陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

年金制度: もう止めたらどう?

2009-05-29 08:54:11 | Weblog
年度制度がまたまた問題視されている。
政府の「100年安心プラン」のマヤカシを突くもの。

人口が減る=金の元し手が減る中では、いかなる制度も難しい。
結局は、制度のための制度になってしまう。
かくなる上は、出し手の負担をドンと大きくするなり、給付水準を落とすなり、
それらのいずれか、あるいは両方の措置しかない。

しかし、それが度を過ぎると、年金ではなくなってしまう。
と、いうか、何のための、誰のための年金か分からなくなってしまう。
自己矛盾。
制度疲労。

問題は、
(1)制度維持のためのコストが膨大であること
    →社保庁職員の人件費やシステム構築&メンテ費がとてつもない負担
(2)基金が運用益を求めれば求める程、回りまわって、自分(年金加入者)の首を絞めること
    →株式へ投資する基金は、企業の利益増大を要求
    →企業は更に利益を追求し、結果、従業員への配分は減る(増えない)
    →所得が減る従業員は、ますます老後に不安をかかえる
    →みんながより有利な資金運用先を考える
     (以下、同じ繰り返し)

何だか、バカみたい。
アンガの世界。

新型インフルエンザだ! さあ大変だ!
マスクを買わなきゃあ。
薬局へ行っても、売り切れ。
困ったゾ。
次の薬局へ。何軒回っても同じこと。
「けしからん! 誰が買い占めてるんだ!」
⇒ あんただよ。あんたの様なヤツだよ。

年金問題も、これと同じことがいえる。
構造的な問題に加え、年金制度の崩壊を加速させているのは、次の二世代。
①不安をかかえる老人
②年金制度(&国の制度・施策に)不信感を持つ若者

根底に、国や役人への不信感がある。
その不信感は正しい。
不信感に端を発する自己防衛が、結局のところ、回りまわって自分の首を絞める。
これを止揚しない限り、制度維持は難しい。

実際、こんな状態じゃあ、何をやってもうまくゆく訳がない。
もう、マヤカシの年金制度は止めるんですな。

5/16、5/23のブログに書いた様に、
そもそも、年金制度どころか、21世紀後半には、社会そのものが崩れてしまうんだから、
そんな中で、年金を何とかしようとしても意味ナシ。
賽の河原の石積みと同じ。

最大の問題は、こんな意味のない年金制度を続けることで、
何で、社保庁など、多数の職員を飼って食わせなきゃあいけないの?
アホらしい。
安心のコスト?
安心なんて、どこにあるんですか?
国家レベルのマヤカシは、もうやめた方がいいと思うけどね。
コメント
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