日本記念日協会で今日の記念日を見ると「くるみの日 」があった。その由来を見ると、“9と30で「くるみは丸い」と読む語呂合わせと、くるみの出回る時期にかけて日本一のくるみの名産地、長野県東御市(同市HP※1 )などの、くるみ愛好家が制定したもので、くるみの食材としての素晴らしさ、用途の広さなどをアピールするのが目的で、設けられたそうだ。
(1)
どんぐりころころ ドンブリコ お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は 坊ちゃん一緒に 遊びましょう
(2)
どんぐりころころ よろこんで しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと 泣いてはどじょうを 困らせた
『どんぐりコロコロ』(原題:団栗ころころ)。作詞は、青木存義 、作曲は、梁田貞(1885年-1959年)である。
大正時代に作られた唱歌(広義の童謡)で、小学校用の教科書(音楽)で使用されたことを契機に広く歌われるようになり、その普及ぶりから金田一春彦に「日本の三大童謡」の一つと評されているという(Wikipedia)。
今日は「くるみの日」なのでクルミ(胡桃)のことを書くつもりが、私など神戸に生まれ、以来ずっと神戸に住んでいるものには、同じ被子植物のひとつクルミ科のクルミよりも、ブナ科のクヌギ・カシ・ナラ・カシワ・クリなどの果実(正確には種子ではない)の総称であるドングリ(団栗。「しいの実」とも言われる)の方が親しみがあるものだから、ついこの歌が出てきてしまった。そのため、最初からちょっと脱線するが・・・悪しからず。
この『どんぐりコロコロ』の歌詞の内容は、作詞者青木の幼少時の体験が元になっているそうで、青木は宮城県宮城郡松島町の大地主のいわゆる「坊ちゃん」として生まれ育ったという。広大な屋敷の庭には「どんぐり」が実りナラの木があり、その横には大きな「池」があったそうだ。青木は朝寝坊な子だったそうで、それを直したいと母親が知恵を絞り、庭の池に「どじょう」を放した。どじょうが気になって、青木が朝早く起きるようになるのではないかと考えてのことであったという。本作品は、当時の思い出を元に制作されたものだと言われる。
ただ、2番までの歌では、この歌は、山から池に転がってきて、どじょうと遊んだ後、どうなったのだろう?山に帰れたのだろうか?・・・、どんぐりが可愛そう・・・など、色々考えてしまう人もいるかもしれないが、それについては、ここでは触れないが、この歌には、3番や4番も出来ているらしい。以下参考の※2、又、Wikipediaの「幻の3番」の歌詞のところなど読まれると、嗚呼そうなのかと納得するよ。面白いので興味のある人は読まれるとよい。
なお、歌詞に出てくる「どんぶりこ」は池に落ちた音の擬音語だが、”「どんぐり」に引きずられて「どんぐりこ」と間違えて歌われることも多い(NHK『ことばおじさん』p.141。14)”らしいが、この間違い発言が、今あるサイトなどで話題になっているようだ。
それは、先日(2011年9月14日)の野田佳彦首相の「正心誠意」(※3参照)の所信表明演説への各党の代表質問に対しての首相の“誠心誠意”の回答が、野党の目にはどう映ったか?・・・。
自民党の石破 茂政調会長の皮肉たっぷりに述べた以下の言葉がとりあげられているのだ。
「どんぐりコロコロどんぐりこ。イラ菅辞めたぞ、さあ大変。ドジョウが出てきてこんにちは。やっぱり自民が恋しいと、泣いてはドジョウを困らせた」(※4参照)。
これを読むと分かるように、「どんぐりコロコロどんぐりこ」と、先に述べたと同じように「どんぐり」に引きずられて「どんぐりこ」と間違えて歌っているのが分かる。
この皮肉たっぷりな「どんぐりこ」発言は、朝日新聞の夕刊コラム『素粒子』(2008年12月9日付)が、麻生太郎首相(当時)を揶揄した「どんぐり」の替え歌を掲載(上掲の画像が当時の記事)したのを覚えていての意趣返しのようだが、折角皮肉るなら、歌を間違えて後からやじられないようにはしないとね~。
石葉がどんぐりの歌に例えた「イラ菅」は、ダメ菅とも言われた菅 直人前首相のことで、「どじょう」は、野田首相のことだろうが、「自民が恋しいと、泣いてはドジョウを困らせた」・・・のは誰なのだろう?
「自民が恋しい」と自民党などとの大連立を呼びかけたのは、自らをどじょうと言っている野田首相だが、「綱領すらない政党は基礎的要件を欠く」として連立は困難と冷たく拒否し、どじょうを困らせているのは、谷垣禎一自民党総裁だったのじゃ~ないかな~・・・・。
回り道をしたが、この話はここまで。次、本題に入ろう。
日本列島が、現代と同じような気候環境になったのは弥生時代頃と言われており、水田を営むのに適した沖積平野が現在の姿に近い状態になるのもこの時期であり、この頃形成された水田稲作を中心とした生産活動と文化が戦後までの日本の基本的な生活様式として存在していた。
しかし、後期旧石器時代の日本列島は、まだユーラシア大陸と陸続きであったとされ、亜寒帯針葉樹林に覆われていて、当時の人々の食料としては草原に生活いていたナウマン象やオオツノジカ(大角鹿).など大型獣への依存度が高かったと考えられ、これら大型獣を獲物に求めて移住しながらの狩猟を主体とした生活をしていた。
その後、氷河期 (最終氷期)の終わる約1万2千年前頃になると、日本列島の、気温・海水面が上昇(温暖化)し、対馬暖流の流入が止まったといわれており、こうした環境の変化かにより、動植物相に大きな変化をきたした。
先ず、動物相の変化としては、なぜかナウマン象など大型の哺乳類が日本から姿を消していった(気候・環境の変化だけでなく、人口の増加と乱獲にも原因があったのではないか)。しかし、この頃、日本列島はすでに大陸と海で隔てられ、獲物を求めて大陸へ移住することは困難となっていた。
その後は、大型獣を獲るための手槍にかわって、小・中型獣を狩猟するための尖頭器(せんとうき、point=投げ槍用の先端部)をつけた投げ槍や、石鏃(せきぞく)を付けた弓矢が考案された。特に弓矢は、すばやく動き回る小型獣を捕獲するのに有効であったためこれが主に使われたようだ。狩りの獲物でもっとも多いのは、シカ、イノシシで、他にノウサギやタヌキ、ムササビなどがいる。しかし、これらの狩りは、夏は木々の葉が繁り、獲物が発見しづらく、また子育ての時期であり、この時期に捕獲してしまえば、後に数を減らすことになるので狩りは主として冬に行われるようになった。しかも、獲れる時と獲れない時もあり、食料が安定的に確保出来ず、食料不足の状況が続いただろう。
一方、植物相の変化としては、気候の温暖化が進むにつれて、東北日本は落葉広葉樹林(ブナ林=ナラ林)が、西日本は照葉樹林(シイ、カシ林)で覆われるようになった。
この新しく日本列島に広がった森林の中には、採取可能な食べ物類が非常に多かった。小型獣では十分な食料を確保できなかった縄文時代の人々の目が豊かな実り多い森そのものに移っていったのは当然だろう。
その中でも秋にとれる堅果(けんか=種実類)と呼ばれる堅い皮や殻に包まれた木の実類は、栄養のバランスという点でも、ほかの食物にはない長所があることから、主食といえるほど重要なものであったようで、現在でも食べているクリ(栗)、クルミのほか、ドングリ類(ナラ、カシ、シイなどの実)やトチの実の殻(から)が縄文時代の遺跡から多く発見されている。
他にも、カヤ、ヤマモモ、サンショウ、ヒシ、ノビルなど、約40種類の植物が、縄文時代の遺跡から発見され、食料とされていたことが分かっているようだ。又、山菜(タラの芽、ウド、ワラビ、ゼンマイなど)やキノコあるいは根茎類(ヤマイモ、ユリの根、カタクリの根など)なども腐(くさ)りやすく遺跡には残っていないが、実際には多く食べられていたようだ。
当然、これら植物性食料資源の何を主とするかは地域によっても異なるだろうが一般に、ナラ林の方が照葉樹林より生産性が高い、つまり、多くの食料を手に入れることができると言われるが、それは、ナラ林で注目されるクリ(栗)にあるのだろう。
クリは、二次林(原生林が伐採や災害によって破壊された後、自然に、または人為的に再生した森林。※5参照)を形成する植物であり、森を切り開いて作られる集落の周囲に生育しやすいとされている。そのためか、東北日本のナラ林帯に位置する縄文集落の土層からクリの花粉が非常に多く検出されているようだ。
1994(平成6)年に青森市三内丸山の地中から縄文時代前期中頃から中期末葉(約5500年前-4000年前)の大規模集落跡・三内丸山遺跡が発掘されているが、小型獣、魚類、膨大な貝類と共に発見された多数の堅果類(クリ・クルミ・トチなど)の殻。さらには一年草のエゴマ(荏胡麻)、ヒョウタン(瓢箪)、ゴボウ(牛蒡)、マメ(豆)などといった栽培植物も出土している。
特に注目されるのは、多数出土したクリの花粉分析から、これらには、野生の植物集団の特徴であるDNA多型が見られなかったことから、三内丸山の人々は、ここに集落ができる前に広がっていたナラ類やブナの森の自然の恵みのみに依存した採取活動だけではなく、居住が開始されると、集落の周辺に、在来種のオニグルミ(鬼胡桃)を経て、クルミ属、さらにはクリ林へと人為的に堅果類の樹木を多数植栽し、一年草を栽培するなどしていた可能性が考えられるという(※6参照)。三内丸山遺跡のような巨大な集落は、西日本では発見されていないようだ。
そして、これら植物性食料資源の活用方法の開発が急がれた縄文時代の人々の欲求が生み出したのが、縄文土器だといわれている。
縄文土器の形には、胴長で筒形の「深鉢」」と、口が広い逆円錐形の「浅鉢」の2種類に分類されるが、縄文時代の、前半頃は口が広くて深い形の「深鉢」が占める割合が高く、土器の基本形として継続された。この形は、この土器を用いることで、前時代の「生で食べる」ことと「焼いて食べる」ことに「煮て食べる」ことが新たに加わった。
この器はスープやシチューのように汁を蒸発させないでじっくり煮るのに好都合であり、筋肉や干し肉あるいは植物の繊維などが煮ることによって食べやすくなった。貝を入れるとなおさら温かくてうまいスープが食べられるようになったが、この土器の出現は、気候の変化に伴う植物相の変化と密接な関係があったらしい。
新しく日本に広がった落葉広葉樹の森林の中で採取可能な食べ物類が非常に多く採取できたが、クリ、クルミ、カシの実などはアク(灰汁)が少ないので、そのままでも食べることが可能であるが、ドングリ類(クヌギ・カシ・ナラ・シイなどの木の実の総称)やトチ(栃)の実などは、「アク抜き」無しでは食べられず、縄文時代後期には、これらを、水で晒(さら)したり、縄文土器で煮たりしてアクを抜く技術が開発されていたようだ。特にトチの実のアク抜きには、水でさらしたうえ、灰を混ぜて煮るといった相当の手間をかけないと難しいことから、縄文時代の人々はアク抜きの不要な「クリ」から「ドングリ」へ、さらに「トチの実」へと、アク抜き技術も発達させていったのだろう。
イモ類も含めて球根類には毒をもつものが多い。この毒も長時間水にさらせば抜くことが可能である(根をすりつぶして、アルカリ性である灰汁と反応させ、その後沈殿させる)こうして、食料確保の必要性から可食食料の幅を広げていったと考えられている。それに、縄文土器を用いての加熱処理、特に煮沸には消毒という効果もあり、食の安全にも効果があったろう。
又、縄文時代中頃以降に「浅鉢」が急増するが、「浅鉢」は、現代のボウルに相当する「混ぜ」たり、「こね」たりするための容器のことで、食料を調理するために使われた土器である。「浅鉢」によって、それまでの食料をそのまま煮炊きしただけで食べる食生活に、調理した加工食品を食べる習慣が加わった。
縄文時代の保存食として「縄文クッキー」があるが、この成分を分析すると、ニホンシカやイノシシなどの肉に栗やクルミなどのでんぷん質を加え、野鳥の卵の材料に塩と野生酵母を加え200~250℃で焼いたものであったそうだ。栄養価も高く、優秀な保存食だった。
このような縄文土器が、食料の安定確保に大きく貢献することとなり、結果として、土器を持つ生活は、定住的な生活様式や人口増加の現象を導き出すこととなった。
ただ縄文時代を通じて、人口は東日本に多く西日本に少なかったという。基本的に西日本での人口密度は東日本の1/10にも満たず、人口密度が東北地方と逆転するのは弥生時代に入ってからであるという(※7)。
西日本の照葉樹林帯では、ドングリの大量備蓄などに特徴づけられるが、縄文時代後期の遺跡に比較的多くみられるというが、これは、あく抜きの技術もこの頃伝わってきたからではないかと言われている。元々生産性の低い照葉樹林帯で生活を営んでいた西日本の人々は食糧難に苦しんだとも言われており、それが、西日本に稲作以前の時期に伝来していたとされる焼畑農耕に依存した照葉樹林型の採集・半栽培文化を展開していたことと関連付けられており、それが、その後の水田稲作文化の急速な展開を可能にしたとも言われている。・・・・余計なことを書いたが、このような食文化のことを書くのが目的ではないので、そのようなことは、Wikipediaの照葉樹林文化論又、以下参考の※7のどんぐりと生きる:照葉樹林文化とナラ林文化など参照るとよい。
秋になってたわわに実る木の実(クリ・クルミ・トチなど堅果類)は、保存に最適なので、縄文時代の人々の何よりもありがたい命の糧であったことは間違いない。
クルミ(胡桃、山胡桃、英: Walnut、Black walnut、学名:Juglans)はクルミ科・クルミ属の総称である。原産地はヨーロッパ南西部からアジア西部とされ、北半球の温帯地域に広く分布する。
その核果の仁(果実の核で種子の別称)を加工したものを、ナッツと呼んでいる。ただ、クルミとして利用されるのはクルミ属の植物の一部にすぎない。日本で自生しているクルミの大半は「オニグルミ(鬼胡桃)」で九州から北海道にかけて広く分布しており、食用としての利用は古く、紀元前7000年前から人類が食用としていたとも言われている。
日本では縄文時代から、オニグルミを中心に食料として利用されていたと考えられている。文献資料においては『延喜式』に貢納物のひとつとしても記されており、『年料別貢雑物』では甲斐国や越前国、加賀国においてクルミの貢納が規定されており、平城宮跡出土の木簡にもクルミの貢進が記されているようだ(Wikipedia)。
そして、オニグルミは日本に持ち込まれ、人工的に栽培されて作られた変種ではなく、マンシュウ(満州)グルミの亜種だと考えられているようだ。
オニグルミは、栄養も豊富で、トチやドングリなどの木の実類と違って、渋抜きせずに食べることができるが、現在、広く市販されるテウチグルミやシナノグルミに比較して種子がやや小さく、殻が厚めで非常に固いので、仁を綺麗に取り出すのは容易ではない。その代わり味は濃厚だそうである。日本においてクルミ属で自生するものには、他にヒメグルミがあるが、わが国では、一般に野生のクルミ全般をオニグルミといっている。
欧米で単にクルミという時は、ペルシャグルミ(一般にセイヨウグルミともいう)を指しているようで、日本には、明治初年にアメリカから導入され、栽培が始められたという。又、このペルシャグルミが、中国に導入され、植栽、改良され変種を作ったものが、テウチグルミ(手打胡桃。カシ【菓子】グルミ、トウ【唐】グルミとも呼ばれる)で、江戸時代中頃には、日本に入ってきて、現在.、国内では、長野、東北地方で主に栽培されているようである。手打ちグルミの名は、果実の殻が薄くシワが少なく、手で砕きやすいところから生まれた名前らしい。又、カシ【菓子】グルミの名は、料理や菓子の材料に使われるところからの名前のようだ。
このペルシャグルミとテウチグルミの2種を交雑してできた改良種が
シナノグルミで、主に長野県で栽培されているようだ(クルミの名など※10、※11などを参照)。
現在、クルミの生産はアメリカ・カリフォルニア州と中国が多いが、日本では長野県がで全国一(平成20年の生産量が158t。第2位は青森県38t。平成20年産特産果樹生産動態等調査【農林水産省】)で、今日の記念日「くるみの日」を日本記念日協会に登録している長野県東御市(旧小県郡東部町)を中心に東信地区が一大生産地となっている。
そもそも、クルミは、殻が非常に硬く簡単には割れないため、人間が木の実を常食としていたはるか昔から、この硬い殻を割るための様々な型の道具が考案されてきたが、ドイツでは、二つの木片の端を結合して梃子の作用で割る・・・という合理的な道具が昔から使われていたという。これに人の形を装飾としてつけたものをプレゼントとして贈る習慣がすでに16世紀にはあったらしい。
ドイツのベルヒテスガーデンの1650年の記録には"Nusbeiser"(くるみを噛むもの)という語が残っており、また、1735年には19世紀まで玩具産業の街として知られていたテューリンゲン州ゾンネベルクでくるみ噛み人形が作られたとされている。
現在知られているような、人形型のくるみ割り器「クルミ割り人形」(上掲の画像参照)が生まれたのは、1870年代頃で、現在のドイツ、ザクセン州のエルツ山地地方のザイフェンという小さな村でのことであったとされる。
しかし、ここでつくられた古くからあるクルミ割人形は、恐い顔をしていたようだが、それは、この土地の貧しい玩具職人たちが、自分たちを圧迫する人間たちを、兵士とか憲兵、山林監督官、あるいは国王等、怖い顔で威張りくさって庶民を虫けらのように扱う人種、いわゆるお上の代表人物に仕立て上げて、硬いクルミを割る労働をやらせていたかららしい(※12)。時代と共に、昔のようないかめしい怖い表情のものは少なくなり、優しい表情のデザインのものが多くなっている。
「クルミ割り人形」の構造は、直立した人間型で、顎の部分が開閉するようになっており、そこから後ろへレバーが出ている。レバーを上に引き上げると大きく口を開け、そこへ木の実を挟み、レバーを下方へ押し下げることにより木の実を砕くようになっている。
なお、この「クルミ割り人形」は、木の実を割るために用いられる人形型の道具であり、クルミに限らずヘーゼルナッツその他の木の実にも用いられるようだ。
ただ、これを書いていて、オニグルミの核は、セイヨウグルミなどよりもっと硬く、クルミ割り器を使っても人の手では割れないほど硬い。それを5000年も前の素朴な石の包丁しか持たなかった時代に縄文人がいとも簡単に大量のオニグルミを真っ二つに割って食べていたらしいが、どのような方法で割っていたのか・・・?と疑問に思ったのだが、以下参考の※9によると、オニグルミを1~2時間、水に浸し、クルミの殻に水分がしみて膨張したものを、強火で炒ると、殻の水分が急に蒸発して縮む時にひびが入って少し口があくので、そのすき間に刃物を入れれば、簡単に二つに割れるらしい。クルミ割り器などを使わず、そのような割り方を編み出した縄文人はたいしたものだと思うよね~。・・・世界に誇る日本人の技術力は、このような縄文人のDNAを受け継いできているからだろうか・・・。今、改めて、感心している。
チャイコフスキーの「くるみ割り人形」は、「白鳥の湖」「眠りの森の美女」とともに三大バレエの一つに数えられるが、「くるみ割り人形」は、E.T.A.ホフマンの『くるみ割り人形とネズミの王様』の童話をもとに作曲されたバレエ音楽(作品番号71)を使用した2幕3場のバレエ作品である。童話が元になっており、ストーリーもくるみ割り人形とはつかねずみの戦争のようなファンタジー系となっている。(バレーの作品には複数の台本があり、内容も若干違うようだが、そのことは以下参考の※13、※14を参照されるとよい)。
バレエは内容的にメルヘンチックな雰囲気を持っており、誰もが楽しめる。又、バレーの内容は、クリスマスイヴの明るく楽しい夢の世界の話なので、世界的にクリスマス・シーズンに上演されることが多いようだ。
このバレエは、チャイコフスキーの音楽の魅力によるところが特に大きい作品とも言われるが、チャイコフスキーも自分自身で色とりどりの音楽を楽しんでいたのではないだろうか。
このバレエ音楽は、演奏会用組曲の形でも親しまれているが、全曲(15曲)の演奏時間は約1時間40分(第1幕60分、第2幕40分)。録音や演奏会などでは組曲や抜粋で演奏されることもあるが、チャイコフスキー自身が8曲を選んで、作品71aとして発表したものがあり、これは演奏時間も25分程度で大変良くまとまっているので、チャイコフスキーの管弦楽作品の中でも最もよく親しまれる曲となっている(バレエ組曲「くるみ割り人形」作品71a 参照)。
私は、クラシックファンでもないが、ひょんなことから、CDの「Classic Collection」を全巻を購入したが、全ての人のものを聞いてはいないが、このコレクションの中の、チャイコフスキーのこの曲(作品71aは、上掲のCDに含まれている)は明るく楽しい曲なので何度も聞いている。どの曲もいいが、「花のワルツ(第2幕)」は、全曲中もっとも華やかで有名な曲だ。以下で聞けるので好きな人は聞いてみるとよい。
YouTube-花のワルツ チャイコフスキー
クルミは、殻が非常に固いので、それを利用して、手のひらにクルミを握り込んで転がすと握力の鍛錬になるほか、老化の防止になるなどの効用もあるというので、何処へ旅行に行ったときか忘れたが、今は亡きおふくろに土産に買ってきた(このページ冒頭の画像ののもの)が余り使っていなかった。今は、私が、机の引き出しに入れておき、ときたま、暇なときなどに、気分転換も兼ねて利用している。
最後に、考古学の研究によれば縄文期の人々のとるカロリーの半分以上は木の実だったという。現代のおやつ的な木の実に比べると、近代の米や麦にあたる重要な役割を担っていた訳だ。
木の実(ナッツ)には、子孫を残すために必要な成分が凝縮されているため、ビタミンを中心として良質な栄養素が豊富に含まれており、炭水化物、アミノ酸、脂質、ビタミン、ミネラルがバランスよく、高い活性状態で含まれているなど、ほかの食物にはない長所があるらしい。健康に有益な食物としてナッツを適当に食べるのは良いかもしれない。ただ、その際、無塩で、ロースト(焙煎)していない新鮮なナッツを選ぶようにしなくてはいけないらしい(※15 、※16、※17参照)。
参考:
※1:長野県東御市HP
http://www.city.tomi.nagano.jp/
※2:どんぐりころころ
http://blog.goo.ne.jp/knockon1981/e/555f27171cfb58955229ccf9b501b179
※3:正心誠意 【氷川清話】
http://ameblo.jp/netgikai/entry-11017220955.html
※4:谷垣総裁「綱領すらない政党は政党としての基礎的な要件欠く」 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=DwONKzgDCVY
※5:ELCネット:二次林
http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2047
※6:公式ホームページ 特別史跡「三内丸山遺跡」
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
※7:縄文時代の環境、その1-縄文人の生活と気候変動
http://ofgs.aori.u-tokyo.ac.jp/kawahata/chishitsu_news_n669_p11-20.pdf#search='縄文時代の環境、その1-縄文人の生活と気候変動'
※8:照葉樹林文化とナラ林文化
http://www.enyatotto.com/donguri/ikiru/bunka.htm
※9:ECO JAPAN:木の実を生かす縄文人の知恵
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20100414/103613/
※10:木のメモ帳:樹の散歩道:クルミいろいろ 何やら名前がややこしい
http://www.geocities.jp/kinomemocho/sanpo_kurumi.html
※11:GOOの樹木図鑑
http://www005.upp.so-net.ne.jp/goostake/GOO/SCNAMEK1.HTM
※12:連載エッセイ「ドイツ我楽多市」 第8回 「くるみ割り人形1 怖い顔?」
http://www.kumpel.jp/essei/essei08.htm
※13:「くるみ割り人形」の基礎知識
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/nutcracker-g.htm
※14:ストーリー辞典:くるみ割り人形(原作E.T.A.ホフマン版)
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/meisakudrama/meisakudrama/kurumihofuman.html
※15:細川順讃のトータル健康法:食物の効用:ナッツ(堅果・種実)
http://www.seimeiken.com/total-health/food-power/18.html
※16:木の実を食べてますか?毎日、一握りのナッツを食べよう
http://www.rda.co.jp/aliveidea/aliveidea060915.html
※17:ナッツの栄養
http://the-nuts.kakubetsu.com/
草木名のはなし
http://www.ctb.ne.jp/~imeirou/sub8.html
クルミ(Adobe PDF)
http://www.kudamono200.or.jp/JFF/hinsyu/tokusankajyu/tokupdf/kurumi1.pdf#search='延喜式 オニグルミ'
曲目解説:チャイコフスキー/バレエ音楽「くるみ割り人形」
http://oekfan.web.infoseek.co.jp/note/tchaikovsky/nutcracker.htm
くるみ博物館【くるみについて】
http://www.jpwalnut.jp/museum/walnut/
小さなミュージアム
http://www.cal-ny.com/
どんぐり図鑑
http://www.enyatotto.com/donguri/donguri.htm
平成20年度六反田遺跡発掘調査成果報告会:食にまつわる縄文人の工夫と祈り
http://www.shiga-bunkazai.jp/download/pdf/090307_rokutanda.pdf#search='六反田遺跡 食にまつわる縄文人の工夫'
シナノグルミ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%9F
(1)
どんぐりころころ ドンブリコ お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は 坊ちゃん一緒に 遊びましょう
(2)
どんぐりころころ よろこんで しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと 泣いてはどじょうを 困らせた
『どんぐりコロコロ』(原題:団栗ころころ)。作詞は、青木存義 、作曲は、梁田貞(1885年-1959年)である。
大正時代に作られた唱歌(広義の童謡)で、小学校用の教科書(音楽)で使用されたことを契機に広く歌われるようになり、その普及ぶりから金田一春彦に「日本の三大童謡」の一つと評されているという(Wikipedia)。
今日は「くるみの日」なのでクルミ(胡桃)のことを書くつもりが、私など神戸に生まれ、以来ずっと神戸に住んでいるものには、同じ被子植物のひとつクルミ科のクルミよりも、ブナ科のクヌギ・カシ・ナラ・カシワ・クリなどの果実(正確には種子ではない)の総称であるドングリ(団栗。「しいの実」とも言われる)の方が親しみがあるものだから、ついこの歌が出てきてしまった。そのため、最初からちょっと脱線するが・・・悪しからず。
この『どんぐりコロコロ』の歌詞の内容は、作詞者青木の幼少時の体験が元になっているそうで、青木は宮城県宮城郡松島町の大地主のいわゆる「坊ちゃん」として生まれ育ったという。広大な屋敷の庭には「どんぐり」が実りナラの木があり、その横には大きな「池」があったそうだ。青木は朝寝坊な子だったそうで、それを直したいと母親が知恵を絞り、庭の池に「どじょう」を放した。どじょうが気になって、青木が朝早く起きるようになるのではないかと考えてのことであったという。本作品は、当時の思い出を元に制作されたものだと言われる。
ただ、2番までの歌では、この歌は、山から池に転がってきて、どじょうと遊んだ後、どうなったのだろう?山に帰れたのだろうか?・・・、どんぐりが可愛そう・・・など、色々考えてしまう人もいるかもしれないが、それについては、ここでは触れないが、この歌には、3番や4番も出来ているらしい。以下参考の※2、又、Wikipediaの「幻の3番」の歌詞のところなど読まれると、嗚呼そうなのかと納得するよ。面白いので興味のある人は読まれるとよい。
なお、歌詞に出てくる「どんぶりこ」は池に落ちた音の擬音語だが、”「どんぐり」に引きずられて「どんぐりこ」と間違えて歌われることも多い(NHK『ことばおじさん』p.141。14)”らしいが、この間違い発言が、今あるサイトなどで話題になっているようだ。
それは、先日(2011年9月14日)の野田佳彦首相の「正心誠意」(※3参照)の所信表明演説への各党の代表質問に対しての首相の“誠心誠意”の回答が、野党の目にはどう映ったか?・・・。
自民党の石破 茂政調会長の皮肉たっぷりに述べた以下の言葉がとりあげられているのだ。
「どんぐりコロコロどんぐりこ。イラ菅辞めたぞ、さあ大変。ドジョウが出てきてこんにちは。やっぱり自民が恋しいと、泣いてはドジョウを困らせた」(※4参照)。
これを読むと分かるように、「どんぐりコロコロどんぐりこ」と、先に述べたと同じように「どんぐり」に引きずられて「どんぐりこ」と間違えて歌っているのが分かる。
この皮肉たっぷりな「どんぐりこ」発言は、朝日新聞の夕刊コラム『素粒子』(2008年12月9日付)が、麻生太郎首相(当時)を揶揄した「どんぐり」の替え歌を掲載(上掲の画像が当時の記事)したのを覚えていての意趣返しのようだが、折角皮肉るなら、歌を間違えて後からやじられないようにはしないとね~。
石葉がどんぐりの歌に例えた「イラ菅」は、ダメ菅とも言われた菅 直人前首相のことで、「どじょう」は、野田首相のことだろうが、「自民が恋しいと、泣いてはドジョウを困らせた」・・・のは誰なのだろう?
「自民が恋しい」と自民党などとの大連立を呼びかけたのは、自らをどじょうと言っている野田首相だが、「綱領すらない政党は基礎的要件を欠く」として連立は困難と冷たく拒否し、どじょうを困らせているのは、谷垣禎一自民党総裁だったのじゃ~ないかな~・・・・。
回り道をしたが、この話はここまで。次、本題に入ろう。
日本列島が、現代と同じような気候環境になったのは弥生時代頃と言われており、水田を営むのに適した沖積平野が現在の姿に近い状態になるのもこの時期であり、この頃形成された水田稲作を中心とした生産活動と文化が戦後までの日本の基本的な生活様式として存在していた。
しかし、後期旧石器時代の日本列島は、まだユーラシア大陸と陸続きであったとされ、亜寒帯針葉樹林に覆われていて、当時の人々の食料としては草原に生活いていたナウマン象やオオツノジカ(大角鹿).など大型獣への依存度が高かったと考えられ、これら大型獣を獲物に求めて移住しながらの狩猟を主体とした生活をしていた。
その後、氷河期 (最終氷期)の終わる約1万2千年前頃になると、日本列島の、気温・海水面が上昇(温暖化)し、対馬暖流の流入が止まったといわれており、こうした環境の変化かにより、動植物相に大きな変化をきたした。
先ず、動物相の変化としては、なぜかナウマン象など大型の哺乳類が日本から姿を消していった(気候・環境の変化だけでなく、人口の増加と乱獲にも原因があったのではないか)。しかし、この頃、日本列島はすでに大陸と海で隔てられ、獲物を求めて大陸へ移住することは困難となっていた。
その後は、大型獣を獲るための手槍にかわって、小・中型獣を狩猟するための尖頭器(せんとうき、point=投げ槍用の先端部)をつけた投げ槍や、石鏃(せきぞく)を付けた弓矢が考案された。特に弓矢は、すばやく動き回る小型獣を捕獲するのに有効であったためこれが主に使われたようだ。狩りの獲物でもっとも多いのは、シカ、イノシシで、他にノウサギやタヌキ、ムササビなどがいる。しかし、これらの狩りは、夏は木々の葉が繁り、獲物が発見しづらく、また子育ての時期であり、この時期に捕獲してしまえば、後に数を減らすことになるので狩りは主として冬に行われるようになった。しかも、獲れる時と獲れない時もあり、食料が安定的に確保出来ず、食料不足の状況が続いただろう。
一方、植物相の変化としては、気候の温暖化が進むにつれて、東北日本は落葉広葉樹林(ブナ林=ナラ林)が、西日本は照葉樹林(シイ、カシ林)で覆われるようになった。
この新しく日本列島に広がった森林の中には、採取可能な食べ物類が非常に多かった。小型獣では十分な食料を確保できなかった縄文時代の人々の目が豊かな実り多い森そのものに移っていったのは当然だろう。
その中でも秋にとれる堅果(けんか=種実類)と呼ばれる堅い皮や殻に包まれた木の実類は、栄養のバランスという点でも、ほかの食物にはない長所があることから、主食といえるほど重要なものであったようで、現在でも食べているクリ(栗)、クルミのほか、ドングリ類(ナラ、カシ、シイなどの実)やトチの実の殻(から)が縄文時代の遺跡から多く発見されている。
他にも、カヤ、ヤマモモ、サンショウ、ヒシ、ノビルなど、約40種類の植物が、縄文時代の遺跡から発見され、食料とされていたことが分かっているようだ。又、山菜(タラの芽、ウド、ワラビ、ゼンマイなど)やキノコあるいは根茎類(ヤマイモ、ユリの根、カタクリの根など)なども腐(くさ)りやすく遺跡には残っていないが、実際には多く食べられていたようだ。
当然、これら植物性食料資源の何を主とするかは地域によっても異なるだろうが一般に、ナラ林の方が照葉樹林より生産性が高い、つまり、多くの食料を手に入れることができると言われるが、それは、ナラ林で注目されるクリ(栗)にあるのだろう。
クリは、二次林(原生林が伐採や災害によって破壊された後、自然に、または人為的に再生した森林。※5参照)を形成する植物であり、森を切り開いて作られる集落の周囲に生育しやすいとされている。そのためか、東北日本のナラ林帯に位置する縄文集落の土層からクリの花粉が非常に多く検出されているようだ。
1994(平成6)年に青森市三内丸山の地中から縄文時代前期中頃から中期末葉(約5500年前-4000年前)の大規模集落跡・三内丸山遺跡が発掘されているが、小型獣、魚類、膨大な貝類と共に発見された多数の堅果類(クリ・クルミ・トチなど)の殻。さらには一年草のエゴマ(荏胡麻)、ヒョウタン(瓢箪)、ゴボウ(牛蒡)、マメ(豆)などといった栽培植物も出土している。
特に注目されるのは、多数出土したクリの花粉分析から、これらには、野生の植物集団の特徴であるDNA多型が見られなかったことから、三内丸山の人々は、ここに集落ができる前に広がっていたナラ類やブナの森の自然の恵みのみに依存した採取活動だけではなく、居住が開始されると、集落の周辺に、在来種のオニグルミ(鬼胡桃)を経て、クルミ属、さらにはクリ林へと人為的に堅果類の樹木を多数植栽し、一年草を栽培するなどしていた可能性が考えられるという(※6参照)。三内丸山遺跡のような巨大な集落は、西日本では発見されていないようだ。
そして、これら植物性食料資源の活用方法の開発が急がれた縄文時代の人々の欲求が生み出したのが、縄文土器だといわれている。
縄文土器の形には、胴長で筒形の「深鉢」」と、口が広い逆円錐形の「浅鉢」の2種類に分類されるが、縄文時代の、前半頃は口が広くて深い形の「深鉢」が占める割合が高く、土器の基本形として継続された。この形は、この土器を用いることで、前時代の「生で食べる」ことと「焼いて食べる」ことに「煮て食べる」ことが新たに加わった。
この器はスープやシチューのように汁を蒸発させないでじっくり煮るのに好都合であり、筋肉や干し肉あるいは植物の繊維などが煮ることによって食べやすくなった。貝を入れるとなおさら温かくてうまいスープが食べられるようになったが、この土器の出現は、気候の変化に伴う植物相の変化と密接な関係があったらしい。
新しく日本に広がった落葉広葉樹の森林の中で採取可能な食べ物類が非常に多く採取できたが、クリ、クルミ、カシの実などはアク(灰汁)が少ないので、そのままでも食べることが可能であるが、ドングリ類(クヌギ・カシ・ナラ・シイなどの木の実の総称)やトチ(栃)の実などは、「アク抜き」無しでは食べられず、縄文時代後期には、これらを、水で晒(さら)したり、縄文土器で煮たりしてアクを抜く技術が開発されていたようだ。特にトチの実のアク抜きには、水でさらしたうえ、灰を混ぜて煮るといった相当の手間をかけないと難しいことから、縄文時代の人々はアク抜きの不要な「クリ」から「ドングリ」へ、さらに「トチの実」へと、アク抜き技術も発達させていったのだろう。
イモ類も含めて球根類には毒をもつものが多い。この毒も長時間水にさらせば抜くことが可能である(根をすりつぶして、アルカリ性である灰汁と反応させ、その後沈殿させる)こうして、食料確保の必要性から可食食料の幅を広げていったと考えられている。それに、縄文土器を用いての加熱処理、特に煮沸には消毒という効果もあり、食の安全にも効果があったろう。
又、縄文時代中頃以降に「浅鉢」が急増するが、「浅鉢」は、現代のボウルに相当する「混ぜ」たり、「こね」たりするための容器のことで、食料を調理するために使われた土器である。「浅鉢」によって、それまでの食料をそのまま煮炊きしただけで食べる食生活に、調理した加工食品を食べる習慣が加わった。
縄文時代の保存食として「縄文クッキー」があるが、この成分を分析すると、ニホンシカやイノシシなどの肉に栗やクルミなどのでんぷん質を加え、野鳥の卵の材料に塩と野生酵母を加え200~250℃で焼いたものであったそうだ。栄養価も高く、優秀な保存食だった。
このような縄文土器が、食料の安定確保に大きく貢献することとなり、結果として、土器を持つ生活は、定住的な生活様式や人口増加の現象を導き出すこととなった。
ただ縄文時代を通じて、人口は東日本に多く西日本に少なかったという。基本的に西日本での人口密度は東日本の1/10にも満たず、人口密度が東北地方と逆転するのは弥生時代に入ってからであるという(※7)。
西日本の照葉樹林帯では、ドングリの大量備蓄などに特徴づけられるが、縄文時代後期の遺跡に比較的多くみられるというが、これは、あく抜きの技術もこの頃伝わってきたからではないかと言われている。元々生産性の低い照葉樹林帯で生活を営んでいた西日本の人々は食糧難に苦しんだとも言われており、それが、西日本に稲作以前の時期に伝来していたとされる焼畑農耕に依存した照葉樹林型の採集・半栽培文化を展開していたことと関連付けられており、それが、その後の水田稲作文化の急速な展開を可能にしたとも言われている。・・・・余計なことを書いたが、このような食文化のことを書くのが目的ではないので、そのようなことは、Wikipediaの照葉樹林文化論又、以下参考の※7のどんぐりと生きる:照葉樹林文化とナラ林文化など参照るとよい。
秋になってたわわに実る木の実(クリ・クルミ・トチなど堅果類)は、保存に最適なので、縄文時代の人々の何よりもありがたい命の糧であったことは間違いない。
クルミ(胡桃、山胡桃、英: Walnut、Black walnut、学名:Juglans)はクルミ科・クルミ属の総称である。原産地はヨーロッパ南西部からアジア西部とされ、北半球の温帯地域に広く分布する。
その核果の仁(果実の核で種子の別称)を加工したものを、ナッツと呼んでいる。ただ、クルミとして利用されるのはクルミ属の植物の一部にすぎない。日本で自生しているクルミの大半は「オニグルミ(鬼胡桃)」で九州から北海道にかけて広く分布しており、食用としての利用は古く、紀元前7000年前から人類が食用としていたとも言われている。
日本では縄文時代から、オニグルミを中心に食料として利用されていたと考えられている。文献資料においては『延喜式』に貢納物のひとつとしても記されており、『年料別貢雑物』では甲斐国や越前国、加賀国においてクルミの貢納が規定されており、平城宮跡出土の木簡にもクルミの貢進が記されているようだ(Wikipedia)。
そして、オニグルミは日本に持ち込まれ、人工的に栽培されて作られた変種ではなく、マンシュウ(満州)グルミの亜種だと考えられているようだ。
オニグルミは、栄養も豊富で、トチやドングリなどの木の実類と違って、渋抜きせずに食べることができるが、現在、広く市販されるテウチグルミやシナノグルミに比較して種子がやや小さく、殻が厚めで非常に固いので、仁を綺麗に取り出すのは容易ではない。その代わり味は濃厚だそうである。日本においてクルミ属で自生するものには、他にヒメグルミがあるが、わが国では、一般に野生のクルミ全般をオニグルミといっている。
欧米で単にクルミという時は、ペルシャグルミ(一般にセイヨウグルミともいう)を指しているようで、日本には、明治初年にアメリカから導入され、栽培が始められたという。又、このペルシャグルミが、中国に導入され、植栽、改良され変種を作ったものが、テウチグルミ(手打胡桃。カシ【菓子】グルミ、トウ【唐】グルミとも呼ばれる)で、江戸時代中頃には、日本に入ってきて、現在.、国内では、長野、東北地方で主に栽培されているようである。手打ちグルミの名は、果実の殻が薄くシワが少なく、手で砕きやすいところから生まれた名前らしい。又、カシ【菓子】グルミの名は、料理や菓子の材料に使われるところからの名前のようだ。
このペルシャグルミとテウチグルミの2種を交雑してできた改良種が
シナノグルミで、主に長野県で栽培されているようだ(クルミの名など※10、※11などを参照)。
現在、クルミの生産はアメリカ・カリフォルニア州と中国が多いが、日本では長野県がで全国一(平成20年の生産量が158t。第2位は青森県38t。平成20年産特産果樹生産動態等調査【農林水産省】)で、今日の記念日「くるみの日」を日本記念日協会に登録している長野県東御市(旧小県郡東部町)を中心に東信地区が一大生産地となっている。
そもそも、クルミは、殻が非常に硬く簡単には割れないため、人間が木の実を常食としていたはるか昔から、この硬い殻を割るための様々な型の道具が考案されてきたが、ドイツでは、二つの木片の端を結合して梃子の作用で割る・・・という合理的な道具が昔から使われていたという。これに人の形を装飾としてつけたものをプレゼントとして贈る習慣がすでに16世紀にはあったらしい。
ドイツのベルヒテスガーデンの1650年の記録には"Nusbeiser"(くるみを噛むもの)という語が残っており、また、1735年には19世紀まで玩具産業の街として知られていたテューリンゲン州ゾンネベルクでくるみ噛み人形が作られたとされている。
現在知られているような、人形型のくるみ割り器「クルミ割り人形」(上掲の画像参照)が生まれたのは、1870年代頃で、現在のドイツ、ザクセン州のエルツ山地地方のザイフェンという小さな村でのことであったとされる。
しかし、ここでつくられた古くからあるクルミ割人形は、恐い顔をしていたようだが、それは、この土地の貧しい玩具職人たちが、自分たちを圧迫する人間たちを、兵士とか憲兵、山林監督官、あるいは国王等、怖い顔で威張りくさって庶民を虫けらのように扱う人種、いわゆるお上の代表人物に仕立て上げて、硬いクルミを割る労働をやらせていたかららしい(※12)。時代と共に、昔のようないかめしい怖い表情のものは少なくなり、優しい表情のデザインのものが多くなっている。
「クルミ割り人形」の構造は、直立した人間型で、顎の部分が開閉するようになっており、そこから後ろへレバーが出ている。レバーを上に引き上げると大きく口を開け、そこへ木の実を挟み、レバーを下方へ押し下げることにより木の実を砕くようになっている。
なお、この「クルミ割り人形」は、木の実を割るために用いられる人形型の道具であり、クルミに限らずヘーゼルナッツその他の木の実にも用いられるようだ。
ただ、これを書いていて、オニグルミの核は、セイヨウグルミなどよりもっと硬く、クルミ割り器を使っても人の手では割れないほど硬い。それを5000年も前の素朴な石の包丁しか持たなかった時代に縄文人がいとも簡単に大量のオニグルミを真っ二つに割って食べていたらしいが、どのような方法で割っていたのか・・・?と疑問に思ったのだが、以下参考の※9によると、オニグルミを1~2時間、水に浸し、クルミの殻に水分がしみて膨張したものを、強火で炒ると、殻の水分が急に蒸発して縮む時にひびが入って少し口があくので、そのすき間に刃物を入れれば、簡単に二つに割れるらしい。クルミ割り器などを使わず、そのような割り方を編み出した縄文人はたいしたものだと思うよね~。・・・世界に誇る日本人の技術力は、このような縄文人のDNAを受け継いできているからだろうか・・・。今、改めて、感心している。
チャイコフスキーの「くるみ割り人形」は、「白鳥の湖」「眠りの森の美女」とともに三大バレエの一つに数えられるが、「くるみ割り人形」は、E.T.A.ホフマンの『くるみ割り人形とネズミの王様』の童話をもとに作曲されたバレエ音楽(作品番号71)を使用した2幕3場のバレエ作品である。童話が元になっており、ストーリーもくるみ割り人形とはつかねずみの戦争のようなファンタジー系となっている。(バレーの作品には複数の台本があり、内容も若干違うようだが、そのことは以下参考の※13、※14を参照されるとよい)。
バレエは内容的にメルヘンチックな雰囲気を持っており、誰もが楽しめる。又、バレーの内容は、クリスマスイヴの明るく楽しい夢の世界の話なので、世界的にクリスマス・シーズンに上演されることが多いようだ。
このバレエは、チャイコフスキーの音楽の魅力によるところが特に大きい作品とも言われるが、チャイコフスキーも自分自身で色とりどりの音楽を楽しんでいたのではないだろうか。
このバレエ音楽は、演奏会用組曲の形でも親しまれているが、全曲(15曲)の演奏時間は約1時間40分(第1幕60分、第2幕40分)。録音や演奏会などでは組曲や抜粋で演奏されることもあるが、チャイコフスキー自身が8曲を選んで、作品71aとして発表したものがあり、これは演奏時間も25分程度で大変良くまとまっているので、チャイコフスキーの管弦楽作品の中でも最もよく親しまれる曲となっている(バレエ組曲「くるみ割り人形」作品71a 参照)。
私は、クラシックファンでもないが、ひょんなことから、CDの「Classic Collection」を全巻を購入したが、全ての人のものを聞いてはいないが、このコレクションの中の、チャイコフスキーのこの曲(作品71aは、上掲のCDに含まれている)は明るく楽しい曲なので何度も聞いている。どの曲もいいが、「花のワルツ(第2幕)」は、全曲中もっとも華やかで有名な曲だ。以下で聞けるので好きな人は聞いてみるとよい。
YouTube-花のワルツ チャイコフスキー
クルミは、殻が非常に固いので、それを利用して、手のひらにクルミを握り込んで転がすと握力の鍛錬になるほか、老化の防止になるなどの効用もあるというので、何処へ旅行に行ったときか忘れたが、今は亡きおふくろに土産に買ってきた(このページ冒頭の画像ののもの)が余り使っていなかった。今は、私が、机の引き出しに入れておき、ときたま、暇なときなどに、気分転換も兼ねて利用している。
最後に、考古学の研究によれば縄文期の人々のとるカロリーの半分以上は木の実だったという。現代のおやつ的な木の実に比べると、近代の米や麦にあたる重要な役割を担っていた訳だ。
木の実(ナッツ)には、子孫を残すために必要な成分が凝縮されているため、ビタミンを中心として良質な栄養素が豊富に含まれており、炭水化物、アミノ酸、脂質、ビタミン、ミネラルがバランスよく、高い活性状態で含まれているなど、ほかの食物にはない長所があるらしい。健康に有益な食物としてナッツを適当に食べるのは良いかもしれない。ただ、その際、無塩で、ロースト(焙煎)していない新鮮なナッツを選ぶようにしなくてはいけないらしい(※15 、※16、※17参照)。
参考:
※1:長野県東御市HP
http://www.city.tomi.nagano.jp/
※2:どんぐりころころ
http://blog.goo.ne.jp/knockon1981/e/555f27171cfb58955229ccf9b501b179
※3:正心誠意 【氷川清話】
http://ameblo.jp/netgikai/entry-11017220955.html
※4:谷垣総裁「綱領すらない政党は政党としての基礎的な要件欠く」 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=DwONKzgDCVY
※5:ELCネット:二次林
http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2047
※6:公式ホームページ 特別史跡「三内丸山遺跡」
http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/
※7:縄文時代の環境、その1-縄文人の生活と気候変動
http://ofgs.aori.u-tokyo.ac.jp/kawahata/chishitsu_news_n669_p11-20.pdf#search='縄文時代の環境、その1-縄文人の生活と気候変動'
※8:照葉樹林文化とナラ林文化
http://www.enyatotto.com/donguri/ikiru/bunka.htm
※9:ECO JAPAN:木の実を生かす縄文人の知恵
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20100414/103613/
※10:木のメモ帳:樹の散歩道:クルミいろいろ 何やら名前がややこしい
http://www.geocities.jp/kinomemocho/sanpo_kurumi.html
※11:GOOの樹木図鑑
http://www005.upp.so-net.ne.jp/goostake/GOO/SCNAMEK1.HTM
※12:連載エッセイ「ドイツ我楽多市」 第8回 「くるみ割り人形1 怖い顔?」
http://www.kumpel.jp/essei/essei08.htm
※13:「くるみ割り人形」の基礎知識
http://homepage3.nifty.com/masahirokitamura/nutcracker-g.htm
※14:ストーリー辞典:くるみ割り人形(原作E.T.A.ホフマン版)
http://www2.tbb.t-com.ne.jp/meisakudrama/meisakudrama/kurumihofuman.html
※15:細川順讃のトータル健康法:食物の効用:ナッツ(堅果・種実)
http://www.seimeiken.com/total-health/food-power/18.html
※16:木の実を食べてますか?毎日、一握りのナッツを食べよう
http://www.rda.co.jp/aliveidea/aliveidea060915.html
※17:ナッツの栄養
http://the-nuts.kakubetsu.com/
草木名のはなし
http://www.ctb.ne.jp/~imeirou/sub8.html
クルミ(Adobe PDF)
http://www.kudamono200.or.jp/JFF/hinsyu/tokusankajyu/tokupdf/kurumi1.pdf#search='延喜式 オニグルミ'
曲目解説:チャイコフスキー/バレエ音楽「くるみ割り人形」
http://oekfan.web.infoseek.co.jp/note/tchaikovsky/nutcracker.htm
くるみ博物館【くるみについて】
http://www.jpwalnut.jp/museum/walnut/
小さなミュージアム
http://www.cal-ny.com/
どんぐり図鑑
http://www.enyatotto.com/donguri/donguri.htm
平成20年度六反田遺跡発掘調査成果報告会:食にまつわる縄文人の工夫と祈り
http://www.shiga-bunkazai.jp/download/pdf/090307_rokutanda.pdf#search='六反田遺跡 食にまつわる縄文人の工夫'
シナノグルミ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%9F