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大阪ウォークと御堂筋kappoに行ってきた。

2009-10-11 23:15:03 | ウォーキング
お天気がよかったので予定していた大阪ウォークの二日目に参加した。

今年から始まった「水都大阪2009」のイベントの一環だろうと思うが、大阪市が中心となって始めた都市型のウォーキングで

 「水と歴史の都・大阪ウォーク」

距離も行先も違う4コースから、「戦国武将の夢のあと・大阪歴史ウォーク」を歩くことにした。


大勢の参加者と天王寺公園からゴールの大阪城公園西の丸公園を目指してスタート。

スタートしてすぐ市立美術館隣の庭園が見事な慶沢園を通る、ここから左手通天閣を見ながら小高い茶臼山のほとりへ。


この茶臼山は、大阪冬の陣では徳川家康の本陣がおかれ、夏の陣では真田幸村が布陣したところ。


逢坂に出てすぐ、安居神社へ。
ここには、真田幸村戦死跡之碑があり、慶長20年(1615)5月7日に徳川家康に決戦をいどみ破れたところ、社会見学なのか小学生のグループに先生らしき人が説明をしていた。



ここから天王寺七坂につながる上町大地を大阪城へ向かう。

愛染さんの前を通り文学ロードをすすむ、谷町のお寺さんの続く道を大勢のウォーカーと長い列になってすすんでいると


あっ、前の男女二人のリュックにつけたゼッケンに「埼玉県・・市」と書かれているのて声をかけてみた。
苗字が同じなので夫婦だろうが、このウォークのために一昨日に来阪、きのうは別のコースを歩いたという、へぇー、遠くからよく来られましたねと感心、じはらく言葉を交わして失礼した。

生国魂神社を横切り、千日通りから高津神社を素通りする。



このコースは何度も歩いているところなので別に目新しいものはなにもないが、前を行く人の背中のゼッケンに書かれたことからいろいろなことが想像できて楽しい。
ウォーキングではおなじみの「ゼッケン」は背中の名刺、会話のきっかけになるのでいつも遠くの人には話かけるようにしている。これも会話訓練だ。

空堀商店街を通り熊野街道を横切り、玉造の三光神社近くの公園がチェックポイントになっていたので、ここの木陰で休憩しているとあとから来たグループの言葉が聞きなれない・・・ゼッケンをみると「茨城県」、思わず声をかけた。

車で来たという男女6人グループで賑やかな人たちだったので、せっかくだからコースでは寄らない三光神社内にある真田幸村像と幸村の抜け穴跡へ案内した。


来月、長野県上田の真田幸村ウォークにも参加するそうで案内したことを大変喜んでくれた。一歩近づいて一声は一期一会をつくってくれる。


玉造神社へよって驚いた、ここの鳥居は上の部分だけで、柱がわずかにあるだけで立っている、大人の背丈だけの鳥居は、阪神大震災で倒れて残った部分だそうだ。


玉造神社は伊勢参りの伊勢街道の起点らしい。伊勢街道・・・とうとう決心した。
この神社も冬の陣、夏の陣でも焼失し、再建されている。


さらにすすむと細川ガラシャ夫人とキリシタン大名の高山右近像がある玉造聖マリア大聖堂前へ、ひとり中へ寄り道して美しい二人の像を眺めていた。


すぐ近くの細川越中守忠興の屋敷跡に残っている井戸(越中井)へ寄る、ガラシャ夫人は忠興の妻だが、忠興が関ヶ原の戦いで徳川方につき、上杉攻めに参加したために、石田三成は、大坂に残った大名の妻子を人質にしょうとした。
ガラシア夫人(玉子)は命に従わず、キリシタンのため自殺できず、家臣に胸を突かせて亡くなったという関ヶ原合戦の残した悲話となった人だ。


さらに進むと中央大通りに出て渡ると大阪城公園に入る、ここからもゴールまでは1500メートル、大阪城公園は広い。



ゴールの大阪城内西の丸公園はすでにゴールした人が食事したり、数々のイベントを楽しんでいた。弁当を用意していなかったので、たくさん出店していた各地の名物から珍しい秋田県横手の焼きそばを食べた、なかなかおいしかった。



別のコースに参加していたわがウォーキング倶楽部の三人ともゴール地点で会えてお互いに健闘をたたえあった。


会場を出て難波宮跡へ寄った。



メンバーとわかれて、そこからひとりで御堂筋で行われている「御堂筋kapp」に行くために谷町、堺筋、本町の順で会場までウォーキング、歩行者天国になってさまざまなイベントの行われていた御堂筋を2キロ、思いきり楽しんで戻ってきた。