1941(昭和16)年の今日は(5月31日)は、 内務省検閲課が「迷信暦」の発売を禁止。大安・仏滅などの日の縁起や暦に附随する迷信などを擬暦として取締る。
暦に記載されている友引、仏滅など「六曜(六輝)」や「1白水星」、「九紫火星」など「九星」は、長い間慣習として伝わっているが、内務省では、時代に逆行する迷信と、全国に偽暦記事掲載出版物取締まりを通達した。同時に東京高島易断所ほか2ヵ所から発行されている擬暦を発売禁止処分にした。通達は将来、いっさいの大陰暦を廃して、太陽暦一本にする方針を示したもので、干支五行、二十四節気以外の六曜、十二直、二十八宿、九星、その他方位吉凶の記事を載せることを禁止した。(6月1日付東京日日新聞)
家を建てるときの「上棟式を、日曜日は先負だから火曜日の大安の日にしよう」とか、結婚式の日取りを決めるときに「仏滅の日は避けて、大安の日に結婚式を挙げよう」又、「友引の日に葬式をしない」などといったことにとらわれている人が今日でも、多くいるのではないか・・・。
今でも、手帳やカレンダーには、堂々と「六曜迷信」が記載されているものが多い。そして、縁起を担ぐ人たちには、結婚式など色々な行事がある時にはこれらを参考に決めている人が多いと思うが、貴方は結婚の日取りなどそのようなこと何も気にせず決めましたか・・・・?このようなことは迷信であり、それを暦に附随するものは擬暦だとして、1941(昭和16)年の今日、全国に取締まりの通達が出、それらの暦の販売を禁止されていたのに、どうして、今でも、これらが堂々とまかり通っているのだろうね~。私の家も毎年、新聞配達所から高島易断所からその年の「暦」を貰っているよ・・・。
ではこの良い日悪い日、大安とか仏滅とかはいつ頃どんな理由で我々の生活の中に入ってきたのだろうね~。
暦のことなら、以下参考の国立国会図書館HP「日本の暦」を読めばわかるが、暦注のことについては、”昔の暦は1冊の本になっていて、方角の吉凶などの非科学的、迷信的な注が多く書かれていました。この注のことを暦注と言います。”・・・くらいの簡単なことしか触れていないので、色々以下の参考に記載のものなどをみた結果、以下のようである。
先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口とこの六つの日を順に並べていったのが、六曜星とか六輝とか呼ばれているものだが、この六曜なるものが我々の日常の暦に取り入れられたのは、実は、1873(明治6)年旧暦(太陰太陽暦)から現在使用している新暦(太陽暦・グレゴリオ歴)になってからだというから面白いね~。
その起こりは「諸葛孔明六壬の時の課だと思われ、六曜によるもので、1ヶ月を5分割し、6日を1周期とするもので、現在でいえば「日・月・火・水・木・金・土」の7日を1周期にしているようなもの。六曜の曜とは、「光り輝く」と言う意味だそうだ。このような考え方は暦と共に、奈良時代に中国から入って来た。
しかし、渡来した当初の「六曜」は、「大安(たいあん) 」「留連(「りゅうれん)」「 速喜(そっき) 」「赤ロ (「しゃっく)」「小吉 (「しょうきち)」「空亡 (くうもう)」といったもので、あったが、これを、江戸時代に、故意に名前や順序を変えて、現在あるような「六曜」がつくられたそうだ。本来は、旧歴の朔、つまり、月の第一日を順次この六曜にあてはめたもので、旧歴ではその仕組みが見通せたために「六曜」を迷信とは考えていなかった。しかし、旧歴には、ともすれば五行説や、九星とともに、人生の吉凶、運勢をみる暦注が伴っていたので、1941(昭和16)年5月31日 以前の807(大同2)年、1872(明治5)年にも暦注の禁止令が出ていたという。
暦注とは、古暦で日付など暦の本体の下に、2段に分けて記される注記事項。中段には十二直に関する事項が書かれ、下段には様々な日の吉凶に関する事項が書かれる。
五行説とは、中国古来の世界観。木・火・土・金・水の五つの要素によって自然現象、社会現象を解釈する説。(十方暮や丙午など)
九星とは、中国から伝わり、陰陽道を通じて広められた、性格や運勢、家相などの吉凶を占う基準。(五黄、土星、暗剣殺など)
1872(明治5)年、太陽歴を採用することになった理由の一つには、旧歴には、「五行説」や「九星」といった迷信の暦注が多くの弊害をもたらしたために、人心の一新をねらったものであることはよく知られており、かつては、迷信として考えていなかった六曜が、現代に至って迷信を助長させる結果になっているのはどうしてか・・・・?。
それは、日本人の多くの人たちが、人生を生きていくうえでの、確とした人生哲学や宗教を持っていないからだろうと思われる。自分の大事な一生をl迷信に頼らず。自身を持って生きれるようにしたいものだね。詳しく知りたい方は、以下参考に記載のHPを見られると良い。
(画像は、高島易断本暦)
参考:
日本の暦(国立国会図書館HP)
http://www.ndl.go.jp/koyomi/index2.html
大安吉日とは
http://www.chiba-jk.or.jp/a/kasou2/index.html
暦注について~大安・仏滅って何?平成の今に残るバカバカしい迷信
http://homepage2.nifty.com/o-tajima/rekidaso/calendara.htm
暦と迷信
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7740/774007.htm
浄土真宗 本願寺派 河久保同行の部屋:仏前結婚式のQ&A
http://www7.ocn.ne.jp/~kokubo/wedding5.htm
暦に記載されている友引、仏滅など「六曜(六輝)」や「1白水星」、「九紫火星」など「九星」は、長い間慣習として伝わっているが、内務省では、時代に逆行する迷信と、全国に偽暦記事掲載出版物取締まりを通達した。同時に東京高島易断所ほか2ヵ所から発行されている擬暦を発売禁止処分にした。通達は将来、いっさいの大陰暦を廃して、太陽暦一本にする方針を示したもので、干支五行、二十四節気以外の六曜、十二直、二十八宿、九星、その他方位吉凶の記事を載せることを禁止した。(6月1日付東京日日新聞)
家を建てるときの「上棟式を、日曜日は先負だから火曜日の大安の日にしよう」とか、結婚式の日取りを決めるときに「仏滅の日は避けて、大安の日に結婚式を挙げよう」又、「友引の日に葬式をしない」などといったことにとらわれている人が今日でも、多くいるのではないか・・・。
今でも、手帳やカレンダーには、堂々と「六曜迷信」が記載されているものが多い。そして、縁起を担ぐ人たちには、結婚式など色々な行事がある時にはこれらを参考に決めている人が多いと思うが、貴方は結婚の日取りなどそのようなこと何も気にせず決めましたか・・・・?このようなことは迷信であり、それを暦に附随するものは擬暦だとして、1941(昭和16)年の今日、全国に取締まりの通達が出、それらの暦の販売を禁止されていたのに、どうして、今でも、これらが堂々とまかり通っているのだろうね~。私の家も毎年、新聞配達所から高島易断所からその年の「暦」を貰っているよ・・・。
ではこの良い日悪い日、大安とか仏滅とかはいつ頃どんな理由で我々の生活の中に入ってきたのだろうね~。
暦のことなら、以下参考の国立国会図書館HP「日本の暦」を読めばわかるが、暦注のことについては、”昔の暦は1冊の本になっていて、方角の吉凶などの非科学的、迷信的な注が多く書かれていました。この注のことを暦注と言います。”・・・くらいの簡単なことしか触れていないので、色々以下の参考に記載のものなどをみた結果、以下のようである。
先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口とこの六つの日を順に並べていったのが、六曜星とか六輝とか呼ばれているものだが、この六曜なるものが我々の日常の暦に取り入れられたのは、実は、1873(明治6)年旧暦(太陰太陽暦)から現在使用している新暦(太陽暦・グレゴリオ歴)になってからだというから面白いね~。
その起こりは「諸葛孔明六壬の時の課だと思われ、六曜によるもので、1ヶ月を5分割し、6日を1周期とするもので、現在でいえば「日・月・火・水・木・金・土」の7日を1周期にしているようなもの。六曜の曜とは、「光り輝く」と言う意味だそうだ。このような考え方は暦と共に、奈良時代に中国から入って来た。
しかし、渡来した当初の「六曜」は、「大安(たいあん) 」「留連(「りゅうれん)」「 速喜(そっき) 」「赤ロ (「しゃっく)」「小吉 (「しょうきち)」「空亡 (くうもう)」といったもので、あったが、これを、江戸時代に、故意に名前や順序を変えて、現在あるような「六曜」がつくられたそうだ。本来は、旧歴の朔、つまり、月の第一日を順次この六曜にあてはめたもので、旧歴ではその仕組みが見通せたために「六曜」を迷信とは考えていなかった。しかし、旧歴には、ともすれば五行説や、九星とともに、人生の吉凶、運勢をみる暦注が伴っていたので、1941(昭和16)年5月31日 以前の807(大同2)年、1872(明治5)年にも暦注の禁止令が出ていたという。
暦注とは、古暦で日付など暦の本体の下に、2段に分けて記される注記事項。中段には十二直に関する事項が書かれ、下段には様々な日の吉凶に関する事項が書かれる。
五行説とは、中国古来の世界観。木・火・土・金・水の五つの要素によって自然現象、社会現象を解釈する説。(十方暮や丙午など)
九星とは、中国から伝わり、陰陽道を通じて広められた、性格や運勢、家相などの吉凶を占う基準。(五黄、土星、暗剣殺など)
1872(明治5)年、太陽歴を採用することになった理由の一つには、旧歴には、「五行説」や「九星」といった迷信の暦注が多くの弊害をもたらしたために、人心の一新をねらったものであることはよく知られており、かつては、迷信として考えていなかった六曜が、現代に至って迷信を助長させる結果になっているのはどうしてか・・・・?。
それは、日本人の多くの人たちが、人生を生きていくうえでの、確とした人生哲学や宗教を持っていないからだろうと思われる。自分の大事な一生をl迷信に頼らず。自身を持って生きれるようにしたいものだね。詳しく知りたい方は、以下参考に記載のHPを見られると良い。
(画像は、高島易断本暦)
参考:
日本の暦(国立国会図書館HP)
http://www.ndl.go.jp/koyomi/index2.html
大安吉日とは
http://www.chiba-jk.or.jp/a/kasou2/index.html
暦注について~大安・仏滅って何?平成の今に残るバカバカしい迷信
http://homepage2.nifty.com/o-tajima/rekidaso/calendara.htm
暦と迷信
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7740/774007.htm
浄土真宗 本願寺派 河久保同行の部屋:仏前結婚式のQ&A
http://www7.ocn.ne.jp/~kokubo/wedding5.htm