昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

野村監督に決定!

2009-10-14 22:52:51 | カープ
今日、野村監督に決定
就任が発表された

いえいえ

楽天の野村監督のことではない

以前、ブログで書いたが
わが広島カープの新監督に
OBの野村謙二郎さんが正式に決定

CS進出を目標にするのではなく
優勝を目指していくと
就任の決意を述べている

たのもしい

スピードのあるカープ野球復活に
チームを作り替えてほしい

野村監督ならやってくれるだろう。



69.5歳。

2009-10-13 22:47:57 | 輝いて生きる
今日10月13日で
ちょうど69歳と半年になった。

明日から日一日と
70歳に近づいていく。

ぼーっとしていると
時はどんどん流れていき
命はどんどん短くなっていく

今日は何をしたのか
明日は何をするのか

だれか時計をとめてくれ!

久しぶりの秋篠寺へ。

2009-10-12 22:29:12 | ウォーキング
快晴に恵まれた体育の日、奈良秋篠寺から平城宮跡まで行ってきた。

出かけるまでは京都に行くつもりで用意をしていたが
地下鉄に乗って急に心変わり、秋篠寺に行きたくなって
難波から近鉄に乗り換えて西大寺の駅を降りた。

めざすは、まず、秋篠寺から
秋篠寺には何度も行っているので迷う心配はない
少し遠回りになるが秋篠川にそって青空の下をウォーキング
やがて民家が並ぶ狭い道を右へ左へすすむと
秋篠寺南口と東門へすすむ標識があり今日は南門へ。


南門前にはまだ取り入れ前の稲穂が柔らかな秋の日差しを受けて
きらきらと光っていた。


南門を入ると静寂な木立が続く、久しぶりの秋篠寺はちっとも
変っていない。


秋篠寺は、光仁天皇の勅願で奈良時代末期の776年、釈迦如来を
本尊として創建された、金堂、講堂、東西両塔の大きな寺だったが
兵火で焼失。唯一残った講堂を鎌倉時代に改修して現在の本堂に
なっている。境内の林の中に塔の礎石があちこちに残っている。


このお寺の楽しみの一つは
境内に入る前の木立を歩いて行くと
やがて木立が苔のじゅうたんに変わる
まるで奈良の苔寺のようでその苔の木立がなんともすばらしい。


今日もその苔のじゅうたんに目を奪われてデジカメのシャッター
を押し続けた。


受付から境内へ入る
目の前に広がる本堂(国宝)が、真っ青な秋の空をキャンバスに
して格子と白壁が一段と見事な美しさを見せている
その姿を境内のあちこちからじっと見つめている拝観者
これが秋篠寺の楽しみ方で、観光コースから外れているために
訪れる人が少ない分、静けさの中で、すばらしい環境を独り占め
できて時間を忘れさせてくれる。


本堂に足を入れる
秋篠寺といえば「伎芸天」、天平の美女と表現されている伎芸天は
秋篠寺をすっかり有名にし、秋篠寺ファンは多い、自分もそのひとり
女優の松坂慶子さんも美しい伎芸天に惹かれたと何かに書いていた。
節目がちの目がやさしく微笑んでいる伎芸天は、頭部が天平時代
体が鎌倉時代、入口の一番手前に立って、まるで迎えてくれているよう。
このお寺のご本尊は真ん中の「薬師如来」
しばらくご本尊の前にある椅子に腰かけてじっと薬師様と対面する
のも楽しみの一つ。

最初に訪れたのは昭和50年だった
なつかしく思い出された。

当時、独立とは言葉だけ、仕事がなくて
病んでいた体の回復には見通しがたたず
辛くて苦しくて途方に暮れていた時
ふと訪れたこのお寺のこの場所で
自分に出会ったような気がしたのがきっかけ
心のふるさとになった
それから自分のお寺巡りが始まった。

あれから何度来た事やら
気持ちに何かがあった時に決まって訪れて
ひとり静かに仏様と対面をする

仏様をじっと見つめていると
仏様も自分をじっとみつめている
仏様の中にいる自分が語りかける
そうして自分と出会う。

白壁の続く東門から出て
古い家屋の続く道を幾筋が曲がりながら来た道とは違う道を
次の西大寺へ向かう。


下車した西大寺駅のすぐ南に西大寺はある
西大寺といえぱ「大茶盛」でよく知られている
天平宝宇8年(764)に創建、東の東大寺、西の西大寺として栄えた
お寺で南都7大寺として壮大な伽藍を誇っていたが
幾たびもの焼失にあい再興されながら現在に至った。
小さくなっているそうだが、それでも本堂、四王堂、愛染堂等、立派
な建物が残っており、本堂の重要文化財釈迦如来立像の前に
座ると離れがたい親しみと安らぎを覚えさせてくれるのが不思議。




右手に錫杖を持つ観音像は長谷寺式というらしく、奈良の長谷寺、
鎌倉の長谷寺でしか見られないと説明してもらった。


西大寺でもゆっくりと拝観をしたあと、いよいよ最後の平城宮跡へ向かう。

西大寺駅南口からしばらくウオーキング、平城宮跡の西側へ
ついた時は早い秋の日が傾き始め、一面に広がるススキが風
に揺れてきれいだった。



生駒山方面を見ていると雲ひとつなく、くっきりと見えたので
きっと生駒山へ沈む夕日がきれいに違いない
平城宮跡を楽しんだ後は奈良公園の二月堂まで足をのばして
奈良の日没の瞬間を楽しもうと決めた。

平城宮跡の朱雀門は何度も訪れているところで今年も2度目
しかし、いつもの景色とは違っていた。

来年の平城宮遷都1300年を控えて工事中の大極殿は上部の
覆いが取られ1400メートル北側に際立って大きな姿を見せ
ていた。


(朱雀門・真中に見えるのが1400メートル前方の大極殿の屋根)

朱雀門から大極殿に向かって広大な広場をすすんで
真ん中あたりの草むらに腰をおろして両方を眺めると
ススキの向こうにスタートした朱雀門がそびえて
前には大極殿が迫っている。

1300年前、ここにどんな都があったのか
人々はどんな暮らしをしていたのか

まだ見ぬロマンがここに隠されているかもしれない
そう思うとわくわくどきどきしてますます興味が広がった。

平城宮は、和銅3年(710)に藤原京から遷都されて以来、74年間
都として栄えた、朱雀門は平城宮の正門、外国使節の送迎などに
使われたところで南へ幅75メートルの朱雀大路が延びていたという。

昭和30年に発掘が始まった平城宮跡は、いまその3割程度
全体の発掘が終わるまでは100年はかかるという・・・
10万人の人がここに暮していたと思うとロマンはつきない。

大極殿は平城宮の中心として、天皇の即位式や国家的儀式が
行われる最も重要な建物だった。


(工事中の大極殿)

平城宮跡は広大な広場になっており、たくさんの道が付いていて
ウォーキングを楽しんでいる人がいたので一緒に歩いてみた
向こうに若草山も見えて気持ちがよかった。


西大寺駅から電車で近鉄奈良駅へ着いたのが17時少し前
これはまずい、少し遊びすぎたので日没に間に合うか心配になった

奈良公園から帰りを急ぐ人の群れを逆に二月堂をめざして必死の
ウオーキング国立奈良博物館前では木々の間から太陽は見えて
いたが二月堂についた時はすでに没していた
多分5分くらい遅かったのだろう、残念!



しかし、日没後の二月堂回廊から奈良の夕景をたっぷり楽しむこと
ができた午後6時をまわり暗くなったので、真っ暗になった東大寺
の前を通って奈良駅へ急いだ。



自宅を出た時は京都へ行くつもりだったが、地下鉄に乗っている
途中で心変わり(?)して奈良へ行き先を変えたが、とてもいい1日
だった。満足。


大阪ウォークと御堂筋kappoに行ってきた。

2009-10-11 23:15:03 | ウォーキング
お天気がよかったので予定していた大阪ウォークの二日目に参加した。

今年から始まった「水都大阪2009」のイベントの一環だろうと思うが、大阪市が中心となって始めた都市型のウォーキングで

 「水と歴史の都・大阪ウォーク」

距離も行先も違う4コースから、「戦国武将の夢のあと・大阪歴史ウォーク」を歩くことにした。


大勢の参加者と天王寺公園からゴールの大阪城公園西の丸公園を目指してスタート。

スタートしてすぐ市立美術館隣の庭園が見事な慶沢園を通る、ここから左手通天閣を見ながら小高い茶臼山のほとりへ。


この茶臼山は、大阪冬の陣では徳川家康の本陣がおかれ、夏の陣では真田幸村が布陣したところ。


逢坂に出てすぐ、安居神社へ。
ここには、真田幸村戦死跡之碑があり、慶長20年(1615)5月7日に徳川家康に決戦をいどみ破れたところ、社会見学なのか小学生のグループに先生らしき人が説明をしていた。



ここから天王寺七坂につながる上町大地を大阪城へ向かう。

愛染さんの前を通り文学ロードをすすむ、谷町のお寺さんの続く道を大勢のウォーカーと長い列になってすすんでいると


あっ、前の男女二人のリュックにつけたゼッケンに「埼玉県・・市」と書かれているのて声をかけてみた。
苗字が同じなので夫婦だろうが、このウォークのために一昨日に来阪、きのうは別のコースを歩いたという、へぇー、遠くからよく来られましたねと感心、じはらく言葉を交わして失礼した。

生国魂神社を横切り、千日通りから高津神社を素通りする。



このコースは何度も歩いているところなので別に目新しいものはなにもないが、前を行く人の背中のゼッケンに書かれたことからいろいろなことが想像できて楽しい。
ウォーキングではおなじみの「ゼッケン」は背中の名刺、会話のきっかけになるのでいつも遠くの人には話かけるようにしている。これも会話訓練だ。

空堀商店街を通り熊野街道を横切り、玉造の三光神社近くの公園がチェックポイントになっていたので、ここの木陰で休憩しているとあとから来たグループの言葉が聞きなれない・・・ゼッケンをみると「茨城県」、思わず声をかけた。

車で来たという男女6人グループで賑やかな人たちだったので、せっかくだからコースでは寄らない三光神社内にある真田幸村像と幸村の抜け穴跡へ案内した。


来月、長野県上田の真田幸村ウォークにも参加するそうで案内したことを大変喜んでくれた。一歩近づいて一声は一期一会をつくってくれる。


玉造神社へよって驚いた、ここの鳥居は上の部分だけで、柱がわずかにあるだけで立っている、大人の背丈だけの鳥居は、阪神大震災で倒れて残った部分だそうだ。


玉造神社は伊勢参りの伊勢街道の起点らしい。伊勢街道・・・とうとう決心した。
この神社も冬の陣、夏の陣でも焼失し、再建されている。


さらにすすむと細川ガラシャ夫人とキリシタン大名の高山右近像がある玉造聖マリア大聖堂前へ、ひとり中へ寄り道して美しい二人の像を眺めていた。


すぐ近くの細川越中守忠興の屋敷跡に残っている井戸(越中井)へ寄る、ガラシャ夫人は忠興の妻だが、忠興が関ヶ原の戦いで徳川方につき、上杉攻めに参加したために、石田三成は、大坂に残った大名の妻子を人質にしょうとした。
ガラシア夫人(玉子)は命に従わず、キリシタンのため自殺できず、家臣に胸を突かせて亡くなったという関ヶ原合戦の残した悲話となった人だ。


さらに進むと中央大通りに出て渡ると大阪城公園に入る、ここからもゴールまでは1500メートル、大阪城公園は広い。



ゴールの大阪城内西の丸公園はすでにゴールした人が食事したり、数々のイベントを楽しんでいた。弁当を用意していなかったので、たくさん出店していた各地の名物から珍しい秋田県横手の焼きそばを食べた、なかなかおいしかった。



別のコースに参加していたわがウォーキング倶楽部の三人ともゴール地点で会えてお互いに健闘をたたえあった。


会場を出て難波宮跡へ寄った。



メンバーとわかれて、そこからひとりで御堂筋で行われている「御堂筋kapp」に行くために谷町、堺筋、本町の順で会場までウォーキング、歩行者天国になってさまざまなイベントの行われていた御堂筋を2キロ、思いきり楽しんで戻ってきた。

凛として常盤貴子さん!

2009-10-10 17:27:43 | 輝いて生きる
昨夜7時から、大阪駅に近いさる場所で
所属している会をまとめリードしてきた
男女メンバー10名が集まってお世話に
なったある方の送別会をもった

大半が40代の働き盛りばかり
経営者からさまざまな仕事で頑張っている連中なので
話題にはことかかない
気がつけば10時半になっていた

若い人の中にいると耳慣れないことば、話題、情報に
のれなくて、ついていけなくて、会話に入れないため
しんどいことがあるが、それを避けていてはだめだと
言い聞かせていつも最後までつきあうことにしている


その場で約600名が所属している会の代表者でもある
木村政雄さんが編集長をしている中高年対象の月刊誌
「5L」最新版を見て驚いた(定期購読月刊誌)
(「ランドセル」という名前は木村さんにつけてもらった)



表紙が女優の常盤貴子さん、中身をみると
編集長の木村さんと常盤貴子さんの対談「凛として」
が7ページにわたって編集され、うち2ページが
常盤さんのすばらしいクラビア写真になっていた



その会場に行く途中に寄った大阪駅前の大型書店で
「引き出しの中のラブレター」という本を買ったばかりだった



この本のタイトルにも注目したが
表紙に常盤さんの写真があったので中身も見ないで
買ってしまった

そして今日10日、この「引き出しの中のラブレター」
が常盤さん主演で映画が封切されるということも知った

まったくの偶然が重なってしまったのも不思議なこと

常盤貴子さんのことは、大河ドラマ「天地人」で
長江兼続のしっかり者の妻・お船を演じるまでは
まったく知らない女優さんだった

その天地人を見ていてしっかりとした役柄もそうだが
雰囲気にとても好感と興味をもっていた

本のほうは、まだ少ししか読んでいないが
対談にもその話題がありますます興味がわいたので
ぜひ、映画を観てみたいと思う

送別会に行ったばかりにこんな不思議な一致があり
次への広がりになっていくことを愉快に思った。

元気の素、551+自前ジュース。

2009-10-09 15:34:16 | 健康
今日の昼食は「551蓬莱の豚まん」
新大阪駅構内の一番目立つ売り場で2個入りを買った



新大阪駅には551の売り場が5ケ所あるくらいだから
よく売れているということだろう

以前、新大阪駅で一番売れているのが551と
何かの統計をみた記憶があるが
確かにお土産物としても人気があるらしい

金曜日の夕方になると単身赴任のビジネスマンが
長い行列をつくって買い求めている

2個で320円
昼食代わりにときどき買っているが
今日はそれに野菜ジュースつき



仕事場でお昼をするときは
自分で野菜ジュースをつくり
自家製生ジュースとして飲んでいる

野菜や果物は適当に買い込んで
冷蔵庫に保存してある
ごちゃ混ぜジュースだから
体にいいのかどうかは知らないが

普段からサプリメントなるものは
一切飲んでいない

飲んでいるのは
高血圧の薬と
自家製ジュースに
黒酢(主にジュースに入れる)
くらい

今夜はある人の送別会があるので
お酒をそれなりに飲むはずだから
胃さんに無理をさせてしまう
先に優しいジュースを飲ませておきたい。

大型台風18号は爪痕を残して去った。

2009-10-08 22:28:27 | ひとりごと
2年ぶりに日本へ上陸した台風18号は
この10年で最大の大型台風だったそうだ
本州を縦断して今夜は北海道へ去った
各地で残した被害をテレビでみていると
雨より風が強かった台風のようだ

自分が住む地域でも幼稚園の屋根が
飛ばされている現場が放映されていた
明け方に吹いた風が強かったのだろう

マンションの低層階にあるわが家は
前にも後ろにも建物があるために
風の影響はあまりなくて幸いしている
朝にはすでに通過した後だった

新大阪駅の改札口前を通っていたら
何個かのケースの中に入れられた
延着証明書を通勤客が無造作にとっていた

先々週から始まった勉強会に参加している
北に住むメンバーに励ましのメールを
入れたらすぐに被害はないと返事が来た
しかし仕事には支障があったろう

昼前から天気は回復して太陽が顔をだした

(昼過ぎにはこんなにいい天気に・・・仕事場から)

先日の日曜日、奈良の大和三山周辺を歩いた時
収穫前の見事に実った稲田が広がっていたが
その後、取り入れは終わったのだろうか

もしまだだったら被害を受けているに違いない
ふと気になった。

台風18号が接近!

2009-10-07 23:28:24 | ひとりごと
非常に強い台風18号が接近してきた

明日の明け方に近畿から東海の沿岸に
上陸する恐れがあるという

大阪もまもなく暴風雨域に入るので
猛烈な風と強い雨に厳重な警戒が必要と
ラジオが繰り返し報じている

明朝からJR各線は運転を見合わせるほか
飛行機、船も欠航するそうだ

明日は動きがとれない一日になりそう

被害がでなければいいが・・・

・・・・・・・・・・・・・・・

今日の測定

 体  重  62.0kg
 体脂肪率  15.4%
 体内脂肪率 11.5%

カープ、残念、来季に備えよ!

2009-10-06 19:53:43 | カープ
広島カープのCS進出は夢で終わった

去年はぎりぎりまでいって無念の4位
今年こそ!と期待して応援してきたが
淡い期待も5位でほぼ決まりそうだ

CS進出が契約更改の条件だった
ブラウン監督の来季監督はなくなった
後任監督にはOBの野村謙二郎さんで
ほぼ決まったように報道されている

12年連続Bクラスは不名誉な記録だが
機動力を使ったカープらしい野球に
生まれ変わるには監督交代はチャンス
野村謙二郎さんはうってつけだ

どこかのチームからとられるのではと
心配していたルイス君も来年カープで
やると言っているらしい

育てて一流になるとさらっていかれる
ことの繰り返しは悲しく悔しいことだが
お金では貧乏球団に手の打ちようがない
チーム愛のある選手に育ててほしい

優勝を望まないファンはいないが
例え優勝はできなくてもファンを
わくわくさせるようなプレーをする
チームに生まれ変わってほしい

明るいチームにしたブラウン監督には
ありがとうといいたい

しかし楽天の後任監督候補に
報じられているのには驚いた。

大和三山と藤原宮跡めぐりウォーク。

2009-10-04 23:18:52 | ウォーキング
快晴の10月最初の日曜日は奈良へ古代ロマンシウォークリーズ、先々週の飛鳥に続いて1300年前に都のあった藤原宮跡と大和三山を訪ねるウオーキングに出かけた。

このコースは6年ぶり、9時59分に近鉄橿原神宮前駅を下車。駅西口からまっすぐすすむと橿原神宮の玄関、一宮鳥居が迎えてくれる。


玉砂利を踏んで表参道を歩いて行くと大和三山の一つ、畝傍山のふもと橿原神宮の外拝殿の前に出る。


日本書紀に神武天皇が橿原神宮で即位したという記述がある橿原神宮は、初代神武天皇を祭神としている。畝傍山を後ろにした外拝殿の美しさ、そして、外拝殿の後ろに続く内拝殿も深い森にかこまれてたたずむ社殿は何度訪れてもすばらしい景観で、訪れたことのある神社ではずば抜けて美しいと思っている。佳き日だったのか、三組の婚礼カップルを見かけて、こっそりおっかけカメラマンをした。


参拝を済ませて北神門を出て畝傍山へ通ずる小道を頂上をめざして登っていく。畝傍山は、199メートルで大和三山では一番高い、地元の人のウォーキングコースになっているのか次々との登ってくる人がいるのに驚いた。頂上には、30人くらいの人で座るところもないくらい、景色を楽しんだあと、登ってきた道と逆の急坂を降りてみることにした。こちらは初めて、暗い急な下り道を一気に下りた。



橿原考古学研究所前を通り次の目的地本薬師寺跡へ古い街並みをすすむ。
神社ではない、近鉄御陵駅


本薬師寺跡でのお楽しみはホテイアオイの花を見ることだったが、期待通り薄紫のホテイアオイが本薬師寺周辺一帯に咲いていた。


本薬師寺跡は、奈良・西の京にある薬師寺の前身寺院跡で平城宮遷都に伴って移転、金堂や塔の敷石がいまも残っている。


ホテイアオイに囲まれたクヌギの木陰で弁当にしょうと近づいたらロープが張ってあってハチに注意と書かれている。近くで農作業していたおばあさんに聞いてみたら、今日はハチをみかけないが、見てあげるといって腰のまがったおばあさん、クヌギの周辺をぐるり一回り(多分20メートルはある)して、ハチはいないから、ここで食べなさいと場所まで指定してくれた。クヌギの木の思い出話までしてくれたおばあさん、ありがとう。昨年亡くなった母のことが思い出された。ウオーキングはこういう出会いがあるから楽しい。ただし、こちらから声がけしないと出会いにはならないけれど・・・。


昼食を済ませて次の目的地、大和三山の二番目、天香久山へ向かう。快晴で気温も上昇して、暑い。日蔭のない道をすすむ。藤原宮雀大路跡へ寄り道した。ここまで藤原宮の中心になる通りが続いていたのだと思うと藤原宮の広大さに驚いた。大極殿跡は、このあと訪ねるがはるか北にあるからだ。そこからまっすぐに朱雀大路はここまでのびていたのだろう。


写真を撮っていると車が近付いて止まった。おばさん運転手さんが、五条まで行く道を教えてほしいという。五条の家に戻るのに道に迷ったという。手持ちの本から地図で現在地と五条との位置関係を示して、知っているという橿原神宮前までの道とチェックポイントを紙に書いて渡した。何度もお礼を言ってくれたが、ほんまに大丈夫かいな、あのおばちゃん。私は地元の人間でも奈良県人でもないんやで、しっかりしてや!

田園風景の広がる道を進むと正面になだらかな天香久山が見えてきた。山というより丘といったほうがいいかもしれない。


登る前に香久山の麓にあるみるく工房に寄った。ここにお楽しみがあって搾りたての牛乳で作ったソフトクリームを食べること、以前来た時においしかったのを覚えているのでさっそく買った。店内は、おばさん客でいっぱい、外の小さなベンチに行くとご婦人がズボンにくっついた・・・名前は忘れたが・・・草の実のようなものを取っていたので、もててますね!と声をかけたら・・・はい、おかげさんで!と返してきて、まあ、こちらへどうぞ!とリュックを下において座り場所を提供してくれた。おおさかのおばちゃんに違いない?次に何か言おうかと思ったが、この人には勝てないと思っておとなしくアイスクリームを食べて失礼した。


152メートルの香久山に登るのは初めてだったが簡単に登れた。頂上に国常立神社があり、そこから畝傍山がよく見えた。


横に長い山を縦走するように北側へ下ると天香山神社があり、鳥居のそばには、柿本人麻呂の歌碑があった

 「ひさかたの天の香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも」


ここまで順調にきたが、次の藤原宮跡までのコースで道を迷ってカンカン照りの田んぼ道をうろうろしてしまった。地図を確認しないで頭の中にある地図でショートカットしたつもりが、行きどまり道に入ったり、おまけにK久山小学校の運動会に遭遇して、しばし外野席(フェンスの外)から観戦して40分ロス・・・一人だから気楽なものだけど。

それでも、左手に香久山、右にこれから行く耳成山、正面に畝傍山を見ながら、刈り入れ前のたわわに実った銀色に輝く稲穂の続く道を藤原宮跡へのウォーキングは、ほんとうに楽しくて、気持ちよくて、古代ロマンの里から命を力をもらった気分でちっとも苦痛ではなかった。

香久山


耳成山


畝傍山


やっとなつかしい藤原宮の広大な跡地の古い石碑の前に着いた、松の木立に囲まれたこんもりとした小高い一角が大極殿跡といわれている。ここには、「持統天皇文武天皇藤原京跡」の石碑が立っている。



先々週に訪ねた飛鳥で1400年前に大化の改新が起こり古代日本の形がつくられ始めた後、その飛鳥から694年に持統天皇によって藤原宮へ遷都された。その後710年に平城宮へ遷都されるまでのわずか13年間の都だった藤原宮だが、中国・唐の都長安をモデルに日本初の碁盤の目の街路を作るなど都として栄えた。大宝元年(701)大宝律令が制定されるなど日本が国として新たな制度を確立した都でもあった。いまも発掘調査がすすめられているが、広大な土地にはまだ見ぬ藤原宮の秘密が眠っているのだろう。大極殿跡に立ち、広大でのどかな風景を見渡して、しばし1300年前のロマンに思いを馳せた。

持統天皇の詠んだ碑が池の傍に立っていた。

 「春過ぎて夏来るらし白妙の衣ほしたり天の香久山」


そこから最後の耳成山へ向かう。近鉄の踏切を越えて・・・耳成山はまもなく・・



距離的にはさほどなく三番目の耳成山のふもとへ着いた。139メートルの耳成山へ登るのも初めて、登り口で三人組のおばさんグループが立ち止まって地図をさかんに眺めていたが、その横を通って登り始めたら、三人組さんもついてくるように登ってきた。


頂上の耳成山口神社に参拝して休憩していると、後から来た三人組さんは、こちらに下り道を確かめるとさっさと下りて行った。ほんまに元気な人たちや!


山をぐるり一周するようにして下山し、時間があったので、近くの近鉄耳成駅からひとつ大阪寄りの八木駅まで、しっかりウオーキングして16時15分に着いた。
大和三山と藤原京跡めぐりウォークは、のんびりゆっくりと古代ロマンの里を楽しく歩くことができ、ホテイアオイも観賞できて大満足だった。ロマンウォークの続き、歴史と電車の駅の順番から山の辺の道になるかな、シリーズにすると楽しみは続く。

健康第一、定期受診。

2009-10-03 20:11:28 | 健康
午前中、定期受診のために
かかりつけの診療所へ行った

医者から言われたわけではないが
定期受診は10年以上も続けている

ここで人間ドックも受けており
過去のデータも保存されているので
安心している

春の定期人間ドックの結果も悪くなかったし
高血圧も低めで安定推移しているので
特に診察を受ける必要はないのだが
行っておかないと気がすまない(変な習慣か?)

主治医の先生と相談して
今月末に血液検査
来月はインフルエンザの予防接種を
受けることにした

年齢が年齢だけに
たとえ元気であっても
いつなにがあるかわからない

一番気になるのは「健康」だが
これは自分で心がける以外ない

命の停年に年齢順はないので
できるだけ後回しを希望している。


10年目の記念日。

2009-10-01 22:28:39 | ウォーキング
今日10月1日は
ウォーキングを始めて
10年目の記念日

決意して一歩を踏み出したのが
2000年10月1日の夜
ちょうど60歳、還暦の歳だった

それが
まさか9年も歩き続けるとは
思いもしなかった

歩き始めたきっかけは・・・

当時仕事場のスペースを使って
ビジネスマンを対象に
学習型交流会を数種類行っていたが
仕事が終わった夜の時間だったので
どうしても飲食がつきもの

主宰者として何年も続けて
運営面に疲れとマンネリを覚え
健康面にも不安を感じて
心身ともにぎりぎりになっていた

その流れを変えるためにも
健康面の不安をカバーするためにも
交流の場と友から離れるのは辛かったが
夜を自分一人の時間に取り戻すために
心身の健康を取り戻すためにも
ウォーキングの時間にした

春、夏、秋、冬、毎日、毎日
ナイトウォーキングを続けた

あれからまる9年
ウォーキングから得たことは沢山あるが

いまなお現役として第一線にいるのも
歩いて得た心身のフットワークのおかげ

もし歩くことを忘れていたら
今頃は立派なおじいさんになっていたろう

歩けることは自信になり
歩けることは希望へつながる

歩けることで夢が広がり
歩けることで出会いが増える

生涯現役でいるためには
足も生涯現役でいたい
命がある限り歩き続けるたろう

さあ、これから帰宅して
今夜は記念の歩きをしよう。

ウォーキング自分史
http://www.human-dy.com/walking-pro.html