陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

海江田ぷっつん

2011-07-08 08:55:39 | Weblog
カイエダが「ぷっつん」でござりますよ。
そりゃあ、そうでござりましょう。
彼の立場では。。。
しかし、すぐに辞表を叩きつけないのは、どうしたことでござりましょう?
このお人も、並みの神経ではござりませぬなぁ。

7日の参院予算委員会では、途中から答弁席にいた閣僚が次第に減り、
カン一人になったそうですぞ。
「ひとりぼっち内閣」なんだそうな。
もはや、ぐちゃぐちゃですなあ。

カンは、6日の衆院予算委員会で、
「刀折れ、矢尽きるまでやる」と言うているから、
自分自身は、満身創痍の「闘い」だと思うているのでござりましょう。
悲壮感を覚えながらも闘いぬくのがオノレの「使命」と思うているのでござります。
被災地のことや、原発のことなんぞ二の次というか、それらは使命のための材料に過ぎず、
ひたすらオノレの使命を貫くことが全てなのでござりましょう。
ホンニンも大震災のとき、「天命」と言うていましたなあ。

ふむ、ふむ。
使命ねぇ。
オノレの使命、闘う目的とは何でしょうなあ。
諸賢は何やと思いますかな?

ワタシは、昔読んだ小説を思い出しましたぞ。
誰もが何らかの形で読んだ、あの本でござりますよ。
ほれ、オノレの騎士道精神に従い、悪の巨人たる風車に敢然と突進する、あのお方でござります。
そのお方は、オノレを伝説の騎士だと思い込んでいるのでござります。
シンケンに。
騎士道精神に生きなければならんのでござりますよ。
何たって、ラ・マンチャの騎士でござりますからね。

そう思い込んでいるニンゲンには、周りが何を言うても通じませんぞ。
やはり、風車に挑ませるしかござらぬでありましょう。
しかし、年老いて、オノレの夢・希望・正義を追うて生きるのは結構なことなのだが、
周りに迷惑だけはかけんといて欲しいですなぁ。
被災地の人、原発がある地域の人は、そのアホさ加減にあきれかえり、もう声も出ないようですぞ。

ところで、この小説の最後の部分は忘れてしまったのだが、
痩せ馬のロシナンテと、従者サンチョ・パンサはその後どうなったのでござりましたかな?

日本の内閣、国会では、
ロシナンテも、サンチョ・パンサも、影も形もござりませぬよ。
お~い、 ロシナンテや~い!
お~い、 サンチョ・パンサや~い!
と、誰かが捜していますがな。 
コメント
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