東海道五十三次ひとり歩きシリーズ⑯⑰を残暑の残る中、一泊二日のスケジュールで歩いた。
初日9月7日(日)のコースは
「見付宿」→「袋井宿」→「掛川宿」
新大阪発6時8分の新幹線で浜松へ
浜松から東海道線に乗り換えて
前回ゴール、今回スタートの磐田駅へ8時1分、40日ぶりに着く。
1年5ヶ月前に京都三条大橋をスタートして今回が16日目と17日
目、3年計画でお江戸まで33日をかけて歩く東海道五十三次ウォー
クは今回で日数も期間もちょうど中間になる。
袋井宿は京都とお江戸の真中になる27番宿場で、こちらでも今回が
ちょうど「東海道のどまんなか」になり、3ケ年計画全体から見れば
きわめて順調に、予定通りの歩程で進んでいるといってよい。
磐田駅の出札口に行くと向こうから"○○さーん"と自分を呼ぶ声が
かかってきた笑顔の素敵な男性が、こっちをしっかりと見てくださ
っている。
あっ、country walker さんだ!
こちらは初対面だが、自分のことは、ブログの指名手配写真を見られ
ているのですぐわかったのだろう。
country walker さんは地元磐田の方、数日前に「東海道五十三次」が
とりもつご縁、インターネットで声をかけていただいた方だ。
一つ年上だが、なんと東海道を往復されており大先輩。
これから見付宿の入口まで、平成の弥次、喜多コンビだ!
見付宿の入口まで同行案内してくださるということでさっそく、
日曜日の早朝の人影のない磐田市の商店街を仲良くすすむ
ここはジュビロ磐田のホームタウン、通りもジュビロロードだ。
最初に訪ねたのが天平元年(729年)に遠江国府の守護神として建
立された府八幡宮、後の1635年に建立されたという楼門の見事さに
驚いた。
道路の向かい側の遠江国分寺跡へ、741年に聖武天皇の詔によ
って建立されたとか七重の塔の礎石が残っており、国指定の特別史
跡、発掘調査が続いているようだった。
そこから東海道は、大通りから道一筋、住宅街に入り大きくカープ
した道をすすんでいると掃除中の年配のご婦人をみかけたので、よ
せばいいのに、それができなくて声をかけてまた驚いた!
この方、この地に嫁いで70年余、そこが旧東海道であることはもち
ろん、歴史に詳しくてお江戸、増上寺にも縁のある由緒ある家柄の
人だった。おばあさんの話は流暢に続く、品のいい方だった。
矍鑠とした姿に驚いた! 二人目の出会い。
次の交差点が「加茂川」、少し行くと加茂川にかかる「加茂橋」
「加茂橋」を渡るといよいよ見付宿の入口だ
country walker さんとここでお別れ。
いま来たゆるやかな上り道をさっそうと行くcountry walker さん
の後姿をみながら足の運びがとてもスムース、さすがに東海道を
往復した人の歩きは軽くてきれいだなあ・・・と感心した。
きっと、今日、明日の二日間、country walker さんは自分の無事
を思い続けて下さるだろうその思いを大切に歩かせていただこう。
今回は、祈願ウォークだ。
○必死で生と闘っているふるさとの母の延命祈願
○病んでいる家内の平癒祈願と義母への祈願
○江戸の息子の健康祈願
○SNS仲間のSさんの快気祈願
○country walkerさんの快歩祈願
えーと・・・そうそう
○自分自身の健康祈願、商売繁盛・・・
ちょっと欲張り過ぎかな?
あー、忙しくなるぞ。背中のリュックの中にこれだけの人を詰め
込んで歩くんだ。そう思ったら、元気もりもり。
見付宿は道路がすっかり整備されきれいになっており、往時の面
影はないが、表通りから左右に入り込む小路に名前がつけられて
いてそれが、ことごとくお寺に通じている・・・見付はお寺の多
い宿だ。
明治4年に建てられたという現存する洋風の木造建築最古の小学
校舎・国指定史跡の「旧見付小学校」には引きつけられた。
ここまてで、もう、予定時間から大幅に遅れているので急ごう!
と思ったのに、学校前の小さな休憩所で飛脚姿の男性と男女数人
のグループがなにやら話し込んでいる。
また、そばに行って声をかけた。
驚いた、今日、三人目の出会い。
Nさん。国鉄民営化により解雇を受けた人で、その不当性を訴え
てさまざまな活動をしている人のようだ。
今回は、京都から東海道五十三次を飛脚の姿でキャラバンを続け
ているところまわりの人は、この地区の支援仲間と同行する応援
隊とのことだ。
歩くか走るかは別として、同じ五十三次に足跡を残すことは同じ
ということか意気投合して、しばし、談笑。45歳。取り巻きの人
たちも素敵だった。
このNさん、13日が日本橋到着と言っていたから、今日も走って
るはず自分の道を行く人は、信念の人、魂の人だ
主義主張は別として、命を賭けて行動に移している人は好きだ
がんばれ、がんばれ、Nさんの背中の飛脚には夢が入ってるぞ
こっちだって、ランドセルの中には夢が入っているんだ!
脇本陣が見つからない・・・見つからない・・・
おーい、脇本陣、進学教室前、でも教室がない!
中年の夫婦らしい人に聞いた、地図をみてもわからない
進学教室は? と聞くと、あれはなくなった、といって教えてく
れた場所に脇本陣の木板が立ててあった。
奥さんが、地元の人間が教えてあげられなくては申し訳ないと
言って夫婦で地図をみながら一緒にさがしてくれたなんとやさ
しい磐田の人、ありがとう。 四人目のうれしい出会い。
家康が寄進したという鐘楼のある宣光寺、ここに童像が何体か
・・とてもかわゆくて、実は自宅にもあるのだが、童像が大好
きなんだほんまにかわゆい、頭をなでて
”大きくなれよ” ?
坂道上がって見付天神へ、もう、汗汗あせアセ・・・あつい!
真夏並みだ。
予定時間を大幅に過ぎて11時10分、あせる。
小高い愛宕山の阿多古山一里塚がわからなくて二度も上り下り
した石碑の前が工事場になってブルーシートがかけられてそれ
に隠れて見えなかった・・・なんでや!
ここで地図を確認しょうと・・・あれ? 写真入りの地図がな
い、おかしい!
手に持っているファイルの中を全部調べてもない
困ったなあ・・・あいつが一番頼りになるのに。
見付神社までは見ていたので、そこから愛宕山ぐるぐる歩きの
間に落としたに違いない。どうする?
時間に余裕があれば戻るが、暑さで体力の消耗をしたくないし
自分にとって魔の11時になっているのであきらめよう、
現場写真のある地図だから痛手だが、もうひとつ、古いけれど
道路地図がある今日は、これで袋井、掛川を歩こうと決めた。
決めた以上は、これからどんなことがあろうと
あの地図があったらなあ・・・と思わないこと、引きずらない
こと。これも一人歩きの鉄則、決断したら、振り返るな
進めば、道は開ける、気持ちを引きずるのは事故のもと。
ここは、気持ちを切り替える時の応援歌で楽しく行くぞ
鈴が森にきて心拍数が135、おっとやばい、ストップだ
でも、ここは、昔、処刑場だったとか・・・薄気味悪い。
とぼとぼとスローウォーク、5分置きに心拍数を測ること
にする。水分補給も欠かさない。
汗拭こうとしたら、ポケットに入れていたハンカチタオル
がない!
地図を落とす、ハンカチを落とす、気がつかない集中力が
なくなってる・・・
これで「命」を落として、忘れたらどないする?
12時01分、大きな工場がいくつかある交差点にきた
コンビニや食事のできる店がいくつか目に入った。
喫茶店で軽食にしよう。
"たのもう!"
とドアを開けるとわが国の人ではない二人の若い女性が
にっこり笑って迎えてくれた白人さんと南米系か、かた
ことの日本語で、こっちもかたこと日本語で。
期待したご飯系やスパゲッティはなくて・・・よわった
なあたったひとつのハンバーガーがなかなか出てこない
まいった。
その間、気さくなご主人が相手をしてくれた
このあたりはスズキやヤマハなどの本社や工場群があり
そこで働く人たちが大勢いるために、ここに食事処が集
中しているとのこと店に入ってくるのは、外国人ばかり
言葉も日本語はなしそういえば、三河からこちらは、外
国人が多い、多分、南米系なんだろう自分の住んでいる
関西ではあまり見かけないそうか、みんな、工場に働き
にきているんだ。
ジュピロのホームスタジアムが500メートルのところ
にあるそうなので心を動かされたが、コース外の往復1
キロ、暑いので断念。
12時45分、午後のスタート。
しばらくすすむとこんもりとした森が見えてきた、あっ
大日山だ。
上洛を目指す武田信玄と迎え撃つ徳川家康とが闘った大
日堂の古戦場なるほど、小高い戦場跡に立つと、周囲が
見渡せて、敵の動きを探るには格好の場所、なんだか合
戦前の静けさみたいでぞっとした、早く行こう。
ここはまた、鎌倉街道など七つの街道が集まっていた三
ケ野の七つ道で交通の要衝でもあったらしい。
坂道を下りて刈り入れ前の田園をみながら松並木をまっ
すぐにすすむ。
13時を過ぎ、暑さも厳しいとき、この時間帯が自分の
一番気をつけたい赤信号時間帯。
あたりは刈り入れ前の田園、影のない道は容赦なく照り
つける。
太田川手前のシャッターの下りた食道らしき軒先でしば
らく休憩をとる。
少しすすむと太田川にかかる三ケ野橋、このあたりから
1号線を歩くことになったが、騒々しい見どころもない
単調な時間で一番しんどいときだった。
急ぐこともないから、日影になるところがあれば、軒先
でも、路地でも休むしっかりと呼吸を整えて、心拍数を
120以内に戻して、水補給はかかさず一歩一歩しっかりと
着地して歩いた。幸いに足に疲れはない。
もう、掛川市から袋井市に入っているのだろう。
木原の交差点で1号線から左へはいってしばらくすすむ
と木原畷の古戦場後のある許禰神社前へ、ここも武田信
玄と徳川家康の因縁の場だ。
元亀3年(1572)、久野城をせめた信玄はここ木原に陣を
はり、浜松城を守る家康と衝突、木原の戦いのあった場
所だ。13時50分。
神社入り口わきに家康の腰かけ石が残されていた。
しばらくすすみ再び騒々しい1号線に合流、ここにはコン
ビニとかファーストフードとか会社、工場等が混在している。
コーヒー休憩も考えたが、時間を考えるとここで長居をす
ると後に影響してくることが予想されたので、川井交差点
で1号線から右のコースにすすむ。
「東海道まんなか西小学校」まえを通過、中川橋(御幸橋)
のふもとにある53次公園で休憩、このあたりが袋井宿の入
口だったらしい、14時25分になった。
ここから袋井宿に入って行く、ここ袋井は、27番目の宿
場、江戸から、京都から、ちょうど真ん中になるので、や
たらと、東海道のまん中という表示の看板がやたらと目立
つ、こんなに宿場町をPRしてるところがあったかなあ・・・
そして「東海道どまんなか茶屋」へ14時55分到着。
ここは雑誌などでよく紹介されているボランティアのお年
寄りが東海道を歩く人達の憩いの場として設けている店だ。
書物でみたことのある人の顔もある、しばらく話をさせても
らう。
その間、多分東海道歩きの人と思われる人、3人が入ってき
たがすぐに行ってしまった、ここは、来てもすぐ行くそうだ。
自分のようにのんびりと歩いている者は少ないのかなあ・・・
アイスクリームを食べながらしばらく休憩をさせてもらう
長野から車で来たというお年寄りが気持よく写真を撮ってく
れた。
空があやしくなってきた、時々、雷が聞こえてきた
地図を確認していると若い男性がのぞきこんできて、ふたつ
目の角の日産はなくなっているとアドバイスしてくれて
おまけに、そこまで案内をすると言って先導してくれた
わずか100メートルほどだったが、その親切がうれしかった。
もし聞いていなかったら日産を探してうろうろしていたに
違いない。
松並木に入ったとたんに大きな雷とともに猛烈な夕立が襲っ
てきた!
わー、えらいことや!
これにはまいった、逃げ場がない、少し走って行くとラッキー
東海道松並木を説明した小さな屋根つきの立て看板があった
のでそこにくっつくようにして雨をさけるそれでも、リュック
ははみ出て濡れるし足もとも濡れる、困ったなあ。
しばらくすると手や足がかゆくて痛い
まさかと思ったら蚊だ!
どっちが先客かしらないが
自分だけではない、蚊も雨宿りしていたのだ
こいつにはまいった、耳元でぶぶんと脅しにかかる
こちらがどうやら餌の標的になったのだ、かゆい、痛い
仕方なしに屋根の小さな道路側の表に回ってみると
天からの恵み、なんと、女性用の日傘が・・・
神様、仏様、傘様・・・・ありがたい
さっそく借りて、蚊から逃げるためにも雨の中を歩く
こうしてすばらして袋井の松並木も傘をさして歩き続けた
東海道どまん中東小学校の前にある久津部一里塚を過ぎ
日蓮上人の両親の墓がある妙日寺へ寄る
このあたりでやっと雨は小ぶりになった。
袋井の松並木をすすむと赤い大きな鳥居の富士浅間宮赤鳥居
の前に着くここでしばらく休憩をする、16時26分。
原野谷川の同心橋をわたり地下道のある交差点に出る
ここで迷った。
地図では、少しすすんで道路向こう角に駄菓子屋があるという
そのさらに100メートルくらいのところに信号がありそこを渡
るようになっていたのですすむが橋の上に出てしまった。
間違っている、元の地下道まで帰ろう、地下道のよこの信号の
ところで地図を確認していると自転車に乗った男性が、どちら
までと声をかけてきた。
ありがたい、わけを話すと丁寧に教えてくれた。
これからすすむ掛川松並木の保存のボランティアをしいてる
と言っていた。
信号が変わったのでその人の写真が撮れなかったが40代くらいか
その親切がうれしかった。
ここにきて、濡れて、疲れた体は、たとえわずかな迷い道のロス
でも気分的にダメージになる、ありがとう。
夕闇せまる掛川の松並木は管理が行き届いていてとても気持ち
よく歩くことができた。
途中の松にBOXがかけられ記録を書き込めるノートがに入って
いたのであの男性へのお礼を書き込んでおいた、読んでくれる
かなあ・・・。
垂水川を渡り、東名高速道路をくぐり、国道1号線もくぐり、
薄暗くなった東海道を一路掛川市内へすすむ。
大池の交差点、もう、暗い、角にあるらしい大池一里塚をさが
してもみつからない、角の1か所が更地になっているのでそこ
にあったのだろうか。何度も交差点を行ったり来たりしたが、
さすがに諦めた、車はどんどん通過するが人はいなくて聞くこ
ともできなかった。
こういうことが心残り、二度とこないんだから。くやしいが通過。
西掛川駅前を通過、大池橋を渡る・・・18時1分。もう、暗い。
しばらく1号線をすすみ二瀬川交差点を右へ入り九十九首塚に寄
って暗くなった掛川の商店街に入った。
せっかくだから掛川城のライトアップへ行くことにしてコースを
はずれて掛川城へよった。
城はきれいにライトアップされていたが、デジカメでうまく撮れ
なかった。
明日の朝、もう一度来ることにして回り道になったが、掛川駅前
のホテルへ
コンビニで夕食と缶ビールと明日の朝食とおやつを買って
命も落とさず、忘れずに、ホテルに着いたのが18時58分。
あー、疲れた、よく歩いたなあ・・・。
初日 40,736 歩 28.5キロ
初日9月7日(日)のコースは
「見付宿」→「袋井宿」→「掛川宿」
新大阪発6時8分の新幹線で浜松へ
浜松から東海道線に乗り換えて
前回ゴール、今回スタートの磐田駅へ8時1分、40日ぶりに着く。
1年5ヶ月前に京都三条大橋をスタートして今回が16日目と17日
目、3年計画でお江戸まで33日をかけて歩く東海道五十三次ウォー
クは今回で日数も期間もちょうど中間になる。
袋井宿は京都とお江戸の真中になる27番宿場で、こちらでも今回が
ちょうど「東海道のどまんなか」になり、3ケ年計画全体から見れば
きわめて順調に、予定通りの歩程で進んでいるといってよい。
磐田駅の出札口に行くと向こうから"○○さーん"と自分を呼ぶ声が
かかってきた笑顔の素敵な男性が、こっちをしっかりと見てくださ
っている。
あっ、country walker さんだ!
こちらは初対面だが、自分のことは、ブログの指名手配写真を見られ
ているのですぐわかったのだろう。
country walker さんは地元磐田の方、数日前に「東海道五十三次」が
とりもつご縁、インターネットで声をかけていただいた方だ。
一つ年上だが、なんと東海道を往復されており大先輩。
これから見付宿の入口まで、平成の弥次、喜多コンビだ!
見付宿の入口まで同行案内してくださるということでさっそく、
日曜日の早朝の人影のない磐田市の商店街を仲良くすすむ
ここはジュビロ磐田のホームタウン、通りもジュビロロードだ。
最初に訪ねたのが天平元年(729年)に遠江国府の守護神として建
立された府八幡宮、後の1635年に建立されたという楼門の見事さに
驚いた。
道路の向かい側の遠江国分寺跡へ、741年に聖武天皇の詔によ
って建立されたとか七重の塔の礎石が残っており、国指定の特別史
跡、発掘調査が続いているようだった。
そこから東海道は、大通りから道一筋、住宅街に入り大きくカープ
した道をすすんでいると掃除中の年配のご婦人をみかけたので、よ
せばいいのに、それができなくて声をかけてまた驚いた!
この方、この地に嫁いで70年余、そこが旧東海道であることはもち
ろん、歴史に詳しくてお江戸、増上寺にも縁のある由緒ある家柄の
人だった。おばあさんの話は流暢に続く、品のいい方だった。
矍鑠とした姿に驚いた! 二人目の出会い。
次の交差点が「加茂川」、少し行くと加茂川にかかる「加茂橋」
「加茂橋」を渡るといよいよ見付宿の入口だ
country walker さんとここでお別れ。
いま来たゆるやかな上り道をさっそうと行くcountry walker さん
の後姿をみながら足の運びがとてもスムース、さすがに東海道を
往復した人の歩きは軽くてきれいだなあ・・・と感心した。
きっと、今日、明日の二日間、country walker さんは自分の無事
を思い続けて下さるだろうその思いを大切に歩かせていただこう。
今回は、祈願ウォークだ。
○必死で生と闘っているふるさとの母の延命祈願
○病んでいる家内の平癒祈願と義母への祈願
○江戸の息子の健康祈願
○SNS仲間のSさんの快気祈願
○country walkerさんの快歩祈願
えーと・・・そうそう
○自分自身の健康祈願、商売繁盛・・・
ちょっと欲張り過ぎかな?
あー、忙しくなるぞ。背中のリュックの中にこれだけの人を詰め
込んで歩くんだ。そう思ったら、元気もりもり。
見付宿は道路がすっかり整備されきれいになっており、往時の面
影はないが、表通りから左右に入り込む小路に名前がつけられて
いてそれが、ことごとくお寺に通じている・・・見付はお寺の多
い宿だ。
明治4年に建てられたという現存する洋風の木造建築最古の小学
校舎・国指定史跡の「旧見付小学校」には引きつけられた。
ここまてで、もう、予定時間から大幅に遅れているので急ごう!
と思ったのに、学校前の小さな休憩所で飛脚姿の男性と男女数人
のグループがなにやら話し込んでいる。
また、そばに行って声をかけた。
驚いた、今日、三人目の出会い。
Nさん。国鉄民営化により解雇を受けた人で、その不当性を訴え
てさまざまな活動をしている人のようだ。
今回は、京都から東海道五十三次を飛脚の姿でキャラバンを続け
ているところまわりの人は、この地区の支援仲間と同行する応援
隊とのことだ。
歩くか走るかは別として、同じ五十三次に足跡を残すことは同じ
ということか意気投合して、しばし、談笑。45歳。取り巻きの人
たちも素敵だった。
このNさん、13日が日本橋到着と言っていたから、今日も走って
るはず自分の道を行く人は、信念の人、魂の人だ
主義主張は別として、命を賭けて行動に移している人は好きだ
がんばれ、がんばれ、Nさんの背中の飛脚には夢が入ってるぞ
こっちだって、ランドセルの中には夢が入っているんだ!
脇本陣が見つからない・・・見つからない・・・
おーい、脇本陣、進学教室前、でも教室がない!
中年の夫婦らしい人に聞いた、地図をみてもわからない
進学教室は? と聞くと、あれはなくなった、といって教えてく
れた場所に脇本陣の木板が立ててあった。
奥さんが、地元の人間が教えてあげられなくては申し訳ないと
言って夫婦で地図をみながら一緒にさがしてくれたなんとやさ
しい磐田の人、ありがとう。 四人目のうれしい出会い。
家康が寄進したという鐘楼のある宣光寺、ここに童像が何体か
・・とてもかわゆくて、実は自宅にもあるのだが、童像が大好
きなんだほんまにかわゆい、頭をなでて
”大きくなれよ” ?
坂道上がって見付天神へ、もう、汗汗あせアセ・・・あつい!
真夏並みだ。
予定時間を大幅に過ぎて11時10分、あせる。
小高い愛宕山の阿多古山一里塚がわからなくて二度も上り下り
した石碑の前が工事場になってブルーシートがかけられてそれ
に隠れて見えなかった・・・なんでや!
ここで地図を確認しょうと・・・あれ? 写真入りの地図がな
い、おかしい!
手に持っているファイルの中を全部調べてもない
困ったなあ・・・あいつが一番頼りになるのに。
見付神社までは見ていたので、そこから愛宕山ぐるぐる歩きの
間に落としたに違いない。どうする?
時間に余裕があれば戻るが、暑さで体力の消耗をしたくないし
自分にとって魔の11時になっているのであきらめよう、
現場写真のある地図だから痛手だが、もうひとつ、古いけれど
道路地図がある今日は、これで袋井、掛川を歩こうと決めた。
決めた以上は、これからどんなことがあろうと
あの地図があったらなあ・・・と思わないこと、引きずらない
こと。これも一人歩きの鉄則、決断したら、振り返るな
進めば、道は開ける、気持ちを引きずるのは事故のもと。
ここは、気持ちを切り替える時の応援歌で楽しく行くぞ
鈴が森にきて心拍数が135、おっとやばい、ストップだ
でも、ここは、昔、処刑場だったとか・・・薄気味悪い。
とぼとぼとスローウォーク、5分置きに心拍数を測ること
にする。水分補給も欠かさない。
汗拭こうとしたら、ポケットに入れていたハンカチタオル
がない!
地図を落とす、ハンカチを落とす、気がつかない集中力が
なくなってる・・・
これで「命」を落として、忘れたらどないする?
12時01分、大きな工場がいくつかある交差点にきた
コンビニや食事のできる店がいくつか目に入った。
喫茶店で軽食にしよう。
"たのもう!"
とドアを開けるとわが国の人ではない二人の若い女性が
にっこり笑って迎えてくれた白人さんと南米系か、かた
ことの日本語で、こっちもかたこと日本語で。
期待したご飯系やスパゲッティはなくて・・・よわった
なあたったひとつのハンバーガーがなかなか出てこない
まいった。
その間、気さくなご主人が相手をしてくれた
このあたりはスズキやヤマハなどの本社や工場群があり
そこで働く人たちが大勢いるために、ここに食事処が集
中しているとのこと店に入ってくるのは、外国人ばかり
言葉も日本語はなしそういえば、三河からこちらは、外
国人が多い、多分、南米系なんだろう自分の住んでいる
関西ではあまり見かけないそうか、みんな、工場に働き
にきているんだ。
ジュピロのホームスタジアムが500メートルのところ
にあるそうなので心を動かされたが、コース外の往復1
キロ、暑いので断念。
12時45分、午後のスタート。
しばらくすすむとこんもりとした森が見えてきた、あっ
大日山だ。
上洛を目指す武田信玄と迎え撃つ徳川家康とが闘った大
日堂の古戦場なるほど、小高い戦場跡に立つと、周囲が
見渡せて、敵の動きを探るには格好の場所、なんだか合
戦前の静けさみたいでぞっとした、早く行こう。
ここはまた、鎌倉街道など七つの街道が集まっていた三
ケ野の七つ道で交通の要衝でもあったらしい。
坂道を下りて刈り入れ前の田園をみながら松並木をまっ
すぐにすすむ。
13時を過ぎ、暑さも厳しいとき、この時間帯が自分の
一番気をつけたい赤信号時間帯。
あたりは刈り入れ前の田園、影のない道は容赦なく照り
つける。
太田川手前のシャッターの下りた食道らしき軒先でしば
らく休憩をとる。
少しすすむと太田川にかかる三ケ野橋、このあたりから
1号線を歩くことになったが、騒々しい見どころもない
単調な時間で一番しんどいときだった。
急ぐこともないから、日影になるところがあれば、軒先
でも、路地でも休むしっかりと呼吸を整えて、心拍数を
120以内に戻して、水補給はかかさず一歩一歩しっかりと
着地して歩いた。幸いに足に疲れはない。
もう、掛川市から袋井市に入っているのだろう。
木原の交差点で1号線から左へはいってしばらくすすむ
と木原畷の古戦場後のある許禰神社前へ、ここも武田信
玄と徳川家康の因縁の場だ。
元亀3年(1572)、久野城をせめた信玄はここ木原に陣を
はり、浜松城を守る家康と衝突、木原の戦いのあった場
所だ。13時50分。
神社入り口わきに家康の腰かけ石が残されていた。
しばらくすすみ再び騒々しい1号線に合流、ここにはコン
ビニとかファーストフードとか会社、工場等が混在している。
コーヒー休憩も考えたが、時間を考えるとここで長居をす
ると後に影響してくることが予想されたので、川井交差点
で1号線から右のコースにすすむ。
「東海道まんなか西小学校」まえを通過、中川橋(御幸橋)
のふもとにある53次公園で休憩、このあたりが袋井宿の入
口だったらしい、14時25分になった。
ここから袋井宿に入って行く、ここ袋井は、27番目の宿
場、江戸から、京都から、ちょうど真ん中になるので、や
たらと、東海道のまん中という表示の看板がやたらと目立
つ、こんなに宿場町をPRしてるところがあったかなあ・・・
そして「東海道どまんなか茶屋」へ14時55分到着。
ここは雑誌などでよく紹介されているボランティアのお年
寄りが東海道を歩く人達の憩いの場として設けている店だ。
書物でみたことのある人の顔もある、しばらく話をさせても
らう。
その間、多分東海道歩きの人と思われる人、3人が入ってき
たがすぐに行ってしまった、ここは、来てもすぐ行くそうだ。
自分のようにのんびりと歩いている者は少ないのかなあ・・・
アイスクリームを食べながらしばらく休憩をさせてもらう
長野から車で来たというお年寄りが気持よく写真を撮ってく
れた。
空があやしくなってきた、時々、雷が聞こえてきた
地図を確認していると若い男性がのぞきこんできて、ふたつ
目の角の日産はなくなっているとアドバイスしてくれて
おまけに、そこまで案内をすると言って先導してくれた
わずか100メートルほどだったが、その親切がうれしかった。
もし聞いていなかったら日産を探してうろうろしていたに
違いない。
松並木に入ったとたんに大きな雷とともに猛烈な夕立が襲っ
てきた!
わー、えらいことや!
これにはまいった、逃げ場がない、少し走って行くとラッキー
東海道松並木を説明した小さな屋根つきの立て看板があった
のでそこにくっつくようにして雨をさけるそれでも、リュック
ははみ出て濡れるし足もとも濡れる、困ったなあ。
しばらくすると手や足がかゆくて痛い
まさかと思ったら蚊だ!
どっちが先客かしらないが
自分だけではない、蚊も雨宿りしていたのだ
こいつにはまいった、耳元でぶぶんと脅しにかかる
こちらがどうやら餌の標的になったのだ、かゆい、痛い
仕方なしに屋根の小さな道路側の表に回ってみると
天からの恵み、なんと、女性用の日傘が・・・
神様、仏様、傘様・・・・ありがたい
さっそく借りて、蚊から逃げるためにも雨の中を歩く
こうしてすばらして袋井の松並木も傘をさして歩き続けた
東海道どまん中東小学校の前にある久津部一里塚を過ぎ
日蓮上人の両親の墓がある妙日寺へ寄る
このあたりでやっと雨は小ぶりになった。
袋井の松並木をすすむと赤い大きな鳥居の富士浅間宮赤鳥居
の前に着くここでしばらく休憩をする、16時26分。
原野谷川の同心橋をわたり地下道のある交差点に出る
ここで迷った。
地図では、少しすすんで道路向こう角に駄菓子屋があるという
そのさらに100メートルくらいのところに信号がありそこを渡
るようになっていたのですすむが橋の上に出てしまった。
間違っている、元の地下道まで帰ろう、地下道のよこの信号の
ところで地図を確認していると自転車に乗った男性が、どちら
までと声をかけてきた。
ありがたい、わけを話すと丁寧に教えてくれた。
これからすすむ掛川松並木の保存のボランティアをしいてる
と言っていた。
信号が変わったのでその人の写真が撮れなかったが40代くらいか
その親切がうれしかった。
ここにきて、濡れて、疲れた体は、たとえわずかな迷い道のロス
でも気分的にダメージになる、ありがとう。
夕闇せまる掛川の松並木は管理が行き届いていてとても気持ち
よく歩くことができた。
途中の松にBOXがかけられ記録を書き込めるノートがに入って
いたのであの男性へのお礼を書き込んでおいた、読んでくれる
かなあ・・・。
垂水川を渡り、東名高速道路をくぐり、国道1号線もくぐり、
薄暗くなった東海道を一路掛川市内へすすむ。
大池の交差点、もう、暗い、角にあるらしい大池一里塚をさが
してもみつからない、角の1か所が更地になっているのでそこ
にあったのだろうか。何度も交差点を行ったり来たりしたが、
さすがに諦めた、車はどんどん通過するが人はいなくて聞くこ
ともできなかった。
こういうことが心残り、二度とこないんだから。くやしいが通過。
西掛川駅前を通過、大池橋を渡る・・・18時1分。もう、暗い。
しばらく1号線をすすみ二瀬川交差点を右へ入り九十九首塚に寄
って暗くなった掛川の商店街に入った。
せっかくだから掛川城のライトアップへ行くことにしてコースを
はずれて掛川城へよった。
城はきれいにライトアップされていたが、デジカメでうまく撮れ
なかった。
明日の朝、もう一度来ることにして回り道になったが、掛川駅前
のホテルへ
コンビニで夕食と缶ビールと明日の朝食とおやつを買って
命も落とさず、忘れずに、ホテルに着いたのが18時58分。
あー、疲れた、よく歩いたなあ・・・。
初日 40,736 歩 28.5キロ