今日(1月31日)は「愛妻家の日」日本愛妻家協会が制定。1月の1を英語の「I」に見立て、「あい(I)さい(31)」の語呂合わせからとか。
日本愛妻家協会なんてものがあるなんて知らなかったものだから、早速、同HPを覗いてみた。
TOPページに、「日本愛妻家協会は、地球温暖化よりも家庭寒冷化現象の方を気にして見ました。愛妻家が増えるとこれまで夫婦環境をむしばんでいた倦怠感は削減され家庭が少し温かくなる。すると世界は平和になるかもしれない、と考えてみたのです。」・・・とあった。また、名誉会長プロフィールには、”日本愛妻家協会の名誉会長は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)さんです。タケルさんは世界で初めて愛妻家宣言をした人物として有名です。日本書記によると1900年前に弟橘姫(オトタチバナヒメ)という奥さんの訃報を旅先で聞いたタケルさんが大きな声で人目もはばからず「吾が妻恋し・・・」と叫んだとされ、それ以来愛妻家のイメージが定着しています。そこで愛妻家の元祖としてタケルさんに名誉会長をお願いしています。”・・・とあった。(同HPの日本愛妻家協会趣意書参照)
HPの名誉会長は日本武尊さんだそうだが、日本神話の英雄ヤマトタケルは、『日本書紀』(日本武尊)と、『古事記』(倭建命こと小碓命〔おうすのみこと〕、またの名を日本童男〔やまとおぐな〕)と、二つの漢字表記がある。又、日本武尊は『日本書紀』では景行天皇の第二皇子。『古事記』では第三皇子。母は播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)。日本武尊と垂仁天皇(『古事記』に伊久米伊理毘古伊佐知命〔いくめいりびこいさちのみこと〕)の女、両道入姫(ふたじのいりひめ。『古事記』では帯中津日子〔たらしなかつひこ〕命)との間に出来た子が、仲哀天皇ということになっているのだが仲哀天皇の実在性には疑問点があり(仲哀天皇架空説)、両道入姫についても、垂仁の娘ではなかったのではないかとの疑問もある。しかし、一応、この人物が記紀の上では日本武尊の正式な后(〔きさいの転〕皇后。中宮)と言うことになっている(以下参考に記載の「神代と人代の相似形」参照)。
『古事記』、『日本書紀』による説話は、大筋は同じであるが、主人公の性格付けや説話の捉え方や全体の雰囲気に大きな差があるが、『古事記』は浪漫的要素が強く、主人公や父天皇の人間関係から来る悲劇性に彩られたものであるのに対して『日本書紀』の方が天皇賛美の傾向が強く、天皇に従属的であるといえるだろう。『古事記』では、小碓命は随分と乱暴な父天皇からも嫌われた存在として描かれている。
冒頭にある弟橘姫という奥さんの訃報を旅先で聞いたヤマトタケルが人目もはばからず「吾が妻恋し・・・」と叫んだとされ事については、「『古事記』による説話の概要」の「西征」「東征」を見るとよくわかるので、詳しいことは、そちらで見ていただきたい。
景行天皇より、「西征」を命じられたヤマトタケルは、討伐から帰ると又、すぐに「東征」を命じられるが、途中伊勢へ赴き叔母の倭姫命より天叢雲剣と袋を賜ったあと、『古事記』の倭建命の場合は、まず尾張国造家に入り、美夜受媛(みやずひめ、宮簀媛)と婚約をして東国へ赴いている(『日本書紀』にはない)。また、東征後の帰りに尾張に入った倭建命は、かねてより結婚の約束をしていた美夜受媛と歌を交わし、その際媛が生理中であることを知るが、そのまま結婚してしまう。そして、伊勢の神剣草薙剣(天叢雲剣)を美夜受媛に預けたまま、伊吹山(岐阜・滋賀県境)の神を素手で討ちに行くが、伊吹山の神に氷を降らされ、意識が朦朧としたまま下山し、居醒めの清水(山麓の関ヶ原町あるいは米原市)でやっと正気を取り戻すが、すでに病の身となっていた。 弱った体で大和を目指していたが能煩野(のぼの=伊勢の鈴鹿山のふもと)に到ってついに力尽き 「大和は 国のまほろば・・」の4首の国偲び歌を詠って亡くなった(以下参考に記載の「**古事記** 」参照)。
ヤマトタケル(倭建命、日本武尊)の英雄説話は数人の英雄たちの寄せ集めであるとの説が有力である。妻も1人ではなく弟橘媛もその中の1人であり、正式な后ではなく妾的な存在であったようだ。タケルが「吾が妻恋し・・・」と叫んだことから、それ以来愛妻家のイメージが定着しているとあったが、「東征」に行く際には妾的な弟橘姫を同行し、途中先ず、、尾張へよって美夜受媛と婚約してから出かかけており、途中でタケルのために犠牲になってくれた弟橘姫の訃報を聞いて「吾が妻恋し」と叫んだといっても、私にはそれが、愛妻家のイメージには繋がらない。だって、尾張に帰ってきたときには、結婚の約束をしていた美夜受媛が生理中であることを知っていても結婚しているのだから、記紀の記載を表面上からだけ見るとタケルはよほどの好き者といえるかもしれない。しかし、ヤマトタケルが特定の人物をモデルにしたものではなく数人の英雄たちの寄せ集めであるとしたら、その妃とされている女性たちも特定のある人物を云うものではないのだろう。尾張の美夜受媛(みやずひめ)のミヤズは、宮住みの意とされ、神霊の憑依する語呂であり、つまり神剣にやどる神霊の奉祀者であるとされている。他にも近江の安国造の祖先、意富多牟和気の娘・布多遅比売、吉備臣建日子の妹・吉備穴戸武媛などと呼ばれて子を産んでいる妃は多くいる。(倭建命の系統参照)
これらヤマトヒメも、ヤマトタケル同様、大和王権の拡張のために、天照大神信仰を広めるべく諸国に赴いた皇族巫女たちが集約されたものであろう。
日本愛妻家協会HPの活動理念の中に、”失われつつある日本独自の愛妻家という文化を再生します ”とあるが 、日本独自の「愛妻家」とは、どういうものを想定しているのだろうか?。私にはよく分からないが、昔といわなくても戦前・戦後の頃と今の時代の人などでは、妻に対する「愛」の考えも随分と変ってきているだろうな~。少なくとも、私などのような戦前生まれに者は、妻に「愛しているよ」などといった言葉は出てこないし、夫婦の愛情は、赤の他人が結婚して、双方がご互いに気遣いあい、時の経過とともに、自然とそれなりの「愛」が確認し合えているのではないかと思っている。特に、男としては、経済的な面で妻に心配をかけないようにし、何かあると頼りにされる男性であるように心がけている。それが、妻への愛情などと考えているのだが・・・、多分、これは古い考えなのだろう。同協会HPの事業計画には、「愛妻家の日」の午後8時、日本中の300万人の夫が食卓につき妻に感謝とねぎらいの言葉をかけると、日本は少し平和になるかもしれないという壮大な社会実験」をしようとしているらしい。 「夫が妻に感謝とねぎらいの言葉をかける」のはいいことだが、妻の方も普段から夫の勤労に対して感謝の気持ちを表して欲しいと思うのだが・・・。
(画像は、新しい家族を待ち望む若い家族。フリー百科事典Wikipediaより画像部分カット)
参考:
日本愛妻家協会
http://www.aisaika.org/
愛妻家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%A6%BB%E5%AE%B6
ヤマトタケル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%AB
やおよろずの神々を想う
http://shrine.s25.xrea.com/kamigami.html
皇女の嫁ぎ先~伝承時代編~
http://homepage2.nifty.com/hpsuiren/asobi/naisinnou/n-d.htm
古事記・日本書紀研究
http://inoues.net/shoki/kojiki_shoki.html
古事記の世界
http://homepage1.nifty.com/Nanairo-7756/
歌語り風土記 走水の海
http://nire.main.jp/rouman/fudoki/17kana01.htm
ニンニク - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%AF
竜ヶ岳
http://star.freespace.jp/evergreen2/hiking2/ryugatake/ryugatake101.html
天皇陵めぐり
http://inoues.net/tenno/tenno_meguri.html
神代と人代の相似形
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou60/kai06001.html
**古事記**
http://www.geocities.jp/fuumin2006/kojiki.html
日本愛妻家協会なんてものがあるなんて知らなかったものだから、早速、同HPを覗いてみた。
TOPページに、「日本愛妻家協会は、地球温暖化よりも家庭寒冷化現象の方を気にして見ました。愛妻家が増えるとこれまで夫婦環境をむしばんでいた倦怠感は削減され家庭が少し温かくなる。すると世界は平和になるかもしれない、と考えてみたのです。」・・・とあった。また、名誉会長プロフィールには、”日本愛妻家協会の名誉会長は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)さんです。タケルさんは世界で初めて愛妻家宣言をした人物として有名です。日本書記によると1900年前に弟橘姫(オトタチバナヒメ)という奥さんの訃報を旅先で聞いたタケルさんが大きな声で人目もはばからず「吾が妻恋し・・・」と叫んだとされ、それ以来愛妻家のイメージが定着しています。そこで愛妻家の元祖としてタケルさんに名誉会長をお願いしています。”・・・とあった。(同HPの日本愛妻家協会趣意書参照)
HPの名誉会長は日本武尊さんだそうだが、日本神話の英雄ヤマトタケルは、『日本書紀』(日本武尊)と、『古事記』(倭建命こと小碓命〔おうすのみこと〕、またの名を日本童男〔やまとおぐな〕)と、二つの漢字表記がある。又、日本武尊は『日本書紀』では景行天皇の第二皇子。『古事記』では第三皇子。母は播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)。日本武尊と垂仁天皇(『古事記』に伊久米伊理毘古伊佐知命〔いくめいりびこいさちのみこと〕)の女、両道入姫(ふたじのいりひめ。『古事記』では帯中津日子〔たらしなかつひこ〕命)との間に出来た子が、仲哀天皇ということになっているのだが仲哀天皇の実在性には疑問点があり(仲哀天皇架空説)、両道入姫についても、垂仁の娘ではなかったのではないかとの疑問もある。しかし、一応、この人物が記紀の上では日本武尊の正式な后(〔きさいの転〕皇后。中宮)と言うことになっている(以下参考に記載の「神代と人代の相似形」参照)。
『古事記』、『日本書紀』による説話は、大筋は同じであるが、主人公の性格付けや説話の捉え方や全体の雰囲気に大きな差があるが、『古事記』は浪漫的要素が強く、主人公や父天皇の人間関係から来る悲劇性に彩られたものであるのに対して『日本書紀』の方が天皇賛美の傾向が強く、天皇に従属的であるといえるだろう。『古事記』では、小碓命は随分と乱暴な父天皇からも嫌われた存在として描かれている。
冒頭にある弟橘姫という奥さんの訃報を旅先で聞いたヤマトタケルが人目もはばからず「吾が妻恋し・・・」と叫んだとされ事については、「『古事記』による説話の概要」の「西征」「東征」を見るとよくわかるので、詳しいことは、そちらで見ていただきたい。
景行天皇より、「西征」を命じられたヤマトタケルは、討伐から帰ると又、すぐに「東征」を命じられるが、途中伊勢へ赴き叔母の倭姫命より天叢雲剣と袋を賜ったあと、『古事記』の倭建命の場合は、まず尾張国造家に入り、美夜受媛(みやずひめ、宮簀媛)と婚約をして東国へ赴いている(『日本書紀』にはない)。また、東征後の帰りに尾張に入った倭建命は、かねてより結婚の約束をしていた美夜受媛と歌を交わし、その際媛が生理中であることを知るが、そのまま結婚してしまう。そして、伊勢の神剣草薙剣(天叢雲剣)を美夜受媛に預けたまま、伊吹山(岐阜・滋賀県境)の神を素手で討ちに行くが、伊吹山の神に氷を降らされ、意識が朦朧としたまま下山し、居醒めの清水(山麓の関ヶ原町あるいは米原市)でやっと正気を取り戻すが、すでに病の身となっていた。 弱った体で大和を目指していたが能煩野(のぼの=伊勢の鈴鹿山のふもと)に到ってついに力尽き 「大和は 国のまほろば・・」の4首の国偲び歌を詠って亡くなった(以下参考に記載の「**古事記** 」参照)。
ヤマトタケル(倭建命、日本武尊)の英雄説話は数人の英雄たちの寄せ集めであるとの説が有力である。妻も1人ではなく弟橘媛もその中の1人であり、正式な后ではなく妾的な存在であったようだ。タケルが「吾が妻恋し・・・」と叫んだことから、それ以来愛妻家のイメージが定着しているとあったが、「東征」に行く際には妾的な弟橘姫を同行し、途中先ず、、尾張へよって美夜受媛と婚約してから出かかけており、途中でタケルのために犠牲になってくれた弟橘姫の訃報を聞いて「吾が妻恋し」と叫んだといっても、私にはそれが、愛妻家のイメージには繋がらない。だって、尾張に帰ってきたときには、結婚の約束をしていた美夜受媛が生理中であることを知っていても結婚しているのだから、記紀の記載を表面上からだけ見るとタケルはよほどの好き者といえるかもしれない。しかし、ヤマトタケルが特定の人物をモデルにしたものではなく数人の英雄たちの寄せ集めであるとしたら、その妃とされている女性たちも特定のある人物を云うものではないのだろう。尾張の美夜受媛(みやずひめ)のミヤズは、宮住みの意とされ、神霊の憑依する語呂であり、つまり神剣にやどる神霊の奉祀者であるとされている。他にも近江の安国造の祖先、意富多牟和気の娘・布多遅比売、吉備臣建日子の妹・吉備穴戸武媛などと呼ばれて子を産んでいる妃は多くいる。(倭建命の系統参照)
これらヤマトヒメも、ヤマトタケル同様、大和王権の拡張のために、天照大神信仰を広めるべく諸国に赴いた皇族巫女たちが集約されたものであろう。
日本愛妻家協会HPの活動理念の中に、”失われつつある日本独自の愛妻家という文化を再生します ”とあるが 、日本独自の「愛妻家」とは、どういうものを想定しているのだろうか?。私にはよく分からないが、昔といわなくても戦前・戦後の頃と今の時代の人などでは、妻に対する「愛」の考えも随分と変ってきているだろうな~。少なくとも、私などのような戦前生まれに者は、妻に「愛しているよ」などといった言葉は出てこないし、夫婦の愛情は、赤の他人が結婚して、双方がご互いに気遣いあい、時の経過とともに、自然とそれなりの「愛」が確認し合えているのではないかと思っている。特に、男としては、経済的な面で妻に心配をかけないようにし、何かあると頼りにされる男性であるように心がけている。それが、妻への愛情などと考えているのだが・・・、多分、これは古い考えなのだろう。同協会HPの事業計画には、「愛妻家の日」の午後8時、日本中の300万人の夫が食卓につき妻に感謝とねぎらいの言葉をかけると、日本は少し平和になるかもしれないという壮大な社会実験」をしようとしているらしい。 「夫が妻に感謝とねぎらいの言葉をかける」のはいいことだが、妻の方も普段から夫の勤労に対して感謝の気持ちを表して欲しいと思うのだが・・・。
(画像は、新しい家族を待ち望む若い家族。フリー百科事典Wikipediaより画像部分カット)
参考:
日本愛妻家協会
http://www.aisaika.org/
愛妻家 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%A6%BB%E5%AE%B6
ヤマトタケル - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%AB
やおよろずの神々を想う
http://shrine.s25.xrea.com/kamigami.html
皇女の嫁ぎ先~伝承時代編~
http://homepage2.nifty.com/hpsuiren/asobi/naisinnou/n-d.htm
古事記・日本書紀研究
http://inoues.net/shoki/kojiki_shoki.html
古事記の世界
http://homepage1.nifty.com/Nanairo-7756/
歌語り風土記 走水の海
http://nire.main.jp/rouman/fudoki/17kana01.htm
ニンニク - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%AF
竜ヶ岳
http://star.freespace.jp/evergreen2/hiking2/ryugatake/ryugatake101.html
天皇陵めぐり
http://inoues.net/tenno/tenno_meguri.html
神代と人代の相似形
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou60/kai06001.html
**古事記**
http://www.geocities.jp/fuumin2006/kojiki.html