画像がないので、ちょと探し、
一年前の彼岸花の出だし。
写真に日付は入れていないのです。九月半ばぐらい?
「秋だというのに」という歌の一節があったなと思い調べてみたら、「メランコリー」梓みちよと出ました。
「メランコリー」の意味などは特に考えたこともありませんでしたが、「ヤホー検索」で・・・「メランコリー」、「憂鬱」と出ました。
毎日の「コロナ報道」で、おらほもなんとなく「憂鬱」になっているのかなと思いましたね。
「憂鬱」と自覚したことはないつもりでいましたが、・・・。
ここ一年は「俳句関連の雑誌や本を読む、真似て作ってみる」中心の生活で、ケータイに入れてある
「よたむら名曲百選」を掛けることはほとんどなくなっています。
乃木坂もメランコリーか秋初め 今日水
歌詞そのままですが(川柳に近いかも)
立秋とは言え、まだ八月中、連日の猛暑です。
春夏秋冬、どの季節も、三か月90日と長いので、季節の変わり目の始まりと理解しておきましょう。
プレートにサイレン鳴らず今朝の秋 今日水
夏の甲子園が始まっているはずの朝。NHK高校野球中継、試合開始のサイレンを待って、ピッチャー第一球となるべきところですが、今年は鳴りません。
「今朝の秋」は立秋の日の朝です。
プレートにサイレン鳴らず雲の峰 今日水
「雲の峰」は入道雲。甲子園球場に入道雲、午後一時ごろ、第三試合当たりですが・・・。
近頃お気に入りの一句
敵といふもの今は無し秋の月 高浜虚子
昭和20年8月終戦、この時、虚子は71歳、芸術院会員、日本俳句作家協会会長、長野県小諸市に疎開していたそうです。
俳句結社の広告を見ると、師系「誰々」と書いてあるのですが、師系の最終行先はほぼほぼ、この人なのです。
しかし、なんで「師系、誰々」が必要なのか? 「???」
「我々の師匠は誰々、そのまた師匠は、有名な大師匠、誰々である」と言ってるわけです。俳句的ではないはずですが?
江戸時代は「宗匠」、現代は「主宰」と呼んでいるらしい。
結社に主宰者は絶対的に必要ですが、その上を示す「系」は要らないと言ったら、怒られるか。
「やあやあ、我々の主宰は・・・そのまた宗匠、彼の高名な・・・の流れを汲むものである」と言ってるのか?「乱立の証明」・・・ますます怒られるか。
俳句はシンプルを是とす。組織も。
句歴1年、先の無い体験学習。
俳句結社に入れてもらうことはないでしょう。
水馬(あめんぼう)弁天堂は荒れにけり 川端茅舎
「弁天堂」・・・大田区池上本門寺隣「本門寺公園の弁天池」、池上本門寺が東京都に寄付した公園らしいですが、行ったことはありません。
美(よ)き雲にいかづちのゐるキャムプかな 山口誓子
真っ白な入道雲と遠雷の音、
最近の豪雨災害を考えると、夢のような景色ですね。
スターの訃報が続いています。
セーターの男タラップ駆け下り来(く) 深見けん二
映画のワンシーンを詠んだ句でしょうね。
白いセーターの男がセスナ機のタラップをタッタッタと駆け降りて来る。日活映画、石原裕次郎以外は考えられません。
俳句的には、「セーター」冬なのですが。
参考の一句
個展いで薄暑愉しき街ゆくも 水原秋櫻子
書展出て秋空広き石だたみ 今日水
秋書展公園の空広きかな 今日水
ここ数年上野公園の東京都美術館や上野の森美術館、銀座洋協ホールなどに、知人の書展を見に行っているのですが、今年の秋の書展中止を知らせる葉書(暑中見舞い)をいただきました。
来春はどうなっているのか、ですね。
近詠
お通しと枝豆たすきの女将かな 今日水
インターネット俳句で「枝豆」と題がでたので。
水色の朝顔一輪地に咲けり
植えたつもりのない、こぼれた種の朝顔、砂利というか、石ころの間に小さく一輪。
カナカナや迷い来たりか朝まだき
油蝉は、林から飛んで来て電柱にいたりしますが、ヒグラシは雑木林で集団生活をしているような感じで、家のそばには来ないと思っていましたが、
ある朝、カナカナカナと一声、「ん、応えがない?」という感じで去っていきました。
明け方ですが、雨戸を開けて見たわけではありません。