2010年2月28日の今日、東京マラソンが行なわれる。
東京マラソン(Tokyo Marathon)は、2007(平成19)年に始まった東京で行われるマラソン大会であり、今回は第4回大会となる。大会の正式名称には末尾に開催年が付され、今大会の名称 は、「東京マラソン2010 」(英文名:Tokyo Marathon 2010)。毎年2月か3月に開催されている。
2007年度の第1回大会まで東京都心部で行われていたマラソン大会には、世界選手権を目指すエリートランナー向けのフルマラソンである東京国際マラソン(男子)・東京国際女子マラソンと一般の市民ランナー・障害者向けの10kmロードレースである東京シティロードレースの2つがあったが、それらを一つにまとめた上で、ニューヨークシティマラソン・ロンドンマラソン・ボストンマラソンに匹敵するような市民参加型の大規模シティマラソンとして計画された。
もともと、都市民主導のNPO法人主催による、「歩道を使い、信号を遵守する」という形の市民マラソン大会「東京夢舞いマラソン」が2001年から行われてきたが、それを、都心部の公道を使用した大規模なマラソン大会として行いたいとのを希望があったものを、東京マラソンという形で実現させたものであるが、主導的役割を果たした東京都、特に、石原慎太郎東京都知事は東京マラソンの実現にあたっては東京オリンピック構想(以下参考の※:「[東京都]東京オリンピック基本構想懇談会報告について」も参照)へのアピールも兼ねていたようだ。主催者として日本陸上競技連盟と共に東京都が名を連ねているのにはこのような一面もあるという(Wikipedia)。
オリンピックでもマラソンは注目度の高い人気競技であり、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで、円谷幸吉が3位に入り、つづく、1968(昭和43)年のメキシコオリンピックで君原健二が2位になるなど、日本の男子マラソンは世界最高記録保持者や著名なレースで優勝や上位入賞するなどにより、男子マラソン界が盛り上がった時代があった。一方日本人女子マラソン選手は、1992(平成4)年バルセロナ五輪で有森 裕子が銀メダルを獲得し、次の1996(平成8)年アトランタでも続いて銅メダル を獲得する快挙をなすと、2000(平成12)年シドニーには、高橋尚子がオリンピック新記録で、日本の女子陸上競技として初の金メダルを獲得。2004(平成16)年アテネでは、野口みずきが高橋に続いて金メダル獲得するなど、オリンピック他世界的な競技大会で活躍。男子選手が低迷するするなか、女子マラソンは諸外国と比べても最も選手層が厚いといわれるほどの全盛時代を迎えた。それが、日本人のマラソンへの関心をますます高め、その上、近年の健康志向の高まりとともに、ウオーキングやジョッギングなどからハードなスポーツであるマラソンも、今までの見るマラソンから、市民が参加するマラソンとなってきた。
わが地元兵庫県の篠山市内で、1981(昭和56)年以来3月に開催されている篠山ABCマラソン大会など、従来から市民ランナーが参加できるマラソン大会は日本にも多く存在している(日本国内の主な市民マラソン大会参照)が、2007年から東京マラソンが日本陸連公認の大会としては初めて市民ランナーにも開放され、参加人員も3万人規模の大会として成功を収めた。それまで、一般人がこのように大多数参加する大規模な大会は日本にはなく、国外で、日本人が最も多く参加していた大会は、アメリカ合衆国ではニューヨークシティーマラソン、ボストンマラソン、シカゴマラソンと並ぶ「全米4大マラソン大会」(規模としては3位)の一つであり、ハワイ州オアフ島ホノルル市で、毎年12月第2日曜日に開催される「ホノルルマラソン」であった。
当大会では、日本人ランナーも、アメリカ合衆国の観光ビザ取得が免除されたバブル景気期(1989年)以降1999年と、アメリカ同時多発テロ事件の影響で1万人を下回った2001年以外は全参加者の半数以上を占めており、冠スポンサーの日本航空(JAL)は、大会開催に合わせツアーを企画し多数の臨時便を運航している。一応今年も「JALホノルルマラソン2010」は12月12日(日)に開催されル予定になっている(以下参考の※:「JALホノルルマラソン公式HP」参照)。ただ、JALは、今年(2010年)1月19日、長年の経営不振・債務超過を理由に、会社更生法の適用を申請し、国の管理下で再生を目指すことが決まった。負債総額は過去最大の2兆3000億円超。これを受け、企業再生支援機構主導のもと再建を図ることとなった。企業再生支援機構は、再建計画を発表し、3年で再生する方針を示すと同時に、3年後までに国内17路線、国際14路線から撤退するというが、「JALホノルルマラソン2010」もどうなる頭内が、ドル箱路線だから、今までどうり続けるだろうと思うよ。
公道を使用する市民マラソンは、交通規制を伴う競技であり、また参加者が多いので競技時間が長く、交通規制の時間が長くなる。それゆえタイムによる足きりによって(「東京マラソン2010では、6時間40分以内に完走)することを条件に参加者を絞り込んだり、規定の時間内にポイントを通過できなかった場合には続行不可能としたりすることによって、交通規制の時間を明確化している。大都市東京での市民マラソンは、当日は周辺の商売やイベントは勿論、近距離の移動などにも不便を強いられることは多いが、それでも「たった1日だけだから」と寛容に対処し、今では沿道での応援などで盛り上げる市民も多い。
国際陸上競技連盟が2008年から、マラソンなど世界のロードレースに格付け制度を導入した。現在は、ゴールドが最高ランクで、シルバー、ブロンズと3段階に分かれている。大会主催者側が申請し、国際陸連が毎年審査するようだが、設けられた目的は、レースにはくをつけ、優秀な選手を集めて国際的に商業化を進めるところに狙いがあるようだ。
都民やボランティアの協力により大成功した、東京マラソンは、2009年、最高位の「ゴールド」にランクアップされた(前年にシルバーラベルを受賞)。 これは、ニューヨークシティマラソンやロンドンマラソン等と同じ「市民参加型の大規模レース」としては日本唯一のゴールドラベルとなるものである。「市民参加型」以外にも対象を広げると、日本最古のマラソン大会である「びわ湖毎日マラソン」に次いで国内2番目の認定になる。
ゴールドラベルを取得する条件は大会規模、出場選手、運営能力などに応じて審査しているようだが、以下参考の※:「[東京都]東京マラソンが国際陸連ロードレースラベリングで「ゴールドラベル」を取得!」に掲載されているところによると「トップ選手を男女5人以上招待すること」や「5カ国以上でテレビ中継されること」等の基準を満たす必要があるようだ。
男子フルマラソン(選考会の部)については、東京国際マラソンの後継大会として位置づけられており(東京国際マラソンは2006年の第27回大会で終了)、世界陸上選手権をはじめとする国際大会の代表選考レースとなっており、今大会、男子は、11月に中国・広州で行われる2010アジア大会の代表選考会も兼ねており、昨年の世界選手権ベルリン大会6位の佐藤敦之(中国電力)、前々回大会で日本人最高の2位に入った藤原新(JR東日本)ら8人が出場する。海外からは、前回優勝のサリム・キプサング(ケニア)、出場選手中、最高の2時間6分48秒の自己記録を持つラシド・キスリ(モロッコ)ら9人が参戦するが、日本人選手はどれだけ活躍できるのだろうかね~・・・。
一方、女子フルマラソンについては、2008年(第30回)まで東京国際女子マラソンが東京マラソンと平行して行われていたが、2009年からは東京国際女子マラソンの事実上の後継大会として横浜国際女子マラソンが開催されるため、東京マラソンは事実上のオープン大会となっている。
この東京国際女子マラソンは、1979(昭和54)年に世界で初めて、女性だけの国際マラソン大会として始まったものであり、東京国際女子マラソンの歴史は、日本の女子マラソン成長の記録でもあった。世界の強豪がその実力を見せ付ける中、第5回に佐々木七恵が初優勝をした後徐々に力をつけ、第30回までのうち日本選手の優勝は11回。特に、最後となる2008年の第30回大会では、2005年高橋尚子、2006年土佐礼子、2007年野口みずきに続き、尾崎好美優勝し、日本勢4連覇の快挙を果たした。
東京マラソンでの女子フルマラソンには、昨・2009年に続いて2連覇を目指している那須川瑞穂や、昨年の北海道マラソン2位の尾崎朱美(現姓・石毛)らが招待されている。
しかし、伝統ある東京国際女子マラソンが、東京マラソンからはずされてからは、私など、何時も負けてばかりいる男子マラソンと市民参加マラソンが中心になってからは、余り、テレビなども見る気がしなくなった。大勢の市民参加型のオープンマラソンは、一部名のある選手が参加してはいるもののこのようなマラソンはあくまで、参加した人達が楽しむその土地のイベントに過ぎないから・・・。都民の人達は大いに楽しまれると良いでしょう。
(画像は、2008年第2回東京マラソン で、銀座を走る市民ランナー。Wikipediaより)
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東京マラソン(Tokyo Marathon)は、2007(平成19)年に始まった東京で行われるマラソン大会であり、今回は第4回大会となる。大会の正式名称には末尾に開催年が付され、今大会の名称 は、「東京マラソン2010 」(英文名:Tokyo Marathon 2010)。毎年2月か3月に開催されている。
2007年度の第1回大会まで東京都心部で行われていたマラソン大会には、世界選手権を目指すエリートランナー向けのフルマラソンである東京国際マラソン(男子)・東京国際女子マラソンと一般の市民ランナー・障害者向けの10kmロードレースである東京シティロードレースの2つがあったが、それらを一つにまとめた上で、ニューヨークシティマラソン・ロンドンマラソン・ボストンマラソンに匹敵するような市民参加型の大規模シティマラソンとして計画された。
もともと、都市民主導のNPO法人主催による、「歩道を使い、信号を遵守する」という形の市民マラソン大会「東京夢舞いマラソン」が2001年から行われてきたが、それを、都心部の公道を使用した大規模なマラソン大会として行いたいとのを希望があったものを、東京マラソンという形で実現させたものであるが、主導的役割を果たした東京都、特に、石原慎太郎東京都知事は東京マラソンの実現にあたっては東京オリンピック構想(以下参考の※:「[東京都]東京オリンピック基本構想懇談会報告について」も参照)へのアピールも兼ねていたようだ。主催者として日本陸上競技連盟と共に東京都が名を連ねているのにはこのような一面もあるという(Wikipedia)。
オリンピックでもマラソンは注目度の高い人気競技であり、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで、円谷幸吉が3位に入り、つづく、1968(昭和43)年のメキシコオリンピックで君原健二が2位になるなど、日本の男子マラソンは世界最高記録保持者や著名なレースで優勝や上位入賞するなどにより、男子マラソン界が盛り上がった時代があった。一方日本人女子マラソン選手は、1992(平成4)年バルセロナ五輪で有森 裕子が銀メダルを獲得し、次の1996(平成8)年アトランタでも続いて銅メダル を獲得する快挙をなすと、2000(平成12)年シドニーには、高橋尚子がオリンピック新記録で、日本の女子陸上競技として初の金メダルを獲得。2004(平成16)年アテネでは、野口みずきが高橋に続いて金メダル獲得するなど、オリンピック他世界的な競技大会で活躍。男子選手が低迷するするなか、女子マラソンは諸外国と比べても最も選手層が厚いといわれるほどの全盛時代を迎えた。それが、日本人のマラソンへの関心をますます高め、その上、近年の健康志向の高まりとともに、ウオーキングやジョッギングなどからハードなスポーツであるマラソンも、今までの見るマラソンから、市民が参加するマラソンとなってきた。
わが地元兵庫県の篠山市内で、1981(昭和56)年以来3月に開催されている篠山ABCマラソン大会など、従来から市民ランナーが参加できるマラソン大会は日本にも多く存在している(日本国内の主な市民マラソン大会参照)が、2007年から東京マラソンが日本陸連公認の大会としては初めて市民ランナーにも開放され、参加人員も3万人規模の大会として成功を収めた。それまで、一般人がこのように大多数参加する大規模な大会は日本にはなく、国外で、日本人が最も多く参加していた大会は、アメリカ合衆国ではニューヨークシティーマラソン、ボストンマラソン、シカゴマラソンと並ぶ「全米4大マラソン大会」(規模としては3位)の一つであり、ハワイ州オアフ島ホノルル市で、毎年12月第2日曜日に開催される「ホノルルマラソン」であった。
当大会では、日本人ランナーも、アメリカ合衆国の観光ビザ取得が免除されたバブル景気期(1989年)以降1999年と、アメリカ同時多発テロ事件の影響で1万人を下回った2001年以外は全参加者の半数以上を占めており、冠スポンサーの日本航空(JAL)は、大会開催に合わせツアーを企画し多数の臨時便を運航している。一応今年も「JALホノルルマラソン2010」は12月12日(日)に開催されル予定になっている(以下参考の※:「JALホノルルマラソン公式HP」参照)。ただ、JALは、今年(2010年)1月19日、長年の経営不振・債務超過を理由に、会社更生法の適用を申請し、国の管理下で再生を目指すことが決まった。負債総額は過去最大の2兆3000億円超。これを受け、企業再生支援機構主導のもと再建を図ることとなった。企業再生支援機構は、再建計画を発表し、3年で再生する方針を示すと同時に、3年後までに国内17路線、国際14路線から撤退するというが、「JALホノルルマラソン2010」もどうなる頭内が、ドル箱路線だから、今までどうり続けるだろうと思うよ。
公道を使用する市民マラソンは、交通規制を伴う競技であり、また参加者が多いので競技時間が長く、交通規制の時間が長くなる。それゆえタイムによる足きりによって(「東京マラソン2010では、6時間40分以内に完走)することを条件に参加者を絞り込んだり、規定の時間内にポイントを通過できなかった場合には続行不可能としたりすることによって、交通規制の時間を明確化している。大都市東京での市民マラソンは、当日は周辺の商売やイベントは勿論、近距離の移動などにも不便を強いられることは多いが、それでも「たった1日だけだから」と寛容に対処し、今では沿道での応援などで盛り上げる市民も多い。
国際陸上競技連盟が2008年から、マラソンなど世界のロードレースに格付け制度を導入した。現在は、ゴールドが最高ランクで、シルバー、ブロンズと3段階に分かれている。大会主催者側が申請し、国際陸連が毎年審査するようだが、設けられた目的は、レースにはくをつけ、優秀な選手を集めて国際的に商業化を進めるところに狙いがあるようだ。
都民やボランティアの協力により大成功した、東京マラソンは、2009年、最高位の「ゴールド」にランクアップされた(前年にシルバーラベルを受賞)。 これは、ニューヨークシティマラソンやロンドンマラソン等と同じ「市民参加型の大規模レース」としては日本唯一のゴールドラベルとなるものである。「市民参加型」以外にも対象を広げると、日本最古のマラソン大会である「びわ湖毎日マラソン」に次いで国内2番目の認定になる。
ゴールドラベルを取得する条件は大会規模、出場選手、運営能力などに応じて審査しているようだが、以下参考の※:「[東京都]東京マラソンが国際陸連ロードレースラベリングで「ゴールドラベル」を取得!」に掲載されているところによると「トップ選手を男女5人以上招待すること」や「5カ国以上でテレビ中継されること」等の基準を満たす必要があるようだ。
男子フルマラソン(選考会の部)については、東京国際マラソンの後継大会として位置づけられており(東京国際マラソンは2006年の第27回大会で終了)、世界陸上選手権をはじめとする国際大会の代表選考レースとなっており、今大会、男子は、11月に中国・広州で行われる2010アジア大会の代表選考会も兼ねており、昨年の世界選手権ベルリン大会6位の佐藤敦之(中国電力)、前々回大会で日本人最高の2位に入った藤原新(JR東日本)ら8人が出場する。海外からは、前回優勝のサリム・キプサング(ケニア)、出場選手中、最高の2時間6分48秒の自己記録を持つラシド・キスリ(モロッコ)ら9人が参戦するが、日本人選手はどれだけ活躍できるのだろうかね~・・・。
一方、女子フルマラソンについては、2008年(第30回)まで東京国際女子マラソンが東京マラソンと平行して行われていたが、2009年からは東京国際女子マラソンの事実上の後継大会として横浜国際女子マラソンが開催されるため、東京マラソンは事実上のオープン大会となっている。
この東京国際女子マラソンは、1979(昭和54)年に世界で初めて、女性だけの国際マラソン大会として始まったものであり、東京国際女子マラソンの歴史は、日本の女子マラソン成長の記録でもあった。世界の強豪がその実力を見せ付ける中、第5回に佐々木七恵が初優勝をした後徐々に力をつけ、第30回までのうち日本選手の優勝は11回。特に、最後となる2008年の第30回大会では、2005年高橋尚子、2006年土佐礼子、2007年野口みずきに続き、尾崎好美優勝し、日本勢4連覇の快挙を果たした。
東京マラソンでの女子フルマラソンには、昨・2009年に続いて2連覇を目指している那須川瑞穂や、昨年の北海道マラソン2位の尾崎朱美(現姓・石毛)らが招待されている。
しかし、伝統ある東京国際女子マラソンが、東京マラソンからはずされてからは、私など、何時も負けてばかりいる男子マラソンと市民参加マラソンが中心になってからは、余り、テレビなども見る気がしなくなった。大勢の市民参加型のオープンマラソンは、一部名のある選手が参加してはいるもののこのようなマラソンはあくまで、参加した人達が楽しむその土地のイベントに過ぎないから・・・。都民の人達は大いに楽しまれると良いでしょう。
(画像は、2008年第2回東京マラソン で、銀座を走る市民ランナー。Wikipediaより)
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