昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

万博公園とコスモス!

2011-10-16 18:55:40 | ウォーキング
昨日の激しい雨がうそのようにからりと晴れた秋空につられて
万博公園のコスモスフェスタに行くことにした。
11時ジャストに自宅を出発して万博公園までウォーキング!

新御堂筋に沿って北急桃山台駅まで北上して右折、直進して
阪急千里線の南千里駅を越え左折。


南千里駅前の団地は万博当時は万博出店国の宿舎だったと
記憶しているがいまもきれい


ちょいと花屋さんをのぞいてみた


千里NTを北へすすみ阪急山田駅前を通過。


少し色ずき始めたけやき並木を足取り軽く歩がすすむ、
きっと足もうれしいんだろう・・・。
そこは子供が小学校の低学年の頃から万博公園へ行く時
いつも歩いた道で、それ以来、随分と回数を歩いてきた
おなじみのコースなのでどんどんすすむ。


万博公園西口交差点へ来た。
ここには万博当時、阪急万博西口の臨時駅があったところ
ここから北へ500メートルほど行くと、そこにはかって
住んでいた千里NTの団地がいまもある。


公園の外周を通って大阪モノレール万博中央口駅に着いた
のが12時28分。


自宅を出てから1時間28分。駅から眺める太陽の塔は
いつ見ても変わらない、万博から今年でもう41年目に
なるんだから太陽の塔は41歳か!
当時30歳だった自分は何歳になったんだ!


あっ、モノレールがきた!大阪モノレールはモノレール
としての営業キロ数は日本一。


万博公園のゲートを入ると正面に日本万国博覧会のシン
ボル、太陽の塔がそびえるように出迎えてくれている。
だれでも公園に入るとまず太陽の塔を背景に写真を撮る
のが同じ行動だが、今日はいきなり外国人を含む4組の
ペアからシャッター押しを頼まれた。
不思議なもので一人撮ると次の人がすぐ頼んでくる。
これなら”シャッター押します!”とプラカードをたて
「シャッターおじ(い抜き)さん」するのも楽しいかもね!

正面ゲートを入ると、こんにちは!

このアングルがお気に入り

近づくとこんな顔

もっと近づくと


まず木陰に入って弁当を食べた、これもいつもの場所で。
日差しが暑いので木々にかこまれた通りを開催中のコス
モスフェスタ会場へ。
その通りは、万博当時にパビリオンのあった場所に国名
の彫られた石碑とパビリオンの写真が表示してあるので
それを辿ねて歩くのも楽しい。

フランス館、森になった敷地の一部が池になっている。
パビリオンが大きな4つのエアドームになっていた。



次はドイツ館、ここも敷地跡がせせらぎになっていて
とてもパビリオンがあったなどとは想像もできない。
ドイツ館の特徴は、展示室がすべて地下になっていて
話題を呼んだ。



そしてもっとも人気のあったアメリカ館、写真を撮って
いると人が覗き込んできた”ここで3時間待ったなあ”
そう呟いていた男性は多分、当時は子供の年齢とみた。
アポロが月から持ち帰ったきた「月の石」が展示して
あったアメリカ館は超人気館でなかなか入れなかった。
そのアメリカ館の跡も木々が生い茂ってすっかり森と
なって当時の面影はどこにもない。



突然に視界が広がって花の丘に到着!一面にコスモス
が咲いている、青空を背景に競うように、丘を中心に
ぐるり365度、斜面にコスモスが咲いている、
やっぱり秋の花は可憐なコスモスがいい、枯れかけた
おじ(い抜き)さんの心にも潤いを与えてくれる。
「あなたも私もみなカメラマン」になって咲き乱れて
いるコスモスを撮っていた。





ひまわりも咲いていて妙に組み合わせが合っていた、
ひとしきりシャッターを押し続けた後、花の丘を出て
園内の木陰をしばらくウォーキングを楽しんだ。


体験教室、親子の稲刈り・・・


天気に恵まれた秋の一日、自然の恵みの中に身も心
も委ねて、ゆっくりと、のんびりと、過ごす時間が
もててよかった。
歩数は約23,000歩、いい一日だった。

「MA」「HK」「WK」?

2011-10-15 21:02:34 | ひとりごと

落語家の桂三枝さんが日経新聞の夕刊コラム
「あすへの話題」で週一回を担当しているが
昨夜のタイトルが「MA」「HK」「WK」

えっ?いったいなんや?

新聞でもアルファベット表記をよく見かけるが
確かにクイズもどきのアルファベット表記には
正直なところついていけない

ちなみに、これはどういう意味?何の略?
「MA」? 
「MAC」の間違いではないか? 

「HK」?
「NHK」の間違いやろ! 

「WK」? 
・・?なんや、これ、わからん!
 あっ、「わからんのWK?!」

さっぱりWKりません!
こんなのが日本語検定に出たらお手上げや!

あれだけテレビでも活躍している三枝さんも
わからなかったらしい
だれか教えてほしい

どうやら若者たちがその流行を作り出している
らしいが、それにしてもついていけない

「KY」?
これは以前流行したな、これならわかる!

「HY」?
これどうや!? WKるかな?


役所が発行しているというある書類を求められ
昨日から仕事場、事務所を必死で探してみたが
みつからない

今日半日、仕事場の書類を引っ張り出し探した
ので書類が散乱して足の踏み場もないくらい・・

結局みつからず、その書類はもらっていないと
思うが、もらっているはずだとある方は言う

自慢じゃないが、昭和の時代からの重要書類
はもちろんのこと手帳、記録ノート、申告書類
まで、機嫌切れのものまで保管しているくらい
だから大事な書類を失うはずがない!

見たことの記憶もない書類、いっぺん顔を見て
やりたい、出てこい!

それは別として、物探しの回数が多くなって
それも時間がかかって・・・
そのうち手帳は物探しの予定で埋まるかも

自分探しを創めたら終わりやな!?
しっかり鍵をかけておかないと

一日中、雨で足止めされたので我慢するが
余計なことで時間をとられ部屋は散らかったまま
これを元に戻すの、だれか助けてほしい。

歳をとるのは難しい・・・。

2011-10-14 22:09:30 | 輝いて生きる
先日の大阪ウォークに初めて参加した
50代の女性メンバーWさんがぽつりと
”歳をとるのは難しい”と
言っていた言葉が妙に心に残っている

確かに歳をとるのは難しい
人生の後半を迎え「老い」を感じ始めると
これからどう生きて行けばいいか

同じ歳をとるならいいとり方をしたい
だれでもそう考えていると思う
もちろん自分もそうだ

最近、日野原重明先生の著書をはじめ
長寿でいまなお現役として活躍している
有名人の著書が次々と出版されている

どうしたらあんな生き方ができるのか
同じ歳をとるならあんなとり方をしたい
そう思って読まれているに違いない

以前、このブログで紹介したことがある
伊集院静さんの「大人の流儀」が発売以来
ずっと書店の目立つ所に並んでいる
常にベストテンに入るほど読まれている


伊集院さんのその著書の中にこう書いている
「人間は長く生きると、誰にでも運、不運が
あることがわかってくる。いい時と悪い時と
交互に訪れるという人がいるが、それは嘘で
ある。
運のいい人間と、運の悪い人間はあきらかに
いる。・・・略・・・長く生きることも運が
必要だと思う」と言っている

確かにそう思う
周りを見てもそういう実例はいくらでもある

実は自分も運の悪い人間だと思ってきた
ここまで振り返ってみてもそうだと思う
”努力もしないで運のせいにするな!”
と言われるかもしれないけれど・・・

ただ、すべてに運が悪かったと思っていない
ここまで長く現役を続けてこられたのは
人にめぐまれたからに違いないと思う

運がいいとか、悪いとか、何を基準にするか
それぞれの価値観によっても違うだろう

でも、そのうち、そのうち
いいことがきっとあると
いまでもそう思っている

だから、ここで引っ込むわけにはいかない
という自分と
だから、こだわらないで別の生き方をしたら
という自分がいて難しい

同じ年代のほとんどの人は
悠々自適の生活をして歳をとっているのに
まだどういう歳のとり方をしたらいいかと
問い続けているのは遅いのかな

やっぱり最後は”やるだけのことはやった”
と後悔をしない歳のとり方、生き方がいい!

これも少し前にここで紹介した
「後悔をしない生き方」
この本もベストセラーになっている
最後に思うことは、みんな同じなのかもしれない


だから、まだ、世の中から引っ込まないで
スポーツクラブに行ってでも心身を鍛えて
闘って歳をとろうとしている自分を応援したい。

71.5歳の創動!夢に向かって!

2011-10-13 20:12:15 | チャレンジ
今日10月13日は
71歳の誕生日から半年目
71.5歳になった!

自分にとって71歳代の後半が
始まったということ
前半はあっという間に過ぎてしまった

今年、71歳のキャッチフレーズは
「脱」と「創」
何かから「脱」して何かを「創」める!

前半のここまで無為に過ごしてきたので
スポーツシーズンを迎えたいま
「創」の念願、マスターズ陸上へGO!

ナイトウォーキングの途中にある
公園の直線コースで少しずつ走っているが
50メートルと続かない

歩くことと走ることが違うことを
しみじみと思い知らされて
マスターズは簡単ではないと改めて思った

高齢者(一応そう自覚している)が
やったこともない競技を創めるのだから
怪我でもしたらなんにもならない

焦らず、無理せず、あきらめず
先ずは競技ができる体力づくりから
じっくりと取り組むことが先決だ!

そう思ったので午後からこれまで
行ったことも見たこともない
ニケ所のスポーツクラブへ見学に行った

一つ目はご近所にあるKナミスポーツクラブ
自宅から歩いて7~8分の便利なところにあり
トレーニング中のプログラムを見学できた


二つ目は歩いて20分のところにあるT急スポーツ
施設はKナミよりかなり小さいが街中なので
人が多く活気がありイメージも明るい

案内と説明をしてくれた女性スタッフも感じがいい
なによりも若い男性インストラクターが地元の人で
陸上競技の選手をしていたそうで話が弾んだ

どちらでも対応してくれた女性スタッフに
「目的はマスターズ陸上にチャレンジする体力づくり」
と話したがT急スポーツの印象がよかった


ご近所で大型施設のKスポーツにするか
20分かかるがイメージがよかったTスポーツにするか
じっくり考えて決めることにした

料金や内容にも大きな違いはなさそうなので
Tスポーツの体験1日コースに参加することにした
少しでも早く決めたいが問題は行ける時間だな・・

ということで71歳後半のスタートの日に
あえて創動といおう
新しきことへの動きが創まった!

先日、ネット上のウォーキングSNSが閉鎖
されることを書いたが、これを「脱」にして
その代りにフィットネスを「創」める!

ちょうどいいタイミングになってラッキーだ
足の筋力づくりはウォーキングでできるので
今後は全身の体力増進に心がけて行くぞ

高齢者として体力の衰えは仕方がないが
少しでも衰えを遅らせる努力をして
何かの現役として通用できるように!

半年くらいトレーニングを続けてみて
春が来る頃にはマスターズにチャレンジできる
体力がついているように頑張ろう!

あの100歳の日野原先生でも筋力トレと
ストレッチを欠かさないそうだ
すごい努力をされている

自分はまだ71.5歳だから
それなりに体力があるうちに
動ける体作りにチャレンジだ!

手帳。

2011-10-12 21:06:19 | 輝いて生きる

10月になって書店では一斉に来年の手帳が
発売されている
いつの間にか今年もそんな時期になってきた

数年前から手帳も随分と様変わりしている
従来の仕事一辺倒から仕事外の生活全般まで
書きこめる様式が主流になりつつある

それだけに記入方式も様々、どれを使うかは
かなり迷うに違いないと思う
だから手帳コーナーは毎年年頭までぎわう



数年前から新人研修でも「手帳の使い方」を
教えているが持ってくる手帳の違いに驚く
手帳の活用ができて初めてプロビジネスマン

かって手帳は営業関係の人が使うものと認識
されていたがいまや職種に限らず女性や学生
まで含めてだれでも手帳を持つようになった

それもライフプランやキャリアプラン的な意
味合いがベースになってきたことがその背景
にあるように思っている

自分が描く姿を目指して積極的に時間を活用
してその実現のために自己管理をしていく
自分の夢が描かれている手帳にしたいと思う。


町の人気ねこ。

2011-10-11 22:26:10 | 交流

先日、近くのプリントショップでデジカメのプリント
の順番待ちをしていたら(自分のプリント枚数が多か
ったので、すぐ後に来た女の子に先を譲った)カメラ
マン風のおっちゃんが後に並んだ

どちらからともなく話しているうちにいま撮ってきた
写真を見せてくれるという
しかも「猫」の写真というのだから・・・はて?

その猫の写真を知り合いにあげるためプリントするらしい
ますますわからん・・・おかしなおっちやんやなあ・・・
まあ、こういうときは思い切って共感して!

ぜひ、その猫ちゃんの写真を見せてくれと言うとOK
猫の写真がプリントされるまでずっと待って、見た!
なんや、太めのそこらにいるのらちゃんと一緒や!

このおっちゃん、自分の仕事場ビルのご近所のMの
住人らしい
猫はわがビル前の公園周辺をすみかにしているという

まだ、公園にいるはずだから見せてあげるというので
とうとう連れられてご対面に向かった
確かにいた、大きい、太っている、左目が見えない

そこでこの猫ちゃん物語をたっぷり聞かされた
この当たりでは知られた猫でこのだれとなく食料の
お世話など面倒を見ているとか

ファンも多いとかで確かに通る人が声をかけていく・・
ふーん、こいつ、そんなに有名なんか!?
この地域のことなら大抵しっているけれどこいつは
知らんかったな!

そんなことで、今日の昼時間に公園を訪ねてみたら
いた、いた!
この間のおっちゃんや、覚えてるか?

(知らん!)

顔をみせてくれない

(なにくれる?)

ちょっと写真撮らしてくれるか
というてもあかん、機嫌が悪いみたい
公園でお昼の弁当食べてる人がこっちを見てる

(うるさいなあ)

そうそう、名前は、なんとかピーとか言ってたな
猫が主役のブログはヒットすると聞いているが
わたしゃ猫に主役を譲るくらいなら引退するわ!

子供の頃、田舎の実家で、ずっと猫を飼っていたが
ネズミ対策要員として立派に仕事をしていた
いまはなにしてるんやろ?

時間の使い方に老後が見える。

2011-10-10 23:22:00 | ひとりごと

近所の駅のすぐ近くによく利用する喫茶店がある
食事もできるし静かで利用するのは年配者が多い
今朝も本とノートと筆記具を持ってでかけてきた

その店の禁煙席に新しいお客が来るようになった
歳の頃も自分とそんなに違わないだろうと思うが
一人は盛んに本を手元において書き物をしている

もう一人はもっぱら読書だ
それも厚手の本をわき目もふらず読んでいる
きっと読書家なんだろう

二人に共通は新聞類をまったく読まないこと
何の書き物しているのだろうか・・・
どんな本を読んでいるのやら・・・・

こっちもテーブルの上には本とノートと筆箱(古い!?)
書くこともするし本も読むがあんなに集中はしない
二人とちがうところはスマートフォンをさわることくらい

やはり同年輩の昔からおなじみの常連客が二人いる
この二人、店のスポーツ新聞を全部読んでいるのでは
と思うくらい喫煙しながらゆったりと過ごしている

仕事をしている人達でないことは身なりでわかる
多分、年金生活で時間があまっているんだろうと思う
明らかにそれぞれの二人の過ごし方が違う

そんな時間があるなら何かすればいいのにと思うが 

それを見ていると老後の時間の使い方が見えてくる
どちらがいいとか、そういうことではないが
やっぱり何かに夢中になっている人に目がいく

また身内の兄のことになるが
一日が24時間では足らないといっているのは
それくらいやりたいことがあるという

日野原重明先生は
歳をとって時間に余裕ができたら自分の未知の分野に
挑戦する勇気を持つことが大事といわれている

それが新しい自分を開発することになるし
そこから新たなやりがいとか達成感が得られてくる
生きている実感とはそういうことだろうと思う

老後、どんな生き方をするか
時間つぶしは命つぶしになるような気がして
もらった時間は生きた使い方をしたい。



秋空の下、大阪ウォークに参加!

2011-10-09 23:37:52 | ウォーキング
朝、8時ちょうど、JR大阪環状線り大阪城公園駅へ
今日はお世話をしているウオーキング倶楽部の10月例会
として「大阪ウォーク2011」の2日目に参加した

コースは30キロ、17キロ、8キロとあり、各自が好きな
コースをエントリー、だから集合も出発時間も別々で
ゴール後の14時に集まることにしたので遅れられない!

自分の役割は、新しくメンバー入りしてきた初心者が参加
する8キロコースのサポートをすることにしたので集合時
間の9時45分まで大阪城周辺をひと歩きした


森ノ宮から玉造口門へ向かうと大勢の団体客が目立って
きた、聞こえてくることばは韓国語と中国語で日本語は
まったく聞こえなくて、どこの国にいるのやら・・・


大阪城のビューポイントはいくつかあるが、午前中なら
この玉造口門を入ってすぐ左、石段を上ったところから
朝日に輝く天守閣の華麗な姿がすばらしい
そこで写真を撮っていたら、それを見た外国人がどんどん
上ってきて、こちらはすごすごと退散!


少しすすむと左側の植え込みの中に大きな石碑があるが
これは大阪城にゆかりのある蓮如上人の記念碑がある
いつ来てもきれいな花が活けてある、今朝もそうだった
訪れる人がきれないということだろう

本願寺の蓮如は明応5年(1496)にこの地に坊舎を
たてやがて蓮如が石山本願寺を建て、後に信長との長い
石山合戦がはじまったことで知られている


ここから東外堀にそって急な雁木坂を下る、かって大阪
女子マラソンでもっとも過酷な地点だった急坂、右側に
梅林が広がる

(高層ビルに大阪城の影・・・)

下って右に大阪城の北門にあたる青屋門、この門を通して
眺める大阪城も撮影ポイント


さらにまっすぐすすむと極楽橋
ジョギングの男女でいっぱい、よく走る・・・
それに比べれば歩くのは楽なもの。極楽橋からの大阪城の
天守閣はすぐ近くに迫ってくる、ここもビューポイント


次は、大阪城に来ると必ず訪れる天守閣の下、観光客からは
目につきにくいところにある「秀頼・淀殿ら自刃の地碑」に
お参りした、いま、大河ドラマのお江ではそのシーンが
近付いているようだが


天守閣をめざすと右手に大きな石があちこちに散乱して
いるように見える一角があるが、ここは「刻印石広場」
刻印石とは、徳川幕府の命により大阪城の石垣築城に
参加した諸大名の家紋などが刻み込まれていて興味深い

築城に使われなかった余り?の石なのか、秀吉の大阪城
築城に使われたものではなく、二代目大阪城の築城の石
と聞いているが

天守閣の下に来た、大阪城天守閣は今年で再建80周年
記念の年、イベントも組まれている。
昭和6年にすべて市民の寄付によって再建された3代目の
天守閣、官に頼らないいかにも大阪市民の心意気が天守閣
には秘められている、官に頼るな!というこの精神は今も
大阪には生きていると思う

36畳敷の大きなたこ石前から大阪城本丸の正門・桜門
を出て、大阪ウォークの会場、西の丸庭園の向かい側の一角
に、「石山本願寺推定地」の碑がひっそりと立っているが
ここを訪れる人は少ない、ここに石山本願寺があったという


時計を見ると9時20分、あわてて集合場所の大阪城公園駅
へ向かい、8キロコース参加メンバーと合流して、ふたたび
同じ道を通ってスタート&ゴールの西の丸庭園へ向かった


10時半にやっとスタート、大変な人で後方に並んだために
その後、ずっと大勢の人ごみの中を苦労しながら歩くことに
なった。なにしろ大阪城公園の出口にある森ノ宮交差点で
11時20分を過ぎていたのだから1キロ余りに50分も
かかったことになる。これにはまいった、まいった!


森ノ宮を環状線にそって南下、途中で伊勢街道へのスタート
玉造稲荷神社を経由、大阪七福神巡りで何度も訪れている
三光神社へ、ここで人ごみをさけ早めの昼食にした。
8キロコースだから時間に余裕があり、初参加者との話し
合いの時間にもしたかった

この三光神社には「真田幸村の抜け穴跡」があるが、これは
大阪夏の陣で抜け道に使うために掘られたものと伝えられて
おり、そばに真田幸村の立像がある



食事が終ると前半のゆっくり歩きとは決別、初参加者が
それなりに歩けると確認できたのでペースを上げて、前に
目標を設定しながらどんどん歩いた

産湯稲荷神社から西へ、上本町6丁目で大阪城を目指して
後半のコース、先にスタートしていた人たちをどんどん
追い越していく、8キロコースの参加者は、のんびりと楽し
みながら歩く人たちなのでその中をしっかり歩きをするのは
いささか不似合いなのだろうが、こちらは初心者の勉強中
そのまま突っ走って、いや突っ歩いて? いま注目の空堀商
店街、かっての熊野古道を歩いて難波宮跡公園へ戻ってきた

ここはかって大化改新以来150年、この地が日本の首都で
あったことが確認されている広大な敷地が公園となっていて
今日はイベントが行われていた

そのまま大阪城へ戻り大手門から西の丸庭園へ、両側に並ん
だスタッフの拍手とねぎらいのことばを受けながら元気に
ゴール!わずかな距離だったが、初参加の初心者4名は
感動のゴールだったようで完歩賞をしっかりと持っていた

この西の丸庭園は、かって北の政所が住んでいたところ
いまは市民の憩いの場になっているが、ここから眺める
天守閣もすばらしい


30キロコース、17キロコースのメンバーがゴールする
までの間、ムーンスターのブースへメンバーを案内した

女性メンバーの二人がシューズを気に入っていたようだが
一人はサイズが合う在庫がなくて中敷きでがまんしてた
もうひとりはピンクのデザインのシューズを購入した!

担当者が自分のことを知っていたが、オフィシャルブロガー
のランドセルのことは、ムーンスターのブースでは、いつも
指名手配されているように認知されていてありがたい

そのうちに30キロコース、17キロコースのメンバーも
次々とゴールして15名が全員完歩した。10月にしては
高温だったコースの状況を考えれば、時間的にも早く、メン
バーの健脚度もかなりアップしていた

参加した15名全員で公園の木陰でしばし休憩して、九州の
病院で難病による闘病中のメンバー、Zさんへ激励の寄せ書き
と、全員の写真を送ることにして西の丸庭園で撮影

後日、メンバーがコースで買ってきたお守りも添えてZさん
に送ることにした

そこで全員写真!


ん?!

男がいない!
両手に花どころではない・・・
下手をすると追放されて
これでは女性の倶楽部になってしまう!

おーい、全員集合!やっと男どもが出できた


その全員写真の顔ぶれを見て驚いた!
初期から男性中心に運営してきた倶楽部に、最近女性の入会
希望者が増えてきているが、これまでは少数派
ところが今日の参加者は、女性が8名、男性が7名、逆転、
えらいことや!

女性が増えると男性が引っ込んでしまう
それに、自分の主宰者の立場も乗っ取られはしないか・・・
うっかりすると政権交代に追い込まれる、新たな心配事ができた!

あまりの暑さだったのでのどのかわきをいやすためビジネス
パークー移動、ビールで乾杯、みんなの顔が完歩した達成感
ですっかり緩んで楽しい話はつきなかった

新しいメンバーが増えて倶楽部もにぎやかになった、歩くだけ
なら協会やサークルはいくらでもあるが、同じようなことを
やっていて倶楽部として存在する意味がない、期待してきた
メンバーが倶楽部に入ってよかったと言ってくれる倶楽部に
するために責任は重い。

この世で大切なものってなんですか。

2011-10-08 21:22:14 | 本・読書・音楽

三連休の初日は、終日秋晴れのいい天気だった
明日がW倶楽部の例会日だから今日はのんびり
心身を解放して癒してやろうと千里へでかけた

お決まりの○○○電気から○○書店をじっくり
ひとめぐり、別に買う目的があるわけではない
がここは意外と情報源なのだ

一週間前の姪の結構式後の披露宴の席で実兄が
ひろさちやの本を読んでいるといっていたので
読書家の兄の話していた本を探した

兄が仏教関連の本を読むのはなぜか?
亡き父親も晩年にその種の本を読んでいたこと
を思い出して年齢のせいかなあと思ったりした

なにをして生きるか?
ということより
どんな生き方をするか?

それが人生後半のキーワードだろうと思っている
理屈っぽくなるが、なぜ、生まれてきたのか?
と、そこに行きついてしまう・・・・

78歳の兄が”一日が24時間では足らない!”
というのは、そこにあるのではないかと勝手に
想像しているが今度会ったら確かめてみたい

千日回峰行を二度も満行された比叡山の酒井雄哉
大阿闍梨と池上彰氏の対談本を読んだいたら



”あんた何しにここ(この世)に来たの?”と
常に自分に問いかけ続けることといわれている
生まれてきた使命?それを少しでも果たすこと!

一人ひとりがしなければならない持ち場がある
「一隅を照らす」とはそのことだそうな
それが自分の居場所ということなのだろうか?

ふと、九州の病院で病と闘っているZさんを思った
あれだけ使命感を持って第二の人生を踏み出した
ばかりなのにそれを取り上げられている

この世でいちばん大切なものって何ですか?
という問いかけに

”生きることでしょう!”
”どんな苦難があっても切り抜けていくこと”

酒井大阿闍梨はそう答えた。


秋の夜の不思議な出会い。

2011-10-07 22:35:21 | 交流

昨夜の11時半ころ、ナイトオークでいつものコースを
公園の入口まで行くと、リュックに杖をついた男性が
暗い道を右に左にゆっくりと歩いてきた

目の不自由な人であることは一目でわかったが
こんな夜中にどこへ行くのだろうか・・・・
心配になったので立ち止まって見ていたら

春なら桜並木できれいな池のほとりの道へ入った
池のまわりをかこっているフェンスに杖が当たる
その音がなんとも淋しくて気になったので

あわてて寄って行った

”どちらまで行かれますか、大丈夫ですか??”
 と声をかけたら
”大丈夫です”と戻ってきた

”右側はずっとフェンスですよ、気をつけて”
 と言ったら
”ありがとうございます”
 と丁寧なことばが返ってきた

進む先はしばらく行くと途中で別れて
左は急な坂を竹林にそって上っていく
右は池の周りを地道が続いて歩きにくい

しばらく見届けて戻ろうとしたら
そのやりとりを聞いていたのだろう
”あの人はよくあの道を歩いているので大丈夫ですよ”

いつも回収した空き缶をつぶしている男性が
おだやかな口調で言ってくれた
なんだ、この人はいつも見てるんだな

ということは、毎夜のようにこの場所を歩いている
自分のことをこの男性は見て知っているに違いない
自分も空き缶回収のこの人を大変だろうと見てきた

そうか、それぞれが気にしあっているんだな
星空の秋の夜のちょっとした出会いだったが
なんだかほのぼのとして気分になった

ところであの杖の男性、どこへ行ったのやら
行く先は竹林に囲まれたさびしい道
暗くて夜に人が通るところではない

坂道を上り詰めたユースホステルだろうか
他にいくところなどはないからな
心配になった、今夜も行ってみようか!

創める!

2011-10-06 19:58:02 | 輝いて生きる
先週の土曜日に姪の結婚式が横浜のホテルで
あったことはブログにも書いたが
その時に意外な場面に遭遇したのを思い出した

披露宴が終わり列席していた人達が会場の出口で
新郎・新婦、両家の両親から見送られて退場して
いたときに思わぬことが起きた!

突然、ピアノ演奏が始まった!
それにしてもミスが多いぞ!?
と、振り向いたら・・・・

おやおや、演奏していたのは実兄!
真剣な顔をして弾いていたが間違える
それでも一生懸命に弾き続ける

まわりに列席していた人が集まってきた
そしてほほえましく見ているではないか
兄も落ち着いたのかそれなりの演奏になった

挙式から披露宴までずっと撮影を続けていた
女性カメラマンまでが兄の演奏を撮り始めた
ちょっとした演奏会風景、姪への贈り物になった!

兄のピアノ演奏は古希を過ぎてから創まった
先生に習いよく発表会があると言っていたが
生演奏を見たのは初めてで驚いた

元高校教師の兄の学習意欲は78歳の今でも
旺盛で衰えることを知らない
ピアノはその中の一つだからすごい!

一日が24時間では足らない!が口ぐせ
外国語の勉強もしているし学習会もしている
近々、クロアチアへ行くと言っていた

日野原重明先生が常に言われていることに
70代は何かを「創める」年代!
兄はピアノを創めた

自分は何を創めたか?
今年のキャッチコピーが「脱」と「創」



2011年1月4日のブログにこんなことを書いた
(71歳の4月13日から72歳4月13日まで)

③「創」

☆新しいことを創める、チャレンジすること
☆尊敬する日野原重明先生が70代は何かを創める
年代と提唱しているのでこんなことやってみたい

○マスターズ陸上・・・ずっと温めてきた夢
○ペン習字・・・板書に耐えられる文字を書くため
○日本語-検定・・・6月受験
○組織づくり(集まり)・・・挑戦する人たち
   *仕事関連のことは除く。

以上のうち、もっともチャレンジを創めたいのが
マスターズ陸上、これは72歳の誕生日までには
必ず創めるとここに約束をしておく

組織づくりは、人のお役に立つことを前提に計画
しているが、後は創めるか創めないかだけ
創められない理由はなにもない

他に71歳の誕生日から創めた新ブログは休眠中
これはいかん!

新しいことを創めるのに年齢は関係ないが
大抵は年齢を言い訳に創めることをしない
「歳だからは禁句!」だ

なんでもいい、小さなことでもいい
何かを創めて、続けていきたい

一昨日書いたウォーキングSNSの閉鎖はそれに
代わるものを創めるチャンスをもらったと思えば
よかった!また人生が広がっていく!

100歳、日野原重明先生。

2011-10-05 17:37:36 | 輝いて生きる

尊敬してやまない聖路加国際病院の日野原重明先生
が昨日平成23年10月4日、満100歳の誕生日を
迎えられた

「生き方上手」シリーズから日野原先生の著書は
読み続けているほどのあこがれさん
なにかあればページをめくって元気をいただく

仕事場の鏡の前や冷蔵庫のドアには先生の著書の
顔写真のある表紙を張り出して少しでもパワーを
いただきたいと思っている

今日、書店でそのものずばり「100歳」という
書名の本が出版されていたので早速買ってきた
百歳を記念として「100歳」は出版したそうだ



百歳を機に「さらにこれからが本番だ」と、人生
のスタートラインに立つ覚悟を持っています。と
百歳を過ぎても、さらに10年間はゴールに向か
って進みたいそうだ

「100歳」は、NHK取材班が99歳の誕生日から
1年間、取材を続けてまとめられたものと生い立ち
から今日まで歩んでこられた人生が紹介されている

いまでも現役の医師として仕事をされてるだけで
なく年間100本以上の講演もされている
すごい!そのパワーの源は?

99歳から筋トレを始めた
ウォーキングやストレッチもやっているそうだ
先生の挑戦することに百歳のデータがないために
みんなご自分のすることは実験、すごい!

鞄の中に血圧計を常に携帯して日に四度、血圧の
測定をして対応している・・・高血圧の自分でも
最近は朝一度だけ・・・せめて夜も測定しよう

ページの多くをさいて92歳で介護の必要な奥様
と過ごしてこられた68年のことも書かれている
仕事、家族、夫婦、すべてに全力の「100歳」

10月8日に
「NHKスペシャル日野原重明・100歳」が
放映されるそうだ。


ウォーカーも歩けば人に当たる!

2011-10-04 20:03:16 | 輝いて生きる

2000年10月1日にウオーキングを始めてから
とうとう12年目になった
こんなに歩き続けるとは思わなかったので驚いている

昨夜は半袖では寒いくらいだったが、それでも歩いて
いると体が温まってきてナイトウォークにはちょうど
いい時、12年前を思い出しながら歩いた

オーバーな表現かもしれないが、60歳の還暦から
ウォーキングに明け暮れた11年といってもいい
人生の中でもっともよく歩いた年代と思っている

それが決して無駄ではなかったことを実感している
歩数の蓄積は今の健康な体をつくってくれている
なによりも動きが軽くて50代の頃より歩力がある

その間、琵琶湖一周から、しまなみ海道、熊野古道、
東海道五十三次(京都三条大橋→日本橋)まで歩いた
そしてウォーキング倶楽部までつくって10年!

2008年7月からシューズメーカーの㈱ムーンスター
(旧月星化成)が運営しているネット上のウォーカーの
SNS(もっと楽しくウォーキング)で会社より依頼を
受けてオフィシャルブロガーになった


(オフィシャルブロガー最初のヘッダー、京都三条発)

登録会員は数千人いると聞いているが、純粋な会員の中
ではただ一人、会社より依頼されオフィシャルブロガー
として3年余、プレッシャーを感じながらウォーキング
日記を書き続けてきた

同社が月に1回発行しているメルマガでは必ず自分の
ブログが紹介されるのでいつも同じスタイルで書き続け
ることは決して楽ではなかったがやりがいもあった

何もいただいているわけではないので気楽ではあったが
広告塔として検索にかかるようなテーマのブログを書き
続ける努力はしてきたので貢献したと自負している

そのブログ(もっと楽しくウォーキングSNS)が11月末
で閉鎖されることが先日発表された
閉鎖を知った会員は様々な反応をしているがこれも時だ

会社からは会員に公開される前の9月2日に公式に連絡が
あり担当者がお礼に来阪したいということだったが日程が
合わずまたその必要はないので誠意は受けとりお断りした

自分にとっては東海道五十三次の勝手応援のサークルまで
会員有志が作ってくれて70歳の誕生日に日本橋にゴール
した時には出迎えを受け感動を分かち合うことができた

ブロガーと応援サークルという二つことは、大勢の会員の
中でだれもが得られなかったことだからSNS会員の中で
最も恵まれた会員だったのかもしれない


(二代目のヘッダー、日本橋ゴールの写真)

そのためにもオフィシャルブロガーとして頑張ってきたが
まもなく閉鎖されるということでその役割から解放される
正直なところほっとしている

SNSがなくなることの一抹の寂しさはある
会員間では、いろいろな動きがあるようだが、4年近くも
会員を続けて、もう、ここらで脱SNSとしたい!

いつまでも、同じことをしていても発展はない
閉鎖を区切りにして次のステップへのチャンスと前向きに
捉えて振り向かないことにしてもう卒業と決めている!

会員は経営上の問題として閉鎖をとらえているようだが
閉鎖に追い込む原因の一端となる言動をとっていた者が
いたとしたらまじめな会員は迷惑を受けたことになる

ブログを公開する会員も少なくて外によさが発信されずに
閉鎖的なSNSになっていたことも、経営へのプラスには
ならず、いずれ行き詰まるだろうと思っていた

まっ、これはあくまでも自分の勝手な推論ということで!

もっと楽しくウォーキングSNSは
いまさらPRしてもしょうがないけれど
http://www.walking-sns.com/u/rakuraku/



ウォーキングは、沢山の出会いと思い出をつくってくれた
まさにウォーカーが歩けば出会いに当たる!
これも一歩を踏み出すウォーキングが原点だ!

たまたま登録したことから出会ったSNSの友人達、特に
親しく接してくれた人、東海道五十三次を応援してくれた
人達のことはSNS閉鎖後も大事にしていきたい!

これからは、お世話をしているW倶楽部に集まっている
ウォーカー達と、他のWサークルとはとは一味ちがった
楽しい組織をつくってお役にたちたいと思っている。

九州で闘っている友へエール!

2011-10-03 22:20:25 | 健康

九州の地方専門病院で手術を受けた知人のZさんの
ことはブログに書いた
それから今日で13日目になった

毎日、メール交換をしていたが29、30、1日の
三日間、ちょうど神戸と横浜に滞在していたときに
メールへの返信がなかったので気がかりだった

予定では先週に退院できると聞いていたので退院が
できたのか、状況がおもわしくないのか、どちらか
だろう・・・勿論、いい結果を予想していた

昨日の早朝、横浜のホテルにZさんからメールがきた
退院できると思っていたのに再手術を受けたこと
それが不安だと書いてあった

びっくりした
着替えの途中だったが
すぐ返信をした

しかし、今朝のメールは落ち着いた様子がうかがえ
元気で食欲も旺盛だと書いてあったのでほっとした
不安、希望が入り混じるのは当たり前のこと

もし自分が当事者だったらZさんのように冷静でいる
ことができるかどうか、はなはだ疑問に思う
常に精神面の安定に努めているZさんは立派だと思う


人間だれでも「生」から「死」へと向かっていく
わかっていても元気であれば、その二文字を身近に
感ずることはあまりないだろう、自分もそうだ

Zさんはその二文字と毎日向き合っていると思う
そして朝を迎えられることがどんなに尊いことかを
実感していることだろう

Zさんとは退院してから約束をしていることがある
その約束はなんとしても果たしてもらいたい
そのことが二人の強い絆として結ばれている

このブログももちろん読んでくれている、
”約束は果たす!”とうなづいているに違いない
早くとは言わないが必ず戻ってきてほしい!

横浜遠征二日目。

2011-10-02 22:21:43 | 家族
横浜のホテルで一夜を過ごして
息子が伴侶になる人を連れて
横浜まできてくれた
待望の自分の娘になる人だ

みなとみらいの赤レンガ倉庫群へ行った
昨日、姪の結婚式のあったホテルから
よく見えたあの赤レンガ倉庫群


古いレンガづくりの建物を整備して
商業スペースにしており大勢の人が来ていた
どうやら人気スポットらしい



見た目は凱旋門みたいな感じのナビオス横浜ホテルで
道の入り口の門になっている


息子が予約していたレストランに移動して
食事をまじえてひとときを話し合った
うまくいけばいいが・・・


帰り、新幹線新横浜駅の改札口できのう一緒
だって兄夫婦とばったり会ってびっくり
なんと同じ列車に指定券をとっていた

こんに偶然もあるもんだな!
車中から富士山もみられてラッキー!
神戸・横浜四日間、あわただしくて疲れた。

(富士川と富士山)
2009.6.19 東海道五十三次ひとり歩きで
この富士川を渡ったが肝心の富士山を見ることが
できなかった、こんなに近いのにね!