NHK 知るを楽しむ より
「江戸わずらい」と呼ばれた脚気のお話。
明治時代、ある一人の町の漢方医が、経験的に「麦飯」の効果を発見し脚気の治療法としていた。
明治天皇が脚気を患い、当時の西洋医学の権威者がgive upした天皇の治療を、この医者が麦飯で脚気を治したのだった。
日清・日露戦争当時の兵士の食事は、「白米一日六合」だった。
これでは、殆んどの食事が、白米で占められたということであった。
貧しい兵士たちにとって、銀シャリは、大変な憧れの食べ物だったという。 国は、麦飯に変更しようとしたようであるが、兵士たちの強硬な反対にあった結果、白米が継続されたと聞く。
日清戦争での死亡者=3000人、
日露戦争での死亡者=28000人という数字は、
戦闘での死亡者数ではない、戦場で発病した脚気患者の死亡者数である。
「白米一日六合」では、副食は、ほんの僅かであったろう。
当然脚気になったであろうことは、容易に想像できた。
しばらく、西洋医学も東洋医学も、脚気の原因と治療法を確立できなかったが、
明治43年 鈴木梅太郎博士が、ビタミンB1の欠乏が、脚気の原因であることを発見すると、完全な治療法の確立が出来た。
今日の我々の食事は、白米が少なく、副食を相当量摂取しているので、全く脚気の心配はないのであろう。
知ってしまうとなんでもないことなのだが、知らないととんでもないことがおきるのである。
白米のおいしさは、格別である。
これに替わるおいしさは、他の食べ物では得られそうにない。