ヴェッキオ宮前にある高さ5mくらいの巨大な彫刻ダビデ像
(ミケランジェロ作のレプリカ)
「わが友マキアヴェッリ」(フィレンツェ存亡)塩野七生著 中央文庫 より
ルネッサンス終焉の少し前の頃、フィレンツェ共和国政府が芸術家に支払ったお金のことが書いてあった。
都市国家毎に通貨が異なっており、単位として、「フィオリーノ」「ドュカート」「スクート」等が出てくるが、いずれも大体同じ価値だったそうである。
それでは、当時の超一流の芸術家の収入について紐解いてみよう。
フィレンツェ共和国和国政府は、政府の館パラッツォ・ヴェッキオ(ヴェッキオ宮殿)内の大会議場の左右の壁面の壁画の競作を考えた。
51歳のレオナルド・ダ・ヴィンチが選んだテーマは「アンギリアの戦い」、27歳のミケランジェロは「カシーナの戦い」を選んだ。
ルネッサンス芸術の最高傑作の一つローマのシスッティーナ礼拝堂の「最後の審判」と共に評価されたかもしれないのであるが、これらは残念ながら幻の名作となった。
レオナルドが技術上の問題で、ミケランジェロは理由不明ながら「投げ出した」のであった。
記録によると、レオナルド・ダ・ヴィンチが選んだテーマは「アンギリアの戦い」に支払額は「22.5フィオリーノ/月 x 作業月数」 と契約されていた。
ミケランジェロの場合には、「カシーナの戦い」に関する記録が現存しないので、かの有名な「ダビデ像」制作の場合の記録が引用されている。これによると「9フィオリーノ/月 x 作業月数 + 報奨金 400フィオリーノ」だった。これを年俸に換算すると、264フィオリーノである。
当時の中流家庭の年収が、100ドュカート程度とあった。それを700万円/年と仮定してみると、当代超一流の芸術家であるミケランジェロは、1800万円程度の年収と仮定できなくもない。
ちなみに、政府の秘書官だったマキャベリの年収は、1350万円程度と仮定できるから、それらを考えると超一流の芸術家を雇うことは、馬上槍試合に一万フィオリーノを散財できるメディチ家にとっては、いとも簡単なことのように思えるのである。
メディチ家などの超巨大財閥にとっては、超一流の芸術家のパトロンになることなど朝飯前だったような気がしている。 彼らにとっては、当時最高の芸術家を雇うことは、至極簡単なことだったような気がしてきた。
現在、これら超一流の芸術家の作品が、骨董価値とはいえ数億・数十億円で取引されるのは、なんとも理解に苦しむのである。
お断り;
正確な貨幣価値を換算するに足るだけの十分な情報がないためであろう、塩野七生氏が文中で「単なる遊びに過ぎない」と断っておられるのは、上記の通貨の換算についてである。
小生は、さらにそれを日本の通貨にまで換算してしまったのである。
間違いなく大変な「出任せ」をしていると思う、それ故絶対的な貨幣価値でなく、相対的な価値と捕らえて、読み流していただきたい。