くるしくなることで、集中ができる。
ぼんやりとした不安は現在の生活の苦しさからくるのではない。それは虚しさから呼び起される。虚しさは苦しさから無意識に逃避し、行き着いた感情である。それは、突如、現れたかのようにみえるが、日常の生活態度、行動によっておこる。
なぜ苦しさから逃避するのだろう。
実は恐怖から逃避しているのだ。恐怖からの逃避を苦しみと考えている。しかしそれは本当の苦しみではない。
苦とは恐怖と対峙するときに感じることである。
恐怖とは自分自身である。自分の中の隠れた真実である。
隠していたものが暴かれることがこわいのだ。
だからもう一人の自分と闘う時に苦しみは生まれる。
その苦しみは分裂した自己の統一へと向っている。
闘い続けている時は、集中している。
そして、そのくるしみから、なにかが生まれてくるのだろう。
生活苦と感情は密接に関わりあうが別問題である。