「TVを見ながらするような、いいかげんな精神ですることにあまり意味はない・・・」おおよそこんな趣旨だった。
あれー、ひょっとすると真向法のことではないだろうか、と思った。
どこで読んだのか記憶は曖昧である、著者は五木氏であったように記憶している。
それ以来、氏が何でこんなことを言うのかと、妙にひっかかっていた。
先日から、五木寛之氏著「他力」を読み始めたら、次のような文に出くわした。
“②「できないものはできない」と思う”よりの抜粋。
「私は努力型の人間ではありません。
むしろ、その反対の、かなりいいかげんなタイプです。」「したほうが絶対にいいことが自分でわかっていても、それに取りかかることができない。
真向法も、ウオーキングも、三日と続きませんでした。・・・」・ 「だめのものはだめ、できないものはできない。
個人の努力も善意も、むくわれないときはむくわれない。
いや、むしろその方が多いのが人間の世界である。と、心の底でひそかに思っているのです。」
「正直者がばかをみるのは当たり前だ、と信じこんでいればこそ、・・・」"
(ご両親は、どちらも几帳面な師範学校出の教師。
したがって、遺伝的には大変几帳面な性格ではなかろうかと思うのですが、
しかし、戦時中の悲惨な経験が、氏の性格・考え方を変えたようである。
「何年も髪を洗わない」「医者にかからない」などと、奇行もいえる行動で有名なのであるが、このように独自の考え方を持っており、それが氏を著名な作家にしたようである。)
真向法のようにTVを見ながらでもよい“ちゃらんぽらんな”体操などは、効果があるはずがないと思われたのであろう。
それ故、氏の言葉で言う「他力の風」が吹かなかったため、「氏のやる気」が湧いてこなかったようである。
錆びついた身体を、ほぐすのに精神集中も精神統一も必要ないのである。
ただ、楽しく・無理なく・少しずつ、動かしていけばよいのである。
何の理屈も必要ないのである。
正しく継続して動かせばよいのである。
五木先生が、考え直してくれるといいのだが・・・。
彼の性格からすると、その望みは薄い。