私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

忠臣蔵に思う

2010-12-15 | コラム
 昨日14日は、忠臣蔵の47士が吉良邸へ討ち入りを実行した日であったそうです。
 忠臣蔵(正式な事件名は元禄赤穂事件)ですが、幾たび小説、舞台劇、映画、テレビドラマで演じられて来たのでしょうか、数え切れない程あることは間違いないことでしょう。
 何故に、大石内蔵助を長する47士の行動は当時の法度に反するにも関わらず、世間の賞賛を受けてきたのでしょうか。
 元禄赤穂事件において、江戸城殿中において、浅野内匠頭は何らかの遺恨により吉良上野介に切り付けるに至たります。(松の廊下の刃傷)
 この結果、浅野内匠頭には切腹申し付けられ浅野家は取り潰しとなったが、対する吉良上野介には何のお咎めもなしということになりました。
 この、喧嘩両成敗に反する処置が、残された浅野家の家臣達の怒りを生じさせたことは間違いことでしょう。
 残された家臣は、お家取り潰しにより浪人となるのですが、自らの職を失った恨みもあったのでしょうが、大義としては、亡き殿の思いを達する目的で、法度に反することも厭わず、刃傷事件から1年9ヶ月後に討ち入りし吉良上野介の殺害を果たす訳です。
 この物語は多くの人々の記憶に残り賞賛を受けるのですが、観ている人は47士が取った法度破りの行動のすべてを賛成している訳ではないと思います。しかし、人々に受け入られる大義があったことと、最終的に受けざるを得ない自らの責めを十分甘受した上での行動であったという点なのかと思います。
 しかし、現代に生きうる者として思うのは、現代は世間が納得する大義なき犯罪が多すぎる様にも感じます。欲望、逆恨み、妬み、痴情の縺などなどです。
 そして、逆に犯罪として立件されることも少ないですが、置かれた立場(責任)において、当然に行動(発言、処置など)しなければならいのに、、何らなさない者が多すぎる様に感じます。これは、高位の立場にある程、負うべき責めの重い重罪だと思うのですが・・・。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。