そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

締め切る

2006年08月18日 | さ行


期限をきる。

やりたいことを具体的に細かく行動計画をつくる。

「何月何日何時にする」
「何時にAさんと逢えるようにする」
「チャンスをつくる」

行動を時間で締め切ることでパワーをアップする。

 

 


残暑お見舞い申し上げます

2006年08月17日 | 手紙

残暑お見舞い申し上げます。

お葉書ありがとう、です。
引越しの通知をしていなくて、ご迷惑をおかけしました。
お蔭様で今年の年賀状は半減してしまいました。

早いもので、今年も夏が終わろうとしています。
この歳になると時間が経つのが早いですね。

わたしは、ご多分に漏れずに、貧乏一直線、負け組、下流社会すれすれの低空飛行をつづけております。
これも、いか仕方ないこと、若い時からの努力嫌い、人間嫌い、自意識過剰、シャイな性格。なんだかわからないものを恐れて、逃げ回っているうちに、このようになってしまいました。

つまり、このような生活を私は望んでいたのです。無意識ですが望んでいたのです。
スリルとサスペンスのある半径十米の日常とはなんと非ドラマチックなことでしょう。

時はたんたんとすぎていきます。
不便ではあるが不幸ではない。
これでいいんだな、とおもっています。

また近いうちに飲みたいものですね。
また会う日まで御機嫌ようお暮らしください。
それでは左様なら。


藁の人形

2006年08月17日 | 日記
そうすけは弱い人間である。
自分がピンチになると、いつも藁人形にしがみ付いてしまう。

すると藁人形が共倒れになるから掴むなと怒る。
彼は生きていくことがつらいのだ。
全く持ってご尤もな事だ。

おぼれてから藁人形にむかうのではない。
泳ぎながら藁人形と向かい合いたい。

そして助けは大木にお願いしよう。
大木は言うだろう。
「世の中、ギブアンドテイクですよ。あなたは何をしてますか」

そうすけは弱いながらも溺れずに泳ぎながら与えなければならない。
藁人形にしがみ付いてはならない。

夜がまた来る

2006年08月16日 | 日記


夜を恐れることない。

夜こそ問う。

おまえは何者たるや。

月明かりがさす宵闇。昼と夜の交代時間。
昼のけだるさとやるせなさの体温を
巣へもちかえり、問う。

なぜ、問いつづけなければならないのか。
夜だからだ。

過去という事実は宇宙の彼方へワープする。
三次元は裏返り、全く違う位相を生み出していく。

答が見つからない。わからない。どうしよう。夜なのに。
今夜もなにひとつ答の出ないのは、どうしてか?

やがてねむくなり、夢の通い道をが開かれる。

バスにゆられている。
「つぎはネコマタギ、ネコマタギです。お降りの方はボタンを押してください」
ピンポンと音がした。
「猿も木から落ちるでお馴染みの神谷薬局はネコマタギから徒歩1分」

猫股木の停留場に近づいた。老婆がよろよろと立ち上がった。
そのとき、バスは急ブレーキを踏んだ。
老婆が転んだ。乗客は全員息を呑んだ。
老婆は大の字になって胸を指差した。

「ワタシハココニイル」

乗客は感動した。そこに老婆がいたからだ。

 

問いつづけなければならない夜がまたくる。





 


そうすけ妄走記その42

2006年08月15日 | 走る
8月14日(月)
外仕事が少なく、身体と心が冷え切ってしまう。
同窓会の名簿つくりをするために走りませんでした。
つまり、気力なし、自律神経失調、走れない理由を探している。

これぞ、マイウエイ。そして、いま、ここに、そうすけはいる。 

8月15日(火)
朝、雨が降る。
昼、雨が降ったり、晴れたり、曇ったり、風が吹く、雨が降る。
今日、見た人間以外の生物。蝸牛、蝉、蟻、クロ揚羽蝶、猫、雀。
みんな、みんな、一所懸命生きているんだ、人間以外。
なぜ、人間は、つまらぬことに囚われて、一所懸命に真面目に生きられないのだろう。

というわけで、走りませんでした。

8月16日(水)
昼ビールを飲んでしまった。
鱈腹になった。
蝉しぐれ。
腹ごなしにB沼公園をゆっくりと6周38分走りました。
雨が降ったり、やんだり、晴れたりと蒸し暑い。
ゆるく走っているにもかかわらず、汗が噴出す。

弱い。どうして、そうすけは弱いのだろう。
夕焼けが美しいと思った。

8月17日(木)
目まぐるしく、変わる天候。
雨が降ったかと思うと、かぁっと晴れ渡る。
しばらくすると、黒い雲が出てきて強く雨が降る。
蒸し暑い。ビルのショウウインドウは水滴でくもる。

夜、雨は上がっていたが、走りませんでした。

8月18日(金)
B沼公園を6周30分走りました。
東風あり、気持が良かった。
足がガクガクしてしまう。筋力がない。
汗がでるでる。

8月19日(土)
飲み会のために走りませんでした。

8月20日(日)
B沼公園を7周37分51走りました。
黄昏時に軽く汗を流す。
せみしぐれに耳をすます。
晩夏を慈しもう。

なぁぁぁ

2006年08月14日 | 定点観察
最近、食パンにマヨネーズをつけた物を食べている。
食べ続けている。どうにもとまらない。
涙がこぼれる。朝、夕食だ。
(そうすけって、マヨラー?)
時には、きゅうりやハムやツナやポテトサラダをはさんで食べている。
トーストにして、マヨネーズを塗りたくって食べている。
涙がこぼれる。朝、夕食だ。
(そうすけって、ばかぁ~?)

だから、食パン以外にはマヨネーズは使わないのだ。
食パンにはマヨネーズがよく似合う。
さびしがり屋と皮肉屋が出会ってしまったのだ。
これでいいんだなぁぁぁ・・・

2006年08月13日 | 日記
 
 いかづちに 腑ぬけた体 しゃんとなり   

 雷神に 灯り消されし 百貨店     早巣毛


雷様粋な方だよ 浮世の箱を 止めさせて 我が身をこがす へその裏
 

健康が一番

2006年08月12日 | 日記
 
友人のチェリーさんが高血圧性脳内出血で倒れ、入院した。
「(前略)長島監督になってしまいました。健康を甘くみちゃ駄目だと痛感いたしました!」
彼は、まだ45歳である。病は人を選ばない。
一日も早く回復して、こころの平安が訪れるように祈るばかりです。

チェリーさんに健康の大切さを改めて気づかせていただいた。
現在、彼の苦悩と不安は大変なものでしょう。
それに比べて、最近のそうすけの悩みはなんだ。
自分で悩みを作り出して、勝手にストレスにしている。
それをくよくよ、めそめそしている。
まず、人のために動け、伝えよ。
たとえ一円にならなくとも、己の真実をつくろう。
でも、五百円くらい助けていただこう。
人間はパンのみで生きる者にあらず、されどパンがなければ動けない。

左手に健康、右手にパン、こころに花束。
真面目あるべし。


どんまい

2006年08月11日 | 定点観察

 くるしくなることで、集中ができる。

 ぼんやりとした不安は現在の生活の苦しさからくるのではない。それは虚しさから呼び起される。虚しさは苦しさから無意識に逃避し、行き着いた感情である。それは、突如、現れたかのようにみえるが、日常の生活態度、行動によっておこる。

なぜ苦しさから逃避するのだろう。
実は恐怖から逃避しているのだ。恐怖からの逃避を苦しみと考えている。しかしそれは本当の苦しみではない。

苦とは恐怖と対峙するときに感じることである。
恐怖とは自分自身である。自分の中の隠れた真実である。
隠していたものが暴かれることがこわいのだ。

だからもう一人の自分と闘う時に苦しみは生まれる。
その苦しみは分裂した自己の統一へと向っている。
闘い続けている時は、集中している。
そして、そのくるしみから、なにかが生まれてくるのだろう。

生活苦と感情は密接に関わりあうが別問題である。


そうすけマン 永遠の戦い

2006年08月10日 | 物語
そうすけは子供のころ、そうすけマンというヒーローであった。
ヒーローは闘わなければならなかった。
ヒーローは勝利しなければならなかった。

そうすけマンは毎日、次々と現れる妖怪、怪獣との戦いにあけくれた。
だが誰もそうすけマンの壮絶な戦いのことをしらない。

或るとき、そうすけマンは妖怪マクラヤミに倒されてしまった。
逃げても、逃げてもマクラヤミは追いかけてきた。
助けを呼んでも、唄っても、積み木を投げつけても、本を階段から投げ落としても、
マクラヤミは追ってきた。

そうだ。みないみないバリアを張ればいいのだ。
そうすけマンはタオルを口に加え、目を瞑り、念じた。
「みないみない、みないものはいないいないバリアー」
すると、どうだろう。マクラヤミは消えていったではないか。
光の世界がそうすけマンをつつんだ。

そうすけは再び勝利を手に入れたかのように思ったが、
実はこれは永遠の戦いの始まりであったのだ。

 子供だったいう過去の記憶は大人になるにつれて神話となった。
そうすけは自分がそうすけマンであったことさえ忘れてしまっていた。


2006夏。
そうすけは黄昏時に、ふと漠然とした不安に苛まれた。
公園のベンチが夕闇に浮かび上がってくる。
頭を抱える。胸さわぎがする。バリアが破れようとしていた。

「わうぉ~ わうぉ~ わうぉ~」
逃げろ、走れ、隠れろ、疾走せよ、失踪してしまえ!
「ぼばんば、ばんぼん、ぼんば、ばばっぼぼっ」
唱えよ、呪え、惚気よ、狼煙を上げよ!
「西から昇ったお日様が東に沈む!ボンボンバカボンバカボンボン」
尊敬する人は?パパ。パパは何でも知っている。でも知らせてくれなかった。いつでも仁木さんちの猫が教えてくれた。隻眼の猫はエメラルドをうめこむ。いつ言ったって同じだ。ヘィヘィホォホォ、よかった、よかった。パパは木を切る。

コロガッテシマエ、コロガッテシマエ、ビールバラマン、
赤イ入日ノナダラ坂、
ケッテモコロガヌモノナラバ
コロガッテシマエコロガッテシマエビールバラマン。

麦酒腹男が坂を転げ落ちていくことによって、バリアは張られた。タソガレドッキをやりすごしたのだ。
そして、そうすけの世界の平和は保たれたのであった。
ありがとう!麦酒腹男、坂がおわっているのに転がりつづけているなんて、すっごくない~ぃ。

闘いすんですんで日が暮れて、そうすけは夜の公園に佇む。
そうすけは麦酒男がそうすけマンの40年後の姿であることを知らない。


(だから、それが、どうしたんだよ) 
 意味を求める妖怪たちの声が響く。

(やんなっつぅ~の)
 怪獣たちが仁王立ち、吠える。

 戦いは永遠につづく。

そうすけ妄走記その41

2006年08月09日 | 走る
8月7日(月)
炎天下の仕事に疲れる。
突如ののどの渇きに水をがぶ飲みをする。
渇きを覚える前に水分を補給すること。

疲れて、走りませんでした。

8月8日(火)
朝、雷雨。激しい雨降り。台風が三連発では発生しているらしい。
日中はそれほど暑くなかった。
漠然とした不安に走るモチベーションが下がる。
走りませんでした。

ストレスがかかったと感じているときこそ時間をつくって汗を流すこと。

8月9日(水)
台風の影響か?朝、大雨。体重が64.5kgになってしまった。
走らず、バカ飲み、バカ食いの結果二ヶ月で2kg太ってしまいました。
これでフルマラソンに挑戦できるのだろうか。
まずは、モチベーションをあげること。
ランニング計画をつくること。
走ること。
モチベーションを保つこと。

どうしたんだ。走らない理由を探している。
走ることの動機以前の問題がありそうだ。

おしむおじさんに会いたくて走りませんでした。
TVを観ながらダラダラと冷蔵庫の中の大掃除をしてしまう。
満腹+二割。そして、ダラダラと時は流れていく。

と、いう理由で体重が65.1kg。赤信号が点滅だ。

8月10日(木)
エイ!ヤァ!と気合を入れてB沼公園に向う。
走る前から妄想にはいる。この苦境を脱するには宝くじが当るしかない。本気にロトの数字を妄想する。この癖は30年前から全く変わっていない。

久し振りに、B沼公園を6周30分52走りました。
リハビリ走のつもりで走り出したが自然にビルドアップしていった。
すると妄想なんて、どこかにとんでいってしまう。
ただ走ることに集中する。どうして一所懸命になれるのだろう?
それは身体が苦しいからである。そこからタイムがあがる。
タイムが上がることによって、よし次周もとなると、さらに苦しくなる。
汗が滴り落ち、暑くて、息があがる。
ぜいぜいと呼吸をしながら走っている。有難いことだ。
夏に入ってから、初めての三昧走でした。

ベンチで休憩。走れたことに感謝、合掌。
なぜ、走れるのに走らなかったのか?考えながら帰路を歩いている。
ビルの向こうで、満ち足りた赤ら顔の月が笑っていた。

8月11日(金)
友人が脳内出血で倒れたという。
お見舞いの言葉を考えながら走ろうと思ったが、暑さと周りにあおられて、がんばってしまいまいました。
B沼公園6周29分53はしりました。この夏の最高タイム5分14をだす。
何も考えられませんでした。
友人を思い、走れたことに感謝、合掌。

8月12日(土)
残魚のため走りませんでした。

8月13日(日)
休日拾金のため、疲れて、気力バロメーター低下した。
走りませんでした。

存在する

2006年08月08日 | さ行
 なぜ、われわれは意味を求めるのだろうか?
 それは、われわれが時間的(有限)存在であるという内的現実のためである。

 現にそこにあるということ。
 人間や事物が、ある働きや価値を持って、そこにあること。

思想は筋肉に従う

2006年08月07日 | さ行


 アランはもともと「思想は筋肉に従う」という考えも持主である。
その『幸福論』でも、くよくよするより行動せよ、と教える。身体をうごかすことによって救われるという。
 モンテニュも、「何か行動せよ、それからあなた自身を知るがいい」といっているが、身体をうごかすことによって、われわれは考える。姿勢を正しくしたり、足どり強く歩くことによって、気持の不安がうすらぐことがある。

 『詩のこころ 美のかたち』 杉山 平一


さらば、夏の光

2006年08月06日 | 日記
真珠湾を攻撃した日。

東京大空襲があった日。

原爆が落ちた日。

「タエガタキヲタエ、シノビガタキヲシノビ」とラジオから聴こえた日。

安田講堂が落城した日。

あしたのジョーになりたかった青年たちが北朝鮮に渡った日。

三島由紀夫が割腹した日。


すべては、夢の中。DNAに刻み込まれた幻。
記憶が歴史になるとき、現実が情報になってしまった。
そうすけは感じ取らねばならない。
その感情を想像して物語を言葉で紡いでいかなければならない。
なぜなら、今があるのは、過去があるからである。過去があるから未来がある。

さらば、夏の光よ。あの日も光は降り注いでいてくれただろうか?