陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

プア2-(2) 社長は小間使いである

2008-12-14 18:20:36 | Weblog
タイトルを見て、何をアホなことを! と思う人がいるだろうが、
ここでいう社長は「零細企業の」社長を指す。
零細企業の社長は、このタイトルに100%賛同するだろう。
実際、それ以外に表現しようがない。ホントに...

零細企業の社長の日常は、「客先と従業員にお仕えする」ことが仕事です。
しかし、会社の最終責任は全て負わねばなりません。
株式会社は「有限責任」、なあんてモノの本に書いてあるけど、それは大企業の話し。
実際のところ、零細企業の信用は、その社長個人のものと等しいため、無限責任と同じ。
また、そういう心構えでないと仕事は来ない。
→ 経営学などの本は、なぜそういう「現実」を書かないのだろう?

融資を受ける際には当然に個人保証を求められ、自宅はおおむね担保に入っている。
数年前から、連帯保証制度が問題視され、今では連帯保証のない融資もあるが、利率は高い。
あなたが零細企業の社長なら、融資を受ける際に次のどちらを選びますか?
 ①利率が高くても連帯保証はない
 ②利率が低いが連帯保証が必要
ワタシは、②を選ぶ方が普通人ではないかと思う。

話しがそれた。
業績がよいときは、理屈ではそれに見合う報酬を得ても良い訳だが、
実際にそうできるのはごくごくごく(以下、100回繰り返す)僅か。
今、話題の(米国車の)ビッグ3や金融・証券界の役員報酬とはワケが違う。
まれに利益がでたときは、先ず従業員にそれなりの成果配分を行わなければならない。
業績が厳しくなると、真っ先に自分の報酬で調整をする。
賞与など、当然にナシ。
(社長に賞与を出す企業があるとすれば、零細企業ではないか、もしくはバカかのどちらか。)

サラリーマンが当然に加入する雇用保険や労災保険には入れない。
ガス抜きのための労災特別加入制度があることはあるが、実質的に意味はない。
つまり、働く者としての最低保障さえもない。

時給に置き換えると、最低賃金以下という人はザラだろう。
内心、ワリにあわないなあ、と感じながら走っている。
経営者という名のワーキングプア。統計などで表面には出てきにくいが、実態はヒンミン(貧民)。
収入や世間の信用では、大企業の管理職の方がはるかに上。上も上、雲の上。

フーテンの寅さんのタコ社長は、いつも金策に回っている。
つまり、金策にアタマを抱え、走り回るのが社長の姿(代名詞)ということ。
映画を観て、タコ社長を「わはは」と笑う人は、幸せな人。
零細企業の社長は、そこに自分をみて自嘲で笑う。笑う他ない、哀しい笑い。

親からの承継は別として、そうした「社長」をなぜ目指すのか?
そりゃあ、皆さん、自分の夢を託して船出するんですよ。
自身の人生をかけた勝負に臨む。
長年、独立・開業をサポートしてきた者の立場から、そう断言できる。

別に社長を目指す訳ではなく、自分が何かをやろうとすると、社長という名の立場にならざるをえない。
責任とリスクを全て自分で負うという立場に。
その船出時には、誰もが、自分は「必ず目標を達成するぞ」「夢を実現するぞ」と決意する。
そうして時が過ぎ、100人のうち99人がタイトルの様になる。
イヤ、正確にいうと、10年たつなかで、2/3 位は方向転換(という名の失敗)するから、「1/3マイナス1人が」となる。
20年たつと、「1/10マイナス1人が」となる。
そう考えると、小間使いは「小成功」に至らない「零細成功」の証でもあり、
何とか食いつないでいるだけでも、見方によっては、立派&幸せかもしれない。

     社長という名の小間使い
     あくせくあくせく日を過ごし
     アタマは夢と現(うつつ)を行き来する
     雨に嵐を心配し
     風の音にぞ驚かれぬる
     いまにみていろウチの社を
     世界に冠たるブランドに
     そう思いつつ、はや幾く年
     いつの間にかトシ老いて
     キラ星の夢も色褪せり

殆どがこんな感じだろう。
ま、それも人生。
人間、自分だけは違うと思いがちだが、確かにそう思わないとやってられないよね。
零細企業に勤める人は、タマにはやさしい声をかけてあげてください。さまよえる夢追い人に。

     Destination via or
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プア2-(1) ぼくちゃんの人生

2008-12-10 08:35:56 | Weblog
昼食時に、韓国の受験競争の話し、派遣社員や期間工など非正規労働者の首キリの話が出た。
受験の厳しさは、幼稚園から大学まで、日本の比ではないそうな。
そのとき思い出した、昔、何かで読んだ小話。


ぼくちゃんがお母さんと手をつないで歩いていました。
道の上で浮浪者のおじさんが寝ていました。
お母さんが言いました。「ぼく、あんな風にならないように、しっかりお勉強をしていい小学校に入るんですよ。」

ぼく 「いい小学校に入ったらどうなるの?」
ママ 「いい小学校に入ったら、いい中学校に行けるんですよ」
ぼく 「いい中学校に行ったらどうなるの?」
ママ 「いい高校に入れるんですよ」
ぼく 「いい高校に入ったらどうなるの?」
ママ 「いい大学に行けるんですよ」
ぼく 「いい大学に行ったらどうなるの?」
ママ 「いい会社に入れるですよ」
ぼく 「いい会社に入ったらどうなるの?」
ママ 「トシをとってから安気に暮らせるんですよ」
ぼく 「じゃあ、あのおじさんと同じだね」

    

-----------------------------------
ワタシの人生。

ワタシが母親と歩いていた。
道の上に浮浪者のおっさんが寝ていた。
母親が言いました。「あんな風にならんようにせなあかんでぇ」
ワタシ 「そやね。そうならん様に頑張るわ」

17年後、
ワタシは母親に言いました。「悪いけど、また金を貸してんか」
「このままやったら路上生活になってまう」
    

-----------------------------------
世の中のいろいろな職業など
- その本質にせまることを目指し、次回からとりあげる。  
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プアについて(5)

2008-12-07 17:39:20 | Weblog
ここまで「プアについて」のタイトルで、ワタシ自身のプアな人生を書いてきた。
現時点のほぼ結論らしきものが見えてきたので、この辺りで一度中締めをします。
と、いうより、以前から感じていたことではあるが、書いているうちにアタマが整理され、
やはりワタシがプアであるのは「必然」だなあ、と思えてきた。
残念ながら。(これを読む人にとっては、どうでもいいことだろうけど。)

過日、客先と雑談をしていたら、久しく耳にしていない「人の器」という言葉がでてきた。
世界的な金融危機その他からくる様々な事業環境の悪化もあるが、
それらを乗りこえる事業戦略の設定やそれを実行してゆく力は、結局は人間の「器」次第、という話しに至った。

誰でも何とかやってゆける時代でなくなると、
自分の器を超える水を盛っても、そこからこぼれたり、漏れたりで、結局のところ器以上の水は入らない、という話し。
そういう話になると耳が痛い。

人間の器をどう計るかは難しい。
おおむね、(自分では)実像よりも大きくイメージしていることが多い。
背伸びをすることで、それが力になってゆくこともある。
何気なく使うけど、器って何やろね?
ワタシなど、結局は「おちょこ」程度の器なんやろね。
所詮、天・地・人を引き寄せられない、そのレベルの器、定めなんだろう。
ツクヅクそう思いマス。

こういうふうにしおらしく書くと、ここでまたワタシの悪い性格が出るんだよね。
おう、おう、それなら「おちょこ」で世の中の大河を渡ってやろうじゃあないか!
すぐにひっくり返るけど、それがどうした?
ひっくり返っても、水を飲んで息たえだえになっても、おちょこを元に戻して、また漕いでやろう。
目標は、それを21回 ⇒ 二十一回プア猛士(松陰先生、変なふうにアレンジしてすみません)。
な~んて、おちょこ男のカラ元気。

話しが脱線した。元に戻って、

▼中締めの結論
今までこのブログで書いてきた内容を整理し、

人生の価値(又は充実度)=夢×実現力  とします。

(注) 実現力={能力(0~10)×努力(0~10)×運(-10~10)}/1000
この実現力をわかりやすく『プア係数(P)』と呼び、 ▲1~+1 の間とします。 -1≦P≦1
+1に近いほど実現力が高く、マイナスは厄病神にとりつかれた状態です。

プア係数は、自分の夢を実現する力で、勿論、その反対にリッチ係数と呼んでもOKです。
小さい夢を実現して「小成功=満足=充実」と考えるもよし、
大きい夢を掲げるもそれに到達せず「プア」と感じるのもよし、
それはその人しだい。
あなたはどうですか?
小さい夢さえも実現しないのが一番みじめな人生かも。
ワタシの夢も、ささやかなものなんだけどね。。。

努力した結果ではなく、努力の過程が尊い...  なんて話しはよく聞く。
しかし、それはアマチュアの話。プロは所詮、結果なんだよね。
もっとも、自身の代で実現しなくても構わない。
プア(4)で書いた様に、七代の後でもOK。(→ただ、七代後がありえないことは既に(4)で書いた。)

さて、ワタシ自身の「プア」をここまで読んだあなた、
あなたの人生は充実していますか?
あなたは、死ぬときに自分で自分を誇れる日々を今、送っていますか?
Yes? - 大いに結構。
青い鳥は、遠くにいるわけじゃあないんだからね。

「家は漏らぬ程、食は餓えぬ程にて事足れり」 というが、
- ワタシは、完璧ではないが、それに近い生活をしているし(せざるを得ない?)、今後も同じ。
それで終わるのもまた人生。
しかし、それも中途半端だねぇ。
いっそ、「家は漏れ、食は餓える程」の生活をしてやろうかとも思ったりする。←できないクセに言うだけ。
陋巷(ろうこう)の人、顔回(注)が一つの理想かもしれない。
(それに付き合う家族や関係者が少々かわいそうだけども)

ただ、上に言葉を添えると、ワタシは利休は嫌いなの。ムシが好かぬ、ということ。
↑ こういうところが一言多いし、プアたる真の所以かも。

ワタシ自身のプア論は、ここでひとまずお休み。 
次に書くときは、「それからのプア」になるだろう。
これからは、視点を変えたプアの話をときどき書く。 


(注)顔回(がんかい、字は子淵(しえん))
春秋時代の魯の人、孔門十哲の一人で随一の秀才。
孔子にその将来を嘱望されるも夭折。名誉栄達を求めず、暮らしは極貧であったという。
同門の秀才 子貢が、「私は一を聞いて二を知る者、顔回は一を聞きて十を知る者」(公冶長第五)と述べている。
- Wikipediaの記事を加筆要約
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絶対に成功する方法(2)

2008-12-05 08:26:57 | Weblog
過日、福岡伸一氏(分子生物学、青学教授)が次の様に書いていた。(日経2008/11/20夕刊)

実験科学者は、仮説をたて、それを検証するために実験をする。
目論見とは違った実験結果がでた場合、二通りの考え方をする。
(1)仮説の誤りを認め、その仮説を放棄する
(2)仮説は間違っていないが、実験が適切でなかったのだ→実験を再試行
この(1)と(2)のせめぎあいが研究現場であるが、
大半の科学者は(2)の様に考える、    のだそうだ。

そりゃあ、そうだよね。
数度うまくいかない位で仮説を放棄していたら、「犬も歩けば」式になってしまう。
しかし、こだわりすぎると、一生を棒にふる可能性もある。
さて、さて。

分野は違うが、ワタシの場合も結局は(2)で、一度や二度どころか、この17年をその様に過ごした。
頑固に自説を追求し、目標の成果を得る場合もあるが、ワタシの場合は(途中から)ただ単に惰性での繰り返し。

ムダな年月なのか、それとも試行を繰り返すことで、どこかで成果を得るのか?
- 結局はそれを見極める力なんだろうけど。

よく出る話で、
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」 VS 「君子危うきに近寄らず」
矛盾する格言だが、どちらが正しいか?

- そりゃぁ、その状況次第なんだが、人間、判断に迷うこともあるよね。
また、短期的には正解の選択であっても、長期的にも正解、とは限らない。
そんな例はゴマンとある。
成功は転落のはじまりでもあるからねぇ。
小成は大成の前のつまずきにすぎない、ともいうからねぇ。

それらが分かった上で、さてどうするか?
- まさに自分が試される。 
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人生の四季

2008-12-04 08:57:49 | Weblog
人間、誰しも同じ様なことを考えるのだが、
ワタシも、昔、「人生50年」の50歳を迎える頃から考えるようになった。

人生にはそれぞれの四季があり、人さまざまではあるが、今の時代だとおおむね20年で季節はめぐる。
20歳までが春、20代・30代が夏、60歳までが秋、その後が冬。

20代や30代の人の中には、必ずしも充足されていないこの今が夏かと思う人もいるだろうけど、
それが正にその人の夏。後になってそれが分かる。 
勿論、トシをとっても夏の人もいるだろう。

ワタシの場合は、5~6年前から晩秋ないし初冬を感じてはいたが、
この一年を振り返ると、もはや完全な冬。
   
特に、体力や運動能力、アタマの血のめぐりの面で、齢をかさねるとはこういうことか、を思い知らされることが多くなった。
誰もがいつかは到達することではあるが。。。
もっと年長者からは「ハナタレ小僧が分かった様なことを言うな」とお叱りを被るかもしれない。
確かに、さらにトシをとるにつれ、今よりももっと、加速度的に身体がしんどい状態になるのだろう。

*もっとも、麻生首相のアタマの血のめぐりは、報道によると、トシのせいではなく、昔かららしい。
  OBを含め、学習院関係者は顔をしかめている。
昔から冬は好きではないが、  
こうなると、冬には冬の過ごし方を考えるしかないか、と思うこのごろ。
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