「何でもあり」なのがまんがの世界だ…と
私が持っていて大事にしている古い漫画入門本に
書いてあります。
「まんがでは…クルマより速く走れる!」
「まんがでは電柱も蹴倒せる…とぉっ!」
「まんがでは…モーターボートのように泳げる!」
「まんがでは…ウ●チもつつける!」
(最後のあたりで誰が書いた本か分かるかと思いますが(^^;))
「まんが」という虚構の世界は、その特性ゆえに
現実には起こりえない物事も許容するし、
またそういったものが積極的に存在できる世界でもあります。
逆に現実を限りなくそのままにそこへ送り込むこともできるし、
非現実性を極力排除した虚構を作ることも可能です。
それこそが「何でもあり」の正体でしょう。
これはまんがに限らず、表現手段の多くに言えることでもあるでしょう。
作り出された虚構の世界は、ありとあらゆる創作の可能性を
包括することができます。
それこそが漫画やアニメなどを含む表現手段の魅力でしょう。
どんなにリアル志向な作品でも、”創作された表現”である以上、
現実からは完全に乖離しています。
「リアルである」と受け取り手に錯覚させるくらいに
うまく作られている虚構の世界…とも言えるでしょう。
逆に現実ではありえない世界や世界観、
また人物描写や、ロケーションなどが現実離れしているものも
これまた虚構を上手く生かしているとも私は思います。
「何でもあり」ですから(^^;)
少なくとも楽しめれば何でもあり…です。
私はそう思いますです。
逆にそうでなければ今までの発展は無かったでしょうし、
これからの発展も難しいでしょう。
さて、
こういう世界を作っていく場合や、楽しもう…という場合には
「想像力」が重要かな?と思います。
作品がどういう方向を向くにしても、作り手は現実とは別の世界を
先ずは自分自身の頭の中に作り出さねばなりません。
また受け取り手もそれを単なる情報から、自分が意識できる虚構の世界へと
変えていかねばなりません。
それは単なる想像力ではなく、さまざまなものをありとあらゆる角度から見て感じる
「複雑な想像力」であるべきなのかも知れません。
そしてその想像力は、自分が想像だにしなかった角度や方向のものも
含まれると思います。
理屈を超越して、そういった「まだ無いもの」を考え出し、
同じく理屈を抜きにして受け取ったイメージを膨らませる「想像力」は
人間の持つ創造性の源泉であるのかも知れません。
また想像力が強ければ強いほど
いろいろなものを考え出し、多くの、また大掛かりな虚構の世界を
創造することができるのかも知れません。
自分の基準で「こんなのありえねぇ」「変じゃね?」と思ったものも
表現の可能性のひとつであって、
もしかしたら、それは想像力が足らないだけかも知れませんです。
仮に…受け取り手なら受け取る情報を選ぶことも十分アリですが
創造する、また創造したい…という人であるならば、
そういったものも極力…、それこそ清濁併せ持つ気持ちで
飲み込んでいくくらいの気概が要るのかも知れません。
それこそ飲み込んだものは必ず”肥やし”にできる筈ですし…。
ちと話がややこしくなりましたが…。
クリエイトする側の人間なら、過度な想像でも常に理解する気でいろ…と。
また、想像がドリーム強過ぎるくらいで無いと、
楽しかったり面白かったりするものを作るのは難しいぜ!…と。
何でも理屈が先行しますが、理屈からあえて離れて物事をとらえるような
遊び心が大切なのかな?…と思った次第です(^^;)
それこそ「何でもアリ」なんだと。
何でこんなことを思ったか?
それは自分に言い聞かせるため。
これは私の”日記”ですので(^^;)
「頭固くなってない?」
そう言われないような柔らかアタマでいたいものです。
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