなのだ。
それと、先のサラリーマン社長の初代の武田剛平(奥田碩のことだろう)が初のHV車として平行して開発中だった低燃費内燃エンジンの研究を中断して初代プロメテウス(プリウス)を当時は原価割れして世に出し、移行後年は巨大な利益をトヨトミにもたらしたのだが、統一はこれら三代のサラリーマン社長の偉業をことごとく消し去ろうと努めていると云う。
この本に記されている武田剛平が内密に画策したという持株会社構想というのがあるという。つまり、トヨトミ自動車の所有と経営を分離しるということで、具体的には創業一族である豊臣家を経営から引き剥がし、いわば天皇の様に企業の象徴の位置に付かせるという計画だったと云う。そして、これをしり激怒したのが、統一の父たる新太郎(章一郎だろう)だという。この確執で、武田は社長を退き、同時にトヨトミ持株会社化も流れたという。
物語の中で、新太郎が息子たる統一への何とも情けない息子と嘆く場面がある。確かに、外野から見ていて、現在社長の統一には超大企業のNo1経営者として新太郎には十分備わっていた威厳と云うべきものが欠落している様にしか見えない。そのくせ、既に記した様に、逆らい意見するものを更迭し続ける恐怖政治を行い、役員会では賛成するか黙するかという二択しかない世界を作り出してしまったと感じる。