相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

※このブログは以前のYahooブログの記事のバックアップです。
そのためこのブログの更新はありません

6月15日に「旧 神岡鉄道」跡をめぐって来ました(その4・旧漆山駅、旧神岡鉱山前駅跡にて)

2008-06-24 22:05:00 | 北陸地区の「乗り鉄・撮り鉄」記
前回は、「旧 茂住駅」を出たところまででした。



次の駅へ向かいます。(ナビを更新しないのもいいね!!)



「旧 漆山駅」へ到着しました。その近くの踏切です↓
イメージ 1
こんな感じで放置するのでしょうか?


とりあえず踏切の右側です↓
イメージ 2
イメージ 3
トンネルはふさいでありました。(望遠で撮影)


では踏切の左側にある駅ホームへ向かいましょう。(本当にここに駅があったのかな?)↓
イメージ 4
イメージ 5
これは何でしょう?(結局、わからず・・・)


駅ホームです。元々駅舎もない無人駅です↓
イメージ 6
ここまで荒廃が進むと、本当に2年位前まで鉄道が走っていたのかわからないです。


「寿老人」の祠だったのですが・・・↓
イメージ 7
イメージ 8
ここに駅名版がありました。(もう、いちいち解説はしません)


ホームの端まで行きました↓
イメージ 9
イメージ 10
これ以上は危険なので、引き返しました。


・・・という事で「旧 漆山駅」をあとにしました。



次の駅は、「旧 神岡鉱山前駅」です。昔の「神岡鉄道本社」があった所です。唯一の有人駅でした。
(途中で「奥飛騨温泉口駅」に本社が移転しました)↓
イメージ 11
イメージ 12
廃線の線路を使って何かイベントをやるようです。


とりあえず駅舎に入ってみましょう↓
イメージ 13
イメージ 14
・・・と思ったら、シャッターで閉鎖していました・・・orz


それもそのはず、元々「神岡鉄道」は『神岡鉱山』のためにあった鉄道と言ってもいいくらい、貨物輸送に全体の約8割強を依存していたのです。むしろそれだけでやってきた鉄道でした。


その『神岡鉱山』です。(現「神岡鉱業」)↓
イメージ 15


しかし、2004年10月15日をもって「貨物輸送」は廃止された事により『神岡鉄道』の命運も尽きてしまいました。結局、それがとどめになって2006年11月30日で廃止されたのです。


これであきらめて・・・と思ったら、近くに駅の裏側へ行ける道を発見しました↓
イメージ 16
イメージ 17
ビンゴ!!です。駅近くまでいけました。


もっと先に進もうと思いましたが、ここから先は立ち入り禁止なので断念↓
イメージ 18
望遠で撮影しました。(駅名版跡も祠も確認できず・・・)


再度、線路を確認。手前の途切れている線路が「工場専用線」でした↓
イメージ 19
イメージ 20
反対から見ました。線路はすべて撤去されていました。


仕方が無いので、そのまま歩いて行きました。(農道みたいな感じになっていました)↓
イメージ 21
イメージ 22
イメージ 23
イメージ 24
本線のトンネルです。(ふさがっていました)


さらに歩きます。まるで遊歩道みたいです↓
イメージ 25
イメージ 26
イメージ 27
イメージ 28
あ、あれ?・・ここで途切れている・・・どういう事?


本来ならここから鉄橋を伝って、工場へ直接線路が延びていたのですが・・・2007年に鉄橋も撤去された事がわかりました・・・orz


多分、ここが向こうまで線路が延びていたところかな?・・・↓
イメージ 29
撤去前に行きたかった・・・orz



・・・との事で「旧 神岡鉱山前駅」をあとにしました。
あとは終点も含め3駅があります。これ以降は「旧 神岡町」市街を走ります。


次の駅は、「旧 飛騨神岡駅」です。その次は、「旧 神岡大橋駅」です。さらにその後が終点の「旧 奥飛騨温泉口駅」です。(「旧 奥飛騨温泉口駅」については次々回で・・・)


次回は「その5・旧飛騨神岡駅、旧神岡大橋駅跡にて」をお送りいたします。それでは・・・





        Written by ブツクサ・ボヤッキー