日本記念日協会の今日の記念日を見ると毎月23日は、「国産小ねぎ消費拡大の日」だそうである。
福岡、大分、佐賀、高知、宮城の各県の全国農業協同組合連合会の県本部で作る「小ねぎ主産県協議会」が制定した日で、国産小ねぎの販売促進を目的としている。同「小ねぎ主産県協議会」が11月23日を「小ねぎ記念日」と制定した23日を毎月のものとしたものだという。
11月23日を「小ねぎ記念日」としたのは、この日が「勤労感謝の日」であり「ねぎらいの日」に通じることから、ねぎらいを葱来と読む語呂合わせとしたもので、11月の下旬で小ねぎの生産が増え、鍋ものの季節となることもその由来のひとつであったようだ。要するに、年に一度の記念日より、毎月を記念日にした方が、消費拡大に繋がるということだろう。最近の記念日には、このような販促目的の業界が設定した記念日が多い。
ネギ、あるいはネギ類と呼ばれる一群の野菜は、Wikipediaの説明によると、被子植物の分類体系の一つであるクロンキスト体系ではユリ科ネギ属(Allium)とされているが、 1990年代に登場した被子植物の新しい分類体系で(分子系統を基にしたAPG植物分類体系)では単子葉植物(Monocots)の中でユリ目の次に分枝したアスパラガス目(Asparagales。クサスギカズラ目とも訳される)のネギ科(Alliaceae)に位置づけられており、アスパラガス目内の分類は2003年の改訂版APG IIで大きな変更があったが、ネギ属(Allium)の位置づけは、ほぼ確定しているようだ。
ネギの学名(英語)は「Allium fistulosum」。ネギ属を表す、Allium(アリウム)の語源は、もともとニンニクのための古いラテン語から来ているといわれている。臭う(olere)とか、強く臭うもの(halium)とか、臭いの程度に差はあるもののネギ属特有の臭いに由来しており、植物学者のカール・フォン・リンネが、その時代の俗名のアリウム(Allium)をニンニクの学名(Allium sativum)として使用したのが始まりだそうだ。
現在までにネギ(アリウム)属に含まれる種としては、700以上が知られており、ネギ・ニンニク・タマネギ・ニラ・ラッキョウ・アサツキなどの野菜が同じアリウム属に入っている。
「ネギ」のことは、日本の農業研究者である故相馬 暁(そうま さとる)博士(2005年没)が生存中に作成していたものを、ご遺族了解のもと、当時のまま作成したとされるHP、以下参考に記載の※「1:相馬博士の作物百科」に詳しく書かれていたので、基本はこのHPを中心に、Wikipedia他以下に参考に記載のHPなどを参考にさせてもらい書くことにする。
ネギ属に属する植物は、ヨーロッパ、アジア、北アフリカ、北アメリカなど北半球の温帯を中心に存在し、特に中央アジアの高山に野生のネギが多く存在していることから、この高山の一つ、パミ~ル高原を中国語では「葱嶺(そうれい)」と呼び、また、この高原で釈迦が修行を行ったと伝えられているので、仏教の事を「葱嶺教」ともよんでいるそうだ。そのようなことから、ネギの原産地は、中国の西部、中央アジア北部からアルタイ、バイカル地方であろうと、推測されているようだ。ネギは有史以前から、中国に伝わり、華北・東北地方を中心に、軟白した白根を主として利用する太ネギ群が分布し、華中・華南・南洋地方には、葉を主として食べる葉ネギ群が発達。また、華北・華中を中心に、万能型の兼用種が古くから栽培され、疲労を回復する薬用植物として珍重されていたようだ。
中国古代の神話と地理の書『山海経』や、五経のひとつで古礼に関する説をまとめた『礼記』などに、「葱」の文字で登場しており、礼記にはネギの料理法が書かれているという(以下参考に記載の※6:食物本草歳時記のらっきょうを参照)。また、爾雅(じが)(古代中国の字書)などにはネギ属の基本名として「葱」を当て、「胡葱」など渡来種と区別し「漢葱」とも称しているという。そして、中国の最古の農書『斉民要術』には、ネギを軟白するための土寄せについて、記載されているそうだ。
ネギの漢字「葱」の音読み=声符(偏旁参照)は「怱(そう)」。その正字は「蔥」で、声符は「悤(そう)」である(以下参考に記載の※2:「増殖難読漢字辞典:葱」参照)。
後漢書、光武紀に「美哉。王氣鬱鬱葱葱」とある。
最近は、テレビなどでもクイズブームであり、タレントなども漢字クイズに答えられないと、自分の子供などにも顔向けできないと漢字検定を受けている人が多いと聞くが、葱のつく四字熟語「鬱鬱葱葱」・・・よめるかな?「鬱」・・・難しい字だ。読めても書けないな~。音は今、日本人にも増えている現代病とも言われる精神疾患「鬱病(うつ病)」の「うつ」。部首は、「鬯(ちょう・においざけ)」で、瓶にこもらせ酒に香草でにおいをつけることを意味する会意文字。木に囲まれ、ふさがった様子をいう(ここ参照)。読み方は、「うつうつそうそう」で、「鬱鬱」は樹木が、「葱葱」は草葉が鬱蒼(うっそう)と茂るさま。また、気の盛んなさま。草木が青々と茂る様子を言っている。従って、「美哉。王氣鬱鬱葱葱」の通釈は、「素晴らしい。王気に満ちること、草木がのびのびと繁茂するようだ」となる(以下参考に記載の※3:「後漢書解釈 -東観漢記」参照)。
しかし、先にかいた「胡葱(こそう)」が何を言っているのかよく判らないので検索すると、以下参考に記載の※4:「e-yakusou,com薬用植物」では、“漢名の「胡葱(こそう)」とはタマネギ(玉葱)のことで、胡(西城の国)から来た葱(ねぎ)のことで、「胡葱」となった”とある。又、以下参考の※5:「季語と歳時記」では、「胡葱」は「胡葱(あさつき=浅葱)」と読み、俳句などでは、仲春(太陽暦3月)の季語としている。ここでも説明しているようにアサツキ(浅葱)は、ネギ属の球根性多年草で野菜として栽培されてきた。根はラッキョウ(辣韮、薤、辣韭)のような鱗茎をもち、葱に似た細い薄緑色の葉をだす。私は、こちらの方ではないかと思っているのだがまだ、よく判らないので、さらに検索すると、日本における本草学は、中国・明代の・李時珍の「本草綱目」の伝来により始まるが、同じ明代末(1643年)刊行の姚可成の『食物本草』の中から毎月ひとつの品目をテーマに選んで筆者の解釈による現代口語訳をつけ発表しているという、以下参考に記載の※4:「食物本草歳時記」に「ネギ」の項目があり、そこには中国で言っている葱には4種類があるそうで、それは以下のように書かれていた。
①「冬葱」とは凍葱のことであり、夏には衰えて冬になると盛んになる。茎も葉もともに柔らかくて美味。泰山の南から揚子江の左岸にかけてとれる。
冬葱は太官葱ともいい、その茎は細くてしなやかで香りがする。越冬することができ、太官(宮廷の料理人)がお供え料理によくこれを用いる。冬葱には子(み)がない。
②「胡葱」は茎も葉も太くて硬く、根は燈篭のようである。
③「漢葱」は茎が(空洞でなく)詰まっていて硬く、味は薄い。冬になると枯れてしまう。漢葱は木葱ともいい、その形は太くて硬い。漢葱は春の終わりに、青白色の花を叢(むれ)て咲かせる。その子は辛く、黒色で、表面には皺があり三つの弁状になっている。これを収穫して陰干しする。決して湿らせてはならない。株分けをしたり、種子から栽培することもできる。
④「茖葱」は山中に自生している。「茖葱(カクソウ))は、ギョウジャニンニクであると・・・。そして、“「たまねぎ」は中国語で「洋葱(ヤンツォン)」ということからわかるように、中国には近代になって西洋から移入された品種で、当然のことながら明代に刊行された『食物本草』には記載が見当たらない。”・・とある。従って、②「胡葱」は、球根性多年草のアサツキ(浅葱)のようなものを言っているのであろう。これらの専門家でもない私にはこれを読んでもよく判らないが、①が普通に言うネギや「ワケギ(分葱)」に近いものだろうか。③は「ニラ(韮、韭)」に近いようなものに感じるのだが・・・。
日本への渡来は、定かではないが、
712(和銅5)年、太安万侶によって献上された日本最古の歴史書『古事記』に、応神天皇の歌として、
「いざ子ども 野蒜(のびる)摘みに 蒜(ひる)摘みに・・・・・・以下略 」
又、日本に現存する最古の和歌集である『万葉集』の長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌に、
「醤酢(ひしほす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛願ふ 我れにな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの)」 (巻16-3829)
などの歌がある。
「ノビル」(野蒜、学名:Allium macrostemon)は野に生えた「蒜」からきており、東アジアに広く分布しており、日本では北海道から沖縄までの畦道や堤防上など、丈の低い草が生えているところによく自生しているもので、古い時代に作物と共に日本へ入ってきた、いわゆる史前帰化植物ではないかとも言われるが、はっきりしたことはわからない。葉とともに、地下にできる鱗茎が食用となる。生の葱のようにひりひりと辛いところから、「ひる」の名が付いたらしい。ただ「蒜(ヒル)」と言う場合は、ネギ、ニラ、アサツキ、ニンニク等、においがあって食用とするネギ属の総称を意味しているようである。応神天皇の歌は解説するほどのこともないが、歌の全文等は以下参考に記載の※7:「千人万首・応神天皇」を見られるとよい。
長忌寸意吉麻呂は食べるものを多く歌っており、この歌は特に面白い歌だが、醤酢は、醤(ひしお)と酢。また、ひしおに酢を加えた現在でいう二杯酢か酢味噌のようもの。「水葱(なぎ)」は、「ミズアオイ」のことで、歌の意は「醤と酢に のびるをつきこんであえものとして、鯛を食べたいと願っている私に、 水葱の吸物など見せてくれるな!」といったところ(以下参考に記載の※8:「万 葉 集/長忌寸意吉麻呂」及び、※9:「万葉集に詠まれたミズアオイ」参照)。
ネギの名が初めて記述されているは、720(養老4)年に編纂された『日本書紀』であり、岐(き)、 秋岐(あきき)という言葉が登場している。又、万葉集では以下の歌が詠まれている。
「伎波都久(きわつくの)の 岡の久君美良(くくみら) 我れ摘めど 籠(こ)にも満たなふ 背(せ)なと摘まさね」(巻14-3444)
「久々美良(くくみら)」は「ニラ(韮)」のこと。ニラは匂いの強い野菜として古代より食べられており『古事記』では久米歌の中に「加美良(かみら))として登場(以下参考に記載の※10:「上代古典集:埋も木」の丸山林平「定本古事記」神武天皇 >神武天皇 >登美豐古を誅せむとする御歌及び※14の古事記 中巻(神武天皇) 来目(久米)の歌参照)し、『正倉院文書』には「彌良(みら)」として記載がそうだ。古代においては「みら」と呼ばれていたが、通説では、「くくみら」は茎が立った「みら」(茎韮)の意で院政期頃から「にら」に転化したようだ。
歌の意は、「伎波都久の岡のニラを私だけが摘んでもなかなか籠に一杯にはなりません。それではあなたの背(夫)と一緒に摘んだらどうです」といっもので、伎波都久の岡とは、島根県益田市木部の東、鎌手山の岡だそうだ(以下参考の※11:「石見賛歌>万葉の道>万葉歌人の選んだ石見37名所」の伎波都久の岡を参照)
又、以下参考の※12 :「私本日本書紀」の第十五巻、第五話億計天皇(仁賢天皇)の治世6年秋ところに、女の話として「秋蒔きの葱の二茎が、一皮に包まれているように、二重に密接な私たちの間柄を思って欲しい。」と出てくる。ネギは、二茎が一皮に包まれているものであるが、彼女の母にとって兄であり、彼女にとっても優しい我が夫が役務とはいえ遠く高麗へ行ってしまったことを、はいずり回って歎き悲しんでいるのだが、この時代の人達はこのようなロマンチックな表現方法でそのことを表現していたのである。このような歌からも、8世紀にはネギが広く伝わっていたことが窺える。
国産小ねぎ消費拡大の日(Ⅱ)と参考のページへ
福岡、大分、佐賀、高知、宮城の各県の全国農業協同組合連合会の県本部で作る「小ねぎ主産県協議会」が制定した日で、国産小ねぎの販売促進を目的としている。同「小ねぎ主産県協議会」が11月23日を「小ねぎ記念日」と制定した23日を毎月のものとしたものだという。
11月23日を「小ねぎ記念日」としたのは、この日が「勤労感謝の日」であり「ねぎらいの日」に通じることから、ねぎらいを葱来と読む語呂合わせとしたもので、11月の下旬で小ねぎの生産が増え、鍋ものの季節となることもその由来のひとつであったようだ。要するに、年に一度の記念日より、毎月を記念日にした方が、消費拡大に繋がるということだろう。最近の記念日には、このような販促目的の業界が設定した記念日が多い。
ネギ、あるいはネギ類と呼ばれる一群の野菜は、Wikipediaの説明によると、被子植物の分類体系の一つであるクロンキスト体系ではユリ科ネギ属(Allium)とされているが、 1990年代に登場した被子植物の新しい分類体系で(分子系統を基にしたAPG植物分類体系)では単子葉植物(Monocots)の中でユリ目の次に分枝したアスパラガス目(Asparagales。クサスギカズラ目とも訳される)のネギ科(Alliaceae)に位置づけられており、アスパラガス目内の分類は2003年の改訂版APG IIで大きな変更があったが、ネギ属(Allium)の位置づけは、ほぼ確定しているようだ。
ネギの学名(英語)は「Allium fistulosum」。ネギ属を表す、Allium(アリウム)の語源は、もともとニンニクのための古いラテン語から来ているといわれている。臭う(olere)とか、強く臭うもの(halium)とか、臭いの程度に差はあるもののネギ属特有の臭いに由来しており、植物学者のカール・フォン・リンネが、その時代の俗名のアリウム(Allium)をニンニクの学名(Allium sativum)として使用したのが始まりだそうだ。
現在までにネギ(アリウム)属に含まれる種としては、700以上が知られており、ネギ・ニンニク・タマネギ・ニラ・ラッキョウ・アサツキなどの野菜が同じアリウム属に入っている。
「ネギ」のことは、日本の農業研究者である故相馬 暁(そうま さとる)博士(2005年没)が生存中に作成していたものを、ご遺族了解のもと、当時のまま作成したとされるHP、以下参考に記載の※「1:相馬博士の作物百科」に詳しく書かれていたので、基本はこのHPを中心に、Wikipedia他以下に参考に記載のHPなどを参考にさせてもらい書くことにする。
ネギ属に属する植物は、ヨーロッパ、アジア、北アフリカ、北アメリカなど北半球の温帯を中心に存在し、特に中央アジアの高山に野生のネギが多く存在していることから、この高山の一つ、パミ~ル高原を中国語では「葱嶺(そうれい)」と呼び、また、この高原で釈迦が修行を行ったと伝えられているので、仏教の事を「葱嶺教」ともよんでいるそうだ。そのようなことから、ネギの原産地は、中国の西部、中央アジア北部からアルタイ、バイカル地方であろうと、推測されているようだ。ネギは有史以前から、中国に伝わり、華北・東北地方を中心に、軟白した白根を主として利用する太ネギ群が分布し、華中・華南・南洋地方には、葉を主として食べる葉ネギ群が発達。また、華北・華中を中心に、万能型の兼用種が古くから栽培され、疲労を回復する薬用植物として珍重されていたようだ。
中国古代の神話と地理の書『山海経』や、五経のひとつで古礼に関する説をまとめた『礼記』などに、「葱」の文字で登場しており、礼記にはネギの料理法が書かれているという(以下参考に記載の※6:食物本草歳時記のらっきょうを参照)。また、爾雅(じが)(古代中国の字書)などにはネギ属の基本名として「葱」を当て、「胡葱」など渡来種と区別し「漢葱」とも称しているという。そして、中国の最古の農書『斉民要術』には、ネギを軟白するための土寄せについて、記載されているそうだ。
ネギの漢字「葱」の音読み=声符(偏旁参照)は「怱(そう)」。その正字は「蔥」で、声符は「悤(そう)」である(以下参考に記載の※2:「増殖難読漢字辞典:葱」参照)。
後漢書、光武紀に「美哉。王氣鬱鬱葱葱」とある。
最近は、テレビなどでもクイズブームであり、タレントなども漢字クイズに答えられないと、自分の子供などにも顔向けできないと漢字検定を受けている人が多いと聞くが、葱のつく四字熟語「鬱鬱葱葱」・・・よめるかな?「鬱」・・・難しい字だ。読めても書けないな~。音は今、日本人にも増えている現代病とも言われる精神疾患「鬱病(うつ病)」の「うつ」。部首は、「鬯(ちょう・においざけ)」で、瓶にこもらせ酒に香草でにおいをつけることを意味する会意文字。木に囲まれ、ふさがった様子をいう(ここ参照)。読み方は、「うつうつそうそう」で、「鬱鬱」は樹木が、「葱葱」は草葉が鬱蒼(うっそう)と茂るさま。また、気の盛んなさま。草木が青々と茂る様子を言っている。従って、「美哉。王氣鬱鬱葱葱」の通釈は、「素晴らしい。王気に満ちること、草木がのびのびと繁茂するようだ」となる(以下参考に記載の※3:「後漢書解釈 -東観漢記」参照)。
しかし、先にかいた「胡葱(こそう)」が何を言っているのかよく判らないので検索すると、以下参考に記載の※4:「e-yakusou,com薬用植物」では、“漢名の「胡葱(こそう)」とはタマネギ(玉葱)のことで、胡(西城の国)から来た葱(ねぎ)のことで、「胡葱」となった”とある。又、以下参考の※5:「季語と歳時記」では、「胡葱」は「胡葱(あさつき=浅葱)」と読み、俳句などでは、仲春(太陽暦3月)の季語としている。ここでも説明しているようにアサツキ(浅葱)は、ネギ属の球根性多年草で野菜として栽培されてきた。根はラッキョウ(辣韮、薤、辣韭)のような鱗茎をもち、葱に似た細い薄緑色の葉をだす。私は、こちらの方ではないかと思っているのだがまだ、よく判らないので、さらに検索すると、日本における本草学は、中国・明代の・李時珍の「本草綱目」の伝来により始まるが、同じ明代末(1643年)刊行の姚可成の『食物本草』の中から毎月ひとつの品目をテーマに選んで筆者の解釈による現代口語訳をつけ発表しているという、以下参考に記載の※4:「食物本草歳時記」に「ネギ」の項目があり、そこには中国で言っている葱には4種類があるそうで、それは以下のように書かれていた。
①「冬葱」とは凍葱のことであり、夏には衰えて冬になると盛んになる。茎も葉もともに柔らかくて美味。泰山の南から揚子江の左岸にかけてとれる。
冬葱は太官葱ともいい、その茎は細くてしなやかで香りがする。越冬することができ、太官(宮廷の料理人)がお供え料理によくこれを用いる。冬葱には子(み)がない。
②「胡葱」は茎も葉も太くて硬く、根は燈篭のようである。
③「漢葱」は茎が(空洞でなく)詰まっていて硬く、味は薄い。冬になると枯れてしまう。漢葱は木葱ともいい、その形は太くて硬い。漢葱は春の終わりに、青白色の花を叢(むれ)て咲かせる。その子は辛く、黒色で、表面には皺があり三つの弁状になっている。これを収穫して陰干しする。決して湿らせてはならない。株分けをしたり、種子から栽培することもできる。
④「茖葱」は山中に自生している。「茖葱(カクソウ))は、ギョウジャニンニクであると・・・。そして、“「たまねぎ」は中国語で「洋葱(ヤンツォン)」ということからわかるように、中国には近代になって西洋から移入された品種で、当然のことながら明代に刊行された『食物本草』には記載が見当たらない。”・・とある。従って、②「胡葱」は、球根性多年草のアサツキ(浅葱)のようなものを言っているのであろう。これらの専門家でもない私にはこれを読んでもよく判らないが、①が普通に言うネギや「ワケギ(分葱)」に近いものだろうか。③は「ニラ(韮、韭)」に近いようなものに感じるのだが・・・。
日本への渡来は、定かではないが、
712(和銅5)年、太安万侶によって献上された日本最古の歴史書『古事記』に、応神天皇の歌として、
「いざ子ども 野蒜(のびる)摘みに 蒜(ひる)摘みに・・・・・・以下略 」
又、日本に現存する最古の和歌集である『万葉集』の長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)の歌に、
「醤酢(ひしほす)に 蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて 鯛願ふ 我れにな見えそ 水葱(なぎ)の羹(あつもの)」 (巻16-3829)
などの歌がある。
「ノビル」(野蒜、学名:Allium macrostemon)は野に生えた「蒜」からきており、東アジアに広く分布しており、日本では北海道から沖縄までの畦道や堤防上など、丈の低い草が生えているところによく自生しているもので、古い時代に作物と共に日本へ入ってきた、いわゆる史前帰化植物ではないかとも言われるが、はっきりしたことはわからない。葉とともに、地下にできる鱗茎が食用となる。生の葱のようにひりひりと辛いところから、「ひる」の名が付いたらしい。ただ「蒜(ヒル)」と言う場合は、ネギ、ニラ、アサツキ、ニンニク等、においがあって食用とするネギ属の総称を意味しているようである。応神天皇の歌は解説するほどのこともないが、歌の全文等は以下参考に記載の※7:「千人万首・応神天皇」を見られるとよい。
長忌寸意吉麻呂は食べるものを多く歌っており、この歌は特に面白い歌だが、醤酢は、醤(ひしお)と酢。また、ひしおに酢を加えた現在でいう二杯酢か酢味噌のようもの。「水葱(なぎ)」は、「ミズアオイ」のことで、歌の意は「醤と酢に のびるをつきこんであえものとして、鯛を食べたいと願っている私に、 水葱の吸物など見せてくれるな!」といったところ(以下参考に記載の※8:「万 葉 集/長忌寸意吉麻呂」及び、※9:「万葉集に詠まれたミズアオイ」参照)。
ネギの名が初めて記述されているは、720(養老4)年に編纂された『日本書紀』であり、岐(き)、 秋岐(あきき)という言葉が登場している。又、万葉集では以下の歌が詠まれている。
「伎波都久(きわつくの)の 岡の久君美良(くくみら) 我れ摘めど 籠(こ)にも満たなふ 背(せ)なと摘まさね」(巻14-3444)
「久々美良(くくみら)」は「ニラ(韮)」のこと。ニラは匂いの強い野菜として古代より食べられており『古事記』では久米歌の中に「加美良(かみら))として登場(以下参考に記載の※10:「上代古典集:埋も木」の丸山林平「定本古事記」神武天皇 >神武天皇 >登美豐古を誅せむとする御歌及び※14の古事記 中巻(神武天皇) 来目(久米)の歌参照)し、『正倉院文書』には「彌良(みら)」として記載がそうだ。古代においては「みら」と呼ばれていたが、通説では、「くくみら」は茎が立った「みら」(茎韮)の意で院政期頃から「にら」に転化したようだ。
歌の意は、「伎波都久の岡のニラを私だけが摘んでもなかなか籠に一杯にはなりません。それではあなたの背(夫)と一緒に摘んだらどうです」といっもので、伎波都久の岡とは、島根県益田市木部の東、鎌手山の岡だそうだ(以下参考の※11:「石見賛歌>万葉の道>万葉歌人の選んだ石見37名所」の伎波都久の岡を参照)
又、以下参考の※12 :「私本日本書紀」の第十五巻、第五話億計天皇(仁賢天皇)の治世6年秋ところに、女の話として「秋蒔きの葱の二茎が、一皮に包まれているように、二重に密接な私たちの間柄を思って欲しい。」と出てくる。ネギは、二茎が一皮に包まれているものであるが、彼女の母にとって兄であり、彼女にとっても優しい我が夫が役務とはいえ遠く高麗へ行ってしまったことを、はいずり回って歎き悲しんでいるのだが、この時代の人達はこのようなロマンチックな表現方法でそのことを表現していたのである。このような歌からも、8世紀にはネギが広く伝わっていたことが窺える。
国産小ねぎ消費拡大の日(Ⅱ)と参考のページへ