一昨日、小沢が民主党の代表を辞任したが、さて、次は誰になるか。
それによっては、次の総選挙が期待できるかも。
さて、前回、ぼけてしまえば怖いものなし、と書いたが、
実際には、解決にはほど遠い。
もっと問題をかかえることになる。
年金以外の、もっと大きな問題、
それは、介護。
親の、配偶者の、そして自分の介護をどうすれば良いか。
介護保険制度がスタートして約10年。
この制度は、本当に機能しているのか?
- 未だ勉強不足の状態だが、いろいろな報道に接すると、どうも形だけのよう。
(1)利用したいサービスは、サービス提供側の受け皿不足で受けられない。
(2)同時に、自己負担を鑑みると、受けるサービスメニュを制限せざるをえない。
つまり、ここでもカネが幅をきかす。
カネがないと、それこそ悲惨!
老後の生活設計は、それなりに健康であることを前提として考えがちだが、
人間、誰もが、どこかの時点からは、そうではない状態となる。
無届け老人施設というタコ部屋に押し込まれ、ついには焼死するに至る現実が待ち受けている。
介護保険の操作で、利益を享受している無届け施設の事業主もいるという。
今でさえそうだから、更に老人が増えるこれからは、もっと施設不足になること必然。
そして、世代が後になるほど受給する年金額は少なくなるから、
リッチな者は良いとして、そうでない者は、さあ大変。
ワタシなぞ、目先のことだけを考えて生きてきたから、
そうした現実の一端を耳にするにつれ、冷や汗がタラリ。
これはヤバイ、という遅かりし「気づき」。
プア丸出し。
身体が動くときは、いろいろあっても何とかなるが、
動かなくなれば、如何ともしがたい。
加えて、ぼけが始まれば、さあ困ったぞ!
「ぼけ」は、自分はともかく、周囲が手におえない。
ここで介護保険の出番! 介護保険は、老人の介護を社会が支える仕組み。
世の中、バラ色!
すばらしい仕組みができたもんだ!
と、思いきや、
何てことはない、頼りにならず。
絵に描いたモチ。
無いよりマシなレベル。
この介護問題は、他の制度と違った視点で臨まなければならない点が一つある。
それは、仕組みの焦点を平均的なモデルではなく、底辺にあてること。
ここで平均とか、底辺というのは、主として経済的な観点からの意。
底辺ではない、上の層は、自分で+αをオンすればよい。
そうすることで、不安感を払拭する。
さすれば、必要以上の貯蓄や備えが不要となり、抱えこんだ財産が次の世代に移転する。
相続税の考え方も大きく変えるべきでありましょうなあ。
ところが、制度設計に関与する人間は、
役人であれ、政治家であれ、有識者と呼ばれる御用学者であれ、
全員、それなりに恵まれた層の人たち。
その種の人間は、底辺の心情は分からない。
適当に「声」を聞いたとしても、それは自分たちに都合の良い聞き方になる。
最近は、様々な制度・法律で、施行後に見直しとなる場合が多い。
勿論、必要に応じて軌道修正すべきはする訳だが、
どうも本質を理解しないで、リクツで設計しているところに起因している気がする。
しかし、恵まれた者に「底辺を心底理解せよ」というのも、
所詮は無理な話し。
まして、今の役人や政治家、御用学者に期待することそのものが間違っている。
社会の底辺にいる者は、そんなヤカラを信用してはならない。
踊らされてはならない。
社会のセイフティネット?
そんなものを信じてはならない。
つまりは、次のいずれかの道。
●少しでもカネを貯めて自己防衛する
●全てを諦め、悲惨な老後を受け入れる
さあ、さあ、さあ、さあ。。。。
ワタシなぞ、考える必要もなく、後者。
長生きをすると、とんでもないことになるゾ!
それによっては、次の総選挙が期待できるかも。
さて、前回、ぼけてしまえば怖いものなし、と書いたが、
実際には、解決にはほど遠い。
もっと問題をかかえることになる。
年金以外の、もっと大きな問題、
それは、介護。
親の、配偶者の、そして自分の介護をどうすれば良いか。
介護保険制度がスタートして約10年。
この制度は、本当に機能しているのか?
- 未だ勉強不足の状態だが、いろいろな報道に接すると、どうも形だけのよう。
(1)利用したいサービスは、サービス提供側の受け皿不足で受けられない。
(2)同時に、自己負担を鑑みると、受けるサービスメニュを制限せざるをえない。
つまり、ここでもカネが幅をきかす。
カネがないと、それこそ悲惨!
老後の生活設計は、それなりに健康であることを前提として考えがちだが、
人間、誰もが、どこかの時点からは、そうではない状態となる。
無届け老人施設というタコ部屋に押し込まれ、ついには焼死するに至る現実が待ち受けている。
介護保険の操作で、利益を享受している無届け施設の事業主もいるという。
今でさえそうだから、更に老人が増えるこれからは、もっと施設不足になること必然。
そして、世代が後になるほど受給する年金額は少なくなるから、
リッチな者は良いとして、そうでない者は、さあ大変。
ワタシなぞ、目先のことだけを考えて生きてきたから、
そうした現実の一端を耳にするにつれ、冷や汗がタラリ。
これはヤバイ、という遅かりし「気づき」。
プア丸出し。
身体が動くときは、いろいろあっても何とかなるが、
動かなくなれば、如何ともしがたい。
加えて、ぼけが始まれば、さあ困ったぞ!
「ぼけ」は、自分はともかく、周囲が手におえない。
ここで介護保険の出番! 介護保険は、老人の介護を社会が支える仕組み。
世の中、バラ色!
すばらしい仕組みができたもんだ!
と、思いきや、
何てことはない、頼りにならず。
絵に描いたモチ。
無いよりマシなレベル。
この介護問題は、他の制度と違った視点で臨まなければならない点が一つある。
それは、仕組みの焦点を平均的なモデルではなく、底辺にあてること。
ここで平均とか、底辺というのは、主として経済的な観点からの意。
底辺ではない、上の層は、自分で+αをオンすればよい。
そうすることで、不安感を払拭する。
さすれば、必要以上の貯蓄や備えが不要となり、抱えこんだ財産が次の世代に移転する。
相続税の考え方も大きく変えるべきでありましょうなあ。
ところが、制度設計に関与する人間は、
役人であれ、政治家であれ、有識者と呼ばれる御用学者であれ、
全員、それなりに恵まれた層の人たち。
その種の人間は、底辺の心情は分からない。
適当に「声」を聞いたとしても、それは自分たちに都合の良い聞き方になる。
最近は、様々な制度・法律で、施行後に見直しとなる場合が多い。
勿論、必要に応じて軌道修正すべきはする訳だが、
どうも本質を理解しないで、リクツで設計しているところに起因している気がする。
しかし、恵まれた者に「底辺を心底理解せよ」というのも、
所詮は無理な話し。
まして、今の役人や政治家、御用学者に期待することそのものが間違っている。
社会の底辺にいる者は、そんなヤカラを信用してはならない。
踊らされてはならない。
社会のセイフティネット?
そんなものを信じてはならない。
つまりは、次のいずれかの道。
●少しでもカネを貯めて自己防衛する
●全てを諦め、悲惨な老後を受け入れる
さあ、さあ、さあ、さあ。。。。
ワタシなぞ、考える必要もなく、後者。
長生きをすると、とんでもないことになるゾ!