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元首相の国葬に反対する(ニューズウィーク日本語記事)

2022-07-23 | コラム
元首相の国葬に反対する(ニューズウィーク日本語記事)
 ニューズウィーク(米国週刊誌)の記事だと云うが、原文は藤崎剛人(埼玉工業大学非常勤講師、批評家)と文末に付されている。非常に論理的に整理されており、説得力を感じる意見だ。
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ソースURL:https://news.line.me/detail/oa-newsweekjapan/9av6s39p3gks?mediadetail=1&utm_source=Facebook&utm_medium=share&utm_campaign=none&share_id=Nwn58541512063&fbclid=IwAR3a8kNtTHbtfPX1rz0wwPn6Kj_xOmNg1kdmu3-1-ZPwvKg3H0bRcXnCvjE

安倍元首相の国葬に反対する
2022年7月19日 13:50ニューズウィーク日本版REUTERS
<事績に基づけば国葬に値するかどうかは疑わしい人物を、選挙演説中に殺害されたインパクトをもって強引に国葬を執り行ってしまうのは危険であり、故人の神格化に繋がりかねない>

 7月14日、選挙演説中に殺害された安倍元首相について、今年秋に国葬を行うことが発表された。実現すれば吉田茂元首相に次いで戦後二例目となるが、法的根拠はない。これまでの首相経験者の多くが政府と自民党の合同葬であったのに対して、なぜ安倍元首相だけ特別視されるのか。反対・慎重論も多い。

国葬儀の特別性
 戦前にあった国葬令が日本国憲法の施行に伴い1947年に失効して以来、日本国では国葬について定めた法令はない。従って1967年の吉田元首相の国葬は、極めて例外的な措置として行われている。このときの前例に従えば、葬儀の負担が全額国費で賄われるだけではなく、公の機関や学校、民間企業に弔意を示すことを要求できる。

中曽根康弘元首相の葬儀は、首相経験者の慣例を踏襲し、政府と自民党の合同葬というかたちで行われた。その際、政府が大学や教育委員会に弔意を示すことを要請したことが問題となった。たとえあくまで要請にすぎず、従わない場合の罰則はないとしても、現実的には政府の要請は強い圧力として機能するのであって、市民の内心の自由に関わることになる。国葬は合同葬以上に幅広い要請を市民社会に行うのであり、問題はより大きくなる。従って、市民的自由の領域に踏み込んでまで、故人が国葬に値する人物かが問題になる。

安倍晋三元首相は国葬に値するか
 先述のように戦後に国葬が行われた事例は吉田元首相しかなく、佐藤栄作元首相の国民葬がそれに準ずるのみだ。従って、安倍元首相がそうした人物たちに匹敵する事績をあげたかを検証する必要がある。筆者は安倍首相の業績についてほぼ全く評価するところがないが、高く評価する人もいるだろう。ただしその場合でも、歴代首相に比べてどうかという客観的な比較検討が行われる必要がある。

 たとえば外交政策。吉田茂のサンフランシスコ平和条約は戦後日本が独立を回復した出発点だ。佐藤栄作は沖縄の「本土復帰」を実現した。もちろん、どちらの業績も沖縄への米軍基地の押し付けを前提としているなど、手放しで賞賛できるわけではない。しかし安倍政権はウラジーミル・プーチンと何十回も交渉を行い、北方領土問題に注力していたにも拘らず、四島返還どころか二島返還すら実現不可能にするなど、かえって事態を後退させている。これは前二者に匹敵する外交成果といえるだろうか。国際的評価から考えても、佐藤栄作というノーベル平和賞受賞者が国葬になっていないのだ。

 経済についてはどうか。アベノミクスの成長率は年1%程度だ。前二者の時代は、悪いときでも経済成長率が4%を下ることはなかった。もちろん時代背景が全く違うとはいえ、安倍政権の成長率は同じく低成長化している同時期の先進国と比べても低い。安倍政権の時代は、リーマンショックや欧州通貨危機をようやく乗り越えた世界が経済成長を続けていた時代であり、2019年にはNYダウはリーマン以前の2倍となっていた。また燃料価格も低く抑えられており、それ以前の福田政権や麻生政権、また東日本大震災が発生した民主党政権時代とは経済環境が異なっていた。そのようないわば経済のボーナスステージ時代だったことも考慮したとき、果たしてアベノミクスは国葬に値する実績を果たしたといえるのか。

 異次元金融緩和や円安誘導は恐れられていた副作用が現れつつある。給料が伸びず、金融所得と勤労所得との間のギャップは拡大し続けた。岸田首相はそもそも、そのような安倍政権の経済政策の欠陥を是正するために、自民党総裁選に立候補していたのではなかったか。それでも、雇用や株式の数字をあげて、アベノミクスの成果を挙げる人もいるだろう。繰り返すが論点は、安倍政権の経済政策が評価できるか否かではなく、歴代政権のそれと比べて国葬を行うほど傑出して評価できるか、である。たとえば所得倍増計画を演出した池田元首相でさえ、国民葬すら行われていないのだ。

安倍政権がもたらした立憲政治への危機
 清廉潔白な内閣、落ち度がない内閣を探すのは難しい、造船疑獄で退陣した吉田政権や黒い霧解散を行った佐藤政権も汚職や疑惑、スキャンダルにまみれていたといえる。佐藤時代の核密約は、日本国の主権への挑戦ともいえる。しかし、故人が国葬を取り行なうべき人物がどうかを判断するには、このような観点での精査も必要だ。安倍政権については、首相に関わる汚職疑惑だけでも森友加計桜を見る会と枚挙にいとまがない。国会での追求に対して首相は100回以上の嘘をついていたことも明らかになっている。さらに問題なのは、その過程で、多くの公文書の隠蔽、破棄、そして改竄さえ行われたことだ。行政の公開性は民主主義の基礎の一つであり、公文書の改竄が平然と行われるようになれば民主政治は危機に陥る。

 公文書の改竄だけでなく、安倍政権時代には、日本の立憲民主主義に対する様々な挑戦が行われていた。2014年の集団的自衛権容認の閣議決定は、憲法違反の疑いが強いにも拘らず行われた。その準備として、高い独立性を持ち、最高裁に代わって事実上の「憲法の番人」となっていた内閣法制局を屈服させている。また2017年には憲法53条に基づき野党が求めた臨時国会の招集を3ヶ月も先延ばしにした。

 当然ながら、各政権それぞれ多かれ少なかれ不祥事や問題点はある。だが論点は、他の首相経験者と比較しても、安倍元首相が国葬に値するかだ。疑惑の多くは公文書を公開しないせいで未だ全容が明らかではない。つい数日前も、これまでないとされてきたアベノマスクに関する厚生労働省と業者間のやりとりメールが発見された。立憲主義を毀損するような様々な前例は、日本の将来に禍根を残す。それらを考慮に入れたとき、果たして安倍元首相は国葬に値するのだろうか。

安倍元首相の神格化に繋がる恐れ
 たとえばアメリカ合衆国では、大統領経験者は原則的に国葬をすることになっている。このように明確な基準に基づいて国葬を執り行うのであればまだ理解できる。しかし事績に基づけば国葬に値するかどうかは疑わしい人物を、選挙演説中に殺害されたインパクトをもって強引に国葬を執り行ってしまうのは危険であり、故人の神格化に繋がるだろう。

 根源的にいえば、国葬とは、故人の人格性を利用して国民を統合せんとする政治的な技術の一つだ。安倍元首相に近しかった国際政治学者の三浦瑠麗は、国葬に期待することとして、「左右両極の極論を排して、サイレント・マジョリティーの統合と落ち着きに資すること」を挙げた。

 しかし、人々が分断されている状態はそんなに悪いことなのか。確かに安倍元首相の殺害後、安倍政権的なものを評価するか否かが日本に大きな分断をもたらしていることが明らかになった。しかしそれは安倍政治の結果でもあるのだ。そもそも安倍元首相が、政治的な対立相手を「こんな人たち」と呼び、敵対性をはっきりと打ち出していた。

 そうであるならば、まずは「左右両極の」敵対性がここに存在していることを受け入れることから始めなければいけないのではないか。国葬というホウタイでその敵対性を隠ぺいしたところに生じる「サイレント・マジョリティーの統合」なるものは、ファシズムの言い換えでしかないだろう。
藤崎剛人(埼玉工業大学非常勤講師、批評家)


#国葬 #ニューズウィーク記事 #藤崎剛人


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