なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

Don't lose my way...

2022年05月03日 | Music & Life 

あらためまして...  

“ZUYAさん”の発音ですが

(内田)裕也さんと同じです

 

ただ

フルネームの“内田裕也”と

親しみを込めて

“裕也さん”と呼ぶ時とは

アクセントが違います

 

ちなみに“ZUYAさん”は

“裕也さん”と同じで~

 

ロックン・ロール!

 

 

以前はお気に入りの庭園だった六義園にて

 

こんばんはZUYAさんです

日付は変わりましたが、今日は休日でした(GWの恩恵は無く普段通りの公休)。当番である洗濯とお風呂掃除を終わらせましたが、東京の空は微妙...天気予報を確認するも微妙...音楽を聴き始めるも微妙...

動かないと何も変わらない”と言うZUYAさん得意の思い込みに従い、服を着て髪を結い(←なんか違う?)カメラを持ち電車に乗りました。山に行かずとも久しぶりに埼玉県飯能市にある大好きなうどん屋さんに行こうと思ったのですが、電車に乗っているのもツラくなり僅か2駅で下車して折り返してしまいました。やはり今日は“体調を整える”日なのでしょう

 

駅前近くにある六義園の「染井門(普段は閉まっているが繁忙期は開門される)」が開いているのを見えたので、久々に中に入ってみることにしました。ZUYAさんは駒込に住みだした頃から“年パス”を持っているのですが、最近は以前ほど足繁く通わなくなりました

コロナ騒動が起こり始めた頃から、剪定士(都に委託された剪定会社?)のセンスが理解できず魅力が半減してしまったのです。フォローさせて頂いているとあるブロガーさんで、東京大学大学院理学系研究科附属植物園本園(通称・小石川植物園)を根城にされている方がいるのですが、以前はZUYAさんもそんな感じだったのですが、“卒園”したわけです(←この“卒~って表現、とても気持ち悪い...)

 

 

ランチは久々に80才を優に超えた老夫婦が営む「みのや」へ

元東京外大の跡地に近く、当時の貧乏学生及び周辺に住む庶民の胃袋を満たし続けているお店ですね(単品なら数百円から)。3兄弟で東十条、八王子にも各々店を持っていて、数年前には甥っ子が大塚にも店を出したようですね

暖簾が掲げられるやいなや入店(11時半)。“温厚”と言う字が服を着て歩ているようなご夫婦が、珍しく酷い客に頭に来て声を荒げたと言う話を聞き驚きましたが、いつも通り実家に帰ったような、そしてこの人達が頑張っているのだから俺も...と思いながら店を後にすると、外は青空に...

ええこう言う日なのでしょう(お会計は1,800円也) 

 

ハムサラダでスタート

 

チキンカツ(単品)

 

 

帰り道にアテと言うか、ジャンクな物を更に買い込み家で再び呑みながら音楽に浸っていると、うたた寝してしまい...目を覚ますと15時過ぎでした~(やはり疲れが...)

でも幾分スッキリしたようで、その時に書いておいた今回のブログの下書き、いつも通りのユーモアが混じっているでしょ?

 

          

 

 

今日のように頭の中がぽや~んとしている時に、何かシャキーンと来るアルバムはないかなぁとコレクションから選び(プレイヤーに)投入したのは、日本のロックの金字塔、ザ・ゴールデン・カップスの「スーパー・ライブ・セッション」(68年)

金字塔”と言う語、音楽作品の中で数多くのアルバムが金字塔と呼ばれていますが、これは下らない評論家やレコード会社の担当者等が不用意に使い過ぎた結果だとZUYAさんは思っています

この作品が存在しなければ、現在我々が聴いているあらゆる音楽は存在しなかった”と言いきれるぐらいの作品こそが、金字塔と呼ばれるべきなのです

60年代の洋楽で言えば、The PaulButterfield Blues Band のバンド名を冠した1stアルバムや、The Beatlesの「Sgt Pepper’s Lonely Hearts Club Band」ぐらいのレベルの物ですね

 

さて話を戻しますと、60年代は日本の音楽シーンは芸能界と音楽業界の境目が複雑になっていました。いわゆる“グループ・サウンズ(GS)・ブーム”ですね。まぁイギリス等のビート・グループを真似ただけの下らないバンドが多く蔓延っていました。「~ズ」と名乗ればヒットするとでも思っていたのでしょうかね。いや実際ヒットしたのか...

そんな中で一線を画したのが、横浜・本牧で生まれた「ザ・ゴールデン・カップス」です(以下、カップス)。一般的にはグループ・サウンズにカテゴライズされていますが、全く別物です。それは彼らを覗く総てのグループ・サウンズたちが認めることでもあります

その本物のサウンドを聴こうと、本拠地・本牧まで東京のバンドや芸能人連中が観に行くと、観客たちに“あんたらの来るところじゃないよ!”と追い出されたと言うのは有名な話。当時の本牧は「塀の向こうはアメリカ」であり、日本であって日本で無い街でしたからね(1982年に返還)

クリエイションのVoだったアイ高野さん。元々はザ・カーナビーツでドラムを叩きながら歌っていましたが、その後カップスに加入しました。その加入する時もやはり印象が悪かったそうですが、腕があったから周りからも“音楽人”として認められたようですね~(※ZUYAさんはアイさんが亡くなる前に飯を食わせてもらったのが、自慢の一つです)

とにかく当時の本牧はアメリカその物...よほど根性が据わっていないと行けないエリアだったようですね。その名残が未だにあるように感じるのはZUYAさんだけではないと思います

 

当時の日本人シンガー達の“真髄”ではなく、英語の発音だけに注視して馬鹿にする輩が多いですが、当時の環境(そう簡単には海外旅行にも行けないし、ビデオ等の映像機器も一般的ではない時代)を考えれば、彼らの英語へのアプローチ、貪欲さは今の若僧たちは足元にも及ばないと思いますよ

カップスは「長い髪の少女」と言った一般向けなヒット曲がありましたが、ステージでは海外のロックやブルースばかりを演奏していたようですね

 

          

 

明日(火曜日)頑張ったら、水曜日はいつもの公休です(ネズミの国に行って以来のワイフと休日が重なるのですが...)。仕事が定時で上がれて席が空いていれば、現在春のツアー中の竹田和夫氏のライブを覗きたいのですけどね~

そな感で~

Have A Good Night,Folks!

 

<おまけ>

古い写真を見つけました

22年前

カナダで演奏していた頃のもの

赤シャツがZUYAさんです