昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

こんなお気楽もいいなあ・・・。

2008-09-14 18:51:15 | 健康
急ぎの仕事の連絡が発生したので8時に仕事場へでかけた
それを終え来週にマネージメントをしているウォーキング倶楽部
の月例会の下見とストレス解消に淀川の川上りにでかけた

ご近所さんの水道記念館は何度訪れても楽しい
淀川水系に棲む魚たちと対面しているとあきないのだ

ここで大阪市水道局が作っている「ほんまや」という飲料水を自販機で
買って飲んでみた。おいしいのにピンクはよくないなあ・・・


淀川の堤防ウオーキングは何年も行っているマイウォーキング
コースだがここの楽しみはなんといっても橋めぐり

淀川にかかる橋を渡りながら歩くのでそのたびに右岸を歩い
たり左岸を歩いたり、橋の上から眺める下流の大阪市内風景
上流に広がる景色や橋を眺めるのも楽しい


橋といえば、なんといっても貨物列車と人が共用している赤川
鉄橋、ウオーキングコースはここから上流に向けて始まる


淀川堤防ウォークのもう一つの楽しみは
河川敷で行われている少年野球やサッカーを堤防の斜面に
腰をおろして見ることだ
小学生低学年と思われる子供が一人前のユニフォーム姿で
プレーをしているのもなんともかわゆい。

見学はほどほどに、時間と距離と最寄の電車の駅を確認し
予定の15キロコースはできた。


帰りの電車でなにげなく手を触って驚いた
両手がざらざらしている、よく見ると白い粉のよう
なめてみると塩からい、まったく木陰のない堤防を歩き
続けて汗が乾き塩になっていたのだ

3時過ぎに仕事場に戻り、缶ビールをのんで
横になっていたら寝込んだらしい
気がつたら5時半になっていた

歩いたあとのピール、昼寝、こんなこともたまにはいい。



背負っているものが違うから・・・

2008-09-14 00:32:24 | ひとりごと
一昨夜のタイガース-カープ戦は0-4でカープが勝利
とくにホームランを打った喜田選手とはつらつプレーで
頑張っている赤松選手について

タイガースではファーム暮らしを続けていた二人が
あれだけ活躍をするのは「なぜ」かと記者が野球評論家の
A氏に聞いたところ

”背負っているものが違うから”と答えたという

つまり優勝を宿命づけられているチームにいると
プレッシャーが大きくてのびのびとプレーはできないということ
を言っているのだろう

そのAさんも、フリーエージェントでタイガースに入りながら
たいした活躍をしないままに引退してしまった

自分の経験からそう思うのも理解はできる

地方球団や弱症球団から強いチームに異動した選手が
”こんなにお客さんのいるところで野球ができて幸せ”
だから頑張れるという話もよく聞く

”背負っているものが違うから”

要は、その人間の考え方だろう

しかし、その考え方が、プレーに出てくるし
仕事や生活や大きく言えば、生き方そのものに出てくるように思う

おとなしいと言われる日本の選手にもオリンピックで
応援席のファンに拍手を求めた女子選手がいた

つまり観客を味方にし、声援を背に受けてプレーの力に
しょうというのだ

A氏の考えを批判するつもりも、間違いというつもりもない
人間は、どちらかの傾向を持っている

自分はいったい、どちらなんだろう

その自分とうまく出会っていれば、それを自分の
プレースタイル、生き方のスタイルにすればいい
と自分は思う。


イベントのその後、「出会い」

2008-09-13 21:13:07 | チャレンジ
9月1日で書いたイベントのその後

日曜日の老舗デパートで20坪を自由に使って

 コンセプトは「出会い」

その第三回目の企画会議を開催した

メンバーの経営する天神橋商店街にある寿司屋の二階の一角に
このイベントを運営する8名の企画会議メンバーが集まった

今回は、自分の提案が全面的に支持されて
その方向で進めているが
形ある出会いなら誰でも理解できても
今回の出会いは「形のないもの」との出会いをイベントとして
すすめるのでメンバーへの徹底を図るために
再度、その説明を求められた

出会いと言えば「人」との出会いをだれでもあげる

われわれの会も600名ほどの会員がいるが
そこで得た人との出会いは何物にも替え難い宝物
会のすばらしさを言うときに皆それを言う

しかし、人との出会いをイベントで行うことは
よくやることで何もわれわれがわざわざする必要もないし
デパートでそんなことをしても相手にされないだろう

今回提案し、決定したことは

 「自分との出会い」だ

それをある有名なゲストを迎えて、ある方法で
楽しく、真剣にやろうというのだ 

その中身の詳細は、当日まで公開できない

ヒントは、「自分の何と出会うか」

また、来週末、打ち合わせがある。


昨夜は、他の集まりのメンバーから顔出しを依頼されて
大阪の夜の出会いウォークにはつかれた。


「命輝く・・・」ブログが取り上げられて

2008-09-10 23:39:44 | 輝いて生きる

中高年を対象にしたあるインターネット情報サイトで、毎日、5-6人の
ホームページが取り上げられているが、そこでこのブログが以下の通
り紹介されていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて
生きていこう! 僕は68歳のランドセル少年です!!

昨年ご紹介したブログ。タイトルを変更された。「命輝かせて・・・」
じつに良い言葉である。まだごらんになっていない方、ぜひご一読を。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

文中にも書かれているが、実は、このブログを始めた頃にも紹介をし
ていただいたことがある。

「・・・・命輝かせて生きていこう」というくだりがよかったのだろ
うと思うが、その後、変更して、また、最近元に戻したら、このよう
に紹介された。
この言葉を大事にしたいと思う。
うれしい紹介記事に勇気がわいた。

しかし、大事なことは、日々の自分が輝いているかどうかだ・・・。


東海道五十三次ウォーキング⑰掛川宿→日坂宿→金谷宿

2008-09-10 12:14:32 | 東海道五十三次
東海道五十三次ひとり歩きシリーズ⑰一泊二日の二日目。

二日目9月8日(月)のコースは
 「掛川宿」→「日坂宿」(掛川市)→「金谷宿」(島田市)

朝、宿泊ホテルで5時に起床、資料で今日のコースの確認を行う、コ
ースのイメージをしっかりと叩き込む、特にポイント毎の到達時間の
設定は、歩程管理に大事なことなので地図に記入しておく。

デジカメのバッテリーと携帯電話の充電をチェック、病んでいる家内
のことが心配なので携帯電話を入れる。
準備に手間取り8時15分に掛川駅前のホテルを出る。

コースに入る前に、まず掛川城へ向かう。
山内一豊が城主であったときに建立した天守閣は、平成6年に日本
で初めてという木造によって復元されたばかり、快晴の秋空に見事
にそびえて、実に美しい。城もたくさん見てきたが、規模は別とし
て、天に高く向う姿はお見事。


しばらく城内を見物して、その一豊が整備したかっての城下町をす
すむ。

掛川も宿場の面影はほとんど残っておらず、わずかに新町七曲りが
その形を残している程度。その七曲りに行くにはガソリンスタンド
が最初の曲がり角と資料にはあるが、ない、まだ、先なのか、行っ
てもない、仕方なしに路地に入ると運よく掃除中のご婦人がいたの
で尋ねたら、やはり行き過ぎていた、あのガソリンスタンドはなく
なっているという。

今日も最初からツキがない!と思ったら、そのご婦人が、路地の角
まで連れてくれてこと細かく教えてくれてツイテた!しかし、50メ
ートルくらいは東海道を通っていないことになるかなあ、愛想のい
い掛川の奥さん、ありがとう。
道は女性に聞くなというけれど、そんなことはないぞ! 逆や。

新町七曲りから葛川一里塚をめざして歩いていると、背が低くて
、幹が白くて、ちいさな実をたくさんつけている街路樹が珍しくて
たまたま、庭先の花の手入れをしていたご婦人に声をかけて聞いて
みたら「モチ」の木とのこと。
それで失礼すればいいものをこのおっさん、花をほめたばかりに、
さあ、大変、そのご婦人の話術に取り込まれてしまった。

子供さんのこと、亭主どののこと、自分のこと、同窓会でのこと
、化粧のこと、青春18切符の旅行のこと・・・拝聴して、住所
メモを交換してようやく放してもらった。


おじさんが、あの有名なお茶メーカーのロゴ文字を書いた人と言
っていたのでそれなりの家柄なのだろう、70歳と言っていたが、
自分より年下とばかりと思っていたので驚いた。
とても明るくて、さわやかで、気持ちのいいご婦人だった。相手
をして遊んでくれてありがとう。


さらに少し行くと向いに「もちや」というきれいな作りの店が見
えたのでなにげなくのぞいてみた。
いちじく4個300円、おっ安い!買った、店の奥さんに聞くと
この店は、掛川名物の「振袖餅」の店だという。それなら、それ
も買った・・・大福もちみたいかなあ・・・3個入り。

買ったのはいいけど、ずっと持って歩くつもりか・・・リュック
の中はすでに満員なのに。
朝、食べなかったパンに夕べコンビニで今日のために買ったおや
つと非常食用の餡ドーナツ10個入り袋、ホテルでもらったパン
も入っている。重い!
すぐ向かいの葛川一里塚で早い休憩、さっそく餅といちじく一個
を食べたが、当分は背中が重いぞ、ほんまにあほなおっさんや!


馬喰橋をわたり旧道をすすむ、成滝というところで1号線に合流。
ここからしばらく交通量の激しい1号線にそってどんどんすすむ
、今日も暑い。
しばらくすると左手にわずか茶畑が見えてきた。そうだ、今日は
、にっぽんの茶畑を歩くんだ!

本所のわかれ道の歩道橋の下で休憩、いちじく2個目。
まだ熟しておらずおいしくない。
食べれば中身はへるが皮を捨てるところがなくてそれも再び荷物
に。あー計算外。
しばらくすすみ再び1号線へ。諏訪神社前で向こうからきた男女
二人に、また、声をかけた。

“東海道を歩かれているのですか”? 
とても愛想のいい二人ずれ、夫婦なんだろう、気さくに話にのっ
てくれた。関東の人なんだろう、歯切れのいい話し方が好きだ。

二人とも、前にリュックをかけ、さすがに東海道を歩く人は、工
夫しているなあ・・・
姿形から、相当に歩ける人とみた。
今日は、自分の歩くコースとまったく逆を歩くという。朝の出発
時間も同じでこの場所に来ている。
おどろいた。自分はまだ全体の三分の一、その二人はすでに三分
の二を歩いている。
“お茶畑がきれいですよ”と言ってわかれた奥さんの笑顔がとて
も清々しくて素敵だった。ありがとう、お二人さん、お元気で!


去っていく二人の歩きの早さは、自分の比ではない。
すごいなあ・・・あの人たちから見れば、自分はどんなに映って
いるのやろ・・・?

伊達方一里塚を過ぎ、八坂で再び一号線へ、昼時間で自分の危険
時間帯だ、快晴で暑い。

やっと昼前の目標、「事任八幡神社」が見えてきた。
大同2年(802年)に坂上田村麻呂が興したと伝えられ、願いが
「事のまま叶う」ということで
評判になり参拝者が多いそうだ。樹齢1000年といわれるクスノキ
の巨木がそびえ立っている。この神社は、枕草子にも記述がある
らしい。


ここは、東海道五十三次の応援コミュニティをつくってくれた友
のSさんが体調を崩して休養しているのでその快癒祈願のお守り
を「快癒の願いが叶う」ことを願ってほしかったので、一番寄っ
てみたいと決めていた神社だ。

お参りする前に神社横で地図の確認をしながらいちじく三個目と
餅を食べているとご婦人が声をかけてきた。・・・なんだか今日
は婦人デーみたい。


この八幡神社が有名な神社であること、これから行く日坂峠から
金谷までのめぼしいところの説明を熱心にしてくれ、おまけに宮
司さん亡き後の神社を取り仕切っているという社務所の奥さんの
ところへ案内して紹介してくれた。

ここで奥さんからまたいろいろ話を聞かされた。大阪に縁のある
人でびっくりした。結局、ここを発つ時点で予定時間をほぼ1時
間もオーバー。12時40分。
このペースではもしかしたらと思っていた島田までは無理だろう、
やっぱり金谷ゴールになるだろう・・・と。
予定の帰りの電車は決めている、島田駅なら17時16分、金谷
駅は17時21分。
これから日坂宿へ向かう、どんな出会いがあるやら・・・

事任八幡宮から1号線を横断して左の日坂宿へ通ずる道へ入る。
集落へ入り少し進むと左に入る道の角に若宮神社の小さな鳥居
と秋葉常夜燈を発見、撮影して元の道へ戻ればいいのに、疑いも
せず、確認もせず、そのまま神社前を行ってしまった。

左右に大きくカーブする道がつづき田園風景が広がる。小学校前
を通過するが・・おかしいなあ、これは宿場の雰囲気ではない、
日坂宿へは坂道を上がると聞いていたが、平地だ。
だれか聞く人はいないかと歩き続けるが、人影はまったくない。
もう、間違っていると確信。
自分の持っている地図は、東海道の道しか書いてないので、他の
道を入ってしまうと、その道は書かれていないので現在地の確認
ができなくてどうしょうもないのだ。

道端で思案しているとき、車が走ってきたので、厚かましくも止
めて聞いてみた。
“すみません、道に迷ったらしくて困っています、・・・”と言
って、地図も見せて聞いてみたが土地の人ではなくてわからない
という。
仕方なしにあの神社まで戻ろうとしたら、30歳くらいの車の男
性が、そこまで送りましょうと、わざわざ運んでくれた。助かった!
距離にして1.5キロくらいか、無駄な歩きと時間を使ってしまっ
た。・・・今回の失敗その3。

その車の人の写真を撮らせてもらおうとしたらデジカメのカード
がいっぱい、カードを入れ替える時間がないので一枚削除して撮
ろうとした、その操作をあわてたために、大変なミスをしてしまう。
きっと変なところをさわったのだろう、設定が変更になったらしく
て、それに気がつかなくて以降の貴重な写真の数々が全てピンボケ。
・・・失敗その4

横道に入り込まずにそのまますすんでおれば、小さな上りを50
メートルほど行くと、そこは日坂宿。考えられないミスをしてし
まった。
坂道で6人ほどのウォーキンググループに出会ったが、こちらの
会釈にも無視するがごとく無愛想に行ってしまった。

日坂宿は、五十三宿の中では三つ目に小さい宿場だったそうだが
ここには当時の雰囲気が残っており興味深く歩いた。旅籠屋川坂
屋跡、萬屋、趣のある建物が残っている。
街道の各家には、昔の屋号の木札もかかっていて当時を偲びなが
ら歩くことができた。


ここでも・・・失敗-その5
元幼稚園跡前にある本陣跡で小雨が降ってきたので休憩をしてい
ると、また、二人ずれの男女がやってきた。13時30分になっ
ていた。
お互いにあいさつを交わして、また、質問形式で話しかけた。
びっくりした、けさ、茨城県の霞ヶ浦の近くから東京経由で金谷
まできて11時にスタートしてここまできたという。
この二人、夫婦、夏休みに入って江戸から歩き始めたそうだ。
ついこの間じゃないか!ということは、来月あたりは京都にゴー
ルだ。いや、まいった、まいった。

ここで終わっておればよかったのに、また、このおセッカイおっ
さんが言うた。
“写真を撮りましょうか、お送りしますから・・・”
と言うと、とても喜んで二人並んでくれたので二枚ほど撮った。
住所まで書いてもらったが、撮った写真は結局ピンボケ、おまけ
に自分も撮ってもらったつもりだが、写真は撮れていなかった。
奥さんが、何度もお礼を言って、これからは坂が大変だから気を
つけてくださいと、と言ってわかれた。
とても純朴で感じのいい二人、いいなあ、定年退職をして歩き始
めたのだろうが、先ほどの二人と言い、普段から歩いていないと
とてもこの長い東海道を夫婦で同じ歩きはできないはずだから、
きっと日頃から仲良く歩いているのだろう・・・いいなあ。
しばらく後ろ姿を見送っていた・・・お気をつけて!


日坂宿からいよいよきつい上り道が続く、なるほど、これはきつい!


13時48分、急な坂道をほぼ上りきってから、こんどはアップ
ダウンが続く。

それに午後の太陽が照りつける。汗が噴き出してタオルはふる操業。
しばらくすすむと左右に茶畑が広がってきた。
あっ、きたきた、これが、本場静岡の茶畑だ。
道の両側の斜面は茶畑が続く、すばらしい景色だ。


一番暑い時間帯で日影もない道はきつく、日坂で買った水も残り
少なくなり節制非常宣言。
夜泣き石、芭蕉句碑、妊婦の墓、涼み松広場、馬頭観世音前をも
くもくと歩き続ける。
小さな白山神社の木陰でしばらく休憩。14時8分。
日坂を越えて坂を上りはじめて35分ほどなのに、ずいぶんと時間
が経過したと思ったがこの程度か・・・さらにアップダウンが延
々と続く。小夜鹿一里塚跡で休憩。14時24分。
ここで四つ目のいちじくと餅を食べる。水がほしい。
昼食のパンもおやつのドーナツもリュックの中で納まって背負っ
ているだけ。

少しすすむと、店の案内図が見えた、しめた、そこで休憩して水
を買おう・・
急いで店の前に行くとシャッターが下りている!
休日だ、あー残念!休日だ、あー残念!二連発、思い切り大きな
声で言ったが、閉まっている店には聞こえていないなあ。
くそっ、月曜だからか、もう月曜の東海道歩きはやめた、がっか
りした。

気を取り直してすすむと久延寺の前に着いた。
久延寺は、掛川城主の山内一豊が、関ヶ原合戦に向かう徳川家康
を接待するために、境内に茶室を設けたと伝えられている寺で、
家康手植えの五葉松や芭蕉の句碑。


また、寺の向かいの小夜の中山公園には、西行法師の歌碑や接待
茶屋跡があった。

ここから、今度は下り、猛烈な急降下、一気に茶畑を下り続ける
これもきつい、ひざに負担がこないように、ソフトにソフトに着
地して、踏ん張りすぎないように、あわてないように下って行っ
た。ここは青木坂というらしい。下りるのもきつかったが、上っ
てくるのはもっとしんどいぞ。


下りきったところが菊川の四郡の辻、かっては、ここが日坂と金
谷との間の宿の菊川だ。
菊川に降りた時点で無理して島田へ行くことはやめておこうと決
めた。決めた要因の一つは、デジカメのバッテリーがとても持ち
そうになかったことがある。
デジカメが使えなければ記録の写真を撮ることができない。

菊川の集落をしばらく行くと菊川坂の入口につく、疲れを感じた
ので心拍数の確認をしたら140、菊川坂は、石畳の上りが続く
ので10分ほど休憩をする。


距離にして600メートルほどの石畳だが、あまり人が通らない
からなのだろう、草が生え放題で歩きにくい。もう少しと思うと
ころで一匹の蜂がやってきて、ぐるぐる前を飛ぶ。

よそ者は通さんぞと言うているのか、通行手形を見せろと言うて
いるのか、あまりにひつこいので少しバックして様子をみて、ま
た、その場所に行くとやっぱりぶんぶん、脅してくる。
もしかして、大軍になってやってきて襲われたら逃げるところが
ないと思うと怖くなった。
恐怖からか、心拍数140を超えっぱなし。
おまけに止まっていると蚊が容赦なく刺してくる。これにはまい
った。

ウォーキング協会の友人の姫さんから、蜂は黒い服に反応するの
で着ないようにと言われていたのを思い出したが、着替えの白い
シャツ着ようにも、その間に蚊にやられたら大変。
意を決して突入することにして・・・石畳をすべりそうになりな
がら50メートルほど、走るようにして上がった。上りきったと
ころでラッキー、ログハウスの素敵なコーヒーハウスが見えたの
で、そこに入って休憩をさせてもらうことにした。


店の奥さんが気さくに話しかけてきていろいろなパンフレットを
くれた。たぶん、この店、東海道歩きの人が寄る店なんだろう。
島田行きを中止して金谷止まりにしたので、コーヒーハウスでゆ
っくり休憩をさせてもらってすぐ近くの諏訪原城跡をぐるり一周
して最後の金谷の石畳を下りて行った。

楽しみにしていた金谷の石畳だったが、雨が降った後で、石がぬ
れていて何度も転びかけ、とても楽しむどころではなかった。す
べらぬ地蔵というのがあったが、とんでもない・・・


かってこの金谷は、江戸から京をめざす人には、大井川を渡りほ
っとする間もない旅の難所だったそうな。

今日、午後の日坂からここ金谷までは、平坦な道はなく、高度差
のあるアップダウンの道できつかった。京都からここまでで、一
番きつかったかもしれない。
石畳みを降りてJR金谷駅はすぐ近くにあったので予定していた帰
路のJRには、余裕をもって乗ることができた。


今回の二日間は、楽しい出会いの連続だった。失敗もあった。
怖い目にもあったし、くらくらする場面もあった。
暑さも真夏と変わりなくて決して楽な歩きではなかった。
でも、地元の人々には今回も親切にしてもらった。
旅は、お互いにやさしくなれるのかなあ・・・

帰路 青春18きっぷ
金谷駅17:21発→浜松乗り換え→豊橋乗り換え→金山乗り換え→
米原乗り換え→新大阪22:54着→仕事場へ→地下鉄終電で自宅へ
二日間 50.5キロ 前回の二日間とほぼ同じ。よく歩いた。
足にさほどの疲れもなくいい歩きができたのかなあと感謝している。

東海道五十三次ウォーキング⑯見付宿-袋井宿→掛川宿

2008-09-09 23:26:50 | 東海道五十三次
東海道五十三次ひとり歩きシリーズ⑯⑰を残暑の残る中、一泊二日のスケジュールで歩いた。

初日9月7日(日)のコースは
 「見付宿」→「袋井宿」→「掛川宿」  

新大阪発6時8分の新幹線で浜松へ


浜松から東海道線に乗り換えて
前回ゴール、今回スタートの磐田駅へ8時1分、40日ぶりに着く。

1年5ヶ月前に京都三条大橋をスタートして今回が16日目と17日
目、3年計画でお江戸まで33日をかけて歩く東海道五十三次ウォー
クは今回で日数も期間もちょうど中間になる。

袋井宿は京都とお江戸の真中になる27番宿場で、こちらでも今回が
ちょうど「東海道のどまんなか」になり、3ケ年計画全体から見れば
きわめて順調に、予定通りの歩程で進んでいるといってよい。

磐田駅の出札口に行くと向こうから"○○さーん"と自分を呼ぶ声が
かかってきた笑顔の素敵な男性が、こっちをしっかりと見てくださ
っている。

あっ、country walker さんだ!

こちらは初対面だが、自分のことは、ブログの指名手配写真を見られ
ているのですぐわかったのだろう。

country walker さんは地元磐田の方、数日前に「東海道五十三次」が
とりもつご縁、インターネットで声をかけていただいた方だ。

一つ年上だが、なんと東海道を往復されており大先輩。
これから見付宿の入口まで、平成の弥次、喜多コンビだ!


見付宿の入口まで同行案内してくださるということでさっそく、
日曜日の早朝の人影のない磐田市の商店街を仲良くすすむ
ここはジュビロ磐田のホームタウン、通りもジュビロロードだ。

最初に訪ねたのが天平元年(729年)に遠江国府の守護神として建
立された府八幡宮、後の1635年に建立されたという楼門の見事さに
驚いた。


道路の向かい側の遠江国分寺跡へ、741年に聖武天皇の詔によ
って建立されたとか七重の塔の礎石が残っており、国指定の特別史
跡、発掘調査が続いているようだった。

そこから東海道は、大通りから道一筋、住宅街に入り大きくカープ
した道をすすんでいると掃除中の年配のご婦人をみかけたので、よ
せばいいのに、それができなくて声をかけてまた驚いた!

この方、この地に嫁いで70年余、そこが旧東海道であることはもち
ろん、歴史に詳しくてお江戸、増上寺にも縁のある由緒ある家柄の
人だった。おばあさんの話は流暢に続く、品のいい方だった。

矍鑠とした姿に驚いた! 二人目の出会い。

次の交差点が「加茂川」、少し行くと加茂川にかかる「加茂橋」
「加茂橋」を渡るといよいよ見付宿の入口だ
country walker さんとここでお別れ。

いま来たゆるやかな上り道をさっそうと行くcountry walker さん
の後姿をみながら足の運びがとてもスムース、さすがに東海道を
往復した人の歩きは軽くてきれいだなあ・・・と感心した。

きっと、今日、明日の二日間、country walker さんは自分の無事
を思い続けて下さるだろうその思いを大切に歩かせていただこう。

今回は、祈願ウォークだ。

 ○必死で生と闘っているふるさとの母の延命祈願
 ○病んでいる家内の平癒祈願と義母への祈願
 ○江戸の息子の健康祈願
 ○SNS仲間のSさんの快気祈願
 ○country walkerさんの快歩祈願
  えーと・・・そうそう
 ○自分自身の健康祈願、商売繁盛・・・
 ちょっと欲張り過ぎかな?

あー、忙しくなるぞ。背中のリュックの中にこれだけの人を詰め
込んで歩くんだ。そう思ったら、元気もりもり。

見付宿は道路がすっかり整備されきれいになっており、往時の面
影はないが、表通りから左右に入り込む小路に名前がつけられて
いてそれが、ことごとくお寺に通じている・・・見付はお寺の多
い宿だ。

明治4年に建てられたという現存する洋風の木造建築最古の小学
校舎・国指定史跡の「旧見付小学校」には引きつけられた。


ここまてで、もう、予定時間から大幅に遅れているので急ごう!
と思ったのに、学校前の小さな休憩所で飛脚姿の男性と男女数人
のグループがなにやら話し込んでいる。
また、そばに行って声をかけた。

驚いた、今日、三人目の出会い。
Nさん。国鉄民営化により解雇を受けた人で、その不当性を訴え
てさまざまな活動をしている人のようだ。

今回は、京都から東海道五十三次を飛脚の姿でキャラバンを続け
ているところまわりの人は、この地区の支援仲間と同行する応援
隊とのことだ。


歩くか走るかは別として、同じ五十三次に足跡を残すことは同じ
ということか意気投合して、しばし、談笑。45歳。取り巻きの人
たちも素敵だった。

このNさん、13日が日本橋到着と言っていたから、今日も走って
るはず自分の道を行く人は、信念の人、魂の人だ
主義主張は別として、命を賭けて行動に移している人は好きだ
がんばれ、がんばれ、Nさんの背中の飛脚には夢が入ってるぞ
こっちだって、ランドセルの中には夢が入っているんだ!

脇本陣が見つからない・・・見つからない・・・
おーい、脇本陣、進学教室前、でも教室がない!

中年の夫婦らしい人に聞いた、地図をみてもわからない
進学教室は? と聞くと、あれはなくなった、といって教えてく
れた場所に脇本陣の木板が立ててあった。
奥さんが、地元の人間が教えてあげられなくては申し訳ないと
言って夫婦で地図をみながら一緒にさがしてくれたなんとやさ
しい磐田の人、ありがとう。 四人目のうれしい出会い。

家康が寄進したという鐘楼のある宣光寺、ここに童像が何体か
・・とてもかわゆくて、実は自宅にもあるのだが、童像が大好
きなんだほんまにかわゆい、頭をなでて
”大きくなれよ” ?

坂道上がって見付天神へ、もう、汗汗あせアセ・・・あつい!
真夏並みだ。


予定時間を大幅に過ぎて11時10分、あせる。
小高い愛宕山の阿多古山一里塚がわからなくて二度も上り下り
した石碑の前が工事場になってブルーシートがかけられてそれ
に隠れて見えなかった・・・なんでや!

ここで地図を確認しょうと・・・あれ? 写真入りの地図がな
い、おかしい!
手に持っているファイルの中を全部調べてもない

困ったなあ・・・あいつが一番頼りになるのに。

見付神社までは見ていたので、そこから愛宕山ぐるぐる歩きの
間に落としたに違いない。どうする?

時間に余裕があれば戻るが、暑さで体力の消耗をしたくないし
自分にとって魔の11時になっているのであきらめよう、
現場写真のある地図だから痛手だが、もうひとつ、古いけれど
道路地図がある今日は、これで袋井、掛川を歩こうと決めた。

決めた以上は、これからどんなことがあろうと

あの地図があったらなあ・・・と思わないこと、引きずらない
こと。これも一人歩きの鉄則、決断したら、振り返るな
進めば、道は開ける、気持ちを引きずるのは事故のもと。

ここは、気持ちを切り替える時の応援歌で楽しく行くぞ

鈴が森にきて心拍数が135、おっとやばい、ストップだ
でも、ここは、昔、処刑場だったとか・・・薄気味悪い。

とぼとぼとスローウォーク、5分置きに心拍数を測ること
にする。水分補給も欠かさない。

汗拭こうとしたら、ポケットに入れていたハンカチタオル
がない! 

地図を落とす、ハンカチを落とす、気がつかない集中力が
なくなってる・・・

これで「命」を落として、忘れたらどないする?

12時01分、大きな工場がいくつかある交差点にきた
コンビニや食事のできる店がいくつか目に入った。

喫茶店で軽食にしよう。

"たのもう!" 

とドアを開けるとわが国の人ではない二人の若い女性が
にっこり笑って迎えてくれた白人さんと南米系か、かた
ことの日本語で、こっちもかたこと日本語で。
期待したご飯系やスパゲッティはなくて・・・よわった
なあたったひとつのハンバーガーがなかなか出てこない
まいった。

その間、気さくなご主人が相手をしてくれた
このあたりはスズキやヤマハなどの本社や工場群があり
そこで働く人たちが大勢いるために、ここに食事処が集
中しているとのこと店に入ってくるのは、外国人ばかり
言葉も日本語はなしそういえば、三河からこちらは、外
国人が多い、多分、南米系なんだろう自分の住んでいる
関西ではあまり見かけないそうか、みんな、工場に働き
にきているんだ。

ジュピロのホームスタジアムが500メートルのところ
にあるそうなので心を動かされたが、コース外の往復1
キロ、暑いので断念。

12時45分、午後のスタート。
しばらくすすむとこんもりとした森が見えてきた、あっ
大日山だ。
上洛を目指す武田信玄と迎え撃つ徳川家康とが闘った大
日堂の古戦場なるほど、小高い戦場跡に立つと、周囲が
見渡せて、敵の動きを探るには格好の場所、なんだか合
戦前の静けさみたいでぞっとした、早く行こう。


ここはまた、鎌倉街道など七つの街道が集まっていた三
ケ野の七つ道で交通の要衝でもあったらしい。

坂道を下りて刈り入れ前の田園をみながら松並木をまっ
すぐにすすむ。

13時を過ぎ、暑さも厳しいとき、この時間帯が自分の
一番気をつけたい赤信号時間帯。
あたりは刈り入れ前の田園、影のない道は容赦なく照り
つける。
太田川手前のシャッターの下りた食道らしき軒先でしば
らく休憩をとる。


少しすすむと太田川にかかる三ケ野橋、このあたりから
1号線を歩くことになったが、騒々しい見どころもない
単調な時間で一番しんどいときだった。

急ぐこともないから、日影になるところがあれば、軒先
でも、路地でも休むしっかりと呼吸を整えて、心拍数を
120以内に戻して、水補給はかかさず一歩一歩しっかりと
着地して歩いた。幸いに足に疲れはない。

もう、掛川市から袋井市に入っているのだろう。

木原の交差点で1号線から左へはいってしばらくすすむ
と木原畷の古戦場後のある許禰神社前へ、ここも武田信
玄と徳川家康の因縁の場だ。


元亀3年(1572)、久野城をせめた信玄はここ木原に陣を
はり、浜松城を守る家康と衝突、木原の戦いのあった場
所だ。13時50分。
神社入り口わきに家康の腰かけ石が残されていた。

しばらくすすみ再び騒々しい1号線に合流、ここにはコン
ビニとかファーストフードとか会社、工場等が混在している。

コーヒー休憩も考えたが、時間を考えるとここで長居をす
ると後に影響してくることが予想されたので、川井交差点
で1号線から右のコースにすすむ。

「東海道まんなか西小学校」まえを通過、中川橋(御幸橋)
のふもとにある53次公園で休憩、このあたりが袋井宿の入
口だったらしい、14時25分になった。


ここから袋井宿に入って行く、ここ袋井は、27番目の宿
場、江戸から、京都から、ちょうど真ん中になるので、や
たらと、東海道のまん中という表示の看板がやたらと目立
つ、こんなに宿場町をPRしてるところがあったかなあ・・・

そして「東海道どまんなか茶屋」へ14時55分到着。


ここは雑誌などでよく紹介されているボランティアのお年
寄りが東海道を歩く人達の憩いの場として設けている店だ。

書物でみたことのある人の顔もある、しばらく話をさせても
らう。

その間、多分東海道歩きの人と思われる人、3人が入ってき
たがすぐに行ってしまった、ここは、来てもすぐ行くそうだ。

自分のようにのんびりと歩いている者は少ないのかなあ・・・

アイスクリームを食べながらしばらく休憩をさせてもらう
長野から車で来たというお年寄りが気持よく写真を撮ってく
れた。


空があやしくなってきた、時々、雷が聞こえてきた

地図を確認していると若い男性がのぞきこんできて、ふたつ
目の角の日産はなくなっているとアドバイスしてくれて
おまけに、そこまで案内をすると言って先導してくれた
わずか100メートルほどだったが、その親切がうれしかった。

もし聞いていなかったら日産を探してうろうろしていたに
違いない。

松並木に入ったとたんに大きな雷とともに猛烈な夕立が襲っ
てきた!

わー、えらいことや!

これにはまいった、逃げ場がない、少し走って行くとラッキー
東海道松並木を説明した小さな屋根つきの立て看板があった
のでそこにくっつくようにして雨をさけるそれでも、リュック
ははみ出て濡れるし足もとも濡れる、困ったなあ。


しばらくすると手や足がかゆくて痛い
まさかと思ったら蚊だ!
どっちが先客かしらないが
自分だけではない、蚊も雨宿りしていたのだ
こいつにはまいった、耳元でぶぶんと脅しにかかる
こちらがどうやら餌の標的になったのだ、かゆい、痛い
仕方なしに屋根の小さな道路側の表に回ってみると

天からの恵み、なんと、女性用の日傘が・・・

神様、仏様、傘様・・・・ありがたい

さっそく借りて、蚊から逃げるためにも雨の中を歩く

こうしてすばらして袋井の松並木も傘をさして歩き続けた


東海道どまん中東小学校の前にある久津部一里塚を過ぎ
日蓮上人の両親の墓がある妙日寺へ寄る
このあたりでやっと雨は小ぶりになった。

袋井の松並木をすすむと赤い大きな鳥居の富士浅間宮赤鳥居
の前に着くここでしばらく休憩をする、16時26分。


原野谷川の同心橋をわたり地下道のある交差点に出る
ここで迷った。

地図では、少しすすんで道路向こう角に駄菓子屋があるという
そのさらに100メートルくらいのところに信号がありそこを渡
るようになっていたのですすむが橋の上に出てしまった。

間違っている、元の地下道まで帰ろう、地下道のよこの信号の
ところで地図を確認していると自転車に乗った男性が、どちら
までと声をかけてきた。

ありがたい、わけを話すと丁寧に教えてくれた。

これからすすむ掛川松並木の保存のボランティアをしいてる
と言っていた。

信号が変わったのでその人の写真が撮れなかったが40代くらいか
その親切がうれしかった。
ここにきて、濡れて、疲れた体は、たとえわずかな迷い道のロス
でも気分的にダメージになる、ありがとう。

夕闇せまる掛川の松並木は管理が行き届いていてとても気持ち
よく歩くことができた。


途中の松にBOXがかけられ記録を書き込めるノートがに入って
いたのであの男性へのお礼を書き込んでおいた、読んでくれる
かなあ・・・。

垂水川を渡り、東名高速道路をくぐり、国道1号線もくぐり、
薄暗くなった東海道を一路掛川市内へすすむ。

大池の交差点、もう、暗い、角にあるらしい大池一里塚をさが
してもみつからない、角の1か所が更地になっているのでそこ
にあったのだろうか。何度も交差点を行ったり来たりしたが、
さすがに諦めた、車はどんどん通過するが人はいなくて聞くこ
ともできなかった。

こういうことが心残り、二度とこないんだから。くやしいが通過。

西掛川駅前を通過、大池橋を渡る・・・18時1分。もう、暗い。
しばらく1号線をすすみ二瀬川交差点を右へ入り九十九首塚に寄
って暗くなった掛川の商店街に入った。

せっかくだから掛川城のライトアップへ行くことにしてコースを
はずれて掛川城へよった。
城はきれいにライトアップされていたが、デジカメでうまく撮れ
なかった。

明日の朝、もう一度来ることにして回り道になったが、掛川駅前
のホテルへ
コンビニで夕食と缶ビールと明日の朝食とおやつを買って
命も落とさず、忘れずに、ホテルに着いたのが18時58分。

あー、疲れた、よく歩いたなあ・・・。

  初日  40,736 歩  28.5キロ

あー、もう秋だ、秋支度だ。

2008-09-06 21:39:49 | 輝いて生きる
昼間の気温は今日も30度を越えていたと思う
まだまだ夏の延長のように暑さが続いている

しかし、窓から遠く六甲の山並みを見ていると
その向こうに広がる雲のながれは
まぎれもなく秋の空だ

夏中に散らかし放題にしていた仕事場を整理しようと
午後から整理と掃除にとりかかったがこれがすすまない

捨てようとして手にする古い新聞が厄介で
ついついページめくると読んでいない記事に目を奪われてしまう

今頃、北京オリンピックの記事なんか・・・と思うが
感動をもう一度!

今年も4ヶ月たらずだ
いつまでも夏を引きずっていてはいけない
秋の支度にとりかからないと

秋の支度

まず、これまでの整理
手始めは、捨てることからだ
古新聞に資料やパンフレットの紙類
紙袋を3つも使った

そして、自分にしみついたさび落とし
これが難解なやつだ

秋用に改めること
取り入れること・・・

捨てて空いたスペースができたら
新しいものを用意していかないと・・・
時間があると思うから
そのうちに・・・・と思う。

できるときは、今しかない
秋の支度はいましかできないのだから
2008年の秋支度にとりかかろう。

命輝かせて・・・タイトル変更。

2008-09-05 22:18:27 | 輝いて生きる
ブログを開設してちょうど1年6ヶ月になった
その間、ブログのタイトルの一部を早い時期に変えて
ずっと通してきたが、ここしばらく、どうもしっくりこない

この際、ひと区切りとして
ブログを開設した当初のタイトルに戻すことにした

ブログは、タイトルとプロフィールが自分の名刺代わり
タイトルは、もっとも大事な自分の決意、信念、理念を表すものだから
かなりの時間をかけて、自分の言葉に創り上げたものだ

それが自分のブログのコンセプトであり土台なのだ
一度決めてスタートしたものを簡単に変えるわけにはいかない

ただ、早い時期に、自分の思いをわかりやすくするために
一部を書き換えたが、以降、そのまま今日まで続けてきた!

それを今回、思いきって、開設当初の言葉に戻してみることにした
基本的な考え方にはまったく変化があるわけではないが
言葉から受けるイメージは自分でも新鮮さを覚えるので
これわ一つのきっかけにして新たな自分に出会いたい

変えた部分とは・・・

昨日より今日を!今日より明日を!
夢と希望がある限り生涯現役を目指して挑戦しよう!

の二行目を

夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

を変えた、もともとはこの表現をしていた。

変えた意図は・・・

「生涯現役」を言うには
自分自身が輝いていることが前提なのだが

それがしっくりこなかったということは
どこかに輝きを失っている自分を感じていたのだろう

自分がそう思うのだから
他人の目からみればもっとそうであったに違いない

また、新しい出会いが始まる9月
久しぶりの再会が待ている9月


輝きを失った自分が、輝いている人になにができるか
まったなし、輝く自分の復活に賭けて自らに挑戦だ。

そういう意味でも、タイトルを変えたということは
自分へのチャレンジということ、やったろやないか!

「敬老の集い」の案内。

2008-09-03 22:36:32 | 輝いて生きる
今年も敬老の日が近づいてきた
送られてきたハガキを見てさびしく思った
これでいいんだろうか・・・。

日本が世界一の長寿社会と喜ぶのなら
長生きしてよかった!と言える風土をつくるべきだ
命の大切さ、長生きすることのすばらしさ・・・
感じ合える社会を地域から発信していかれないか

印刷されている内容は年月日と記念品以外は去年と同じだ
いったい何をやるのやら・・・
中身の記載なしで参加記念品の引き換えが書いてある
去年のブログにこんなことを書いていた
まったく同感。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
去年のブログのコピー(年度は19)

   平成××年度「敬老の集い」のご案内

・・「敬老の集い」を開催しますのでご来場をお待ちしています。
当日、このハガキを受け付けにお出しください。
参加記念に○○○保存パック三組と引き換えます。
後日の引き換えはありません。・・・・・

「敬老の集い」で何が行われるのか、
まったく書かれていないということは、○○○パック三組と
引き換えに地域の小学校の体育館にこいということか。

お世話をしている人達のご苦労はわかる。
しかし、あまりに義務的な行事ではないか、
こんなことを、楽しみにして、喜んで参加する人がいるのだろうか
儀礼的に、ただ、開催するというのであれば、やらないほうがいい。

そこに行けば、ここまで生きてきてよかった

元気がもらえた、まだまだ、楽しく生きるぞ

あんな生き方もあるんだ

あんな人もいるんだ  

あんなサークルもある 

そんなことが、実感できる場が用意されているのだろうか

のこのこと○○○パック三組と引き換えのために会場に行って
パックをもらっている自分の姿はあまりに寂しい。

その日は、元気よくウォーキングに行ってくるよ。

そもそも「敬老の日」とは、どう定めてあるのか
また「老人」とは、何歳からなのだろうか

祝日法では、老人の日の趣旨をこう定めている。
「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」

以下は、私が65歳なって最初に迎えた敬老の日の読売新聞の記事から(2005.9)

「老人」一体、何歳からなのだろう。

人口統計では65歳以上は「老年」(高齢者)らしい。
15~64歳を「生産年齢人口」と呼び、
65歳以上は0~14歳とともに「従属人口」とされる。
65歳で線を引くことにも、従属人口という呼び方にも、
違和感を持つ人が多いのではないか。

内閣府が60歳以上の人に「高齢者とは何歳以上か」と聞いた調査では
8割近い人が70歳より上の年齢を挙げた。
活躍中の日野原重明・聖路加国際病院理事長は、
「高齢者の基準を75歳に引き上げてはどうか」と提案している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

65歳以上を「従属人口」とは、違和感どころか
自分のように一生懸命に現役で頑張っている者には失礼だ。

世の中が、勤め人、定年という枠組みでしかみないから
年金生活→従属人口という発想なんだろうか
年齢関係なく働いている大勢の者は、その他という扱いをしてしまう。

自分で生きている人間は、いくらでもいるし
社会に貢献している人もたくさんいる。
まったく、人を見下した表現だ。


おもろいやないか!イベントにチャレンジ!

2008-09-01 23:11:41 | チャレンジ
所属している会のイベント企画会議があった

以前に書いたが、650人のメンバーの中で長老の
実力派デザイナーが老舗百貨店で恒例の展示会を
一週間開催する。
その展示会場の一角を一日だけわれわれの会で自由に
使ってほしいと提案があった。

日曜日の老舗デパートで20坪を自由に使って

 コンセプトは「出会い」

なにを、どうする・・第一回の会議で宿題となっていた
各自の持ち寄る企画を検討し、そこから方向付けをするのが
今回の会議だが

百貨店で商品を売らなくて「出会い」をテーマになにができる・・・
これには、みな、考えても考えても浮かばなかったらしい

なんと、自分の企画が全面的にすんなりと採用されることになった
驚くやら、なさけないやら・・・
もっと、真剣に考えてこい!と心の中で叫んだくらい
おまけにこのイベントの中心になってすすめろという

おいおい、それはないぞ、こういうことの推進は
いま、現役でバリバリの人にチャンスを与えるべきとして
衆目一致のNさんにお願いすることになった
自分は企画者としてバックアップをすることにした。

自分が提案した路線でいく以上は失敗は自分の責任と思って
また、チャンスを提供してくれた仲間の顔をつぶすわけにはいかない
ここは真剣に、本気で取り組まないと人任せではいかんぞと思う。

デパートもわれわれの会については期待があるらしく
素人集団がデパートで商品を売らずして何ができるか
きっと興味をもって見ているに違いない。

面白いやないか!
やったろやないか!

次回の企画会議までに、さらに内容を細部にわたってつめて
より多くの会の仲間のバックアップが得られるようにしたい。

仕事ではないので、このことによって得られる利益はないが
経験したことのない場所で
個性豊かな前向き集団である自分たちの会が
どこまで「出会い」を形あるものに創り上げることができるか
その日まで約40日、また、神経をすり減らす日々になろう。
それも楽しいと思えば楽しくなる。

今年の自分のキャッチフレーズ

 チャレンジするから面白い!
  
それを実現するいい場になる、不安より、楽しみが大きい
あすは、デパートの売場を下見だ。