私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

アジャスターという名称に思う

2008-12-15 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険

 今では、知らない若い方も多くなって来たと思いますので歴史を記録する意味も込めて記します。このアジャスターという名称は、欧米諸国で既に使用されていたものを流用したものですが、中でも一番参考としたのは米国であった様です。

 米国のアジャスターと日本のアジャスターでは、単に名称が同一であるだけで、似て否なるものであろうと思います。米国でのアジャスターとは、保険会社の保険金の調査決定権者たる役目を持つものなのです。ですから、我が国の保険会社における損調部門の担当者に相当する訳です。しかし、我が国のその様な損調部門も担当者の多くは、ゼネラリストと本人が思ってるだけで、何ら問題解決能力もなく、指導力に欠けた損調村の村民という方がほとんどなのではないでしょうか。まあ、これも会社によりある程度差異はあることなのでしょうが、私の知る限り、ほとんどの保険会社の損調担当者は、プライドだけ高いだけで、モラルに欠けた者が多数であると感じています。

 ところで、米国での、我が国のアジャスターに相当する職種、つまりアジャスターの指示下で事故車の損害調査等を行う者は、アプライザーという職種となります。

 私はアジャスターという職種を24年間継続してきた訳ですが、その業務内容にまったく不満はなく、苦しい時もあるけれど、日々問題を解決して行くという仕事は、チャレンジングで刺激に満ちた仕事であると感じています。ただ、アジャスターという名称には、抵抗を感じることがあったのも事実なのです。

 このアジャスターという名称への抵抗感のことは、私より先輩の中で、やはり見識の高い方の中だけでしたが、同様の思いを持って居る方もおられることを感じ、共感の思いを持って来たものです。

 なんで、その様な抵抗感を生じるのかと云うことですが、その思いはそれぞれの方で差異があるのかもしれません。ある方の中には、アジャスターの本分は車両の損害調査であって、示談援助等の矛盾を含んだ行為を行うことへの抵抗感があるのだと想像します。私に場合ですが、所詮は、車両損害調査も協定という示談であり、示談援助を行うことにも同じエッセンスであり、一切抵抗感はありません。

 しかし、アジャスターという名称であれば、それなりの調整幅があるはずなのですが、社内規則や無形の掟(おきて)としては、アジャスターには一切の調整幅(というより権限)が建前的にはないことになっているのです。つまり、アジャスターには、金額を決定したり、支払自体やその期日を約束する権限すらもないのです。

 それは、建前であって、実態はあるんだから良いんじゃないかと考える方もいるのかもしれませんが、それは大きな間違いと思います。実権としての権利を持たないことは、アジャスターの地位を大きく制限する要因となっていることは明かなのです。

 最後に、保険会社(まあT社だけですが)ですが、本当に頭の良い真のゼネラリストが居る会社だなあと感じます。アジャスターや代理店も含め、自らの地位を保全する制度の総てを作り上げ、行政の関与を排除して来たのですから、やはり大したものです。

追記

 どの会社もレポート審査とうのがあって、戦々恐々と受けている同僚達も多いのではないでしょうか。私は、レポート審査を長年やって来て、相当文句を云って嫌がられたものだと思いますが、近年再びレポート審査を受ける様になりました。私のレポート審査の講評は僅か15分で終了しましたが、私から審査者へレポート審査への心構えとして、予め作成済みの書面を手渡しての審査講評を1時間位してやりました。審査者の力量を見極め、審査能力を少しでも高めてやろうという思いも必要なんだろうと思います。




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