12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

台風4号

2007年07月15日 06時35分20秒 | Weblog

 この日は、源氏物語の日であった。

 “台風4号がまた高潮を引き起こすか!!

今朝から台風空、ミネルバへパソコン講習にいき、

午後から久しぶりにビデオクラブの例会に参加しようといき込んでいったが、残念なことに台風のためお休み。

帰りに、とんぼ玉クラブのるんるん島の台風対策に行き、
下にある大事なものはほとんど机の上に上げた。

自宅に帰って植木鉢や物干し台などを転倒防止し強風対策を行った。

パソコンに向かって台風情報を検索した.。

今回の台風4号は3年前の台風23号と同じ動きに見える。

しかも宇野港の満潮時間は15日午前0時。
台風が玉野市より南を通ると瀬戸内海の岡山側の潮位は急に上昇。

23号の時がそうであった。 “

「しげ爺のブログ」より、断りもなく、そっくりそのまま転載した。
(お許しいただきたい)

このときは、住宅の裏山が崩れ数名の方が亡くなり、また海岸付近の低地が広範囲に冠水大変な被害が出たのであった。

彼はパソコン教室の講師、朝は、タバコ仲間である、ひとしきり雑談。

パソコンを一度も触ったことがない人が、数名生徒にいるようである。

「超超・・・超 初心者向けコース」を新設する必要がある、との冗談まで出た。 

ビデオクラブの月例会でもあるため、知った顔が続々到着、欠席をする身では、顔を合わせるのが面映い。

3年前の台風23号では、拙宅の一部が損壊、火災保険から保険金を頂く羽目になった。

 午後5時半頃、市の情報として、「暴風・波浪・高潮警報発令の通知」と「災害対策本部の設置および避難場所の開放」の通知が、メールされ、

地区の大型ラウドスピーカも同様のことをを叫んでいた。

今回は前回のように、甚大な被害が起きないように、祈ったのであった。

翌朝5時頃、市の災害対策本部解散の通知メールが届いた。

台風一過となった。
家の周りを見たが、さしたる異常は無かった。

今年初めての赤とんぼが一匹飛んでいた。


沙羅の花

2007年07月14日 05時07分58秒 | Weblog

仏教の聖樹とされ、夏椿とも呼ばれ、季語の一つである。

 「残生は あるがままにと 沙羅の花    増田 治子 」

歳時記の中の小生の好きな句である。

インターネットで見ると次のようなサイトがあった。

“「祇園精舎の鐘の声 諸行無情の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」。

 『平家物語』の一節にうたわれる沙羅双樹の花。
沙羅双樹とは、梅雨の季節に白い椿のような花を咲かせ、雨にうたれて一日で散ってしまう、はかなくも美しい花です。

[妙心寺 東林院]では、樹齢300年と言われる高さ15m、根回り1.5mのふたまたに分かれた沙羅双樹の古木があり、毎年6月には「沙羅の花を愛でる会」が開かれます。

庭園一面にひろがる緑の苔に舞い散る白い花。他ではあまり見る事のできない神秘的な光景です。

 雨に悩む季節ですが、梅雨ならではの貴重な一瞬を楽しみに、足を運んでみてはいかがでしょうか。“

とても京都までは出かけられない。 近郊では、藤戸寺のものが有名である、ここくらいなら、どうにか行くことが出来る。

しかし、沙羅の花といえば、「平家物語」しか思い浮かばないのである。

もっと他に、思うことはないのかと、自問している。 

インターネットより更なる一文をご紹介する。

 ☆ 沙羅双樹 ミニ解説

☆ 平家物語の”祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、・・・” で有名な木は、よく「沙羅双樹」と呼ばれるが、

釈迦(しゃか)が亡くなったときに近くに生えていたことで有名な 「沙羅双樹」とは全く別の熱帯樹のことである。

「沙羅双樹」は日本の風土では育たない。

では、なぜ夏椿がこの「沙羅双樹」に間違われたのか…。

昔、ある僧侶が仏教にゆかりのある沙羅双樹の樹は日本にもきっとあるはず、と山に入っていろいろ探したところ、

夏椿の木を見て 「これが沙羅双樹だ!」と思い込み、それを広めたため、との説がある。

この間違いのため別名「沙羅の木」とも呼ばれる。


蓮情報07-7月

2007年07月13日 06時39分23秒 | Weblog

 昨昨年7月7日の記事に、“国道53号線沿線 「初夏の花」情報”として、  「ねむの花」、「「アジサイ」と「蓮の花」を紹介した。 

  本日は、「蓮の花」について、一言。

道の駅「くめなん」から2~3km東に入った山間部、久米南宮地地区「やすらぎの里」。

この15日日曜日は、「はすの花まつり」、雨天順延で開催予定。 
 台風4号の影響が心配である。

 はす池は六箇所、段段畑のように配置。
 
一番下の段が最大の池。
中央部に屋根付き観察場所あり。
さらに放射状に敷き板も、手に取るように花を観察できる。 

昨年は、“道は狭く運転技量が必要”と書いたが、今年は改善されている。
駐車場も20台から30台近くに拡大されていた。

8月中頃まで楽しめるとのこと。

昨年に比べて、株が全くない部分があった、また、やや花芽の数が少ないように感じた。

小雨にもかかわらず、写真撮影に三々五々人が訪れていた。


浴衣

2007年07月11日 05時15分09秒 | Weblog

七夕の前々日、学校に着くと、学務係りから、
「本日木曜日と明日金曜日は、学生が浴衣で受講しますから、驚かないでください」と注意された。

近くのM大学は、もともと女子大学であったが、近年男女共学に変わった大学である。

おそらく、女子大の頃からの伝統行事として、「七夕浴衣」受講を行なっていたのであろう。
(こちらは徹底していて、女性の講師も浴衣で講義)

M大学の例年の七夕行事を真似て、本校も浴衣受講の日としたいとの、学生の急な申し出で、実施が決まったようである。

機械4年生40名の学生のうち、男子2名が、甚平での受講であった。

 急なことで、学生の意思統一に基づいたものでなかったため、賛同者が少なかったのであった。

来年は、どうするのかなと思った。

どうも、人まねは、あまりよい結果をもたらさないようである。


お久しぶり・あれまあ珍しや

2007年07月10日 07時38分54秒 | Weblog

7月の句会の日、久しぶりにS爺さんに、M生涯学習センターで出会った。

当日、彼はパソコン教室の講師であった。

小生の目の具合を心配してくれたので、土曜塾に行けない訳をひとしきり説明した。

パソコン30分制限では、到底毎日ブログを発行することは不可能のはずだと言う、まだ疑っているようであった。

パソコン教室の生徒さんが続々到着した、さすがに、俳句教室よりひとまわり若い年齢層とお見受けした。 どうも男性の姿が見当たらないようだった。
(男族は、会社で既に習得済みなのであろう)

それから、太極拳の話になった、元気物のS爺さん(小生より若い)が、小生と全く同じ悩みをこぼした。

* 形が覚えられない
* 筋力と持久力の不足

小生だけが、苦しんでいるのではないと、ほっとした。

 続いて、句会の話。

1、句会では、各自五句づつ持ち寄り、それを短冊にして投句する。

 2.筆跡によって誰の句か判らないようにするため、手分けしてランダム配った短冊を投句用紙に書き写す。

 3.その後、投句用紙を回覧して、全ての句を全員で拝見し、自分の気に入った5句を自分の選句用紙に書き写す。

 4.全員の選句用紙が、集められ読み上げられる。

5.自分の句が読み上げられた人は、名前(俳号)を名乗る。

このようにして、句会が進行するのである。

小生は、不思議なことに“Mさん”の句を全五句中、三句も採っていた。

 毎回同じ人の句を採る傾向にあるのは、似たような情緒を持っているためと思っていたが、二句以上採ったことは、この三年余りのなかで稀有のことであった。

珍しいこともあるものである。

先生の句が一番上手なはずで、普通なら、全員が先生の句を採れるようになると、相当なレベルになったと言ってもよいのであろうが、

我々のレベルでは、先生の句を採ることはいまだ稀である。

TV句会などを見ても各人各様、先生以外の句を採っている場合が多いように見受ける。

共感・感動・感銘を受ける事象は、人それぞれなのであろうと思っている。

これからも自分の好きな句を採り続けることであろう。


あとがき;
本日は、「残日録」の日である。
「夢」と題するドラマである。

記憶では、原作中、唯一の濡れ場がある。

いかなことになるのだろうか。

 


合歓(ねむ)見ごろ

2007年07月09日 06時29分23秒 | Weblog

 合歓の花は、R53沿いに幾つか見ることが出来る。

丁度見ごろとなっている。

しかし、国道沿いのため、駐停車に不向きな場所が殆んどである。

 お勧めの一番安全で便利な見物場所は、県の運転免許センターである。
(休憩・飲食・自動販売機・手洗い完備) 正門を入り、左折し一般駐車場を奥に進むと、鮮やかに開花した木が見えるはずである。

これだけを目的で出かけるのでは、あまりに不経済である。
岡山方面に用事があるとき、ちょっと立ち寄るのが、よいであろう。


脚気

2007年07月08日 07時11分16秒 | Weblog

NHK 知るを楽しむ より
「江戸わずらい」と呼ばれた脚気のお話。

 明治時代、ある一人の町の漢方医が、経験的に「麦飯」の効果を発見し脚気の治療法としていた。

明治天皇が脚気を患い、当時の西洋医学の権威者がgive upした天皇の治療を、この医者が麦飯で脚気を治したのだった。

日清・日露戦争当時の兵士の食事は、「白米一日六合」だった。
これでは、殆んどの食事が、白米で占められたということであった。

 貧しい兵士たちにとって、銀シャリは、大変な憧れの食べ物だったという。 国は、麦飯に変更しようとしたようであるが、兵士たちの強硬な反対にあった結果、白米が継続されたと聞く。

日清戦争での死亡者=3000人、
日露戦争での死亡者=28000人という数字は、

戦闘での死亡者数ではない、戦場で発病した脚気患者の死亡者数である。

「白米一日六合」では、副食は、ほんの僅かであったろう。
当然脚気になったであろうことは、容易に想像できた。

 しばらく、西洋医学も東洋医学も、脚気の原因と治療法を確立できなかったが、
明治43年 鈴木梅太郎博士が、ビタミンB1の欠乏が、脚気の原因であることを発見すると、完全な治療法の確立が出来た。

今日の我々の食事は、白米が少なく、副食を相当量摂取しているので、全く脚気の心配はないのであろう。

知ってしまうとなんでもないことなのだが、知らないととんでもないことがおきるのである。

白米のおいしさは、格別である。
これに替わるおいしさは、他の食べ物では得られそうにない。


W盃

2007年07月07日 06時34分51秒 | Weblog

 NHK 「この人」という「金田一秀穂」先生の番組より

「W盃」 や [W不倫] をどう読むかと問いかけられたら、
読者はいかようにお答えになるだろうか?

「W盃」:ワールドカップ

[W不倫]:ダブル 不倫     と読めたら、正解である。

日本語は、「視覚による言語」 であると説明された。

 このような例は他にもたくさん有るような気がする。
特に、広告分野でよく見かけるような気がする。

更に、日常的に悩まされている「誤変換」に目を向けてみる。

ワープロ機能は、先ずひらがな(ローマ字入力とて同じ)だけで文章を書くことである。

そして、多くの誤変換に連日悩まされているのが、現状である。

*「屈折語」: 英語が代表例として例示された。

     I am young.(私は若い)、
    You are young. 、
    He is young.、等のように、

主語に引きずられて、動詞が変化するような言語。

 *「独立語」: 中国語が代表例として例示された。

 英語の場合と異なり、主語がどのように変化しても動詞が全く独立しており、変化しないから、このように分類されているのだそうである。

*「粘着語(ねんちゃくご)」: 日本語は、この分類と説明された。

「かねおくれたのむ」を、WORDで変換してみた。

 変換その1:  金送れ頼む
 変換その2:  金遅れた飲む
 変換その3:  金送れた飲む
 変換その4:  金を呉れ頼む

このように、いろいろな言葉が非常に広範囲に繋がってしまう言語が、日本語だというのである。

それ故、「漢字+カタカナ+ひらかな」 とうまく組み合わせないと、
正確な意味を表現し難くなると言うのである。

更にさらに、句読点については、先生は、定まった説が、いまだ無いようにおっしゃる。

どうすればよいのだろうか、どこのどのように句読点を打つべきや?

 まだまだ句読点は、解決には程遠いようである。


七変化

2007年07月06日 07時21分05秒 | Weblog

 「七変化」とは、紫陽花(アジサイ)をあらわす季語の一つである。

 時の経過につれて、さまざまに色を変えることから、この名前がついたようである。

「 七変化 余生これより 八変化 」

これは、伊賀上野にお住まいの Oさんという女性の句である。

大病後に、復活を慶び、詠まれたと聞く。

多く人は、困難な関門を通過すると、心境変化が著しいようである。

見えないものが見えたり。

感じなかったことが感じられるようになったり、別人の如くなるようである。

困難な関門を経験しなで、別人になる方法はないのかと、紫陽花を見るたび思うのである。


サングラス

2007年07月04日 05時58分44秒 | Weblog

 今年になって、目のことに関心が強くなった。

「光老化」という言葉を聞いた。

よく知られているのは、皮膚のしみであるが、今回は目に焦点を当てることにする。

「 加齢黄斑変性」とは

網膜の中心部は黄斑部とよばれ、ものを見るときに最も大切な部位である。

この黄斑部が加齢にともなって色々な異常をきたした状態を加齢黄斑変性という。

加齢黄斑変性は滲出型と萎縮型に分けられる。

「萎縮型」は徐々に組織が痛んで死んでいくタイプで、長い間に視力が低下していく。

老化現象だから治療法がなく、視力も急には落ちないので、あまり問題にされない。

もう一つの「滲出型」はその名の通り水がにじみ出てきて、黄斑に障害が生じるタイプ。

出血することもある。
脈絡膜新生血管といって、網膜の下の脈絡膜に、正常な血管とは別に、異常な血管ができてくる。

この病気はどのような人に多いか

加齢にともなって起きる病気で、高齢者に多く、特に60歳以上に多くみられる。

男性は女性の約3倍の頻度でみられ、約20%には両眼性に発症。

喫煙者に多いことが報告されている。

たばこはやめるべき  

世界中の多くの調査研究で、たばこが加齢黄斑変性の危険因子であることがわかっている。

しかし15年以上禁煙を続けないと喫煙の悪影響がなくならないと言われるので、今さら間に合わないのである。

サングラスなどで日光から目を守る=これなら簡単直ぐにでも出来る  

強い光、とくに太陽光の中の青い光が網膜に当たると、網膜に有毒物質が溜まりやすくなる。

「サングラス」や「ツバ付きの帽子」で目を守るのは効果的という。

サングラスは、紫外線と青色光をカットするタイプが良い。

これで小生の頭部スタイルは決定した。

 

追記;
紫外線に弱い白人では、失明原因の第一が、この病気である。

日本人の場合には、第四番目の原因である。

失明は恐ろしい!ほぼ寝たきりと同じ状態になってしまうのである。


後添えのこと

2007年07月03日 06時18分10秒 | Weblog

 料理教室で、師範代が、
「後添えを貰わんのか」と聞いた。

「墓の中まで三角関係では、かなわん」と逃げた。

滅多にないのであるが、時たま、この種のことを他人から詮索される。

 本心、どう答えるべきか、いつも困るのである。

 残日録に、小生にとっては、完璧ではないが、この答えになりそうな、ものがあった。

 しかし、他人に口で説明するのは、長すぎて、面倒である。
仕方がないので、ここに書いてみた。

小説より、一文を引用する。

“清左衛門が、ひどい夏風で寝込んだ。

よく気の付く嫁の心利いた看病のおかげで一命を取り留めたと、清左衛門は思っているのだが、

死んだ妻の「喜和」がいたなら、ささやかなわがままもいえただろうという別の感想もあったと思った。

 嫁に対する不満ではない、窮屈さを感じたのであった。“

小生の場合には、たとえ後添えでも、同種の感情を抱くであろうと思えるのである。

常に、心のどこかで、亡妻と後添えを、常に比較してしまうように思えるのである。

これでは、後添えに来た人は、たまったものではないだろう。

 更に、小説では、惣兵衛という「やもめで隠居」という共通項を持つ、幼なじみと会っている。

 “惣兵衛は女を囲ったという。

「べつに女子がほしいとは思わん」と清左衛門が答えれば、

惣兵衛は「・・・老いるのにははやいぞ」ともいう。“

この点では、小生も「・・・老いるのにははやい・・・」方である。

更に更に引用すると、

 “・・・果たして・・・。病気で倒れたとき、あの若い妾が親身に看護してくれるかどうかは疑問だ、と清左衛門は思った”。

この点では、同様の疑問を抱かざるを得ない。

これ等の事は他人事ではない、もう既に、自分の身の上にも、ちゃんと降りかかって来ている。

 しかし、小生のごとき、ごく僅かの資産・財産とさしたるとりえのないありきたりの年金生活者の身では、

心配するほど後添えの話があるわけではない。

気にしてみるだけ、無駄のようである。


お手本

2007年07月02日 05時27分14秒 | Weblog

NHK TV“わくわく授業”より、
尾道市の小学校でF先生が、「書写」の授業をしていたのを見た。

「書写」とは、全く知らない言葉。

 Wikipediaによれば、次のような解説があった。

• 小学校、・・・中等教育学校などで、国語の授業の一部として行われている。

• 書写を習字(「てならい」とも読む)ということがあるが、これは終戦直後までは「習字」が正式な呼び方の時期であったことの名残りであり、正確な呼び方ではない。
(中略)
書写が文字教育であるのに対し、書道は芸術教育であり、両者は全く異なるものである。

 “書写”の詮索はこれくらいにして、本論に入る。

 F先生のユニークな教育方針のうち、次のことが特に印象的であったので、ご紹介する。

 「お手本」は、超一流の先生が、精魂こめて書いたものである。

よって、凡人がまねをしようと試みても、到底こんな立派な字は書けない」とおっしゃる。

 「目からうろこであった」、

俳句の歳時記載っている「例句」、水墨画の「お手本」

これらは、天与の才能と長年の修練で培った超一流の先生のものである。

これをいかに真似ようとも、出来るはずがないのである。

 F先生は、書写の時間中、一人ひとりの児童の授業前の作品と授業後の作品の比較を行い、そのそれぞれの進歩を誉めておられた。

(決して、他の児童との比較はされなかった)

そうなのである、他人と比較してはならないのである、

これこそ、教育の基本であろうと、感じ入った次第である。

趣味の世界もしかり、

自分の進歩にのみ着目し、着実な自己の前進を楽しめばよいのである。

(追記)

太極拳は、中国の超一流美人先生がお手本、またストレッチは、これも長年の研鑽を積んだ先生の模範演技と、

それぞれのDVDを見ているのであるが、参考にするのみで、お手本とはしないことにした。

どう逆立ちしても、名人・上手のようには出来るはずがないのである。

これで随分気が楽になった。

ぼちぼちマイペースで続けよう、といえば聞こえがいいが、結局のところ、得意の“チャランポラン”で行くことになるようだ。

 


ようよう・やっと・もう・はや・さてさて

2007年07月01日 07時41分13秒 | Weblog

 このブログも6月30日で、一周年を迎えた。

ようよう・やっと一周年:よたよたと、ようやく辿り着いた感もある。

 *もう・はや一周年:あっという間に、来たような気もする。

さてさて、これからは:今後何時まで続くやら、とも思っている。

 初年度の最大の問題点は、パソコンの長期不調であった、本質的には機械の不調ではなく、何か良く判らなかったが、ソフト相互間の相性に問題があったようである。

長い休刊にもかかわらず、引き続いて読んでいただいたことに感謝いたします。

日記様のものであるが、ここまで続いてきたのはなぜかと考えてみた。

 ひとえに読者の存在に支えられたのである。
読んでくださる方がいると思うと、“書かねば”“書きたい”と思ったのである。

 知人友人の読者、あるいは全く面識の無い読者、その両方に支えられてきたのである。

読者の無い個人の日記では、今まで同様三日坊主に終わったと思う。

 何の変哲も無い日常の一瞬を切り取ってみると、以外に非日常性があるのに驚かされました。

 写真・俳句・絵・ビデオ・・・いずれも「一瞬の切り取りをする道具」と思っていましたが、ブログも同様のものであると気づきました。

ブログを書くと、直ぐに忘れてしまうのですが、記憶装置の中に文は残っています。

 時々、思い出して、読み返すとありありと書いたときのことが、思い出されます。

ブログ以前のことは、記憶に定かでないことが多いのですが、

ブログ以降は、密度高く思い出すための「鍵」が残りました。

ずいぶんと豊かな人生に変わったように思っています。

これで、一周年記念の記述を終わります。

おそらく、いままでと同様の代わり映えのしない雑文を掲載しますが、引き続きよろしくお願いします。

追記:
お知り合い読者・どこの誰か知らない読者、それぞれの読者の皆様からの祝辞(コメント)をお待ちしています。