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日本記念日協会の今日・2月5日の記念日の中に「笑顔の日」があった。
記念日の由緒を見ると“ 2 と5 の語呂合わせからニコニコといつも笑顔でいようという日。社会を明るくする活動を行っているボランティア団体の有志が制定”・・・とあったが、そのボランティアだんたいが何処なのかは書いていないので分らない。ネットで検索してみると、それらしきボランティア団体としては、『子供たちを笑顔に』を合言葉に活動している以下参考の※:「チャリティー団体ハッピースター」があったが、このボランティア団体であろうか・・・?
ボランティア団体ではないが、エッセイスト・福田純子さんが建国している参考の※:文化団体 “笑顔共和国”と言うものもあるが、世の中、皆が笑顔で生活すれば、世の中全体が明るくなることは確かだ。
1995年(平成7年)1月17日の朝発生した阪神・淡路大震災では、戦後最大の被害者(6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名【負傷者数は混乱の中、正確には数えることができていない】)が出た。避難人数 は、 30万名以上。 住家被害 :全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟 。火災被害 :住家全焼6,148棟、全焼損合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯に上る大災害である。
この時、県外などからも多くの人々が復興支援に駆けつけてくれ、この年は日本のボランティア元年ともされている。それぞれの被災者は、親・兄弟等家族、親戚・友人等をも多数亡くし、又、住む家もない中、必死に耐えていたが、そんな被災者に対して、ボランティアの人達が被災者に「頑張れ!」と力付けてくれたが、被害者の人が「必死に頑張っている時に頑張れと言われてもこれ以上どう頑張れと言うんですか」とポツリともらしたのを聞き、ショックをうけたという人が居たと後に聞いたが、実際に、どうしようもない状況の中必死に頑張っている人にとって、「頑張れ!」という言葉はかえって耐えがたい重荷になることがあるのである。
被災から15年も経過した昨年には、災害時幼かった被災者も成人し、多くの人の支援によって今日無事生きていられることをっ感謝し、自分も社会のお役に立つ仕事をしたいと、福祉活動などに取り組んでいる人が多く居るが、そんな中で、ある女の子・・と言っても成人しているかっての女の子が、いろいろなことで悩み、困っている人達にとって、自分の経験からも「頑張れ!」と言ってお手伝いしてあげる代わりに、彼女自身が「精一杯微笑み、笑顔でやさしく接し、親身に困っている方の相談にのってあげることが一番の勇気付けになることだ」と言って、それを実践している・・・と言う話を聞いたことがある。明るい「笑顔」「微笑み」こそが、暗い人を明るくし、暗い世の中を明るくしてゆくことになるだろうと、実際に阪神大震災を経験した私もそう思っている。
♪辛い時でも 笑ってられる そんなアンタは ホンマにアホや
先の事など 考えないまま ペース配分さえ 出来ないで走る
悲しい時こそ おどけてばかり そんなアンタは やっぱりアホや
(中簡略)
だけどそんなあんたを あんたを見てると なぜかやさしい風が 吹き抜けていく
湿った心は 笑いで乾く
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ人生 生きてるだけでまるもうけ Oh ♪(以下略)
「BEGIN with アホナスターズ 笑顔のまんま」(作詞:明石家さんま・BEGIN 作曲 : BEGIN)
これは、1985(昭和60)年4月から、フジテレビ系列で放送されている関西テレビ制作の人気のトークバラエティ番組「さんまのまんま」のエンディングテーマ曲である。何でも2008(平成20)年の夏、番組放送中に明石家さんまから「この番組のエンディング曲作って」と突然リクエストされたBEGINが不眠不休でゼロから作り上げ、オーダーから約17時間後に披露し、大きな感動を呼んだ伝説の名曲。CD化するにあたり、BEGINは再度さんまから歌詞のテーマを聞き、新たに2番の歌詞を書き上げたものだという(歌詞は以下参考の※:「歌詞ナビ・笑顔のまんま ♪ BEGIN with アホナスターズ」参照)。以下で2009(平成21)年1月7日に発売されたシングルPV視聴動画が見られる。凄く面白い曲と言うだけでなく、非常に良い曲だよ。
BEGIN with アホナスターズ 笑顔のまんま PV無料視聴 動画
http://musicmovie.blog48.fc2.com/blog-entry-5904.html
2007(平成19)年のサブプライムローン問題発生以来世界的不況のの中、日本は、今デフレに悩まされ、かってない不況に陥り、企業倒産、企業の人員カットなどで失業率も5%を超え、その日の住まい、食時にさえ困り路頭に迷っている人達が多くなってきた。年金問題、医療問題その他、将来の展望が見えず、その為、誰もが暗い気持ちになっている。
そのような世の中、政府や市町村など行政に期待をし、また、誰かがなんとかして欲しい・・・と願っていることだろう。
しかし、世の中を代えてゆくのは、人任せの誰かではなく、私たち自身であることも忘れてはいけないだろう。
わたしたち自身が変わらなければ、世の中も変わらない。私たちひとりひとりが変われば、周りの人達が代わり、それが広がって世の中が変わってゆくことになる。しかし、今は、兎に角、現実には、何もかも、人任せにする考え方や、自分の非を人のせいにしたりする怠惰な思いが横行しているように思われる。
ここで少し考えてみたいのは、仏教の布施(ふせ)についてである。布施と言えば、僧侶への読経のお布施(謝礼金)ぐらいしか思いつかないかも知れないが、仏教の布施(ふせ)とは、梵語では「檀那(旦那)(ダーナ)」といい、慈悲の心をもって、他人に財物を施すことである。
これは、六波羅蜜(ろくはらみつ)のひとつで、大乗仏教以前からある菩薩が悟りを得るために修めなければならない6つの実践徳目(「六度(ろくど)」)の第1番目のもの=布施波羅蜜のことである。菩薩は、この六徳目を得て自利利他(以下参考の※:自利・利他-Yahoo!百科事典参照)の大行を究竟(くきょう= 絶対で最上であること。最後に到達する所。究極。)し、涅槃の彼岸に到る。
布施の「布」とは精神的に広く行き渡ること、「施」は物質的に恵みを授けることであり、つまり、慈しみの心をもって、ひろく施しをすることである。
布施には「財施」「法施」「無畏施」三種の布施がある(大智度論)。
まず、財施(ざいせ)とは、金銭や衣服食料などの財を施すこと。法施(ほうせ)とは、仏の教えを説くことであり、かって、お寺(檀那寺)と檀家の関係で言えば、私たち寺の檀家(信者)がお寺の私たちへの法施に対して、そんなお寺を護持をしていくために財施をするという関係でもあった。この2つの布施に対して、 無畏施(むいせ)とは、一切の衆生の畏怖の念(不安や恐怖)を取り除いてあげることで、観音さまの慈悲(大慈大悲)でもある。観音さま=観音菩薩の名称は、鳩摩羅什(くまらじゅう)が観音経【妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五】の趣意を取って意訳されたものであるが、奘三蔵(げんじょうさんぞう)以降、観自在菩薩とも訳されているが、観自在とは、智慧をもって観照することにより自在の妙果を得たるを意味しており、また衆生に総てを畏れざる無畏心を施す意で施無畏者(せむいしゃ)、世を救済するので救世大士ともいうなど多数の別名がある。
慈悲の慈とは、慈しみを与え、楽をあたえる(幸福にしてあげる)こと。 悲とは、悲しみを取り除いてあげる(苦を抜く)ことをいい、これを抜苦与楽(ばっくよらく)というのだそうだ。
菩薩行とは、相手を救ってあげたいという、やむにやまれぬ慈悲の心だが、慈悲だけではダメで、そこには智慧がともなわないといけない。慈悲と智慧が揃ってはじめて、正しい導きができるのだが、ここで私は、菩薩のように慈悲と知恵を持って人を導けなどと言うつもりはもうとうない。本来、布施とは、財力のある人は勿論、財産を持たない人でも、誰でもが自分の能力に合わせて出来る功徳であり、貧乏で財施はできなくても、また、仏の教えを説く知恵がなく法施は出来なくとも、人への思いやりや心づくしがあれば誰でもが身を持って自分の骨折りによって他人の心配や苦労を少なくしたり、喜びを与えることはできる。それが無畏施である。
世間一般の人達が考える損得勘定では、施しをする人よりもされた人の方が得をするようなイメージであるが、布施は、施した人の方が幸せな気分になるものであり、この布施の行為は、近年、概念が単なる人道的・道徳的な奉仕と変化しつつあるボランティアとかチャリティとか、とよく似たイメージで語られることが多くなってきた(「布施とボランティアの違い」については以下参考の※:仏教クラブ「布施とは」にある“考察・布施とボランティアの違い”を参照)。
電車の中で座席を譲るのも無畏施のひとつであるが、何も持たずとも笑顔によって人の心を和ませることも出切る。穏やかな笑顔(和顔)と優しい言葉(愛語)を仏教では「和顔愛語」(わげんあいご)といい、仏教ではこれが大切な布施行だとして教えている。
釈迦は亡くなる直前、まだまだ修行未熟で悲しむ弟子たちを前に、最後の言葉を残された。その言葉は『涅槃経』(ねはんきょう)『遺教経』((ゆいきようぎよう)などに記されているが、その1つとして、涅槃へと至るための「少欲知足」等の実践が大切である事が解かれており、浄土三部経の1つである『無量寿経』 には、法蔵菩薩(阿弥陀如来の修行時代の名)が、発願し修行し、その際、「少欲知足」、「勇猛精進」、とともに「和顔愛語」を実践したことが述べられている(仏説無量寿経・上巻参照)。「少欲知足」とは、欲を少なくして足ることを知ることであり、「勇猛精進」は、勇気を持って苦難に勝ち、心ひとすじに物事に打ち込むこと(仏道を修行すること)である。「和顔・愛語」は、仏教の「布施」の心と結びついてこそ生きる言葉である。
自分だけの欲望を満たそうとせず、他の人を思いやり、お互いに与え合い、苦しみも、喜びも共に分かち合い、表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手の心を汲み取ってよく受け入れ、雄々しく努め励むことによって初めて本当の安らぎの世界が得られる。
財もなく人のために何も施してあげることが出来なきても、何時も、にこにこ穏やかな笑顔で、優しい言葉で接し、人の気持ちを和ませることは、しようと思えば出来ることである。
財のない人でも出来る「無財の七施」が『雑宝蔵経』に説かれているという。以下参考の※:一隅を照らす運動「実践3つの柱と一隅を照らす日」又、※:マンガ仏教ゼミナールの“和顔愛語”など参照されるとよい。
「和顔愛語」は、この無財の七施の中の和顔悦色施の和顔と言辞施(愛語)を組み合わせ、人と対応するとき、相手の身になって自分の身体や能力で出来る心がけ・態度・言葉等による奉仕の実践ということを四文字で表現したもの。日本の今のギスギスしたすさんだ社会を見ていると「和顔愛語」の実践が最も必要かも・・・。昔から「笑う門には福来る」というが、そうだろうね。そのためには、何よりも日頃から、生きていられることに対して「ありがとう」「おかげさま」の気持ちを忘れず、日常の挨拶が出来なくてはしようがないな~。
(画像は、白衣観音図。狩野元信・画の部分。Wikipediaより)
参考:
※:笑顔共和国
http://www.egao-kyowakoku.co.jp/
※:チャリティー団体ハッピースター
http://-happy-star-.seesaa.net/
※:自利・利他 - Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%87%AA%E5%88%A9%E3%83%BB%E5%88%A9%E4%BB%96/
※:歌詞ナビ・笑顔のまんま ♪ BEGIN with アホナスターズ
http://kashinavi.com/song_view.html?32937
※:BEGIN with アホナスターズ 笑顔のまんま PV無料視聴 動画
http://musicmovie.blog48.fc2.com/blog-entry-5904.html
※:一隅を照らす運動「実践3つの柱と一隅を照らす日」
http://ichigu.net/pillar/service02.html
※:マンガ仏教ゼミナール
http://www.b-seminar.net/
※:仏教クラブ「布施とは」
http://www.bukkyoclub.com/index.html
法華経エッセイ
http://chaichan.web.infoseek.co.jp/chai/hokke_essay.htm
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
阪神・淡路大震災 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
サブプライムローン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0
観音菩薩- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3
さんまのまんま - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%BE
仏説 無量寿経 (巻上) - Wikipedia
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BB%8F%E8%AA%AC%E3%80%80%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C_(%E5%B7%BB%E4%B8%8A)
記念日の由緒を見ると“ 2 と5 の語呂合わせからニコニコといつも笑顔でいようという日。社会を明るくする活動を行っているボランティア団体の有志が制定”・・・とあったが、そのボランティアだんたいが何処なのかは書いていないので分らない。ネットで検索してみると、それらしきボランティア団体としては、『子供たちを笑顔に』を合言葉に活動している以下参考の※:「チャリティー団体ハッピースター」があったが、このボランティア団体であろうか・・・?
ボランティア団体ではないが、エッセイスト・福田純子さんが建国している参考の※:文化団体 “笑顔共和国”と言うものもあるが、世の中、皆が笑顔で生活すれば、世の中全体が明るくなることは確かだ。
1995年(平成7年)1月17日の朝発生した阪神・淡路大震災では、戦後最大の被害者(6,434名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名【負傷者数は混乱の中、正確には数えることができていない】)が出た。避難人数 は、 30万名以上。 住家被害 :全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟 。火災被害 :住家全焼6,148棟、全焼損合計7,483棟、罹災世帯9,017世帯に上る大災害である。
この時、県外などからも多くの人々が復興支援に駆けつけてくれ、この年は日本のボランティア元年ともされている。それぞれの被災者は、親・兄弟等家族、親戚・友人等をも多数亡くし、又、住む家もない中、必死に耐えていたが、そんな被災者に対して、ボランティアの人達が被災者に「頑張れ!」と力付けてくれたが、被害者の人が「必死に頑張っている時に頑張れと言われてもこれ以上どう頑張れと言うんですか」とポツリともらしたのを聞き、ショックをうけたという人が居たと後に聞いたが、実際に、どうしようもない状況の中必死に頑張っている人にとって、「頑張れ!」という言葉はかえって耐えがたい重荷になることがあるのである。
被災から15年も経過した昨年には、災害時幼かった被災者も成人し、多くの人の支援によって今日無事生きていられることをっ感謝し、自分も社会のお役に立つ仕事をしたいと、福祉活動などに取り組んでいる人が多く居るが、そんな中で、ある女の子・・と言っても成人しているかっての女の子が、いろいろなことで悩み、困っている人達にとって、自分の経験からも「頑張れ!」と言ってお手伝いしてあげる代わりに、彼女自身が「精一杯微笑み、笑顔でやさしく接し、親身に困っている方の相談にのってあげることが一番の勇気付けになることだ」と言って、それを実践している・・・と言う話を聞いたことがある。明るい「笑顔」「微笑み」こそが、暗い人を明るくし、暗い世の中を明るくしてゆくことになるだろうと、実際に阪神大震災を経験した私もそう思っている。
♪辛い時でも 笑ってられる そんなアンタは ホンマにアホや
先の事など 考えないまま ペース配分さえ 出来ないで走る
悲しい時こそ おどけてばかり そんなアンタは やっぱりアホや
(中簡略)
だけどそんなあんたを あんたを見てると なぜかやさしい風が 吹き抜けていく
湿った心は 笑いで乾く
笑顔のまんま 笑顔のまんま
そうさ人生 生きてるだけでまるもうけ Oh ♪(以下略)
「BEGIN with アホナスターズ 笑顔のまんま」(作詞:明石家さんま・BEGIN 作曲 : BEGIN)
これは、1985(昭和60)年4月から、フジテレビ系列で放送されている関西テレビ制作の人気のトークバラエティ番組「さんまのまんま」のエンディングテーマ曲である。何でも2008(平成20)年の夏、番組放送中に明石家さんまから「この番組のエンディング曲作って」と突然リクエストされたBEGINが不眠不休でゼロから作り上げ、オーダーから約17時間後に披露し、大きな感動を呼んだ伝説の名曲。CD化するにあたり、BEGINは再度さんまから歌詞のテーマを聞き、新たに2番の歌詞を書き上げたものだという(歌詞は以下参考の※:「歌詞ナビ・笑顔のまんま ♪ BEGIN with アホナスターズ」参照)。以下で2009(平成21)年1月7日に発売されたシングルPV視聴動画が見られる。凄く面白い曲と言うだけでなく、非常に良い曲だよ。
BEGIN with アホナスターズ 笑顔のまんま PV無料視聴 動画
http://musicmovie.blog48.fc2.com/blog-entry-5904.html
2007(平成19)年のサブプライムローン問題発生以来世界的不況のの中、日本は、今デフレに悩まされ、かってない不況に陥り、企業倒産、企業の人員カットなどで失業率も5%を超え、その日の住まい、食時にさえ困り路頭に迷っている人達が多くなってきた。年金問題、医療問題その他、将来の展望が見えず、その為、誰もが暗い気持ちになっている。
そのような世の中、政府や市町村など行政に期待をし、また、誰かがなんとかして欲しい・・・と願っていることだろう。
しかし、世の中を代えてゆくのは、人任せの誰かではなく、私たち自身であることも忘れてはいけないだろう。
わたしたち自身が変わらなければ、世の中も変わらない。私たちひとりひとりが変われば、周りの人達が代わり、それが広がって世の中が変わってゆくことになる。しかし、今は、兎に角、現実には、何もかも、人任せにする考え方や、自分の非を人のせいにしたりする怠惰な思いが横行しているように思われる。
ここで少し考えてみたいのは、仏教の布施(ふせ)についてである。布施と言えば、僧侶への読経のお布施(謝礼金)ぐらいしか思いつかないかも知れないが、仏教の布施(ふせ)とは、梵語では「檀那(旦那)(ダーナ)」といい、慈悲の心をもって、他人に財物を施すことである。
これは、六波羅蜜(ろくはらみつ)のひとつで、大乗仏教以前からある菩薩が悟りを得るために修めなければならない6つの実践徳目(「六度(ろくど)」)の第1番目のもの=布施波羅蜜のことである。菩薩は、この六徳目を得て自利利他(以下参考の※:自利・利他-Yahoo!百科事典参照)の大行を究竟(くきょう= 絶対で最上であること。最後に到達する所。究極。)し、涅槃の彼岸に到る。
布施の「布」とは精神的に広く行き渡ること、「施」は物質的に恵みを授けることであり、つまり、慈しみの心をもって、ひろく施しをすることである。
布施には「財施」「法施」「無畏施」三種の布施がある(大智度論)。
まず、財施(ざいせ)とは、金銭や衣服食料などの財を施すこと。法施(ほうせ)とは、仏の教えを説くことであり、かって、お寺(檀那寺)と檀家の関係で言えば、私たち寺の檀家(信者)がお寺の私たちへの法施に対して、そんなお寺を護持をしていくために財施をするという関係でもあった。この2つの布施に対して、 無畏施(むいせ)とは、一切の衆生の畏怖の念(不安や恐怖)を取り除いてあげることで、観音さまの慈悲(大慈大悲)でもある。観音さま=観音菩薩の名称は、鳩摩羅什(くまらじゅう)が観音経【妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五】の趣意を取って意訳されたものであるが、奘三蔵(げんじょうさんぞう)以降、観自在菩薩とも訳されているが、観自在とは、智慧をもって観照することにより自在の妙果を得たるを意味しており、また衆生に総てを畏れざる無畏心を施す意で施無畏者(せむいしゃ)、世を救済するので救世大士ともいうなど多数の別名がある。
慈悲の慈とは、慈しみを与え、楽をあたえる(幸福にしてあげる)こと。 悲とは、悲しみを取り除いてあげる(苦を抜く)ことをいい、これを抜苦与楽(ばっくよらく)というのだそうだ。
菩薩行とは、相手を救ってあげたいという、やむにやまれぬ慈悲の心だが、慈悲だけではダメで、そこには智慧がともなわないといけない。慈悲と智慧が揃ってはじめて、正しい導きができるのだが、ここで私は、菩薩のように慈悲と知恵を持って人を導けなどと言うつもりはもうとうない。本来、布施とは、財力のある人は勿論、財産を持たない人でも、誰でもが自分の能力に合わせて出来る功徳であり、貧乏で財施はできなくても、また、仏の教えを説く知恵がなく法施は出来なくとも、人への思いやりや心づくしがあれば誰でもが身を持って自分の骨折りによって他人の心配や苦労を少なくしたり、喜びを与えることはできる。それが無畏施である。
世間一般の人達が考える損得勘定では、施しをする人よりもされた人の方が得をするようなイメージであるが、布施は、施した人の方が幸せな気分になるものであり、この布施の行為は、近年、概念が単なる人道的・道徳的な奉仕と変化しつつあるボランティアとかチャリティとか、とよく似たイメージで語られることが多くなってきた(「布施とボランティアの違い」については以下参考の※:仏教クラブ「布施とは」にある“考察・布施とボランティアの違い”を参照)。
電車の中で座席を譲るのも無畏施のひとつであるが、何も持たずとも笑顔によって人の心を和ませることも出切る。穏やかな笑顔(和顔)と優しい言葉(愛語)を仏教では「和顔愛語」(わげんあいご)といい、仏教ではこれが大切な布施行だとして教えている。
釈迦は亡くなる直前、まだまだ修行未熟で悲しむ弟子たちを前に、最後の言葉を残された。その言葉は『涅槃経』(ねはんきょう)『遺教経』((ゆいきようぎよう)などに記されているが、その1つとして、涅槃へと至るための「少欲知足」等の実践が大切である事が解かれており、浄土三部経の1つである『無量寿経』 には、法蔵菩薩(阿弥陀如来の修行時代の名)が、発願し修行し、その際、「少欲知足」、「勇猛精進」、とともに「和顔愛語」を実践したことが述べられている(仏説無量寿経・上巻参照)。「少欲知足」とは、欲を少なくして足ることを知ることであり、「勇猛精進」は、勇気を持って苦難に勝ち、心ひとすじに物事に打ち込むこと(仏道を修行すること)である。「和顔・愛語」は、仏教の「布施」の心と結びついてこそ生きる言葉である。
自分だけの欲望を満たそうとせず、他の人を思いやり、お互いに与え合い、苦しみも、喜びも共に分かち合い、表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手の心を汲み取ってよく受け入れ、雄々しく努め励むことによって初めて本当の安らぎの世界が得られる。
財もなく人のために何も施してあげることが出来なきても、何時も、にこにこ穏やかな笑顔で、優しい言葉で接し、人の気持ちを和ませることは、しようと思えば出来ることである。
財のない人でも出来る「無財の七施」が『雑宝蔵経』に説かれているという。以下参考の※:一隅を照らす運動「実践3つの柱と一隅を照らす日」又、※:マンガ仏教ゼミナールの“和顔愛語”など参照されるとよい。
「和顔愛語」は、この無財の七施の中の和顔悦色施の和顔と言辞施(愛語)を組み合わせ、人と対応するとき、相手の身になって自分の身体や能力で出来る心がけ・態度・言葉等による奉仕の実践ということを四文字で表現したもの。日本の今のギスギスしたすさんだ社会を見ていると「和顔愛語」の実践が最も必要かも・・・。昔から「笑う門には福来る」というが、そうだろうね。そのためには、何よりも日頃から、生きていられることに対して「ありがとう」「おかげさま」の気持ちを忘れず、日常の挨拶が出来なくてはしようがないな~。
(画像は、白衣観音図。狩野元信・画の部分。Wikipediaより)
参考:
※:笑顔共和国
http://www.egao-kyowakoku.co.jp/
※:チャリティー団体ハッピースター
http://-happy-star-.seesaa.net/
※:自利・利他 - Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E8%87%AA%E5%88%A9%E3%83%BB%E5%88%A9%E4%BB%96/
※:歌詞ナビ・笑顔のまんま ♪ BEGIN with アホナスターズ
http://kashinavi.com/song_view.html?32937
※:BEGIN with アホナスターズ 笑顔のまんま PV無料視聴 動画
http://musicmovie.blog48.fc2.com/blog-entry-5904.html
※:一隅を照らす運動「実践3つの柱と一隅を照らす日」
http://ichigu.net/pillar/service02.html
※:マンガ仏教ゼミナール
http://www.b-seminar.net/
※:仏教クラブ「布施とは」
http://www.bukkyoclub.com/index.html
法華経エッセイ
http://chaichan.web.infoseek.co.jp/chai/hokke_essay.htm
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
阪神・淡路大震災 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
サブプライムローン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0
観音菩薩- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3
さんまのまんま - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BE%E3%81%AE%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%BE
仏説 無量寿経 (巻上) - Wikipedia
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BB%8F%E8%AA%AC%E3%80%80%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C_(%E5%B7%BB%E4%B8%8A)
ラグビーの試合のハーフタイムにアホの監督が試合を外から見て冷静なアドヴァイスをしないとアカンのに、何時も「頑張れ」「気合を入れて行け」しか言いませんでした。選手は大人ですから彼を内心では「俺らは頑張ってるがな。どうしろって言うのや」と馬鹿にしていました。
精一杯頑張ってもうまく行かず我悩んでいる儀とにとって、「頑張れ!」の言葉はm返って負担になるものですね。その時には、笑顔で接し
その人の悩みを優しく聞いてあげるしかないのでしょうべね。
それと、頑張れと言う言葉は、家のためとか会社のためチームの為に努力しろと言うことであり、悩んでいる本人が自分自身の為に努力するときの言葉は「気張れ!」ですよね。自分自身の将来の為に気張るのです。頑張れという言葉は、軽い感じで使う時は、良いですが、本当に困っている人には使わない方良いでしょうね。