本日知って驚いたのですが、自動車工学関係で多くの良書の出版を続けてきた「山海堂」が昨年12月3日に倒産していたとのことです。私は、長年に渡り、同社出版の本を愛読して来ただけに残念でなりません。希少な本を出版し続けてきた同社本を、何処かの出版社が引き継がれることを切に願います。
さて、山海堂の出版本で、「レーシングエンジンの過去・現在・未来」(中村良夫著)という本を20年以上前に購入し、私の大切な蔵書の1冊となっています。中村良夫氏(1981-1994)は、元ホンダの設計者で、第1期のホンダのF1挑戦(ホンダのF1挑戦は第1期から現在の第3期(参戦中)に分かれます)時の監督であった方です。東大(当時の東京帝大)工学部航空学科卒で、中島飛行機のエンジン設計者から、転じてホンダに入社された経歴を持つ方です。
中村氏の著書であるこの本に、1964年の第1期ホンダF1参戦時のホンダF1(RA271)のことが記されています。当時のF1の排気量制限は1.5リッターでしたが、ホンダはV12気筒横置きミッドシップという変則的なエンジンレイアウトで参戦したのです。他チームがV8シリンダーまでの時代に、ホンダ得意のマルチシリンダー12気筒で、最高回転数12千回転として当時の最大馬力としては確実に他チームより得ていたと中村氏は記しています。但し、当時の日本には現在の様な信頼性の高いプレーンベアリング(いわゆる平軸受けメタル)がなく、クランクおよびコンロッド大端部共にオールニードルローラーベアリング構成となり、必然的に組み立て式クランクとなったこと等もあり、重量的には重いエンジンとなったとのことです。参戦翌年の1965年の第10戦であるメキシコGPで初優勝を遂げています。
ところで、第2期のホンダF1活動は、1.5リッターターボ、1500ps以上のエンジンとマクラーレンというコンストラクターとアイルトンセナという名ドライバーの組み合わせを得たこともあり、世界にホンダエンジンありと最高の戦績を残し終了しました。しかし、現在の第3期(2000年以降)は参戦し続けているものの、その戦績は芳しいものではありません。現在のF1規定ではエンジン排気量2.4リッター、V8気筒までという制限であり、ホンダの公表資料では、その出力700ps以上で19千回転以上と記されています。しかし、現在のF1では戦闘力に占めるエンジン出力のウェイトは低下しており、それよりも車体の空力的なポテンシャル(空気抵抗が小さくダウンフォースのより大きい)の要素が多くを占めていると伝わります。それと、そこに投入される人・物・金の要素の内、人の要素での不足(いわゆる情熱不足)があるのではないのかと私は想像しているのです。