私の思いと技術的覚え書き

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検察というもの

2020-10-19 | コラム
 数日前に最寄りの沼津検察庁を名乗る者から電話を受けた。はて、なんで検察から連絡を受ける覚えもないのだが、話しを聞いてみると、数ヶ月前にある労働問題から労働基準監督署に告訴状を提出していたことに起因すると判った。しかし、この告訴は、告訴提出後、その告訴の効果が狙ったとおり表れ、被告訴人が支払に応じてきたので、直ちに告訴取り下げの手続きをしている訳で、そのことを伝えると、検察側でも判っていて、改めての確認だということであった。国内に捜査機関は、警察、労基、税務査察、消防、などなど数々あれど、それらに追訴権限(刑事裁判に訴える)は一切ない。起訴独占主義というのが日本の検察の極めて強い行政権限の源となっているのだ。その上で、起訴を独占し、実際追訴するかしないかの裁量権を過剰に持ち、本来起訴すべきものまで不起訴にしているんじゃなかろうかと不審が持つところでもある。

 今回の検察からの連絡だが、うがった想像を交えると、様々な捜査機関の捜査のあり方などに不正がないかどうか点検しているとも理解されるものだ。つまり、今回の場合で云えば、労基が告訴を受理しておきながら、不当に告訴を取り下げさせていないかどうかを確かめていると受け取った。

 今回の問題に関わらず、黒川賭け麻雀常習事件など、検察への不信は高まっており、そもそも検察とは何なんだと、得意の図書館から10冊程度の検察解説本を読み出しているところだ。

 世に訴訟(裁判)は刑事と民事の二種がある。この内、検事が関わるのは刑事訴訟だ。訴訟とは、一般には被告人が裁かれると思っている方がほとんどだろうが、実際は違うのだ。起訴(裁判を起こすこと)した検事は、被告人を法令に基づいた罪人として訴訟の場に立たせる。つまり行政権限としての行使をおこなうのだ。それに対し、検事の行い(行政権)が正しいかどうかを判じるのが裁判官たる司法であり、被告の立場となってものいうのが弁護人ということになるのだ。だから、訴訟の場で裁かれているのは、被告人でなく検察だというのが、本来の三権分立という意味になるのだ。

 しかし、我が国の刑事裁判は検事が追訴すると有罪になる率は99.9%というもので、正に100発100中で、俗に(皮肉も込めてのことだろうが)精密裁判と呼ばれるそうだ。このことは、予め無罪となるものは、不起訴で追訴しないからという検察側の抗弁が予想されるのだが、先に述べた様に不透明な起訴猶予は司法に対する信頼を揺るがす。そんなことから、検察審査会などの制度が作られた様だが、十分だとは到底いえないだろう。

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