おはようございますZUYAさんです
本日また一つ歳を取ってしまいました...正直な気持ちを書くと喜びなどは微塵もなく、それどころか恐怖を感じています。何処まで流され続けてしまうだろうかってね
去年“節目の歳”を迎える際に、“もう一度人生を仕切り直す”つもりでいました。そう、40代の終わり頃から、次なる自分の道は何処にあるのかを模索したままその歳を通り過ぎてしまったわけです(これが人生なのか?)
はっきりしているのは、どう考えても自分が望んでいた・思い描いていた人生とはかけ離れてしまっていると言う現実
そもそも、いつから“年齢”を意識して生活するようになってしまったのだろう。年齢や世間体に囚われずに生きるのが、“ZUYAさんスタイル”であったはずなのに...
37歳まで音楽を中心とした生活をしていましたが、多くの(芸術の分野に心を奪われた)人達同様に、食べて行くのは大変でした。そんなわけで日々アルバイトに励むわけです
ZUYAさんの場合は、決まった仕事で数年働くこともあれば、短いスパンで働くことも多かった(何年間に一度は、海を渡りたかったしね)。もちろん若かったこともあり日銭が稼げるならと、“動きやすい(活動しやすい)”日払い、週払いの仕事も多くしました
その手の仕事場に行くと、実に様々な人生を歩んでいる人々に遭遇します。同じように音楽の道や芝居の道、絵描きの道を進んで(生きて)いる人もいれば、全く何をしているかもわからない人もいました
今と違ってLGBTの問題は蓋をされたり社会の異端児扱いを受けていた時代ですから、普通には働けず職種を限定されている人達とも出会いました(皆が皆がゲイバーやその手の店で働くことを望んでいるわけではないのです)。そして今のZUYAさんのように、組織内で働くのが苦手な人も...
昨年節目の歳になった時に、手始めに夢も希望もない今の仕事を辞めようと思っていたわけです。すると会社が買収されることになり、親会社が変わることに
何か変化が訪れるかもと期待したわけですが、どうも良い方向には変わる気配はなく1年経ってしまった(どちらかと言えば、良い方向には進んでいない...)
そうこうしている内に、先に見切りをつけた一回り以上も年下のリーダーくんが先に動いたわけです(退職)。そして組織再編を目論む無能な経営陣は、ZUYAさんのコミュニケーション能力(リーダーシップ)に目をつけ、経験を積ませて幹部にしようとZUYAさんに異動命令を下したわけです
縁のあるプロ・ミュージシャンにも相談しました、“そちらの世界に戻りたい”とね
氏曰く、戻るのは簡単だけど(ZUYAさんの)喪われた10数年を取り戻すことだけでなく、且つその間に起こったコロナ騒動以降の音楽シーンの変貌、デジタルやネットの普及による音楽の楽しみ方の変化、あらゆる点において厳しさしかないぞ。成功どころか生きて行くのでさえね。それを乗り切ることが出来るのなら...お前の人生だと
この決心がつかないのですよ。またアルバイト生活に戻って収入を激減させて、“売れないミュージシャン業”に戻る自信が全く持てないと言うか沸き起らない...かと言って今の仕事を続けながら、音楽活動を構築させるのも至難の業。これ以上の業務上の責任を負わされると...
すっかりハングリー精神を失ってしまったZUYAさんですね
では他に何をやりたいのか、何が出来るのか...
昨年末の異動命令の数日後に実家の父が倒れ、元々帰省予定だった今年の正月三が日の滞在を延ばして、1週間以上の実家滞在しました
その時になり、父が認知症を発症していること(その傾向は半年ぐらい前からあったようで...)を知りドタバタが始まったわけです。同月に再度帰阪して、父の再手術に立ち合ました。この時点で問題は既に癌の再発ではなく、認知症に比重が...
2月になり、自身の異動が完了するも仕事に集中出来ない日々。業務のやり方の違いに加えて、この異動は昇進を伴っていたので、“やるべきこと”が増えてしまったので
そこへ遠く離れた(カナダと日本の距離に比べれば近所のようなものだが...)年老いた両親のことが頭から離れなくなったわけです。幸か不幸か同時期に会社内に同じような問題を抱える人が複数いて、皆同様に頭の中は仕事どころではなくなっているようで、少し安心しましたが...
結局、全然仕事にならないので3月に2週間以上休みを取って再び帰阪することに。これで考えるべきことが半分になるかと思いましたが、入院中の父はともかく初めての一人暮らしに戸惑う老いた母を目の当たりにすることになり、更に輪をかけて頭は混乱...
でもここで重要なのは、今の仕事に就いていたから収入を気にせずに2週間以上も休暇を取れたと言うことではないかと
3月の時点で、食事をすると言う概念が認知症により失われた父は骨と皮だけの身体になり、医師も長くは持たないと息子達に緩和ケア病棟への移動を(つまりは以後の延命措置は必要ないこと)を求めて来たのでサインをしたわけです
数週間経ち、父は食事をすることを急に思いだし、体力は回復するも、現在も入院中。介護認定は「2」のまま...
4月になり先ずは自分の新しく与えられた仕事を何とかせねばと、集中するようになると、異動先の店舗の状況の酷さを身をもって知ることになる...
何てとこに飛ばされたんだ...
ってね
何処を見ているのだ?
GWが終わった頃に、これはモチベーションが保てないぞと思い始め、3度の大阪行きで財政難に落ちていましたが、自分のための息抜きに時間とお金を回すことにしました
でも本当は“息抜き”をしている場合ではなく、新しい道を見つけ出すべきだったのでは、と今更ながらに思ったりするわけです
家人は昨年ぐらいから、普段の自分の仕事以外に新たなる世界に飛び込んでいる模様。そんな彼女からして見れば、良い年をした男がもがくどころか息抜きばかりしているように見えるから疎ましく思えるのでしょうね、すっかり風当たりが強くなってしまっています...
先月出た“寸志(賞与ではない)”は僅かに1ヶ月分...年に一回のベースアップも月給が僅かに1,600円だけ...そりゃあそうだ。イケイケどんどんの会社ではなく買収されるような会社なのだから
そんな風に過ごしているとあっと言う間に次の誕生日が来てしまったわけです
“生きているだけで丸儲け”と、子供の頃か知る今や重鎮となったあの芸能人がよく言葉していたのを思い出します
今のままだと、そんな風に考えられる日が来るとは思えないですけどね。あのハングリー精神の塊のようだったZUYAさんのカムバックの日はやって来るのだろうか
頭の中が混乱したまま迎えた誕生日。今日だけは自分を解放してあげたいと思います
え?
いつも自由に生きているように見えるって?
そう思う方は
da capo
(一から読み直してくださいね)
Have A Good Day,Folks!
コメントありがとうございます~
来月きっと宝くじが当たるので、そうすれば全てが...
70年なら一瞬の夢さ♪
やりたくねえ事 やってる暇はねえ
冗談みたいな世の中だからさ
やりたいようにやらせてもらうぜ
DA-DA-DA-DA-DA
DA-DA-DA-DA-DA
ブルースをけとばせ♪
それだけ伝えさせていただきますね😊