ここでいう女工は『女工哀史』の「女工」を指す。
今年は、『蟹工船』(小林多喜二)がブームらしい。
蟹工船で、安い賃金で酷使される出稼ぎ労働者の姿が、現代の非正規雇用者群と重なる面があるという。
現代のワーキングプアは、「蟹工船」の様に闘争に立ち上がるのか、またそのパワーを有しているのか。
一方、『女工哀史』は、同時期(1925年、大正14年)のルポルタージュ(細井和喜蔵、ほそい・わきぞう)。
紡績工場で働く女性労働者(女工)たちの過酷な生活が描かれている。
『あゝ野麦峠』も同じ(山本茂実、1968年)。
しかし、当時の農家の実情も悲惨なもので、女工になった方がマシであった事実もあるという。
念のため確認してみると、、
当時の紡績業や製糸工場の労働時間は、紡績業で昼夜交代の12時間制、製糸業では15~18時間。
たこ部屋のような寄宿舎で、食事は貧しい賄い付き、 とのこと。
上の作品は女工に焦点をあてているが、男の職工も同じ境遇。
厳しいのは男も女も同じで、女だけが収奪された訳ではない。
では、現代の日本では社会情勢や労働環境が良くなっているのか?
「名ばかり管理職」ではないが、1日12時間以上働くサラリーマン、管理職なんて、今の日本にザラにいる。
そうしないと会社は負け組みに入り、自分も振り落とされてしまう。
考える暇もなく、とにかく自転車をこぎつづけないと倒れてしまう。
会社での責任、家族への責任がのしかかる。
管理職としての社内外の付きあいも殆どは仕事だから、それを加算すると女工どころではない。
女工時代は、職場と寄宿舎は隣接しているから、通勤時間が片道1~2時間なんてムダもない。
単に労働時間を過ごせばよい訳では勿論ない。見える「成果」を出さねばならない。
アホな上と、あかんたれの下に挟まれて、しんどい思いをしている人も多い。
内心、フト「女工哀史の時代はよかった」と思う管理職もいるだろう。
口に出さないだけ。口にするのは弱音であり、管理職不適格とみなされる。
思わず書いたけど、この勝ち組、負け組も変な言葉だね。奇形児的な価値観がその背後にある。
まあ、何もかも狂ってしまった世の中だから、へんてこな価値観が蔓延するのは当然かも知れない。
しかし、今の中高年世代は、2000年前後にいい経験をした。
女工哀史を上回る頑張りでふんばっても、結局リストラという名の首切りで、梯子を外された。
結局、結核などの病気にかかった女工と同じ。何も変わっていない。
「リストラ」は、本来は事業の再構築を指すが、あっという間に「首キリ」の意になった。
人間は、本質を見抜く名人だね。
今、世の中は、かっての2000年前後の事態を上回る雇用情勢に近づきつつある。
来年(2009年)は悪夢の再来になるだろう。
組合は、「ベア復活」なんて時代錯誤のアホなことを言っている。
それらの皺寄せは、全部管理職の雇用にくるんだぞ。
そうだ! いっそ、思い切って、会社&仕事&生活の価値観をガラリと変えてみようか。
鉄道のポイント切り換えの様に、本当の自分らしい路線へ。
車窓も一変し、新しい空気を吸うと、自分を取り戻せるかもしれない。
しかし、ポイントを切り換えそこねると、奈落行きになる。
ワタシの場合は、ワーキングプア行きとなり、脱出方法がパラレルワールドへのワープしかない様になってしまった。
(注)参照 → プアについて(3)2008年11月23日、同(4)2008年11月30日
ワタシの様に、本当の自分を目指す筈が「ワーキングプアへの道」の可能性大。
本当の自分とはワーキングプアだったのか?
ワーキングプアは、何も人のことではないんだと気づかされる。
(注)参照 → プア2-(1)ぼくちゃんの人生 2008年12月10日
一つ歯車が狂ったら、みんなそうなる。誰も助けてくれない。
心して臨まなければならない。
ここまでの努力の結果をみすみす捨てるのも忍びがたい。
家族に何て話そうか。当然に問われる。「家のローンや子供の教育費はどうするの?」
う~ん、方向転換も容易ではない。今の道を進むしかないのか。
仕事の合間にそんなことを考える日々。
同僚の方向転換を、羨ましく思うと同時に、バカだねとも思う。
それが管理職の現実。「オレは違うぞ」という方はご同慶の至り。
いずれの方も、汗と涙がムダにならない職業人生をおくりたいものですな。ご同輩。
今年は、『蟹工船』(小林多喜二)がブームらしい。
蟹工船で、安い賃金で酷使される出稼ぎ労働者の姿が、現代の非正規雇用者群と重なる面があるという。
現代のワーキングプアは、「蟹工船」の様に闘争に立ち上がるのか、またそのパワーを有しているのか。
一方、『女工哀史』は、同時期(1925年、大正14年)のルポルタージュ(細井和喜蔵、ほそい・わきぞう)。
紡績工場で働く女性労働者(女工)たちの過酷な生活が描かれている。
『あゝ野麦峠』も同じ(山本茂実、1968年)。
しかし、当時の農家の実情も悲惨なもので、女工になった方がマシであった事実もあるという。
念のため確認してみると、、
当時の紡績業や製糸工場の労働時間は、紡績業で昼夜交代の12時間制、製糸業では15~18時間。
たこ部屋のような寄宿舎で、食事は貧しい賄い付き、 とのこと。
上の作品は女工に焦点をあてているが、男の職工も同じ境遇。
厳しいのは男も女も同じで、女だけが収奪された訳ではない。
では、現代の日本では社会情勢や労働環境が良くなっているのか?
「名ばかり管理職」ではないが、1日12時間以上働くサラリーマン、管理職なんて、今の日本にザラにいる。
そうしないと会社は負け組みに入り、自分も振り落とされてしまう。
考える暇もなく、とにかく自転車をこぎつづけないと倒れてしまう。
会社での責任、家族への責任がのしかかる。
管理職としての社内外の付きあいも殆どは仕事だから、それを加算すると女工どころではない。
女工時代は、職場と寄宿舎は隣接しているから、通勤時間が片道1~2時間なんてムダもない。
単に労働時間を過ごせばよい訳では勿論ない。見える「成果」を出さねばならない。
アホな上と、あかんたれの下に挟まれて、しんどい思いをしている人も多い。
内心、フト「女工哀史の時代はよかった」と思う管理職もいるだろう。
口に出さないだけ。口にするのは弱音であり、管理職不適格とみなされる。
思わず書いたけど、この勝ち組、負け組も変な言葉だね。奇形児的な価値観がその背後にある。
まあ、何もかも狂ってしまった世の中だから、へんてこな価値観が蔓延するのは当然かも知れない。
しかし、今の中高年世代は、2000年前後にいい経験をした。
女工哀史を上回る頑張りでふんばっても、結局リストラという名の首切りで、梯子を外された。
結局、結核などの病気にかかった女工と同じ。何も変わっていない。
「リストラ」は、本来は事業の再構築を指すが、あっという間に「首キリ」の意になった。
人間は、本質を見抜く名人だね。
今、世の中は、かっての2000年前後の事態を上回る雇用情勢に近づきつつある。
来年(2009年)は悪夢の再来になるだろう。
組合は、「ベア復活」なんて時代錯誤のアホなことを言っている。
それらの皺寄せは、全部管理職の雇用にくるんだぞ。
そうだ! いっそ、思い切って、会社&仕事&生活の価値観をガラリと変えてみようか。
鉄道のポイント切り換えの様に、本当の自分らしい路線へ。
車窓も一変し、新しい空気を吸うと、自分を取り戻せるかもしれない。
しかし、ポイントを切り換えそこねると、奈落行きになる。
ワタシの場合は、ワーキングプア行きとなり、脱出方法がパラレルワールドへのワープしかない様になってしまった。
(注)参照 → プアについて(3)2008年11月23日、同(4)2008年11月30日
ワタシの様に、本当の自分を目指す筈が「ワーキングプアへの道」の可能性大。
本当の自分とはワーキングプアだったのか?
ワーキングプアは、何も人のことではないんだと気づかされる。
(注)参照 → プア2-(1)ぼくちゃんの人生 2008年12月10日
一つ歯車が狂ったら、みんなそうなる。誰も助けてくれない。
心して臨まなければならない。
ここまでの努力の結果をみすみす捨てるのも忍びがたい。
家族に何て話そうか。当然に問われる。「家のローンや子供の教育費はどうするの?」
う~ん、方向転換も容易ではない。今の道を進むしかないのか。
仕事の合間にそんなことを考える日々。
同僚の方向転換を、羨ましく思うと同時に、バカだねとも思う。
それが管理職の現実。「オレは違うぞ」という方はご同慶の至り。
いずれの方も、汗と涙がムダにならない職業人生をおくりたいものですな。ご同輩。