「俳句αあるふぁ」春号に投稿しておいた句が予選通過欄に載っていました。
春や昔画紙の社名に迎えらる
五十年前の上野駅の一コマです。
前日、夜行列車に乗って、朝上野駅に着きました。
会社名を書いた画用紙を持った若手社員がプラットホームに迎えに来てくれていたのです。
周りを見ると、同じように会社名を書いた画用紙を持った人がたくさんいました。
しかし、俳句的には「回想の句は弱い」らしい。
確かに、作者は五十年前に戻っていますが、読む人は、さて?というところでしょうか。
春や昔十五万石の城下かな 子規
正岡子規が、明治二十八年、日清戦争の従軍記者として出発前に、生まれ故郷の四国松山で詠んだ句です。
子規は江戸最末期、慶応三年松山藩士の家に生まれた人です。「十五万石に自分も連なっていたのだな」と詠んだのです。
近頃お気に入りの一句
石段のはじめは地べた秋祭 三橋敏雄
「戦中派」という言い方がありました。ご本人が「戦中派」と称したかどうかわかりませんが、次のような強烈な句があります。
出征ぞ子供ら犬は歓べり
いっせいに柱の燃ゆる都かな
手をあげて此世の友は来たりけり
菜の花に汐さし上る小川かな 河東碧梧桐
門を出て五六歩ありく春の風