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広島市内文化ゾーンを親子ウォーク。

2008-09-29 23:22:12 | ウォーキング
27-28日、ふるさと広島に滞在して。

母の見舞いとカープの試合を観戦した翌日は
広島市内の文化ゾーンを親子ウォーキング。

9時にホテルを出て息子が希望した比治山へ
電車沿いに歩いて行く。


広島にはいたるところに原爆慰霊碑がある


そして折り鶴をみかけるのも広島だ。


いつか原爆慰霊碑めぐりウォークをしたいと思いつつ
実現していないが必ずやりたい、それも暑い夏に。

比治山神社に寄って急な坂道を上り比冶山の頂上へ

ここには漫画図書館と市立現代美術館があるがパス
市内が一望できる展望台へ行く、ここは三年ぶり
百万都市広島の発展をみるにつけ
被爆当時だれも想像しなかっただろう
七十年は草木も生えないといわれたのだから・・

すぐ近くにあるかまぼこ型の放射能影響研究所・・・多分
日本に一つしかない施設だと思う。
自分が広島にいた頃は、ABCCと言っていたと記憶している。


山を一気に下って比冶山下へ、そこからいったん広島駅へ出て
朝食と昼食兼の広島のお好み焼きを食べる、なにしろ人気のお好み焼き。

腹ごしらえをして広島の名園「縮景園」へ
県立美術館、世界平和祈念聖堂をまわり
折り鶴少女でおなじみの佐々木禎子さんの母校
広島市幟町中学校にある折り鶴の碑を訪ねる。


縮景園は、広島藩主浅野長晟が別邸として作ったもの


池の中に大小10の島があり
まん中には橋がかけられている回遊式庭園で実にきれいな庭園だ。


市内の真ん中にありながら静かで落ち着いた広い
この庭園に外国人もたくさん訪れていた。

そこから護国神社へまわって広島城へ
広島城は、毛利輝元が天正17年(1589)年に築城にかかり
福島正則が整備し完成させた。以後、浅野長晟に始まり
浅野家が明治2年の版籍奉還までの250年、12代に渡り
藩主を勤めた。


・広島カープの名前の由来・

広島城は別名を「鯉城」といわれている。城のあたり一帯が
己斐裏と呼ばれ、己斐の音が鯉に通じることから呼ばれるよ
うになったと伝えられている。
広島カープは、この鯉(carp)に因んで名づけられた。

広島城は原爆で天守閣わはじめ城内の建物を焼失した
現在の天守閣は昭和33年に復元されたもの。
城内にも原爆の足あとがいたるところに・・・
被爆の木・・手厚く保護されている原爆の証言樹木だ。


ここから原爆投下の第一報が・・・中国軍管区司令部地下通信室
ここは地下室になっていて被爆を免れた学徒動員の比冶山女学生が
軍事専用電話を使って原爆の第一報を伝えた。


現在はこのようになっている。


復元された二の丸・御門橋と表御門。


最後は、再び広島市民球場前まで歩いた
すでに市民球場での最終戦は行われていたが
球場周辺は名残を惜しむように記念撮影をする人や
グッズを求める人たちがたくさんいた。



そこから路面電車で広島駅へ


3時過ぎの新幹線で広島を後にして息子は新大阪で途中下車
家内と三人で新大阪駅で食事をした。
あわただしい二日間だったが親子で楽しい時間を過ごすことができた。

さようなら広島市民球場、思い出の球場。

2008-09-29 20:34:57 | カープ
続き
2008年9月27日18時から始まるカープ-スワローズ戦の観戦

広島市民球場の閉幕を控えた前日の試合の指定券を息子が
確保してくれたので安心して球場へ

正面の電車通りから見なれた球場の最後の姿をみて


球場横にある日本シリーズ優勝3回、リーグ優勝6回の
モニュメントへ、カープ黄金時代のことが蘇る


市民球場は昭和32年、ナイター設備をもった
球場として完成した、高校二年生のときだった

それまでカープが使っていた県営球場(総合グランドと
言っていた)はナイター設備がない上に市内でも足場の
悪いところだった。
広電の古江という駅から歩いて渡し船で川を渡って行っ
ていたことを覚えている。

セリーグ発足時にチームも設立
被爆都市広島の復興の希望の象徴としての使命をもって
広島の財界と市民、県民の寄付によって設立した
広島カープだったが、とにかく弱かった。

父親に連れられて県営球場によく行ったが
いつも負けてばかりで父がよくこぼしていた
そのころから、もちろん、カープ。

親会社の名前をつけたチームと同じ環境にあったら
何度もつぶれたチームだが、親のいないチームであったことが
このチームを救ってきた。皮肉だ。

経営不振になり選手の給料が遅配になる
球場前には大きな酒樽が用意されそこに市民が
募金を賽銭のようにに投げ込むことで支えたきた。

父が小銭入れから小銭を入れていたことも覚えている。
あの頃は、まだ、小学生だった。

すっかり有名になったカープの酒樽募金は
今度の新球場建設でも行われたと聞く。

こうして地域に密着し愛され熱烈なファンに支えられて
今日まで、都市名をはずすことなく、市民球団として
また、地方球団の先駆者として存続してきた
広島カープを誇りに思う。

FAでチームの主力選手を同じリーグのチームに獲られても
相手チーム憎さよりも、自前で選手を育てながら
健気に戦う選手とそういうチームのファンであることを
晴れがましくさえ思う。


久しぶりのスタンドに足を踏み入れて
おーやっぱりふるさとの球場はいいなあ・・・
子供から年寄りまで赤、赤、赤・・試合開始前からスタンドが燃えている。


試合は、ルイスの好投でカープの勝ち
最初から最後までカープファン独特の応援はすさまじくて楽しい
自分も知らない応援の仕方や歌に戸惑いながら
勝って最高のプレゼントをしてくれた。


息子とさっそく祝勝会をすることにして
繁華街の鹿児島料理の専門店へ
ここで九州の友人Yさんから聞いていた「きびなごの刺身」
とビールで乾杯。



あとは、鹿児島の焼酎とおいしい料理で
夜の広島を親子は楽しく過ごした。


いま、来年のシーズンから新しいカープのホームになる球場建設が
すすんでいる、新幹線からもみえるように工夫されていると聞く。
左右の外野スタンドまでの距離も違うという大リーグのグランドに
近い球場のようだ。また、ふるさとに楽しみが増える。

県外にいる県人にとってカープはふるさとだ。がんばれカープ。