12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

名せりふ

2008年05月26日 06時12分05秒 | Weblog

NHKのラジオ深夜便で、野球オタクで有名な慶応大学のI先生の野球についての「六つの楽しみ方」を聞いたとき、同時にこんな話があった。

小西得朗(こにし とくろう、1896年7月10日 - 1977年6月9日)は、昭和期のプロ野球監督、野球解説者。東京都麹町出身。 父はロシア文学者・小西増太郎。

三高、日本中学を経て、明治大学に進学し第8代キャプテンとして東京六大学リーグで活躍。・・・(中略)・・・日本プロ野球黎明期の偉大な指導者として定評があった。

1950年代後半からNHKでプロ野球中継の解説者として活躍し、
「まぁ、なんと申しましょうか」というおなじみの台詞と、志村正順アナウンサーとの名調子でファンからの絶大なる信頼を集めた。

ここからが本論である。
1955年6月7日の後楽園球場での巨人対中日戦で巨人の打者藤尾茂が杉下茂の内角への鋭いシュートを股間に受けた際に

(「なんとこともあろうに藤尾のキ…」とうっかり放送禁止用語を喋りそうになって)言葉に詰まった志村アナウンサーを尻目に、

「まぁ、なんと申しましょうか…藤尾君の今の痛さばかりはご婦人方には絶対にお分かりになられない痛みでして」の名言でその場をつないだ逸話も有名。
1977年6月9日死去、享年81。大和球士とともにテレビ中継草創期の名解説者だった。

野球そのものより「まぁ、なんと申しましょうか…」の名調子の小西さんの解説を楽しんだものだった。

 おまけ;
• 「御婦人方には…」の発言の夜、小泉信三から小西のもとに「NHK放送史上に残る名解説だ」と称える電話があった。(近藤唯之『プロ野球名語録』P.181)