1791(寛政3)年の今日( 9月30日)は、モーツァルト作曲の最後のオペラ『魔笛』が初演 された日。
魔笛(まてき、独:Die Zauberflöte、英:The Magic Flute伊:Il Flauto magico)K.620は、モーツァルトが1791(寛政3)年に作曲したジングシュピール(歌芝居。現在では一般にオペラの一種として分類される)。1791(寛政3)年12月5日に没したモーツァルトが生涯の最後に完成させたオペラである。台本は俳優にして劇場支配人、台本作家でもあるエマヌエル・シカネーダーが自分の一座のために書いたもの。
シカネーダーは当時ヨーロッパ各地を巡業していた旅一座のオーナーで、モーツァルトとはザルツブルク時代の知り合いであり、モーツァルトが所属したフリーメイソンの会員でもあったそうだ。
モーツァルトは1791(寛政3)年の3月から9月にかけて作曲を進め、プラハでの『皇帝ティートの慈悲』の上演のために中断したあとで、完成させたのは同年9月30日、ヴィーデン劇場で行なわれた初演の2日前の9月28日のことであったという。
初演は大好評を博し、宿敵?アントニオ・サリエリが愛人カヴァリエリとともに公演を聴きに来て大いに賞賛したと、モーツァルトはバーデンにいる妻に手紙を書いているという。また、同年12月、死の床にあったモーツァルトは時計をみながら当日の上演の進行を気にしていたともいう(フリードリヒ・ロホリッツのモーツァルト逸話集:1798年)。
1791年のこの年、モーツァルトは『皇帝ティートの慈悲』、『魔笛』、クラリネット協奏曲と作品を次々に書き上げ、精力的に仕事をこなしていたが、『皇帝ティートの慈悲』上演のためプラハに行った時にはすでに体調を崩し、薬を服用していたという。ウィーンでレクイエムに取り組んでいる最中の11月20日から病床に伏し、2週間後の12月5日35歳の若さで没した。実際の死因は、「リューマチ熱」であったらしいが、他にも諸説あり、その中に、現在では否定されているが、モーツァルトの急死はメーソンの教義を漏らしたため、フリーメイソンのメンバーが暗殺したという説さえ見られたほどだという。それは、以下のような理由による。
フリーメイソンとは、会員同士の親睦を目的とした友愛団体であり、イギリスで発生し世界中に派生した男性の秘密結社(「非公開団体」といっている)だそうである。この組織は、かって、イギリスでウィンザー城建造の際に徴用された石工たちが自分たちの権利・技術・知識が他の職人に渡らないようにギルドで暗号を使用したのが始まりとされる。
『魔笛』の初演と同時に出版された台本の初版の表紙にはフリーメイソンの古式による儀礼を示唆する口絵が印刷されていたそうであり、『魔笛』には、フリーメイソンの教義に基づく歌詞や設定が用いられていることも特徴で、序曲の最初や中間部で鳴り響く、「3つの和音」(同じフレーズが3回演奏される)は、フリーメイソンの重要な儀式とされる3回のノックを模倣したものだそうであり、劇中ザラストロの神殿内の場面でも再現する。モーツァルト、シカネーダーの2人の作者がメンバーとしてフリーメイソンの精神をオペラ化したのだとか、当時皇帝から圧迫を受けつつあったメーソンの宣伝であるなど、教団との関わりを重視する指摘があり、今日の演出にも影響を与えているという。
『魔笛』は先にも述べたように貴族中心の宮廷劇場のためのものではなく、旅一座のオーナーであるシカネーダーに依頼されて一般庶民が楽しむ芝居小屋のために書かれた作品である。宮廷作曲家を目指していたモーツァルトは、当時仕事がなく生活に困っていたので、はじめからこのような大衆娯楽の分野にも関心が有ったのか、それともお金のためにしかたなくした仕事であったのかはわからない。プラハではモーツァルトのオペラを生前から理解してくれたが、当時、ウィーンにおけるモーツァルトの人気はそれほどでもなかったようであり、どちらかといえば、「魔笛」をきっかけに、彼の死後過去のオペラ作品も見直されるようになったといわれている。しかし、また、このオペラ『魔笛』の作曲者はなんと5人の作曲者による合作であったとする説もある。(以下参考に記載の※モーツァルト:魔笛参照)。
その真実のことは知らないが、物語は王子によるお姫様の救出劇として始まったものが、途中で善玉と悪玉が入れ替わるという奇妙な捻りがあることで知られている。
途中から善悪交代する夜の女王とザラストロはオペラ・セリア的な役柄である。このオペラの中の最高音と最低音をそれぞれ歌う歌い手でもある。特に夜の女王の二つのアリア(No4, No,14)は至難なコロラトゥーラの技巧を要求する難曲であり、才能あるソプラノが若いころ歌って注目をあつめることがよくあるといわれている。
ストーリーのあらすじだけを見れば、そんなに上出来の作品とも思えないが、大衆劇場の興行主が自分の劇団のために曲を作ってもらったもので、台本も自分たちで作ったもの、ストーリーの細部をつつけば矛盾点もいろいろ出てきそうだが、肩の張る古典的なオペラではなく、大衆向けの判りやすいオペラである。歌劇『魔笛』のことについては、以下参考に記載の「ライブラリ/モーツァルト:歌劇『魔笛』序曲 K.620」などを見るとよく判る。
また、昨・2006年の夏には、シェイクスピアの古典を映画化することで知られているケネス・ブラナーが、映画「魔笛」を手掛けた。時代背景を神話の世界から第一次世界大戦中に置き換えてのもので、クラシック音楽の世界にあまり馴染みがない幅広い層の人たちに、 オペラの門戸を広げた。ただ、この”ケネス・ブラナーの映画「魔笛」の歌詞は、原曲とはすこし違うようであり、本格的なオペラファンには少し不満があるかもしれないし、ストーリーも現実的な戦争場面を示して世界平和を訴えるシリアスなものであり、その分オペラ『魔笛』のお伽噺的な楽しさは少なくなっている。それと、オペラ『魔笛』では、シカネーダー自身が演じたという道化的なパパゲーノが魔笛を代表するキャラクターとして要所要所に登場し、場をもりあげるが映画に登場する小鳥を愛するパパゲーノの影が薄いのが残念だという人もいる。オペラを題材とした映画として見るか、オペラをそのまま映画化したものとして見るかの違いだろうね。
オペラ『魔笛』の代表的な曲が以下で聴けるよ。
歌劇「魔笛」より「序曲」[フルコーラス]/モーツァルト by ピナコロン
http://j-ken.com/category/all/data/618670/
Die Zauberflote(Mozart)No14ARIE.Königin der Nacht
http://windy.vis.ne.jp/art/lib/kngnacht.htm
W.A.Mozart "魔笛: 復讐の心は地獄のように胸に燃え"
http://www.ne.jp/asahi/sing/song/karaoke/song139.htm
(画像はケネス・ブラナー監督映画「魔笛」チラシ)
参考:
魔笛 - goo
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%AC%9B
ライブラリ/モーツァルト:歌劇『魔笛』序曲 K.620
http://www.asahi-net.or.jp/~wg6m-mykw/Library_Mozart_MagicFlute.htm
※モーツァルト:魔笛
http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/mozart_zauberflote.html
ケネス・ブラナー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%BC
魔笛 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD10775/index.html
:::: 魔笛 ::::
http://www.mateki.jp/
魔笛(まてき、独:Die Zauberflöte、英:The Magic Flute伊:Il Flauto magico)K.620は、モーツァルトが1791(寛政3)年に作曲したジングシュピール(歌芝居。現在では一般にオペラの一種として分類される)。1791(寛政3)年12月5日に没したモーツァルトが生涯の最後に完成させたオペラである。台本は俳優にして劇場支配人、台本作家でもあるエマヌエル・シカネーダーが自分の一座のために書いたもの。
シカネーダーは当時ヨーロッパ各地を巡業していた旅一座のオーナーで、モーツァルトとはザルツブルク時代の知り合いであり、モーツァルトが所属したフリーメイソンの会員でもあったそうだ。
モーツァルトは1791(寛政3)年の3月から9月にかけて作曲を進め、プラハでの『皇帝ティートの慈悲』の上演のために中断したあとで、完成させたのは同年9月30日、ヴィーデン劇場で行なわれた初演の2日前の9月28日のことであったという。
初演は大好評を博し、宿敵?アントニオ・サリエリが愛人カヴァリエリとともに公演を聴きに来て大いに賞賛したと、モーツァルトはバーデンにいる妻に手紙を書いているという。また、同年12月、死の床にあったモーツァルトは時計をみながら当日の上演の進行を気にしていたともいう(フリードリヒ・ロホリッツのモーツァルト逸話集:1798年)。
1791年のこの年、モーツァルトは『皇帝ティートの慈悲』、『魔笛』、クラリネット協奏曲と作品を次々に書き上げ、精力的に仕事をこなしていたが、『皇帝ティートの慈悲』上演のためプラハに行った時にはすでに体調を崩し、薬を服用していたという。ウィーンでレクイエムに取り組んでいる最中の11月20日から病床に伏し、2週間後の12月5日35歳の若さで没した。実際の死因は、「リューマチ熱」であったらしいが、他にも諸説あり、その中に、現在では否定されているが、モーツァルトの急死はメーソンの教義を漏らしたため、フリーメイソンのメンバーが暗殺したという説さえ見られたほどだという。それは、以下のような理由による。
フリーメイソンとは、会員同士の親睦を目的とした友愛団体であり、イギリスで発生し世界中に派生した男性の秘密結社(「非公開団体」といっている)だそうである。この組織は、かって、イギリスでウィンザー城建造の際に徴用された石工たちが自分たちの権利・技術・知識が他の職人に渡らないようにギルドで暗号を使用したのが始まりとされる。
『魔笛』の初演と同時に出版された台本の初版の表紙にはフリーメイソンの古式による儀礼を示唆する口絵が印刷されていたそうであり、『魔笛』には、フリーメイソンの教義に基づく歌詞や設定が用いられていることも特徴で、序曲の最初や中間部で鳴り響く、「3つの和音」(同じフレーズが3回演奏される)は、フリーメイソンの重要な儀式とされる3回のノックを模倣したものだそうであり、劇中ザラストロの神殿内の場面でも再現する。モーツァルト、シカネーダーの2人の作者がメンバーとしてフリーメイソンの精神をオペラ化したのだとか、当時皇帝から圧迫を受けつつあったメーソンの宣伝であるなど、教団との関わりを重視する指摘があり、今日の演出にも影響を与えているという。
『魔笛』は先にも述べたように貴族中心の宮廷劇場のためのものではなく、旅一座のオーナーであるシカネーダーに依頼されて一般庶民が楽しむ芝居小屋のために書かれた作品である。宮廷作曲家を目指していたモーツァルトは、当時仕事がなく生活に困っていたので、はじめからこのような大衆娯楽の分野にも関心が有ったのか、それともお金のためにしかたなくした仕事であったのかはわからない。プラハではモーツァルトのオペラを生前から理解してくれたが、当時、ウィーンにおけるモーツァルトの人気はそれほどでもなかったようであり、どちらかといえば、「魔笛」をきっかけに、彼の死後過去のオペラ作品も見直されるようになったといわれている。しかし、また、このオペラ『魔笛』の作曲者はなんと5人の作曲者による合作であったとする説もある。(以下参考に記載の※モーツァルト:魔笛参照)。
その真実のことは知らないが、物語は王子によるお姫様の救出劇として始まったものが、途中で善玉と悪玉が入れ替わるという奇妙な捻りがあることで知られている。
途中から善悪交代する夜の女王とザラストロはオペラ・セリア的な役柄である。このオペラの中の最高音と最低音をそれぞれ歌う歌い手でもある。特に夜の女王の二つのアリア(No4, No,14)は至難なコロラトゥーラの技巧を要求する難曲であり、才能あるソプラノが若いころ歌って注目をあつめることがよくあるといわれている。
ストーリーのあらすじだけを見れば、そんなに上出来の作品とも思えないが、大衆劇場の興行主が自分の劇団のために曲を作ってもらったもので、台本も自分たちで作ったもの、ストーリーの細部をつつけば矛盾点もいろいろ出てきそうだが、肩の張る古典的なオペラではなく、大衆向けの判りやすいオペラである。歌劇『魔笛』のことについては、以下参考に記載の「ライブラリ/モーツァルト:歌劇『魔笛』序曲 K.620」などを見るとよく判る。
また、昨・2006年の夏には、シェイクスピアの古典を映画化することで知られているケネス・ブラナーが、映画「魔笛」を手掛けた。時代背景を神話の世界から第一次世界大戦中に置き換えてのもので、クラシック音楽の世界にあまり馴染みがない幅広い層の人たちに、 オペラの門戸を広げた。ただ、この”ケネス・ブラナーの映画「魔笛」の歌詞は、原曲とはすこし違うようであり、本格的なオペラファンには少し不満があるかもしれないし、ストーリーも現実的な戦争場面を示して世界平和を訴えるシリアスなものであり、その分オペラ『魔笛』のお伽噺的な楽しさは少なくなっている。それと、オペラ『魔笛』では、シカネーダー自身が演じたという道化的なパパゲーノが魔笛を代表するキャラクターとして要所要所に登場し、場をもりあげるが映画に登場する小鳥を愛するパパゲーノの影が薄いのが残念だという人もいる。オペラを題材とした映画として見るか、オペラをそのまま映画化したものとして見るかの違いだろうね。
オペラ『魔笛』の代表的な曲が以下で聴けるよ。
歌劇「魔笛」より「序曲」[フルコーラス]/モーツァルト by ピナコロン
http://j-ken.com/category/all/data/618670/
Die Zauberflote(Mozart)No14ARIE.Königin der Nacht
http://windy.vis.ne.jp/art/lib/kngnacht.htm
W.A.Mozart "魔笛: 復讐の心は地獄のように胸に燃え"
http://www.ne.jp/asahi/sing/song/karaoke/song139.htm
(画像はケネス・ブラナー監督映画「魔笛」チラシ)
参考:
魔笛 - goo
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E7%AC%9B
ライブラリ/モーツァルト:歌劇『魔笛』序曲 K.620
http://www.asahi-net.or.jp/~wg6m-mykw/Library_Mozart_MagicFlute.htm
※モーツァルト:魔笛
http://homepage2.nifty.com/pietro/storia/mozart_zauberflote.html
ケネス・ブラナー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%83%BC
魔笛 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD10775/index.html
:::: 魔笛 ::::
http://www.mateki.jp/