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大和三山と藤原宮跡めぐりウォーク。

2009-10-04 23:18:52 | ウォーキング
快晴の10月最初の日曜日は奈良へ古代ロマンシウォークリーズ、先々週の飛鳥に続いて1300年前に都のあった藤原宮跡と大和三山を訪ねるウオーキングに出かけた。

このコースは6年ぶり、9時59分に近鉄橿原神宮前駅を下車。駅西口からまっすぐすすむと橿原神宮の玄関、一宮鳥居が迎えてくれる。


玉砂利を踏んで表参道を歩いて行くと大和三山の一つ、畝傍山のふもと橿原神宮の外拝殿の前に出る。


日本書紀に神武天皇が橿原神宮で即位したという記述がある橿原神宮は、初代神武天皇を祭神としている。畝傍山を後ろにした外拝殿の美しさ、そして、外拝殿の後ろに続く内拝殿も深い森にかこまれてたたずむ社殿は何度訪れてもすばらしい景観で、訪れたことのある神社ではずば抜けて美しいと思っている。佳き日だったのか、三組の婚礼カップルを見かけて、こっそりおっかけカメラマンをした。


参拝を済ませて北神門を出て畝傍山へ通ずる小道を頂上をめざして登っていく。畝傍山は、199メートルで大和三山では一番高い、地元の人のウォーキングコースになっているのか次々との登ってくる人がいるのに驚いた。頂上には、30人くらいの人で座るところもないくらい、景色を楽しんだあと、登ってきた道と逆の急坂を降りてみることにした。こちらは初めて、暗い急な下り道を一気に下りた。



橿原考古学研究所前を通り次の目的地本薬師寺跡へ古い街並みをすすむ。
神社ではない、近鉄御陵駅


本薬師寺跡でのお楽しみはホテイアオイの花を見ることだったが、期待通り薄紫のホテイアオイが本薬師寺周辺一帯に咲いていた。


本薬師寺跡は、奈良・西の京にある薬師寺の前身寺院跡で平城宮遷都に伴って移転、金堂や塔の敷石がいまも残っている。


ホテイアオイに囲まれたクヌギの木陰で弁当にしょうと近づいたらロープが張ってあってハチに注意と書かれている。近くで農作業していたおばあさんに聞いてみたら、今日はハチをみかけないが、見てあげるといって腰のまがったおばあさん、クヌギの周辺をぐるり一回り(多分20メートルはある)して、ハチはいないから、ここで食べなさいと場所まで指定してくれた。クヌギの木の思い出話までしてくれたおばあさん、ありがとう。昨年亡くなった母のことが思い出された。ウオーキングはこういう出会いがあるから楽しい。ただし、こちらから声がけしないと出会いにはならないけれど・・・。


昼食を済ませて次の目的地、大和三山の二番目、天香久山へ向かう。快晴で気温も上昇して、暑い。日蔭のない道をすすむ。藤原宮雀大路跡へ寄り道した。ここまで藤原宮の中心になる通りが続いていたのだと思うと藤原宮の広大さに驚いた。大極殿跡は、このあと訪ねるがはるか北にあるからだ。そこからまっすぐに朱雀大路はここまでのびていたのだろう。


写真を撮っていると車が近付いて止まった。おばさん運転手さんが、五条まで行く道を教えてほしいという。五条の家に戻るのに道に迷ったという。手持ちの本から地図で現在地と五条との位置関係を示して、知っているという橿原神宮前までの道とチェックポイントを紙に書いて渡した。何度もお礼を言ってくれたが、ほんまに大丈夫かいな、あのおばちゃん。私は地元の人間でも奈良県人でもないんやで、しっかりしてや!

田園風景の広がる道を進むと正面になだらかな天香久山が見えてきた。山というより丘といったほうがいいかもしれない。


登る前に香久山の麓にあるみるく工房に寄った。ここにお楽しみがあって搾りたての牛乳で作ったソフトクリームを食べること、以前来た時においしかったのを覚えているのでさっそく買った。店内は、おばさん客でいっぱい、外の小さなベンチに行くとご婦人がズボンにくっついた・・・名前は忘れたが・・・草の実のようなものを取っていたので、もててますね!と声をかけたら・・・はい、おかげさんで!と返してきて、まあ、こちらへどうぞ!とリュックを下において座り場所を提供してくれた。おおさかのおばちゃんに違いない?次に何か言おうかと思ったが、この人には勝てないと思っておとなしくアイスクリームを食べて失礼した。


152メートルの香久山に登るのは初めてだったが簡単に登れた。頂上に国常立神社があり、そこから畝傍山がよく見えた。


横に長い山を縦走するように北側へ下ると天香山神社があり、鳥居のそばには、柿本人麻呂の歌碑があった

 「ひさかたの天の香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも」


ここまで順調にきたが、次の藤原宮跡までのコースで道を迷ってカンカン照りの田んぼ道をうろうろしてしまった。地図を確認しないで頭の中にある地図でショートカットしたつもりが、行きどまり道に入ったり、おまけにK久山小学校の運動会に遭遇して、しばし外野席(フェンスの外)から観戦して40分ロス・・・一人だから気楽なものだけど。

それでも、左手に香久山、右にこれから行く耳成山、正面に畝傍山を見ながら、刈り入れ前のたわわに実った銀色に輝く稲穂の続く道を藤原宮跡へのウォーキングは、ほんとうに楽しくて、気持ちよくて、古代ロマンの里から命を力をもらった気分でちっとも苦痛ではなかった。

香久山


耳成山


畝傍山


やっとなつかしい藤原宮の広大な跡地の古い石碑の前に着いた、松の木立に囲まれたこんもりとした小高い一角が大極殿跡といわれている。ここには、「持統天皇文武天皇藤原京跡」の石碑が立っている。



先々週に訪ねた飛鳥で1400年前に大化の改新が起こり古代日本の形がつくられ始めた後、その飛鳥から694年に持統天皇によって藤原宮へ遷都された。その後710年に平城宮へ遷都されるまでのわずか13年間の都だった藤原宮だが、中国・唐の都長安をモデルに日本初の碁盤の目の街路を作るなど都として栄えた。大宝元年(701)大宝律令が制定されるなど日本が国として新たな制度を確立した都でもあった。いまも発掘調査がすすめられているが、広大な土地にはまだ見ぬ藤原宮の秘密が眠っているのだろう。大極殿跡に立ち、広大でのどかな風景を見渡して、しばし1300年前のロマンに思いを馳せた。

持統天皇の詠んだ碑が池の傍に立っていた。

 「春過ぎて夏来るらし白妙の衣ほしたり天の香久山」


そこから最後の耳成山へ向かう。近鉄の踏切を越えて・・・耳成山はまもなく・・



距離的にはさほどなく三番目の耳成山のふもとへ着いた。139メートルの耳成山へ登るのも初めて、登り口で三人組のおばさんグループが立ち止まって地図をさかんに眺めていたが、その横を通って登り始めたら、三人組さんもついてくるように登ってきた。


頂上の耳成山口神社に参拝して休憩していると、後から来た三人組さんは、こちらに下り道を確かめるとさっさと下りて行った。ほんまに元気な人たちや!


山をぐるり一周するようにして下山し、時間があったので、近くの近鉄耳成駅からひとつ大阪寄りの八木駅まで、しっかりウオーキングして16時15分に着いた。
大和三山と藤原京跡めぐりウォークは、のんびりゆっくりと古代ロマンの里を楽しく歩くことができ、ホテイアオイも観賞できて大満足だった。ロマンウォークの続き、歴史と電車の駅の順番から山の辺の道になるかな、シリーズにすると楽しみは続く。