△醗酵が中途半端で終わった白菜約2玉分の漬物
1月25日午後に漬け直した白菜漬けだが、30日の朝に
なっても水は上がってこなかった。
結局、白菜の醗酵が中途半端なところで終わってしまったのだ。
今となっては、今回の失敗の最大の原因が塩不足であったことは
間違いない。
ネット上の複数サイトで確認したところ、そもそも白菜漬けには、
白菜1玉(2~3kg)あたり、おおよそ100gの塩が必要なのだ
そうだ。
△白菜1玉に必要な塩100g
今日初めて実際に計量してみて、100gの塩の多さに愕然と
させられた。
自分なりには塩を「たくさん」使ったはずの「長男」だったが、
それはあくまで「長男」の主観にすぎず、今回使った塩はおそらく
合計で30gほど。
塩30gで約2玉分の白菜が醗酵できるはずもなかったのだ。
それにしても、白菜漬けにこれほど多くの塩が必要になるとは、
「長男」には逆立ちしても想像できなかった。
つまるところ、今回の2度にわたる失敗の根本的原因は、
白菜漬けに対する「長男」の認識の甘さにあったのだ。
データ(計量)など頭から無視したまま、聞きかじった中途半端な
知識に基づく勘と希望的な観測だけで白菜漬けに臨んだのが、今回の
「長男」だった・・・。
まさに絵に描いたような失敗のパターンではないか。
今、これを書きながら、かなり落ち込んでいる。
しかし、やはり、このまま引き下がるわけには行かない。
週末、白菜を購入し、3度目の白菜漬けに挑もうと思っている。
たかが白菜漬け、されど白菜漬け。
(終わり)
1月25日午後に漬けた白菜を27日朝、確認してみた。
漬物袋(ビニール)を開けたとたんに、白菜漬けのいい匂いが
した。白菜も随分、しんなりしていたし、水も樽の底に2cmほど
溜まっていた。
インターネットの複数のサイトに、白菜は切り口を上に向けて
漬けなくてはならないと出ていたので、白菜の切り口を全て上に
向け並べ直した。
また、意地になって(?)二つも重ねていた重しについては、
上に載せていた4.5kgの重しを取り、8.5kgの重し一つにした。
重しがあまり重すぎると、漬け物が筋っぽくなってしまう
のだそうだ。
これから、水が上がって来た段階で、4.5kgの重しに変える
つもりだ。
明日の28日、そして29日くらいが大きな山場になりそうだ。
がんばれ、白菜漬け!
(終わり)
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2009年1月、「長男」は初挑戦した白菜漬けに見事に失敗して
しまった。
たかが白菜漬けと言って、なめてはいけないのだ。
1月25日、「長男」は白菜漬けに再挑戦するため、隣町の
安売り店で新たに漬物樽と重し、さらに漬物袋を購入した。
材料は、前回失敗した白菜たちを再利用する。
漬ける量は、前回の約半分。仮にうまく漬かったとしても、1週間
くらいで全て食べてしまえる量にしておかないと、後の処理に困る。
前回失敗した白菜の残り約半分は、妻の手で白菜キムチとして
よみがえることになる。
今回も、計量は省いており、「科学的」な漬け方はしていない。
失敗も含め、自分の目と素手の感触に経験を積ませることに
こだわってみた。
今回、塩の量はかなり増やしたし、重しについては、こんなに
載せたら白菜が可哀そうだと思えるくらいに載せてみた。
保管場所も2階のベランダの一角に移した。
「長男」の書斎のすぐそばだ。
(終わり)
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△1月19日夜に漬けた白菜
1月25日になっても19日夜に漬けた白菜たちに全く変化は
なかった。
惨敗である。
白菜漬けには、昨年、妻も失敗しているので、「長男」家族
としてはこれで2度目の失敗となる。
妻は塩が多すぎて失敗した。とても口に入れられたものでは
なかった。
今回の「長男」の失敗は、少なすぎた塩と軽すぎた重しにあった
ようだ。
本来なら白菜や塩、重しをきちっと計量しながら「科学的」に
取り組むべきところを、適当なイメージだけで漬けてしまった
ところに大きな敗因がありそうだ。
しかし、このまま引き下がってしまっては「農家の長男」の
名(?)に顔向けできない。
再挑戦を誓う「長男」であった。
(終わり)
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週末、実家に白菜をもらいに行ったおり、久しぶりに裏山の
神社を訪ねてみた。
最近、中年男に訪れた微妙な心境の変化からか、実家の
まわりなどをうろうろしながら、子どもの頃の記憶をたどることが
多くなって来た。
「地主神社」なる名称を持つ裏山の神社は、実は「長男」が
大学生のころに建て直されたものだ。
建て直される前も今も、どこの村にもあるような何の変哲もない
小さな神社だ。
それでも、「長男」らの中年世代が子どもの頃までは、この
神社で集落の子どもたちの七五三なども行われていた。
△鳥居には明治39年の年号が見える
現在、花見をはじめ年に何回か、集落の大人たちがここに集い
宴会を開いているはずだ。
当然、成人後、故郷を離れたままの「長男」は、そうした
集まりには一度も参加したことはない。
(終わり)
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